ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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だんだんと。じわじわと。
時間が経つにつれ、哀愁と愛情を感じる作品。
何故だろう…。
元祖ブレラン世代だからか?
ゴズリングのコート姿が格好良すぎるからか?
噛めば噛むほど味のある作品ではないだろうか。
良かったです
前作から随分時間が経って、やはり前作とはずいぶん趣が変わっていましたが、これはこれでかなり面白かったです。
音楽の迫力が半端なかった。
前作もそうだったけどこの未来の都市の描写は素晴らしいと思いました。
凡作でした
前作は鑑賞済み。
やたら評価が高かったので、少し期待して映画館へ行きました。
結果、ちょっとがっかり。
映像美や音響の迫力は素晴らしく、哲学的な問いはありますが、それだけ。
それなら前作が既に高水準で満たしており、それに加えて前作では「生を求め足掻く」「人らしく生きたいと願う」悪役の姿に心打たれるドラマ性も兼ね備えていました。
今作はこのドラマ性が全くと言っていいほど欠如しており、要所で見どころがあるものの上手く着地点を用意しておらず、結果として画的にセンセーショナルな映画に留まってしまった印象です。
ブレードランナーに何を求めるかによって評価が変わる映画だと思いました。
レプリカントでも勘違いすんのね
映像はすごく綺麗だった。それだけでも映画館で観てよかったとおもった。そしてやっぱりハリソン・フォード出て来たときのレジェンド感が凄い。銃口見えてからのデッカードはいドーン。ニヤニヤしてしまった。細かいところとか気にしだすと言いたいことはいろいろあるけれども、特別な存在ではなかった主人公が信念のために自分を犠牲にするってのは、なんか結構グッとくるものがあった。
人間を人間たらしめるもの
公開から1ヵ月経ってやっと鑑賞できた。2年ほど前に前作をスクリーニングする機会があり、そのときは映画作品の中に表れる当時のレーシズムを読み取るということをメインテーマとしていたが、人種すらも越えた人間と人造人間(人種にもなぞらえられるが)そして愛について描いたこの作品に非常に考えさせられるものがあった。そのため今作にも非常に期待を寄せていたが、忙しくて時間がとれずに危うく機会を逸してしまうところだった。そして、今回本当に鑑賞できてよかったと、心から思う。
簡単にまとめるならば、前作は人間とレプリカントの恋人関係を、今作は親子関係を主軸に描かれている。
他にも、レプリカントを使役し、"オフワールド"に住む未来(ともすれば現代)の無機質な人間と、両親や愛する人を欲し誰よりも人間らしく生きたレプリカントとの対比も見事であった。
拙生では語り尽くせない示唆に富んだ内容がつまった作品。
偉大なる前作?
面白かった。事前に前作を観ておいて良かった。前作で築いた世界観があるから細かい説明がなくても理解できて良かった。逆に言うと、今回初見の人には不親切かもね。
そして、 前作と比べてもやもや感はなく、すっきりして面白かった。ただ、積極的にもう一度観なくても良いかなぁ…。
カルト的な評価が高い偉大なる前作よりも個人的には面白かった。
やっぱりビジュアルが良い
ストーリーも深みがあって好きだったけど、やはりカッコイイビジュアルに興奮した。
ウォレス社内の直線的なエレメント、カジノ廃墟にある不気味な巨大な女の像、広告の巨大ホログラムなどなど。
上映時間は長く、じっくり見れる映画であり、その尺の長さのおかげでブレードランナー世界を改めてしみじみ味わうことができた。人によっては長くて退屈と思うかもしれないが、私はクオリティさえ高ければ飽きずに見て楽しんでいられる人なので、満足だ。
(最も悪いところは、字幕だった。まったく画面の邪魔だった。タイポグラフィで見せてるところでさえ、気の利かないサイズの白い文字が入って台無し。吹き替え版か、字幕なしを観るべき)
やはり…
この映画を観る際には、前作を観てからの方がよいかなって、思いました。前作を覚えているならよいと思います。前日に、テレビで再放送をしていたので、見直してから、観に行きました。
あっという間の2時間でした。主人公の心の葛藤が観ていてつらかったが、見所でもあります。
レプリカントは悩んでいるのか?
壮大な映像とその世界観は迫力があるが、レプリカントの悩み、苦悩が、人間が経験することのない悩み、苦悩のように思われるので、今ひとつ、物語に入りこめない。一寸、残念。
描こうとするテーマが、人間の思いを揺さぶる内容にならずに、感情移入し難い作りものになっている。「猿の惑星」の知的な猿は、人間ではないが、人と同じように悩んでいると感じる。しかし、「プレードランナー2049」のレプリカントは悩んでいるのか? 悩んでいるふりをしているのではないのか? と感じる。
また、レプリカントが人類に極めて近いように精巧に作られる程に科学技術が極めて進んでいるにもかかわらず、他の科学技術が余りに進んでいないので、物語の設定がアンバランスになっているのもストーリーに入り込めない一因だろう。
面白かったけど、、、
前作の予習までして期待を高め過ぎたので、少し物足りなかった。もちろん、面白いのだが、革新性と斬新性と緊張感という点では、前作以上のものを提示できていないのでは?
表現は陳腐化してしまい、アクションのキレも劣っていて、人間とは何かという根源的な問いも薄く、レプリカントであることへの考察も少なく、そもそも言葉・語りが少ないのが物足りない。言葉こそが精神世界の実在性を証明し、語りこそが根源的な問いを可能にする。その要素が無くなってしまって、寂しい気がした。
前作の方が面白いかな。特に記憶に対する考察が前作より深まっていない点で。
良いけど長すぎる
予告では最新の映画らしい綺麗な映像であったが、実際には前作の小汚い街並みの空気感も忠実に再現されており、前作の印象を壊さずに最新技術でアップデートした映像に仕上がっていた。
実体を持たないホログラムのAI(つまり二次嫁)のジョイがもう可愛くて可愛くて。ハリウッドにこんな可愛い女優さんがいたのかと。そして彼女を唯一の心の拠り所とするKに感情移入してしまったので、Kとジョイの関係の帰結に関心が向いてメインのストーリーはどうでもよくなってしまったのだが、なんとジョイは途中で退場という残念な結果・・。
まぁいい映画には違いないのでもう一度見てみたいとは思うのだが、いかんせん長すぎる。どう考えても120分前後にまとめられた内容だと思う。
それと同じ監督の「メッセージ」でも感じたことだが、映画の間にずーっとかかっている低音がドンドコドンドコやかましくてかなわなかった。どうも私はビルヌーブ監督の音作りとは相性が悪いようだ。
前作は最近のリバイバル上映で鑑賞して素晴らしい映画だと思ったが、今作についてはそんなわけで少し辛めの点数に。
記憶を入れた電脳はゴーストを宿すのか
公開は多分10月27日。1か月もたっていないから一日に2回くらいはやってるのかな?なんて思っていたけど、とんでもない。朝一番の1回しかやっていなかった。
前作のブレードランナー(1982)を見てないと意味がわからないだろうし、過激な宣伝しているわけでもないし、しょうがないのか。
寂しい劇場内を見ると、客層もやっぱり前作を見ていたような人たちばかりで、中高年の方しかいない。
そもそも前作も見る人を選ぶ映画だったわけだし、その続編の本作からブレードランナーに入る人っていうのは
①単なる映画好き
②本作がSFの金字塔と聞いた(エンタメ性の強い)SF好き
③熱狂的なブレードランナーファンにおすすめされてしまった人
④ライアン・ゴズリングのファン
これくらいじゃないだろうか。(偏見)
私は前作を見たのは学生のころだったので、当時は見ていて苦痛と感じる瞬間もあった。はやっているSFといえば、スターウォーズだとかスタートレックだとか、エンタメ性の強いものだから、(どのジャンルでもそのようなものか。)こんなに重くるしい映画は楽しめなかった。
そんな当時の私と同様に、②の人はこの映画を3時間近く見させられて苦痛だったかもしれない。
だけど①の人は楽しめたんじゃなかろうか。私はもちろんこの映画の虜になっている。
前作の記憶が薄れているが、前作よりもミステリー的なストーリー性があったので、この先どうなるんだろうというワクワク感があった。
そして、作品のテーマもいまの時代に合ってきて、現実感があって楽しめた。
この作品のテーマは「人工物が記憶をもったとき、そこに魂は宿るのか」ということだろう。
人工物(レプリカント)を処刑する主人公は、人工物に魂があるかどうか、そもそも人工物であるかどうかで悩むことになる。
(レプリカントではないが、ジョイは魂を持ってるように感じた)
似たような問題が攻殻機動隊というSF漫画にもでてくることを思い出した。この作品でも「電脳(人工脳)にデータ(記憶)を入れればそこにゴースト(魂)は宿るのか?」といった話がたびたび出てくる。
攻殻機動隊では、データだけで電脳にゴーストは宿らない。
それに影響されているのだろうか、私は人工物が魂を持つことはありえないと思っている。
ブレードランナーはそんな夢物語でしか出てこない問題がテーマだ。前作が公開された時代には、夢のまた夢だったかもしれない。
だけど今はどうだろうか。将棋AIがプロ棋士を負かし、ロボットがバク中する時代だ。
レプリカントはAIやロボットとは違うかもしれない。だけどこれからは、この映画で起こっている問題に直面する時代がすぐそこにあるのかもしれない。(2049年より先だろうが。)
(以下、蛇足)
ジョイちゃんかわいいよ!丸顔でおめめぱっちりの童顔!なのにカラダはオトナ!
最高じゃないですか!アナ・デ・アルマス大好き!
レプリカントのおっぱいおっぱい。
ジョイのおっぱいおっ…
おっぱい出さないじゃないか!
セックスシーンはないかな…と思ってたら、他の女の体を使ってセックスの流れに!こりゃおっぱい見れるぞぅ!
…でもやっぱり本作の主題とは関係ないから、事前と事後のシーンのみ…おっぱいすら見せてくれなかった…
やっぱりハリウッド女優がおっぱい見せてくれるわけないよな…なんて思いつつ、どうしてもおっぱいが見たくてネットで調べてみると
…あった…!
カリブの白い薔薇(2006)でおっぱい出しているではないか!
こう言う映画みたことなかったけど見てみようかしら…
メキシコ人女性はいい…
リドリー・スコット版ピノキオ
今回の2049を観てそう思いました。人工人間のレプリカントが人間に憧れ、もしかしたらそうなれるのかもと。スピルバーグの「AI」も同様のコンセプトだったが。いるはずのない親を求めていくうちに、その思いの「なぜ」を死に物狂いで追い求めていく姿の凄まじさと、切なさを織り交ぜながら物語の要を形成していく展開がすばらしかった。私が観た映画の中で間違いなくトップ3本に入る映画です。
壮大だけど
静謐で淡々としたシーンが多く、そういう映画は好きなのですが寝不足の夜に観るべきではなかった。
未来の描写はあまりおおっと感じるところがなく、予習で観た前作の方が「未来」を感じた。
なお、20代カップルが隣に座ってて、女の子が途中で露骨につまらなそうにしてて、寝返りうったり携帯で時間を確認したり。あまり一般的なデート向きではないですね。
切ない
SFアクションみたいな派手なものを期待していたけど、切なく悲しい、考えさせられる作品だった。自分が何か大きな物語の悲劇の主人公だと思い始めた途端、何者でもない哀れな存在だと知る。そしてそこからようやく自分の物語を生き始める主人公に、胸が熱くなった。そしてそこに至るまでの苦悩や葛藤こそがまさに人間らしく、そこに嫉妬したであろう、あの女性レプリカントが必要以上に暴力的になっていったのも、とても人間らしく思えた。あの地下組織もそう。おおよそ人間がやりそうなことを繰り返す悲しさ。それをレプリカントがしていることが哀れでもあり、感動的でもあった。一番非人間的だったのがウォレスだったけど、非人間的だったからこそ人間だろうな、と思わされるのがなんとも…。
映画館で観た直後は画的な美しさの方が印象に残ったけど、後から友だちと映画について話したり、他の人のレビュー読んだりして、どんどん物語にのめり込んでいくような感じで、もう一度観たくなる。
前作のように多方面に文化的な影響を与えるようなものではないだろうけど、前作にさらに深みを与えるような美しい続編だと思う。
アンドロイドは擬似親子の夢を見るのか
リドリー・スコット版『ブレードランナー』をリアルタイムで観賞した世代としては、当時「なんて暗いSFなんだ」という感想しか持ち得なかった。
『未知との遭遇』や『E.T.』のファンタジーに酔いしれ、たまに『ターミネーター』のようなリアル路線の映画があっても、最後は人間が勝利するという神話を信じこまされていたからだ。
これほどまでに『ブレードランナー』的なディストピア到来が確実視されている今日、本国アメリカでは特に先行き不透明な若年層に敬遠され興業がふるわなかったという事実は大いに納得できる。
しかし、(清水節氏の解説によると)前作へのオマージュはもちろん、ピノキオ、カフカ、ナボコフ、タルコフスキー等々の文学やアートからの膨大な引用を新たに盛り込んだ本作は、前作同様、上映終了後シネフィルの間でジワジワと盛り上がっていくに違いない。
レプリカントと呼ばれる人造人間が永遠の寿命を手に入れ、3Dホログラム(アナ・デ・アルマス)が普通に恋愛感情を抱く。そして生殖や妊娠が人間を区別する特徴ではもはやなくなった時、我々人間の存在自体もあやふやになってくる。
記憶操作さえ可能な未来、(レンガの壁を突き破れば人間じゃないことは普通気付きそうだが)自分が人間であることを証明する数少ない手段の一つが、K(ライアン・ゴスリング)がとった“ルーツを辿る”という行為だったのではないか。
タイトスカートやピタパンに浮き出たパン線は監督の狙いじゃなかったにせよ、レプリカントのくせに喜怒哀楽を素直に表に出す女ターミネーター=ラヴ(シルヴィア・フークス)が、むしろ矛盾だらけの人間に最も近い存在ではなかったかと思うのである。
「バッド・ボーイ」とKをたしなめながらも、ある時はKを空中から援護、Kの仕事を邪魔する無能な上司は迷わず刺殺、Kにつきまとう変な虫は踏み潰すといった、まるで冬彦さんの母親を思わせる偏愛モンスターだ。
Kが○○○○○との間に父息子の関係を夢見ていたとすれば、もう一方のレプリカントであるラヴは、Kとの間にいつのまにか疑似母息子の関係を仮想構築していたのではないか。
ラヴが流した涙の理由についてはみなさんひっかかるようで諸説あるようなのだが、あえてこじつけるるならば<母性への共感あるいは憧憬>ではないかと思うのである。
レプリカント誕生=出産のシーンでは感動の涙、命令違反を犯したKをまるで我が子のようにかばうジョシ=マダム殺害の場面では、その母性への畏敬をこめた涙を流したのではないだろうか。
あえて例えるならば、シルバーシートにボケッと座っていると、出産経験のありそうな中高年女性が率先して妊婦に席を譲る、それに似た(男性にはわかりづらい)感覚である。
電気羊の夢を見て、サクリファイスという最も人間らしくない行動をとった人間になりたかったレプリカントは、やはりロイと同じ運命をたどるのであろうか。雨の中の涙のように、雪の中で浮かべた満足げな微笑とともに。
人とは何か
冒頭からライアン・ゴズリング演じるKがレプリカントの捜査官であることを公開して物語が進んでいく。
Kは感情がなく命令に忠実なレプリカントだが、過去の記憶、捜査で発見した謎の遺体から自身がレプリカントから誕生した子どもではないかという疑問から鍵を握るデッカードを探し始める。
物語の終盤でレジスタンスのリーダーから奇跡の子どもは女の子であることが告げられ、Kは自分ではなかったと落胆する。誰もが自分は特別な存在だと思いたいこの欲求をレプリカントも感じている点に人間を人間たらしめている要素は何かという問いかけが含まれている。
圧倒的な映像美にサスペンス的要素が組み込まれ、エンターテイメントとしても成立しており、ハリソン・フォードの出演も嬉しい。
最終的にデッカードは人間なのかレプリカントなのか…この疑問を忘れさせるくらい切ない余韻の残る良いエンディングだった。
人間とは。
作品を観る視点は、人によって違うと思う。SF映画の金字塔として名高いブレードランナーの続編とあれば、特に様々な見方をもって、評価することも当然のように思う。
自分はもっぱら、映像的なことでも、前作と比較してということでも、SFとしてということでもない。純粋に「人間ってなんだろう」と思った。
作中では、レプリカントという人造人間は、人間とどう違うのか。目の光なのか、造られたという点なのか、感情や心、記憶の有無なのか、命令を全うすることなのか。
神に生命を与えられたものには、魂があり、人に造られたものには、それがない、という描き方をしていた。人造人間には魂がないということで、物語は進められていた。
Kは、初めから新型のレプリカントとして明言されているが、それらしさはあまり見受けられなかった。自分が息子か否かという時には、動揺もした、葛藤もした。最後には、デッカードを救い、娘と逢う手立てまでした。
Kが人間になる話かと言われると、そうでもない。こんなことを言いたくもないが、生きている人間の中にも、全員が全員、己の魂を磨きながら生きている人であるわけでもない。
人が命を生み出すのは、男女しかあり得ないが、心を生み出すのは、どう生きていくのかで可能なのではないか、と思った。ラスト近く、Kがジョーになったように、命令を下す上司が死んでからの行動を踏まえると、そう思わずにはいられなかった。
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