セッションのレビュー・感想・評価
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死ぬ気で練習する
2014年製作。この映画も日本初公開時未鑑賞で、
特集上映でTOHOシネマズ シャンテで鑑賞。
ポスターの写真そのままの印象。日本語題「セッション」
よりも原題:Whiplash(むち打ち症と訳される)の方が
映画の中身を上手く表現している。スポーツで筋肉痛に
なるがごとく音楽でも身体が受けるダメージが大きい
ということか。
自分の年代だと「巨人の星」の星一徹と星飛雄馬、あるいは
「愛と青春の旅だち」(An Officer and a Gentleman・
1982年製作)のフォーリー軍曹とザックの関係を思い出す。
特訓に次ぐ特訓で身も心もボロボロになりながらそれを
乗り越えて一人前になっていくのが上記2作品に共通する。
「セッション」はどうか。
ネタバレになるから書かないが予定調和では終わらない。
起承転結で言えば転の部分が意外な方向に進み、これで
終わりかと思ったらまだその先があって意外性があった。
説明的な描写は最小限に、軍隊の鬼教官のごとくダメ出し・
罵声を浴びせる教師フレッチャーと、それこそ血の滲む
ような努力で応えようとするニーマンを軸に過酷なレッスン
風景を描いていく。練習漬けの毎日で青春を謳歌する
余裕はない。
はっきり言ってしまうとパワハラや言葉の暴力、時には
手も出しているから現代社会では完全にアウトの指導方法。
耐えられず脱落する者や精神が崩壊する者が出てきて当然。
相手を憎むこともあるだろう。
ただ、この映画ではだから駄目という単純な話ではなく、
善し悪しは観客の判断に委ねられている。
この映画のような極端な例は別として、音楽でもスポーツでも
その他いろいろなことについても一流になるためには死ぬ気で
練習する時間というのは必要だと思う。フレッチャーが何を
目指して鬼のような指導をしているかが分かるからこそ
この映画を観て嫌悪感以外のものを感じ取ることができる。
終盤で見せるアイコンタクトが秀逸。
自分に当てはめてみたら(とは言え楽器を習ったことがない
ばかりか楽譜を読むことすらできない。名門音楽学校に
入学するとか全く未知の世界)、度が過ぎる指導にはきっと
耐えられないと思った。
フレッチャーをJ・K・シモンズが好演(怪演?)、ニーマン役
のマイルズ・テラーは当時はそんなに知名度が高くなかったが
主人公を見事に演じきった。(演奏シーンのために本人も相当な
練習を積んだことだろう)そして「トップガン マーヴェリック」
(Top Gun: Maverick)のルースター役に抜擢され現時点で彼の
代表作になった。今後が楽しみだ。デイミアン・チャゼル監督は
その後「ラ・ラ・ランド」(La La Land)や「バビロン」
(Babylon)などの大作を監督。今思うと出演者も監督も
凄い人材が携わっていた作品だ。
音がいい
狂気とヒリヒリ
最高にかっこいい
2023/5/20再見。
🎥ハンガーとの比較で話題になり見直してみた!今回改めて見直すと映画のつくりそのものとしては★4くらいかと思う。インパクトは落ちたし設定は不可解である。しかし楽しめる点は変わらない。いい作品ではある事には変わりない。
怖い。
前提として
・デイミアン・チャゼル監督の他作品だと『ラ・ラ・ランド』を視聴済
俳優陣が素晴らしい。眼で全てを物語る。
狂気ってこうやって出すのか……ってなる。
ただただ怖い教官にパワハラされるストーリーではない。スカッとする瞬間もある。
アンドリューとフレッチャー。この二人がジャズという土俵において、どのように変化していくのか。
この二人、精神的な中身がめちゃくちゃ似てることが面白い。この上でプライドのぶつかり合いとなっていくクライマックス。
何かが通じ合った瞬間のアイコンタクト。
『セッション』という日本語版タイトルも素晴らしい。
……みたいなアツい部分もあるけど、ずーーーっと怖い部分が蠢いている。
感情というか情熱というか、期待というか狂気というか……
心臓の鼓動がなかなか止まらない、不安なのめり込みがずっとある。
この二人、自分なりの優しさを持ってるクズだな……
パワハラ的な指導も必要になるよな、的な自分の感覚も怖くなる。のめり込むと、どれだけボロボロでも周りのことが気にならなくなるよな、みたいな熱中と狂気の紙一重感にも怖くなる。そしてこの狂気が通じ合った瞬間の最強コンビ感たるや……
あー、怖い。けど面白い。
芸術を志している人ほど胸が痛くなる作品。正直、人にオススメしづらい……
超絶パワハラムービー
奏者を撮るカメラワークも素晴らしい
息くるしさを感じる
謎が多い映画
狂気は凡人を置き去りに
『ラ・ラ・ランド』のディミアン・チャゼルの長編デビュー作。「第二のチャーリー・パーカーを輩出したい」という鬼教官フレッチャー(造形と口調のモデルは完全にスタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』に出てくるハートマン軍曹)と、「より強大な権威によって自己存在を承認されたい」という大学生ニーマン。二人の際限なき欲望と欲望が交差した果てに待ち受けるのは天国か地獄か。
チャゼルは徹底的に俯瞰した位置から彼らの辿る運命を見下ろし続ける。そこには一切の温情も連帯もない。あたかも受け手が二人に感情移入することを禁じるかのように、映像はひたすらフラットに二人の動向を見つめる。そして見立て通り、物語が進むごとに両者の異常性は徐々に際立っていき、最後には観衆置いてけぼりのあのジャズコンサートに行き着く。そこにはフレッチャーとニーマンだけが感じることのできる音楽的エクスタシーが漲っていたのだと思う。しかし我々がそれを感覚する術はない。それどころか「映画の不意の幕切れ」というコンサートの観客同様の唖然を味わわされ、作品世界そのものから強制的に放逐されてしまう。
芸術の狂気に取り憑かれた人々~みたいな映画は往々にしてよくあるが、本作が偉いのはそこに我々が介入する余地を一切用意しなかったことだ。「狂気」の正体がただの「狂気にも見えるほどの奮闘努力」だったときほど肩透かしを味わう瞬間はない。「狂気」の二文字に興味本位で近寄ってきた愚昧な観客どものご機嫌を伺うようではいけない。
本作の場合はちょうどその逆で、奮闘努力だと思っていたものが実は狂気だったことが少しずつ発覚していく。自分が精神的に追い込んで殺した生徒の死を涙を浮かべながら懐かしむフレッチャー、車に轢かれ半生半死の状態でステージに現れるニーマン、コンサートの演目を教えずニーマンに晴れ舞台で恥をかかせるフレッチャー、勝手に演目を変更してフレッチャーに指揮を強要するニーマン。空前絶後のキ○ガイバトルでしょこんなの。とてもじゃないが寄り付けないし寄り付きたくもない。
陳腐なメロドラマの裏でハリウッド批判を展開する『ラ・ラ・ランド』同様に、ハイコンテクストで意地の悪い映画だった。安易な気持ちで「狂気」に触れると痛い目を見るぞ、という良い教訓になった。
よくある
マイルズ・テラーの表情が
とても良かった。周りとの関係性に応じて容易に変化する自我の危うさ。庇護すべき無力な息子と、セクシャルな意味合いも含めて人を食う危険な存在を行き来する。JKシモンズの教師役は狂気が感じられず、陰険・凡庸な印象。ドラマーが候補が全員白人なこと、初日のレッスンに遅れたことの伏線回収がやや引っかかり。
獅子は子を谷底に
明日川荘之の率いるジャズバンド、
このバンドのライブ盤CD「シチリアーノ」が面白い。
ジャズ・セッションは、互いに目配せしながら、そして息遣いを読み合いながらの一夜限りのナマ物なんだが、
このライブステージで、あろうことかメンバー同士が マジで殴り合いの喧嘩をおっぱじめる。
火花の散るような演奏が“目からも火が出る!”、“拳も出る!”という惨憺さ(笑)
そんな珍しい音源⇒特に3曲目。
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本作は
追い付いてこようとする若造をば毛嫌いして、谷底に突き落とそうとする困ったオヤジの物語だ。
見込みのある光る原石は、大人たちにとっては脅威。
徹底的にいじめ抜くJ.K.シモンズのあのパワハラは、今どきならもう許されないことなんだろうが、世代交代を予感させるミュージシャンたちの戦いぶりには痺れる。
鬱屈したフレッチャー(シモンズ)と、
卑屈さをバネに闘うアンドリュー。
そして息子を受け止めきれない弱い父親。
アフリカから連れてこられた奴隷たちの、怒りと悲しみの中から生まれたジャズだから、穏やかならざるこのような黒いストーリーも、そのDNAゆえに引き起こされるのだろうか。
血で血を洗うセッションは、(ありがちな)感動のステージで幕というハッピーエンドではなく、個々人のみの達成感と自己満足だけで終わっている。
後味の悪さを残してのエンディング。
美談ではない。友情もない。
子獅子は親獅子の喉笛に噛み付いて、いつかその息を止めるのだと思った。
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監督は次に「ラ・ラ・ランド」を撮るのだが、そこでも夢やぶれて壊れていくミュージシャンを描く。
彼も、どこか普通ではないのかもしれない。
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