桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
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吹奏楽部の演奏で鳥肌
最初は外したかなと思いました。
でも、最後まで諦めずに、好感的な眼差しで見続けてよかったと思います。
吹奏楽部の演奏のときのクライマックスの場面は、鳥肌が立ちました。
あの音楽を探して、ダウンロードしたい程です。
こんなに「青春」とぴったりフィットした音楽があるのかと思ってしまいました。
主人公不在の映画ってのも新しい。
このときの演者の何人もの方が、今でも活躍していることも嬉しい。
彼らの2倍も歳をとった世代から見たら、更に深く重い青春映画だと私は思いました。
今まで観た映画で一番おもしろい。本物。
「この映画、結局最後まで桐島出てこないんだって」
ってゆうネタバレをされてて、なるほど、群像劇ってやつね、そんで桐島が出てこないままクラスがどんどん混沌としてゆくってゆう・・・・・・って予備知識でなんとなく観はじめて、いろんなグループから見る桐島がいなくなった日々を眺め、ラストに向かうにつれて自分はぞわぞわしはじめた。そしてラストで衝撃が走った。この映画はすごい!本物だ!と思った。
本物のメタ映画。
学園生活のリアルを描いた映画だとか、これが現代のスクールカーストだとか、そんなの嘘っぱち。この映画はそんなもの、パッケージとしてしか使っていない。ただの設定として、要素としてスクールカーストを使っているだけで、ほんとうは超絶メタ映画なのだ。
最後まで桐島出てこないんだって。
そんな情報を入れていたから騙されかけた。桐島は最後まで出てこないんじゃない。最初から存在しないのだ。
いや、存在してたから、存在してたのにいなくなったからみんな騒いでんでしょ。じゃないのだ。最初から存在していなかったのに、みんなが存在していると思い込んでいただけなのだ。存在していると思い込んでいる桐島の所在が判明できなくなって、存在が不明になって、みんなが焦って不安になって騒いでいるだけなのだ。
他の映画評論などでもいろいろ考察されているけれど、端折って言うと、桐島という名前はキリストのもじりらしい。
みんなが尊敬する桐島。
桐島はキリストの見立てでしかないのだ。
だからみんなの前に姿を現さない。
そして桐島を必要とする者だけが桐島の存在を信じている。
だけど桐島を信じていない者は桐島がいなくなっても今までと変わらぬ日々を送っている。
学園生活とかスクールカーストとか、そんなしょぼいテーマを表面で繰り広げ、その本題は信仰する神がいなくなった世界とその人々を描いているのだ。
そしてこの映画には主人公が二人いる。
まず映画部の前田。彼がれっきとした主人公で、彼が主人公であることで表面のスクールカースト映画が成立している。しかし彼のしていること、彼のセリフの端々は、この映画がメタ映画であることを表現している。彼はこの映画の中で映画を撮る。その映画の中で現実を破壊しようと試みる。だけれど現実は変わらず、それでもこの現実で生きていかなくてはいけないと言う。そして彼は桐島が存在しないことに対して何の影響をも受けていない。そもそも、主人公の彼は桐島という名前すら一言も口にしない。
そしてもう一人の、ほんとうの主人公は桐島の親友のひろき。彼は桐島がいなくなったということで最も影響を受けている。表向きでは、一番の親友だと思っていた自分にも何の連絡もなしに桐島がいなくなってショックを受けている、というものだが、本題では、神様(桐島)がいないと知り、何に導かれればいいのか、自分が何をすればいいのかすら判らなくなっている迷える子羊なのだ。最も神様を信じていた分、生きる意味すら失っている状態とも言える。
この両極端なふたりの主人公のラストのやりとりと、そのあとのひろきの表情、行動、エンドロールへの向かい方。この映画がただのスクールカースト映画だとすれば、このエンディングには絶対ならない。
まあ、神様がどうとか、桐島は最初から存在しないとか、ほんとうにただの個人の感想です。おそらく自分好みの曲解でしょう。でもこの映画は不思議な部分や謎な部分が多くて、観るたびにいろんなことに引っかかります。なのでいろんな感想が出てくるでしょう。
いちばん最初の、教師たちの、「また桐島ですよ」の言い方も、不思議ですし。クラスの英雄的存在の桐島のはずなのに、教師たちからはむしろ逆な印象を受けますし。もしかしたら、桐島超不良説、なんてのもあるかもしれません。全然おもしろくないけど。
ルーズソックスは出てこない
高橋優がテーマソングを歌っているので前々から気にはなっていたがようやく観られた。
開始数分くらいで「ん?何か見逃したか?」と心配になるくらい、流れるようにストーリーが始まる。でも、後からしっかり別目線で話が繰り返されるので、何とかそこで理解できた。
基本、少しでもヒントを見逃すと、あっという間に置いてけぼりになる。洗濯物を干しながら見ちゃ駄目だ(当たり前だ!)。
一回目は、人間関係とこの映画の構成を把握するのにいっぱいいっぱいで、「え?」と声を発して終わってしまい、二回目でようやくキャストたちの感情や複雑な人間関係、行動の意味をとらえることができた。
私は(中学校時代ではあるが)バドミントン部に所属していたが、学校も部活も好きではなかったので、この映画を観てもあの頃が懐かしい、という肯定的な感情は出てこなかった。むしろ、その時の気だるく憂鬱な、嫌な気持ちをちょっと思い出してしまった。
映画と同じように、そんなに仲良くもない女子グループに所属していたし、外見は、地味で恋愛に縁のなさそうな、朝礼で司会をやっていた女子にそっくりだったと思う。
しかし、普段は忘れていたこんな記憶を呼び覚ますほど、この映画がリアルであるということに改めて気がついた。あとはルーズソックスが出てたら私の時代と完璧にマッチしてたかな笑。
最高レベルの群像劇
この時代に於ける日本の高校生を描いた作品としては間違いなく最高の一本。
青春時代に後ろめたさを感じたことのない人間でもなければ確実に感情移入出来るのではないだろうか。
全登場人物が素晴らしい演技力を見せており、在りし日の感情を思い起こさせる傑作。
なるほどなぁ。 なんかこのヒロキの気持ちが分からなくもない。 学校...
なるほどなぁ。
なんかこのヒロキの気持ちが分からなくもない。
学校内では確かに上位。勝ち組。
だからといって絶対楽しいのか、この先もずっと勝ち組のままなのかというとそうじゃない。
明らかに自分よりランクが下の人達なのに、自分よりしっかりと自分を持ってたりする。
俺は完全に上位だけどでもそれがなんなんだと。そんなランクに意味はなくて結局自分には何があるのかと考えた時、なにもなくて空っぽだったと。
これからどうすればいいかすがる気持ちで最後に桐島に電話をしてしまった。
虚しかったんだろうなヒロキは。そう思うと少し切ない。
分かりにくい映画ではあったけどちゃんと理解して観るとそれぞれの気持ちがよくわかった。
どういう生き方がいいかと問われると、前田君みたいに学校内のランクなんてどうでもよくて、自分をしっかりと持って生きていく方がいいに決まってる。
不良と地味な子、どちらが地元を離れ好きな事をやっているのか考えれば明白。
それぞれの等身大の青春
原作未読。
タイトルやキャストからイメージしていたのとはまったく異なる繊細かつエッジの効いた作品。
まさか桐島が出〇〇とは...
ともあれ話は桐島中心に進んでいく。生徒たちの何気ない会話や校内の空気感が妙に等身大でヒリヒリする。
閉じた関係性において、絶対的な主人公がおらず、それぞれあまり接点のない登場人物たちが何気ないエピソードを積み重ねていく描写は「ツイン・ピークス」を思わせる。さておき...
映画にありがちな極端な人物や劇的な展開はここにはない。
そして、それぞれが奏でる不器用な音色が絡み合い折り重なり合いながら屋上での指揮者のいない合奏へと収斂していく。
よくあるきらきらした、汗や涙で彩られた青春映画を求めたら裏切られるだろう。
屋上のシーンで冗長とも感じられる前半のリピートの意味がわかった気がする。
思いを寄せる、かわいくて周囲も自分も見えてて気も使えて部活に打ち込んでて、なおかつ趣味も合うと思っていた子の等身大の秘密。そして等身大に残酷な終焉。
もどかしくて意地悪で見失って悔しくて背伸びして空気読んでみっともなくてイライラして蔑んで嫉妬して...そんな等身大が凝縮された映画。
唯、純粋でいられるのは見えない桐島か。
『桐島、部活やめるってよ』(2012)
2012年の映画賞を数多く得た青春の名作という触れ込みらしいが、男子生徒が「女子高生もセックスしたくてしょうがないんだよ」というような卑猥で婚外乱交奨励のようなセリフだけで、もう
性教育の破壊された日本社会を映し出していると思った。口だけで卑猥な事を言っているだけなのかも知れないが、こうした実態なのかも知れない。だいたい大人が女子高生に性的接触をすると淫行になるのに、高校生同士が同意したらどうして許されてしまうのか。こんなダブルスタンダードから、大人になってセクハラして訴えられえるようなハニートラップ現象が生じているのである。
こうしたひどい内容の映画なのに、名作だと思わせようとする社会背景が嘘つきなのである。結婚制度をないがしろにして、高校生同士にセックスさせている社会を良いとしようとする腐ったイデオロギーが日本をダメにしてしまった。汚れた空気やどす黒い汚染水の中での青春である。汚い中に育つと汚さが見えず、汚い中での美しさなどと感じられてしまうのだ。神木隆之介の演じた高校生が作ろうとしたのがゾンビ映画であることにもそうした示唆があるのだろう。東出昌大や橋本愛は顔と名前が一致していたが、山本美月はようやくこれで一致したような気がする。松岡みゆ(漢字がわからない)は『ちはやふる』のような近来と顔がかなり違っている気がして、よくみてようやくなんとなくという感じがたまにあったがまるで別人のようである。顔が変わる人もいるのだろう。そのように、けっこう活躍を続けている人の6年前というようなところが目につくが、これが青春映画の名作というのにはつまらない日本中のセンスだったんだなと思うくらいである。実際の高校がこうした程度なのかも知れない。リアルということか。原作者も監督も知らない人だが、青春の定義をこんな内容でしてしまうというのは低レベルの勧めのようでがっかりした。男子生徒の卑猥な言葉のシーンさえなければこんな感想にならなかったのかも知れない。だからこそ、そういうところに気を使って欲しかった。それでほかの内容も台無しである。ただ、高校でもどこでもそうなのだろうが、イケメンで成績やスポーツもいいグループと、イケメンでなくて背も低かったり、デブだったり、そして映画製作などしているような文化グループの対比、それは男女ともあったりする。しかし、イケメンでないほうのグループが、美人グループと若干交錯したり、女子が憧れの男子をずっと追っているような状態を追ったのはリアルなのかも知れない。偶然に過ぎないのだろうが、この作品の前が『東京難民』を観たのだが、どちらの主題歌も高橋優だった。しかも『東京難民』には山本美月も出ていたはずだが、よく顔が認識できず終えた。山本美月は映画館で観た思い出深い作品があるが、その時も顔が認識できず、今回はわかりやすい感じがしたのはなぜなのか。憧れていた男子高校生が別の女子高生とキスをするのを目撃するようなフリーセックスの動揺も、性教育のないがしろにされた日本社会の高校生の実態を汚く映しているということか。相当質の高い映画でないと2時間というのは長く、時間を損した感じがする。この映画が名作と言われ、賞をいくつもとったというセンスの無さに、社会が間違っているんだから、人生ももったいないなと残念に思った。
だが、卑猥な噂話で幻滅したが、この映画の中ではベッドシーンやパコパコシーンはないようだ。
橋本愛は二股欠ける寸前のようなひどい役を演じていた。オンナの気狂いは怖い。わからないように紛れ込んでいるのだ。せっかくの休日の2時間を損しているなと思いながら、それでも最後まで観なければならない。逆に高校生で交際しているようなスケベな生徒以外の、神木隆之介や大後寿々花が演じた役辺りはリアルなのだと思う。そうした社会でもうまく渡っていくような、イケメン男女の小器用な奴らと、地味で不器用で交際以前だが、人間味がある人達との対比と言う面では、そういうリアルを描いている面はあると思った。大学生や社会人の導入時期辺りになるともっと複雑になってしまうのだろうか。そこを露骨に描くのが、松岡みゆが東出昌大と、大後寿々花がみているところで、ディープなキスを長々とするシーンなのだろう。東出に憧れていた大後はクラリネットを吹く練習を少し続けるが、やがて顔を曇らせて離れると、松岡もキスを辞める。この対比のシーンは、男子生徒二人が、「部活や勉強に集中している奴と、彼女とセックスしている帰宅部とどっちがいい?」という、最後までこの映画を嫌いになってしまった卑猥な言葉に直結させているのだろう。肉体的接触がなくても、そばで心配しながら観ているプラトニックな女性も、全く知らなかったが、清水くるみが演じていたりする。中学でもそういう人たちも交錯するのかも知れないが、高校時代という未完成で揺らぐ時期に勉強しなければいけないし、部活もあるし、恋の在り方もどこまでどうしたら良いのかと、複雑な年齢と場所なのであろう。その人による感情と成長のずれが揉み合い、暴力的になったり野蛮になってしまうのだろう。ずっと冷静なタイプもいる。高校時代から迷いの時代に入り、社会という様々に複雑な時代に入っていかねばならない。イケメンやスポーツ部活に立ち向かう、文科系映画部の文句のシーンもなにかあるのかも知れない。それにしても松岡みゆの顔は変わった。イケメンや運動部や文化部の混沌とした場所。背景には壮大なブラスバンド部のクラシック音楽が使われている。女子生徒も含まれ、壮大に揉み合い、混乱する。そして、ゾンビのホラー映画の象徴的シーンは何を意味したのか。そして『桐島探し』。一体桐島というのは何の象徴なのか。そして落ちて使えなくなってしまったようなビデオ撮影機。セックス挿入射精シーンはないが、キスシーンは東出と松岡で執拗なように二度出てくる。だが感動性はまるでない。これも何を意味するのか。遊びや恋愛の帰宅部と、運動や映画製作などに一途な人達の対比もある。これはきっと最初から最後まで現れることのない、『桐島』こそが青春小説や青春映画を体現しているわけであって、具体的に見える高校生たちには、様々に特徴の違いが交錯して、聖俗に触れてしまうために、『桐島』という主人公にはなれないということだろうか。だとしたら、主役のように言われる、神木と東出の役は何なのだろうか。ただ、キャラクターが違っているタイプのような人達のちょっとした交錯が、その後の社会でのさらなる立場の違いの前の、基本的には同じ高校生だという時代の、その意味を思い直してみるのも大切なのかも知れない。イケメン東出がなぜか泣くシーンがある。それも一体なんだろう。高校時代にイケメンでうまくやっていても、将来が保証されているわけでもないし、意識してイケメンなわけでもない。神木などは眼鏡をかけて美顔を隠して非イケメンの役である。終えてみたら夕方になっていたなという感想なのだが。高校時代から今に至るまでも夕方までな感じだが。松岡にしても大後に東出を取られるわけには行かなかったのではあるが・・・。
神木君もいいけど
野球部のキャプテンがいい!
ドラフトに引っかかる事は無いって自分が一番わかってる。
でも、もしかしたらのもしかしたらがあるかもしれない。
そんなゼロに近いけどゼロじゃない可能性に賭けて頑張る。
そんなに自分を傾けられる事に出会えたキャプテンが羨ましい。
評論家の人がラジオで話してたのを聞いた。 スクールカーストの頂点の...
評論家の人がラジオで話してたのを聞いた。
スクールカーストの頂点の桐島が、学校ではすごいステータスの部活をやめた。そのことに対し、カースト上位は騒然とした。なぜなら、そのカーストの頂点のはずの桐島が、あっさり降りてしまったから。そんなものは無価値だと、言ってしまったから。そのカーストに属する人々は、依り代を無くしてしまったのだ。そのカーストの外、別の価値観で生きていた神木くんには、全く関係のない話だった。
学生時代、イケてない、オタク野郎だった人には(俺も含む)、なんとも励みになる言葉だった。
他にもこんなことを話していた。
神木くんにとってゾンビ映画はリアルだった。顧問の先生はゾンビなんて現実にはあり得ないこととしてバカにしていたけれど、本質が表現されていれば、それはリアルなんだ。鬱屈とした、冴えない日々を、ぶっ壊したいという衝動。それをゾンビに託したんだ。その思いが本物なら、それはゾンビという姿を借りていても、リアルなんだ。
そんなことを言っていた気がする。
この話で、僕は物の見方が変わった気がする。
私も女子だけど
【桐島、部活やめるってよ:おすすめポイント】
1.現在の高校生活一部が理解できる!!!
2.前田涼也役神木隆之介と沢島亜矢役大後寿々花の絡みとセリフが楽しい!!
3.菊池宏樹役東出昌大の役柄がカッコよくていいなぁ!
【桐島、部活やめるってよ:名言名セリフ】
1.前田涼也役神木隆之介の名言名セリフ
→「待って!謝れよ、俺たちに謝れよ、見ろよ、太陽が沈むんだよ、そうしたら今日の撮影はもう出来ないんだよ」
→「こいつら全部食い殺せ」
2.東原かすみ役橋本愛の名言名セリフ
→「私も女子だけど」
→「じゃあまた、学校で」
3.菊池宏樹役東出昌大の名言名セリフ
→「だから結局、できるやつは何でもできるし、できないやつは何もできないっていうだけの話だろ」
4.小泉風助役太賀の名言名セリフ
→「何とかしようとして、この程度なんだよ」
日本映画の良さ
日本映画は日本人にしか理解できないリアルを描いた映画がいい。今作のピリッとした緊張感がめちゃくちゃいい。
そもそも今作の主題はスクールカーストとかヒエラルキーがテーマではない。それと物語性で観客を楽しませようとはしていない。
人生なんてものは虚無的で無意味なもので、死ぬまでの時間つぶしみたいなもの。だったら、下手でもなにか一つ好きなコトに没頭して夢中になってハマったもん勝ち。夢中になれることがある人はそれがない人より幸せなんじゃないか?ってことがテーマ。
当時恋人と劇場で観賞した際、「桐島でてこないのわけわかんない」と言われこいつとは価値観が合わないと再認識。したのを思い出した。
堂々とやり切る『誰得』
吉田大八監督の出世作を今更ながらライムスター宇多丸のラジオで気に掛かって鑑賞してみた。吉田監督の作品はその後何作か鑑賞しているが、良いにつけ悪いにつけ、今作が一番印象に残る作品として印象に残ってしまった。確かに今作、未来のスター(今からだと過去になってしまうが)が出演目白押しである。タイムパラドックス的な観方かも知れないが、その華やかさが作品の質を昇華させているのが凄いと思う。原石というのは始めから輝いているものであると感じさせられる。ただ、そんな原石だから高校生にはみえない姿の仕上がりが鼻につくにも狙いなのだろう(山本美月なんて、そのままモデルでもやれる程のスタイル)
作品内容は表題の通り、はっきりいって胸クソ映画である。自分が学生時代には有ったかどうかも分からない『校内カースト』と呼ばれるヒエラルキーをベースに、その頂点である男子高生が部活を辞めるという話に右往左往する周りの友人達、またその友人達に関係するクラスメートの引っ張られ様を、同時間多軸的な撮影演出で構成されている。そんな群像劇スタイルでの展開を最後にゾンビ撮影ドキュメンタリータッチ風で行なうオチで〆る運びにする。ラストのカースト上位と下位のささやかな邂逅はハッピーエンドを予兆させる雰囲気にさせるのだが、それよりも学生時代の酸っぱい思いをこれでもかとリアリティに表現していくシーンの数々に気持ちを抉られる。それぞれの登場人物がきちんとキャラを演じ、そのキャラ同士の化学反応をこんな狭い(とはいっても古い校舎故、まるで迷路みたいな造り)ビーカーで暴発させるストーリーは、その濃厚さ故、かなり圧の高い感情の機微である。その最大のアイデアが原作通り、題名の『桐島』自体が一切作品に出てこない(飛び降りたのも白昼夢)というプロットだ。そのモヤモヤ感が、益々周りの人を不穏に走らせ、そしてそもそも持っている日々の不安感を自己増殖させ、それが非現実性へと突き進むアプローチに唯々、感嘆するしかない。この手の作家性の強い作品が日本で描かれたことが奇跡なのではないだろうかと感じる。
何度も言うが、自分にとってはストーリー自体は『胸くそ』悪い映画なのだけどね。だからこそ自分の高校時代に否応なしにタイムスリップさせられ、そしてまたもや苦くて酸っぱい味が口の中に充満してきてしまう・・・
「行け!そいつら全員食い殺せ食い殺せ!」
昔観たときはよく分からなくて、何となくこの映画の松岡茉優がまた見たくなり観返したのですが、これ、すごい。
中高生が主題の映画って部活動か少女漫画系統の恋愛ものか、分かりやすく「キラキラした」青春もののイメージが強いですが、これは思春期の殴り合いですね。部活動も恋愛も組み込まれているけどもっと普遍的な、何も特別じゃない普通の子達の話だと感じました。でも間違いなく青春ものなんですよ、これ。
キャラクターは大勢出てくるもののモノローグは一切無いし、説明的な台詞も無い。けれど役者さんの表情や目線で「多分今この子はこう思ったんだな」っていうのが伝わって来る。 わざとらしさが一切無い。
登場人物は全員印象に残る子達ばかりなのですが、野球部キャプテンが特に好きでした。
サナちゃんはやっぱり今観ても嫌な女だな…(笑)吹奏楽の女の子の気持ちを何となく気づいた上で「見せつける」シーン、女の業を感じました。
問題が解決して結末を迎える訳でもない、物語は余白を残して終わるんですが(この後の続きを見たいような見たくないような)傑作だと思います。
桐島は???
高校の頃ってこんな感じだったよなーーと思い出した。
そして、最後まで出てこない桐島。
むしろ、そこに振り回される、そして、振り回されない人たちのストーリーなんだけど。
見ているときは、で、どうなるわけ?と思って見ていたが、見終わったあと色々とレビューや評論を読みながら、実は、もっともっと奥深い意味があるのよと知った私。
確かに学生時代って、結構残酷なこと多い。
わかりやすいカーストは存在するし、じゃあなんのために勉強するわけ?みたいなどうでもいい悩みとかも湧いてきたりするし。
でも、結局は、何も考えず、好きだからやりたいんだけど。
その気持ちを感じられたか感じられないかで、その先の人生が変わっていくような気がする。
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