由宇子の天秤 : インタビュー
感想を述べるのが“怖くなる”――瀧内公美×河合優実「由宇子の天秤」を巡る対話
「必見」という言葉を、多用・乱用してしまえば、本来の意味合いが薄まってしまう。だからこそ、その2文字を極力避けながら「見てほしい」と感じた作品を世に広めていく。これが、私の仕事だと思っている。だが、1年に数回、作品から放たれたエネルギーにあてられてしまい、鑑賞直後、放心のまま「必見」という言葉しか紡ぐことができない時が訪れる。さて、何が言いたいのか。「由宇子の天秤」は、「必見」を使うに値にする傑作だということだ。
「かぞくへ」の春本雄二郎監督が長編第2作として世に放った「由宇子の天秤」。企画の発端となったのは、2014年の出来事。春本監督は、あるいじめ自殺事件から派生した「特異な事件」を報じた記事を目にする。そこに記されていたのは、加害少年の父親と同姓同名の“事件と無関係な人物”がネットリンチを受けていたというもの。「事件の当事者ではない一般人が、一体何を“真実”として、自らを絶対的な“正しいポジション”において、正義を振りかざすのか?」という点に強い興味、そしてある種の危うさと幼さを感じとったのだ。
現実から生まれた物語は、「女子高生いじめ自殺事件」を追うドキュメンタリーディレクター・由宇子を生み出した。テレビ局の方針と対立を繰り返しながらも事件の真相に迫る彼女は、学習塾を経営する父の衝撃的事実に直面し、究極の選択を迫られていく。「“正しさ”とは何なのか?」。この答えのない問いかけに、世界が熱狂した。第71回ベルリン国際映画祭(パノラマ部門正式出品)、第25回釜山国際映画祭(ニューカレンツアワード受賞)といった世界各国の映画祭での高評価を携え、「由宇子の天秤」は遂に日本凱旋を果たすことになった。
由宇子を演じたのは、「彼女の人生は間違いじゃない」「火口のふたり」の瀧内公美。本作への参加は、俳優としての新境地……いや、最早「脱皮」と称してもよいのだろう。スペインのラス・パルマス国際映画祭での最優秀女優賞獲得という結果も納得のものだ。
そんな瀧内とともに、注目せざるを得ない人物がいる。キーパーソンとなる女子高生・小畑萌を演じた河合優実だ。「佐々木、イン、マイマイン」(苗村役)、「サマーフィルムにのって」(ビート板役)でも注目を集め、今後は「愛なのに」(監督:城定秀夫、脚本:今泉力哉)にも出演。前述の作品に加え、「由宇子の天秤」での芝居に触れれば「逸材」という言葉が口をついて出るに違いない。
インタビューの時間、横並びに座った瀧内と河合。互いが発する言葉に頷き、時に微笑みかける。和やかな雰囲気を保ったまま、「由宇子の天秤」を巡る対話は進んでいった。(取材・文/編集部 岡田寛司、写真/掘修平)
――瀧内さんは、春本監督の「かぞくへ」をご覧になり、自ら出演を申し出たとお伺いしております。それは、製作者にとっても、俳優にとっても、とても恵まれた出会い方ですよね。その点を踏まえ、参加の経緯を教えていただけますか?
瀧内:2016年くらいから、ミニシアターや、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)、SKIP国際Dシネマ映画祭などを巡りながら、新しい監督との出会いを探していました。というのも、私はこれまで1シーンでも絡みがあるような作品を、観客の皆さんにお届けしていたと思うんです。そこがフィーチャーされてしまうと、似通った役柄だったり、そういう描写があるような作品で呼ばれることがある。仕事としてはものすごく有難いことですが、役者としては「少し物足りないな」と感じていたんです。役の幅を広げるということを考えた時、その場所は、自由さがあるインディーズ映画かなと思ったんです。
――SKIP国際Dシネマ映画祭にも通われていたんですね。素晴らしい映画祭ですが、都心から少し足を延ばさなければいけない場所(埼玉県川口市)で開催されているので、少々驚きました。
瀧内:そうそう、川口駅から出ているバスに乗って行きました(笑)。単純に好きなんです、映画祭を巡ることが。そういう場所で「自分に化学反応が起こる人は誰なのか」ということを、必死に模索していました。30代に差し掛かってくると、自然と演じる役も決まってきてしまう。そういった状況下での“将来への種まき”といいますか……(笑)。そんな時に「かぞくへ」を見て「あ、この人(春本監督)だ」と感じたんです。これまで参加してきたジャンル、作風とも異なりましたし、何より人物がしっかり映し出されていました。春本監督が舞台挨拶で仰った言葉も、(作品に対しての)非常に細やかなことでした。私、“役を生きる”と表現すればいいんでしょうか……演出においては、わりと野放しにされることが多かったんですよ(笑)。春本監督に好きな映画を聞いてみたりして、その結果「この方と組んだら面白そうだな」という思いに至りました。
――好きな映画は、どんなお答えが返ってきたんですか?
瀧内:「私を未知の世界に連れて行ってくれる」「知識を広げてくれる」と実感した答えは、クシシュトフ・キエシロフスキーの監督作です。「キエシロフスキー……私にはよくわからない」と思ってしまったんですが……でも、自分が好きなものを好きな人とは、同じような匂いを感じて、割と出会えると思うんです。「わからない」と感じてしまった作品は、自分の価値観、概念を崩してくれるものでもあります。だからこそ、(春本監督とのタッグは)とにかく好奇心が沸きましたね。
――河合さんは、所属事務所「鈍牛倶楽部」の國實瑞惠社長の紹介を経て、まずは春本監督のワークショップに参加。その後、オーディションに合格されたということですよね。ワークショップに参加されてみていかがでしたでしょうか?
河合:この仕事を初めて3年目になるのですが、これまでにも、色々な監督、演出家の方々によるワークショップに参加したことがありました。そのなかでも、春本監督のワークショップは異質だったといいますか……とても心に残っています。
――どのような点で“異質”だったのでしょう?
河合:ワークショップのスタンダードとして「台本をベースに進める」「エチュードをする」といったものがあります。でも、春本監督からまず伝えられたのは「期間中は、あまり映画を見ないこと。本も読まず、携帯やネットにも触れず、可能な限り、参加者同士の私語を慎むこと」というものでした。その意図というのが「自分の中にあるもの――自分が“今、何を持っているのか”ということに向き合っていく」。そんなことをワークショップで仰った監督や演出家の方はいませんでしたし、ビックリしたんです。参加者の緊張感、春本監督が指導している際の顔、雰囲気、言葉――鮮烈に覚えています。
――それぞれの“出会い”を経て、「由宇子の天秤」の脚本と向き合うことになります。初読の感想を教えて頂けますか?
瀧内:まず目を引かれたのは、タイトルのシンメトリーな点。「由宇子」という名前は、シンメトリーといっても過言ではないですよね。そこに「天秤」という要素が入る。「これは一体“何”と“何”に対する天秤なのだろう」と考えながら読み進めたんですが、結果、“何”と“何”だけではなかった。心情が揺れ動くさまを表しているのではないかなと。
――そういう観点でいえば、英題「A Balance」も象徴的だと思いました。物語に触れた際は、いかがでしたか?
瀧内:非常に負荷がかかっているもので、とても辛くなりましたね。ただ、由宇子を演じる私にとっては新たな役どころでもありましたし、これを演じきることで、次のステップに進めるのだろうなと思っていました。これはやるべき作品だなと――春本監督にお声がけをして良かったと、素直に感じたんです。“答えの無さ”がテーマのひとつにもなっていると思うので、非常に言葉にしにくい脚本です。「私は、このように感じた」と発言すれば「本当にそれでいいのだろうか……」と考えさせられるほど。そういう広がりがありました。
河合:瀧内さんと同様に、感想を言うのが怖くなってしまう脚本なんです。読んだ後、春本監督から「どうだった?」と聞かれたんですが、言葉にするのが怖くて……(笑)。
瀧内:その感覚、本当によくわかる(笑)。
河合:春本監督は対等の立場で接してくれる方ですが、クリエーションに関しては、すごく厳しい顔をされるんです。「どうだった?」と真っ直ぐに目を見て聞いてくる。当時は18歳だったんですが「脚本を読む」ということに慣れていなく、素直に受け取ったことをお伝えしました。最初は“家族”という目線で読んでいました。自分の家族がした行為と、一般社会で正義とされていることについての天秤。(由宇子のような状況となった場合)自分だったらどうするのだろうと。でも、完成した作品を見てみると、それだけではなかったんです。これが、私たち人間の姿、情報化社会の現状だという大きな問題提起も行われています。見る側は苦しくなるでしょうし、まるで殴られた時のような……重い1発だと思います。
――本作の鑑賞後、それぞれが語る言葉によって、その人自身の本質が曝け出されてしまう。心して臨まねばならない作品だと思います。脚本への読解力も求められる内容ですよね。役へのアプローチに関しても教えていただけますでしょうか?
瀧内:クランクイン前の10日間、リハーサルをさせていただきました。春本監督の頭の中には、明確なイメージがあるんです。今回は、そこに近づけていくという作業でした。例えば、現場であれば、声のトーンの微調整。目線の動き、顔の位置……“画”を作っているという感覚に近かったです。演じる人物がどのような人生を歩んできたのか。そういうことを考えることがあるのですが、今回は春本監督が年表を出してくださったんです。「由宇子というのは、僕自身でもあります」と話すほど、とても思い入れの強いキャラクターでもありましたから。
――非常に細やかな作業が求められていたのですね。
瀧内:「この部分は、このようになります」と、春本監督が先にお話をされていく。私は、その状態から紐解いていき、由宇子という人物を造形していく。例えば「私は、こう思いました」と話しても「それは瀧内さんの主観ですよね」とはっきりと指摘されるんです。しっかりと自分という存在を抜く作業をやらないと、これは現場が止まってしまうなと(笑)。2週間で150ページ以上の脚本を撮りきらないといけませんでしたし、絶対に止まらせるわけにはいかなかったんです。ついていくだけで必死でした。
――瀧内さんにとっては、役への新しいアプローチとなったのではないでしょうか?
瀧内:春本監督と出会って1年後くらいに脚本を頂いたんですが、その間にも何度かお会いする機会があったんです。映画もたくさん見ていらっしゃいますし、「この映画の、このカットめちゃくちゃいいなと思って」と仰ることもあって、“画”が浮かぶ方なんだろうなということが事前にわかっていました。細やかな作業になるとは思っていましたが――改めて「俳優の仕事=技術」だと実感したんです。“画”と合致しない場合に「瀧内さんは(俳優を)何年もやられているんでしょう?」と言われたら「はい、わかりました。やります!」と言うしかないんですよ(笑)。人それぞれで判断をしていたんだと思います。あるときはリハーサルの際に「僕は女子高生になったことがないからなぁ」と仰っていましたから。明確なビジョンがあったからこそ、そこを目指すしかなかったんです。
――河合さんの場合は、どうだったのでしょうか?
河合:瀧内さんへのアプローチとは異なっていて、自由にやらせていただいたという感覚が強いですね。春本監督が「女子高生になったことがない」という点にも関わりますが、一緒に萌を創り上げてくれました。例えば、由宇子の父・政志との間には一体何が起こっていたのか。そういうことについて、対話を重ねながら、答えを一緒に探っていくような形でした。
――瀧内さんとは対照的ですね。
河合:でも、やっぱり現場での演出は非常に細やかなんです。それはワークショップに参加していた頃から感じていたこと。本当に小さな部分にも気を払ってらっしゃる印象でした。それと、当時の撮影では、今ではしないような選択をしていたかもしれません。例えば、泣くシーン。通常は、表情をしっかりと見せたいじゃないですか。そのスタンダードを知らなかったというのもあるのですが、当時の私は下を向いて泣いてしまったんです。それを「もったいない」と感じる方もいるはず。春本監督は間違った時は「違う」と仰ってくれますが、私が直感で選択したことを、かなり受け入れていただいた気がします。
――お二方の共演作で印象的だった作品があります。それが「連続ドラマW 東野圭吾『さまよう刃』」(片山慎三監督)です。「由宇子の天秤」と同様、鑑賞者に対して「あなたであれば、どうする?」と強烈な問いを迫るものでした。瀧内さんは、同作では週刊誌記者・小田切ゆかりを演じられていますよね。普段は取材を受ける側ですが“取材をする者”を演じる面白みというものはあるのでしょうか?
瀧内:小田切ゆかりは週刊誌記者、由宇子はドキュメンタリーディレクター。扱う媒体によっても異なるとは思いますが……人としての“嫌な側面”が出てきてしまうことがありますよね。人が言及しづらい、普段は発言することをためらうようなものを抉っていく場合がある。「真実を知りたい、伝えたい」ということから行動を起こしていくわけですが、その人物の主観による真実と、本当の真実には、必ず差異が生まれてきます。そこには人間の「見たい」という欲求が関わっていると思うんです。はっきり言ってしまえば、露悪的な部分。そういう汚さみたいなものは、少なくとも出てしまうんじゃないかなと考えています。
瀧内:何かを発信するという仕事をする上で、その人なりの「正義」としてしまうことがありますよね。「実際にこう言っていたのだから、発信をしなければいけない。私たちはそういう仕事をしている」と。由宇子は、この意志の強さによって、厳しい状況に立たされていきます。客観的に見た場合は、正義が抱えている恐ろしい一面にも気づけますが、(主体として)のめり込んでいる時は、その間違いに気づくことができない。むしろ、間違いだとも思っていない。人を傷つける可能性を考えてもいない。演じている際は、そういう点をどういうところで見せようかなと考えるんです。あからさまではなく、どうやって出力すればいいのか……。だからこそ、演じる面白さというものはあるんです。
――瀧内さんと河合さんは、今話題に出した「連続ドラマW 東野圭吾『さまよう刃』」だけでなく「アンダードッグ」でも共演されています。ですが、撮影順を考慮すると「由宇子の天秤」が初共演の場となりました。河合さんは、瀧内さんとの共演シーンが大半だったと思いますが、印象的だったものはありますか?
河合:リハーサルを何度も繰り返した覚えがあるのは、学習塾でパンを分け合うというシーンです。
――由宇子と萌の関係性の“始まり”とも言える光景ですね。
河合:何度も繰り返しましたが、何かが監督の中でも違ったようで、苦戦はしました。現場に行ってからは、その場で表現したものしか映らないので、しっかりと臨もうと思いました。萌はすがれる人が欲しかったんだと思うんです。瀧内さんとはずっと一緒にいましたし、役と重なる瞬間もありました。ずっと温かく接していただきましたし、本当に頼りになりました。
瀧内:この発言、しっかり書いてくださいね!
一同:爆笑
瀧内:すいません、嘘です(笑)。
――(笑)。瀧内さんは、河合さんとの共演はいかがでしたか?
瀧内:本当に発想力が豊かな方だなと思いました。シーンに対して「私はこう思う」という意見がきちんとあって、理路整然と話をされていた印象があるんです。たとえ迷ったとしても、そこから突き抜けていく。そういった瞬間を、隣で何度も見ていました。萌の家を舞台にしたシーンで、少し撮影が停滞した瞬間があったんです。「次はこんな感じでくるかな」という予測を超えて、とても生々しい反応を見せてくれました。
河合:そのことを覚えていないんです(笑)。今は出来ないかもしれません。当時は、どういう思考回路で動いていたのかわかりません。今は、色々現場で学んでいる最中なんですが、知らなかったからこそ出来たことって、いっぱいあったと思うんですよね。今では少し怖くなってしまったり、躊躇してしまうことを、迷いなく行動に移せることが出来ていたのかもしれません。
瀧内:もうひとつ、印象的なことがありました。萌が車の後部座席で寝ているシーン。リハーサルの時、寝ころんだ瞬間に「(この体勢は)違いますね」と言って、自分で身体を動かしてポジションを探っていったんです。「このひとは身体から動いていく人なんだな」と実感しました。言葉には囚われない。すごくナチュラルでいいなと思いました。
――覚えていますか?
河合:……全然覚えていません(笑)。
一同:爆笑
――ところで、瀧内さんは「映画館で映画を見ること」が本当にお好きだそうですね。クーポンやサービス券を頻繁に利用しているという噂を小耳にはさみましたが……。
瀧内:めちゃくちゃ利用していますね(笑)。
――“今”はなかなか「映画館で見てほしい」ということを、ストレートに伝えにくい状況ではあります。ですが、映画館で見ることの「魅力」というものは、どのような時代になっても伝えられるはずです。改めて「映画を、映画館で見ること」への思いを教えていただけますか?
瀧内:メリットのひとつとして感じているのは「(視聴を)自分で止める」ということをしない点です。家で映画を見る時は、場合によっては止めてしまうことがあるじゃないですか。映画館であれば、最後まで集中して楽しむことができる。そして暗闇の中で、見ず知らずの人たちと作品を共有する。これって、とても面白い体験だと思うんです。上映終了後、私は「最高だった」と思っているのに、他の人にとっては「つまらなかった」ということだってあります。価値観の異なる人たちと共有できる場所って、大人になってしまうと、学校以来なくなってしまうんですよね。この多様性と文化は絶対に必要なもの。未知の価値観を知り、他者を理解する。想像し、考えることができる場でもあると思います。あと、いわゆる大作映画。本当の魅力は、4D上映、IMAX、大きなスクリーンで見ないと感じられない気がしています。「フューリー」を家で見ても、その良さがわからないと思いません?
河合:“音”という要素も大きいですよね。
瀧内:うん、その要素は大きい。
――そういう観点で言えば、やはり「由宇子の天秤」は可能な限り、映画館で見てほしい作品ですね。見知らぬ人たちが「どう語るのか」が気になります。
瀧内:一番の見どころは“終わった後”なんです。「由宇子の天秤」は、上映が終わった後が重要なんです。周囲の反応が気になってしまいますよね。
――河合さんはどうでしょうか? 映画.comでのインタビューは初となりますので、是非好きな作品も教えてください。
河合:色々なテイストを見ますが、ダンスが自身のルーツにあるので、ミュージカルも大好きです。監督の名前を挙げるとしたら、ラース・フォン・トリアー。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」が大好きなんです。人間の愚かな一面を見るのが好きなんです(笑)。最近、何人かの友達が「久しぶりに映画館に行って楽しかった」と言っていました。なかなか訪れるのが難しい状況ですけど、やっぱり「映画館で見る」というものは、純粋に楽しいことなんだと改めて実感したんです。「映画を、映画館で見ること」は“体験”。「由宇子の天秤」も色んな世代の方に“体験”してほしいです。
瀧内:本当にそう思います。色んな方に見てほしい。鑑賞前は、上映時間の約2時間半を「長い」と感じてしまうかもしれません。でも、実際に見てみると、あっという間の“体験”になっていると思います。