ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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ヌーブ監督は好きだけど、
全体的に荘厳な感じだけど、ちょっとお金かけすぎ感はあるかなと。
もう少し質素で簡素な感じでも良かったかなと。
CGにお金をかけすぎてアクターがぼやけてしまったように感じる。
また前作とのつながりの部分もいらなかったかなと。
完全オリジナル解釈でばちこり作り上げたほうが置いてけぼりの人が少ないのでは?とも思った。
バトル、背景、全てが中途半端感を感じてしまった。
狙いすぎて、長すぎる、間を取りすぎる、怪しさを出した差過ぎて冗長に感じる部分もあった。
ブレードランナー的な雰囲気はショートフィルムのほうが表現しやすいジャンルかもと感じた。
小説に出てくるイジドアが少しだけ見たかったな。
よく分からない世界観
古いタイプのレプリカントを追跡するのがブレードランナー。ライアンゴズリング扮する捜査官Kはレプリカントが妊娠した事実を知り全てを消す事を命じられた。皆、確かな何かを求めている。人造人間でも恋や愛が出来るのか。よく分からない世界観だね。
SFなのに奇跡持ち込んじゃってるし…
もう奇跡があると言い出したら
何でもありじやん、とのっけから萎える
見なず嫌いで2019年に前作を見て
今年(2022)2/1まで配信無料だと言うことで
やっと見た
あたしSFの難しいやつは訳わかんなくて
真剣に見てたんだけど
どうして前作の主役が出てきたのか今もわかんない😅
チーズ欲しいって言ってたけど
お腹空いてなかったのかな?
何食べて生きてたのかな〜
なんとなくなんたら社の側が悪役なんだろうけど、誰が味方でどの女が悪役なのかはっきりわからない💦
風景とゴズリングはカッコよかった
AIの儚さ
素晴らしきSFの世界。想像力と映像の美しさに目を惹かれる。そんな人工美と対比したアナ・デ・アルマスの美しさよ…😍。彼女が演じるアンドロイド。私には身体がないの…、なんて悲しきI LOVE YOU。人間の定義とは…。「エクス・マキナ」同様、哲学的に考えさせられる作品でした
自分が何か特別な存在でありたい
この映画はレプリカントと人間というよりは、何か特別な人間でありたいと思う普遍的な欲求に関するものだと思える。
レプリカントとは労働としての価値しかないもの、人間とは生きるだけで価値のあるもののメタファーである。
現実に存在する僕ら人間であっても、自分の価値がどこにあるのか、その本能的な欲求は、レプリカント同様にあるのだろう。
ラストにかけての物悲しさと共に、自らの生きる意味について考えられる映画となっている。
長い長い序章?
旗印ー特別・奇跡、反乱軍。ラスボス。この物語はどこに行くのか。
『SW』『猿の惑星』『ターミネーター』他のサーガと同じような展開になっていくのか?
それらと比較できるほど、それらのシリーズを見ていないのだが、柳の下の泥鰌を狙っているようで、げんなりしてしまった。
それなら、前作のみでそっとしておいてほしかった。
映画は、前作をリスペクトして丁寧に作られている。
だのに、全くテイストが違う。
前作。(『ファイナルカット版』を鑑賞)
寿命を否定し、生きる続ける意志を煌めかせたレプリカント達。ロイだけでなく、すべてのレプリカント達が、最期の最期まで、命を燃やし尽くした。
舞台は酸性雨が降る街。バブル期さながら、荒れた土地を見捨てて、上へ上へと伸びたビル群。目立ったもの勝ちとばかりに、これでもかと乱立するネオンサイン。
発展と引き換えに、環境破壊・公害のやり放題。酸性雨が肌にあたって、肌が焼けそうな、そんなまがまがしい、ヒリヒリとした雰囲気・化学物質がまき散らされた世界。
欲・欲・欲の爆発。
荒廃した世界観を描きつつも、欲望が渦巻き、運命に抗おうとするエネルギーに満ち溢れた世界。
人間とは意志を持つ存在だとでも主張したかのような。
「生きたい」との意志を前面に押し出してくる、ロイをはじめとする脱走したレプリカント達。そして、その死にざま…。
それと並行して、はじめ”人間”として登場するレイチェルは、博士の言いなり。だが、自分がレプリカントかと疑うようになる頃から自分の意志で動き出す・・・。その行く末。
永遠に心に残る。行き詰った時、ロイを思う。流されそうになった時、レイチェルを思う。勇気をもらえる。
そして、今作。
なんと静謐な映画なのだろう。
絶望的な状況に陥り、それを否定し、抜け出そうと持てる力をすべて出し切ってあがく”動”の映画が前作なら、
その努力もすべて泡と化し、諦観の域に達したような。無力の域に達したような”静”の映画。
前作が”死”を扱いながらも”生”のエネルギーに満ち溢れているのに、今作は”産”を扱いながらも”滅”の影がちらほらする。
乱立するホログラムがゴーストー欲の残骸に見えてくる。
それでも、自分が何者なのか、自分の存在に意味を持たすことで、心を満たそうとする者がいる。
ラストの雪のシーンは宝箱にしまっておきたいほど、切なく、でも魂が満ち足りる。
Kだけをおえば、★5つなのだが…。
☆ ☆ ☆
記憶。
記録と何が違うのだろう?
自主学習機能を搭載したプログラムに、事実としての記録をインプットしたとして、そのプログラムなりの判断材料として、アウトプットは、どの記録的事実をインプットしたかによって変わってくるのだろうが。それを、人は個性と呼ぶのか。…状況次第であろう。ペットとして所有している場合は、持ち主は、それを”個性”と呼ぶのだろう。
客観的事実・心的事実。勘違い。意味づけの違いによってその記憶は幾様にも変わってくる。
催眠術・認知療法…。健忘・抑圧・否認・錯覚…。
記憶が失われることは恐ろしい。やはり記憶はその人であることの証明か?でも、でも…。
感情。
生まれて最初に分化するのは”快”と”不快”の感情だという。そして、その次が”恐れ”。生命維持のためだという。そして、集団の中で生きるために必要な喜怒哀楽。共感の素。
旧型レプリカントは自然に年数がたつと感情が芽生えてしまうから、寿命を短くしている設定だが、
新型レプリカントは、記録と感情をわざと持たされる。なぜ?場合によっては”嘘”の記憶まで用意して。質問するKにジョシはそれらしい答えを言っているが、私には???。レプリカントの為というより、一緒に働く人間が共感を求める存在だから、感情や記憶を持たせているのだろうと思う。
機械相手にオペレーション業務をしていた超初期の電話オペレーターは皆ストレス抱え、がっての日本電信電話株式会社はカウンセリングを”企業”として導入した第1号と聞く。一般的に、人間は24時間機械相手のみとは働けない。
すべて人間の都合。
なんと罪深い。
☆ ☆ ☆
労働力として制作されるレプリカント。人間がやれない、やらせられない過酷な作業に従事するために。
その彼らに対する差別。
自分たちが必要としているのに、
自分たちが必要とするから、記憶とか、感情とかいろいろな機能をつけているのに。
「労働力を呼んだが、来たのは人間だった」という予告の『おじいちゃんの里帰り』(合法的にドイツに働きに来たトルコ人たち)。
アフリカ大陸から強制的に、北・中・南米に連れてこられた黒人たち。やがて、ネイティブとのダブルも生まれて”サンボ”と呼ばれ、差別の対象になっていった。もちろん、侵略者である白人たちとのダブルも生まれるようになる。
7K・8Kの零細工場や第1次産業等、日本の現場が必要としているのに、”不法滞在”扱いされる日本人以外の方々。
この映画での、レプリカントと人間の関係。
歴史から学ばないのか我々は。
ここも評価を下げる要因の一つ。
人間は、「ありがとう」の連鎖は生まれないのか。自分たちだけでは生きていけないのに。
(東京国際映画祭2021 屋外上映にて)
DUNEから改めて見返しましたが、やはりキャメラが意味なく動かない...
DUNEから改めて見返しましたが、やはりキャメラが意味なく動かないことの素晴らしさ。大作で合成ゴリゴリでありながら、浮かぶのは古き善きアメリカ映画でした。素晴らしい監督だと思います。
デザインがイイ
前作の30年後を舞台に、ブレードランナーが
かつてのブレードランナーを探す話。
話どうこうより建物、乗り物、服などの
美術系のセンスがとても良い。
モノトーンで殺風景でいかにも未来チックで、
でも細部までこだわりが見えるデザインでした。
最新作の砂の惑星が楽しみです。
あとは音楽もよかったです。
ちょっと不気味な感じの重ためな曲がいいです。
ジマーさんも関わってた?からさすがだなと。
肝心の話ですが、
前作と同様AIの命について考えさせられます。
それだけでなく終盤で衝撃の事実もあり、
最後までどうなるのかわくわくしながら観ました。
とは言っても長いし全体的に暗いので
少し眠たくなりましたが。笑
素晴らしい!
素晴らしい! あのブレードランナーの世界観が35年分の映像技術の進化を経て完璧に引き継がれ、さらに磨き上げられ、シーン一つ一つの繊細な美しさと静謐さは前作を凌駕し、プリカントの悲哀をひしひしと伝えてくる。
「人間」とは何か。その定義と、起こりうる差別。
圧巻の映像美、そして設定の細かさ。前作は遠い昔に観た、、、様な記憶がある程度だったので、ストーリーを理解するのに四苦八苦。それでも、惹きこまれる世界観とストーリー展開はさすが。人間、レプリカントの新旧が共存する世界、進歩する科学に倫理観が複雑に絡み合ってくる。
ライアン・ゴズリング演じるKに思わず入り込んでしまうくらいの迫真の演技。自身の生い立ち、記憶、やるべき事の悲しさ、明らかになっていく過去と現実が凄い。要所要所の伏線が中々回収されないもどかしさが、深まる謎が逆に心地良く、回収されていく衝撃も素晴らしかった。
ハリソン・フォード演じるデッカード、前作を全く覚えていなかったのが一番悔やまれるが、観ながらレプリカントという枠を超える謎を少しずつ理解は出来るが、楽しむなら前作を観てからがオススメか。
個人的にアナ・デ・アルマス演じるジョイがとにかく可愛く、一途な設定に心を打たれる。一番人間らしい配役だったのが悲しい。
最近では珍しく尺の長い映画だが、レジスタンスやウォレスのその後など消化不良な所もあり、もう少し深掘りして、Kの行動の動機付けとしていれば物語の厚みにも繋がっていたはず。
“作品”としては至極勿体無い印象。そのまま続編として企画があるのであれば、嬉しい限り。
切ない‥
ちゃんとした続編でした。
人間が創り出したレプリカントが出産。
誕生したのは人間なのかレプリカントなのか。
記憶・感情・身体、生命とは人間とは一体なんなのか?
前作に増して色々考えさせられる哲学的な内容。
人間のみならずレプリカント側にも翻弄されるライアン・ゴズリング演じるジョーが何とも切なかった。
雰囲気は好き
世界観やら美術やら、ストーリー展開やら、とんでもなくワクワクした前半から
週刊ジャンプみたいな血統ものの陳腐なラストへの着地。
とにかく後半の大失速が良くない印象で、なぜかスターウォーズを見てるような気分になった。
前半の良さで加点すべきか、全体としての陳腐さで減点すべきか。
見どころは多い作品だとは思うけど、バジェットしかり規模の割には期待はずれ。
SF映画に何を求めるかで評価が分かれるのでは?
良いテーマだと思うが、冗長で途中でダレるため、早送りして見ることになった。最近(4,5ヶ月前)Cyberpunk2077というブレードランナーからも影響を受けているゲームやブレードランナー ブラックアウト 2022を楽しみブレードランナー(1982)をそんなに楽しめなかった自分としてどうしてなのかと考えた。おそらくSF映画に対する期待(SF的ガジェットによる見たことのないような刺激的な世界観の体験)と実際(人類に利用され、見下され、自我を持つことすら許されない(人間の意図に忠実に意識を持たなければならない)レプリカント(その中でもブレードランナーは更に同類の駆除を求められているという意味で悲劇にすぎる)の反撃の狼煙までの道)との落差についていけなかったからかもしれない。が、それ以上に長い(2時間43分)。もう少し削るべきでは?この作品を楽しめる方は、前作のファンや、アクションが好きでなく、知的な人かもしれない。と書きながら、WikipediaをSF的ガジェットそれぞれの案はおもしろいし、ストーリーも面白いと思いながら読んでいた。知的な旨味のある創作物の旨味を視聴者に面白く伝えるのは難しいということだろうか?
予想外に良い続編だった、特にラストが良い
普通、続編はがっかりすることが多いがこの作品は違った。前作の雰囲気を忠実に再現して、続編らしい続編でしたね。ただ、前作が希望を残して終わった感じだったのに、こちらの雪のラストシーンはちょっと切なすぎますね。
気になったのが、Kがラヴを殺すシーン。長すぎるしやりすぎた。ここでは、ラヴが殺されることが重要なので、どうやって殺すとかどうやって格闘するとかは重要ではないはずで、もともと長い作品なのでこのシーンはもうちょっと短くあっさりやったほうがすっきりしたように思う。「危険な情事」を思い出してしまった。
人によって評価別れそう
前作見てると、街や価値観が変わってたり、主人公のこと、デッカードのこと等、確認するような発見する楽しみがあります。
音楽や映像も壮大。
ただ、ミステリー、アクションってジャンルでこれが初回だと、ゆったりすぎて、何が山場なのかって感じになって、寝てしまうかも
前作と比べるのは酷(こく)すぎるのですけれど
前作と比べるのは酷(こく)すぎるのですけれど、記憶の移植についての設定や、それを使ったトリックなどが上手くまとめられていると思いました。
そしてKの捨てられた野良犬感が如し哀しい描写などがよくできた方だと感心しました。
しかし、どうしても許せないことが二点。
まずKの持つ新型のブラスターのデザインが酷すぎます。あんなのホシクナイ!
デッカードの持つオリジナルがアップで劇中に出てくるので、なおさらそれが浮き彫りになります。
そして、なによりもデッカードがお荷物っぽい扱いなのが許せませんでした。
ロートルながらの活躍を期待していただけに、アレには本当に怒りを禁じえませんでした。
さらに…訳あって4DX上映の方も観てしまったのですが、コレ4DX必要?
残念な出来
前作は伝説的な作品。それまでに見た事がないリアルで独創的な近未来のビジュアルは、その後のSF映画に多大な影響を与えた。そんな「ブレードランナー」の特徴的なビジュアルとは、雑然とした都市の在り方だったのだが、今回はだだっ広い郊外が多い。なぜかというと、前作のラストシーンで主人公とヒロインは郊外へ向かって旅立って行ったからです。その続き物となるために本作は郊外のシーンが多くなりましたが、しかしそのラストシーンとは、映画会社側の命令で後で付けで足されたものであり、元々の監督の構想ではなかったラストシーンでした。
そんな前作のラストシーンを引き継いでしまったので、「ブレードランナーらしからぬ」郊外のビジュアルばっかりになっちゃって、前作とのイメージのギャップが出てしまっている。
また物語の内容も「レプリカントは子供が産めた」という、前作のテーマ性に比べたらどうでもいい必然性に欠ける事柄でしかなかった。前作は自我や命の定義に関する謎がビジュアル化された、もっと奥深いものでした。
そんな前作の監督リドリー・スコットを制作に迎え、満を辞しての超大作となりましたが、往年のブレランファンを満足させてくれるものにはなっていません。これは監督であったリドリー・スコットと、長年ブレランを熱心に追求してきたファン達との、認識のギャップも大きかったんだと思います。長年のファン達はブレランについて議論し、考察し、色々な想像を広げてきて、むしろ監督自身より強い思い入れが育まれていたと思います。作中で使われた銃なんかも、ファンの熱心さによって劇中以上の精度でモデルガン化されたりしていました。
しかしリドリー・スコット自身はファンではないわけで、そのようなファンの熱に同調する事もなければ、また良い意味で裏切る事も出来なかった、と言えます。むしろブレランオタクの若手監督が指揮を執った方が良かったのかも。
本作の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは、前年に稀代の傑作SF「メッセージ」を撮りあげているのですが、今回はその作風が裏目に出ました。「メッセージ」はそもそも、今までのSF映画のセオリーを打ち崩す新しいタイプの作品であり、今までのSF映画に決別する意思を持っていたからこそ傑作になった。にも関わらずその同じ監督が、往年のハードSF映画であるブレランの続編を撮るというのは矛盾しています。尺が163分もあり、そこにおいてヴィルヌーヴ監督の静かで上品なスタイルは、眠気をもよおさせてしまうだけでした。
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