サンドラの週末
劇場公開日:2015年5月23日
解説
パルムドールを受賞した「ロゼッタ」「ある子供」など、カンヌ国際映画祭の常連として知られるベルギーのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟が、オスカー女優のマリオン・コティヤールを主演に迎えた一作。体調不良で休職していたサンドラは、ようやく復職の目途が立つ。そんな矢先のある金曜日、会社が職員へのボーナス支給のために1人解雇しなくてはならず、サンドラを解雇すると通告してくる。同僚のとりなしで、週明けの月曜日に職員たちによる投票を行い、ボーナスをあきらめてサンドラを再び迎えることに賛成する者が多ければ、そのまま復職できることになる。それを知ったサンドラは週末、同僚たちを説得してまわるが……。
2014年製作/95分/G/ベルギー・フランス・イタリア合作
原題:Deux jours, une nuit
配給:ビターズ・エンド
スタッフ・キャスト
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会社に復帰したいが、仲間のボーナスが帳消しにされる。説得に頑張る主人公、という話でしかないのか?シンプルすぎるストーリーと全般に流れる鬱々とした気分。そもそも彼女はまだ全然完治していない。ODまでやっちゃうんだから。そこはスルーしてないか?復職は全く早すぎると思うし、周りもそこをスルーするなよと、結果とかどうでも良くなって主人公の危うさばかり漂う不思議な映画だった。
大好きなキュアーのロバおが言ってた
お金はその関わり方で、その人となりを推し量れる神からの賜り物だ
同僚に会って
お金より自分を選んでくれって、頼んでまわって…
得られたものはお金に縛られない私、自由な私
この地に縫い付けられてる身体が浮遊する感じ。
飢えても、無敵だ
2021年9月13日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
あまりもぎりぎりの生活。
家族のひとりが病気になるだけで、たちどころに一家の平穏は傾く。
鬱病を抱えながら復職を求めるサンドラの2日間です。
「週末」といってもリゾートとは正反対の物語でした。
カーラジオが鳴る・・
「すべてが台無し
途方に暮れる
この世界には
たくさんいるはず
私のように今夜孤独な人は
悲しくて死にそう
ひどい世界よ
何も考えず眠りたいだけ
タバコに火をつける
暗いことばかり考える
どうして夜はこんなに長いの・・」
連戦連敗。
車中でサンドラと夫のマニュがラジオのつまみをひねり上げて大ボリュームで聴くシャウトです。
泣き笑いしながらふたりで歌い、でも曲の終わりで再び黙り、疲労困憊のふたり。
「お給料」って、その人の価値じゃないはず。
労働への対価でしょう?
でもそのお給料の枠に合わせて人間は人生を設計するし、その額が幸せを左右するのも本当なんだよなぁ。
つまり手取りの額面が限りなく、ほぼその人の人生のサイズとイコールなの。
そしていつしか自助という「働かざる者喰うべからず」の世からの圧力の凄まじさ。
つまり「無職・失業者・無収入者」イコール「無価値な人間」という烙印の怖さ。
・・・・・・・・・・・・
明らかに病気の目のサンドラが、うつ病の薬をがぶ飲みしながら同僚の家を一軒一軒当たります。
まさかの直談判で、自分の復職を頼み込み。これはひるがえって言えば、目の前の同僚に
「あなたの減給を飲んでくれ」
「私の代わりにあなたが退職してくれないか」と頼み込む正常とは言えないような強烈な自己主張なんだけれど。
週末=土曜日と日曜日の行脚です。
病気でなけりゃあ口に出来ないストレートな欲求(笑)と、こちらに詰めよってくる圧迫感たるや!
・居留守したい。
・月曜日は有給とってサンドラに会いたくない。
・膝がガクガク震えてくる。
・サンドラのノックが近づいてくる。
・ドアをこじ開けてくる。
でも同僚たちは、はっきりと自分の考えをサンドラに嘘なく伝える。
さすがフランス。
マリオン・コティアール
ドレスとメイクで決めれば、それはそれはゴージャスでセレブリティな彼女が、やつれて素っぴんの失業者を演じていました。
夫役のマニュは仕事を抜け出しながら、早退しながら、精神を病む妻の格闘を支えていましたよね。僕はずっとこの夫のマニュの思いと表情から目を離せずにいました。
僕は、
僕の過去ですが、お金を渡すべきだったのか、無心してきた昔の職場の元同僚を思い出す。今でもチクチク思い出す彼女の、目を疑うほどのやつれた顔と、ガタガタの歯と、口臭を思い出す・・
外で働いていると、共倒れが怖くて助けてあげられない人に出会う機会もあって、
知人、友人、そして時には肉親さえもシャットアウトしなければならない場合もあって。
そんな貧困なこの世の中の構造に苦しさと怒りを覚えます。
自分の限界に歯がゆさを覚えます。
安心して失業も病気も老人になることも出来る世の中になるべきなんです。
「私も働きたい」というサンドラの言い分は我が儘じゃないですよね、
病んでいるのは社会のほう。そこ、治さなければならないと思います。
・・・・・・・・・・・・
【付記】
為末大のコメントです、長くなりますが、
“女の話は長いのでオリンピック組織委員会での女の発言、自己主張には困っている”旨の、御説を失言なさって首になられた森義郎会長。元総理大臣という名士。
その彼の“女を黙らせようとする男の同調圧力”について為末がコメントしました(以下)
「女性差別というよりも、マイノリティーの人たちが会議で感じる息苦しさが、全部『わきまえないといけない』という発言に集約されている。私はパラスポーツに関わった経験から、会議場に車いすで入ってきた人が、時間がかかることを理解している。日本がパラリンピックに力を入れている中で、(森氏は)同じ感覚でパラリンピックも見ているのかな、と」
(毎日新聞Web版2021/2/9 )
↑これを読んで、ハッと思い出したことがある、
コロナで東京五輪を縮小コンパクトにする方向になったとき
「ならばパラリンピックは中止ですね」とサラッと発言した委員がいたと。(氏名失念)。
障害者はわきまえないといけない、
=鬱病のサンドラもわきまえないといけない、我慢して黙っているべきだ、周囲の人間もサンドラを黙らせるべきだ=
という優性思想の悪魔性が、ふとした時に公人からも暴露されるわけだ。
サンドラは週末の二日と一晩を費やして同僚16人の一軒一軒を廻る。
その姿を淡々と追うのがこの映画のすべて。
フランス語の原題からして「二日と一晩」であり、二日と一晩をかけて、ひたすら「私の復職のためにボーナスを諦めてくれませんか」と16軒の家々に頼み込むサンドラを延々と見せられる。
すんなり「いいよ」と言ってくれる同僚もいるが、ほんの僅か。
たいてい拒絶されるし、説得すれば難渋するし、怒気に触れて罵られることもある、門前払いを食わされることもある。とうぜん留守宅もある。再訪しても未だ留守のこともある。同僚当人がいなくて要領を得ない家族に睨まれることもある。加えて一人一人に疎通の多少がある。よく知る同僚もいれば、ほとんど話さない同僚もいる。
そんな状況にめげずサンドラは根気をもって往訪→説得を繰り返す。あきらめない。依怙地にならず、自棄にもならず、ひたすら真摯に「私の復職のためにボーナスを諦めてくれませんか」を説いて廻る。
ひとかけらのエンターテインメント性もないのに、いつしかサンドラに全力で旗を振っている。いくら生活のためとはいえ、いったいどこの世の中に「私の復職のためにボーナスを諦めてくれませんか」などという言いにくい条件を携えながら不屈の庶民がいるだろう。そこには勇気が見える。腐りもせず卑屈にもならず相手を恨みもせず、どこまでもまじめに信念をつらぬく。
この映画を見たとき、ヨーロッパ=頽廃的に対する誤解を改めたばかりか、日本人が勤勉でまじめというのは本当なのだろうかと懐疑心を持った。勤勉でまじめな日本人などという前世紀の格付けに甘んじていていいのだろうか。それをかんがみるなら、アメリカ人が陽気でヨーロッパ人が頽廃で中国人が厚顔でオセアニア人がのん気でイギリス人が慇懃で……それらの無責任なレッテルに何の価値があるのだろう。つくづく人は、人種とは無縁だ、と思う。
午後8時の訪問者(2016)も状況が変わるものの同じ主題である。諦めない。信念をつらぬく。
あきらめないでまじめにやる──それがダルデンヌ兄弟の主人公。そうでない映画もつくっているが、あきらめないでまじめにやる、というテーマで魅せる映画をつくれる監督って他にいないんじゃなかろうか。