桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
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学校生活なんてこんなもん
桐島が部活辞めたってだけで、こんなに描けてすごいと、単純に思った。
山場とかないから、これで終わりか??ってなったけど、なんとも言えない余韻にはひたれる。
橋本愛がかわいい♡
かすみ、ジョゼと虎と魚たち、観てるってよ
まずは、原作から。
『ひかりが振り返って、俺を照らした。』
宏樹(東出)が映画部の二人に8ミリビデオのキャップを渡そうと声を掛け、前田が振り返った場面の宏樹の表現です。
これについて監督は、原作本(文庫)の解説で、次のようなことを書いています。
「この一行ですっかり持って行かれたが、はたして映画でその〝ひかりそのもの〟を描くことができるだろうか。」
いやいや、監督、よくぞ、プレッシャーに負けず、こんなにも鮮やかに仕上げてくれました。心から敬意を表します。
原作は、かすみの中学時代(前田との映画を媒介とした交流あり)のほか、宏樹(スポーツ万能、一応野球部)、風助(今までは桐島の控え)、亜夜(吹奏楽部部長)前田(映画部部長)実果(原作では文武に秀でた亡き姉に複雑な劣等感を抱える)、それぞれの物語がそれぞれの視点で描かれ、独立した章となっています。
風助は、桐島と同じポジションのリベロ(ひとりだけ色や柄の違うユニフォームを着てる人)。いつも控えでベンチにいるが、キャプテンの桐島からどうだった?とアドバイスを求められるほど、よく試合を見ている。
実は、風助も人並み以上のいい選手。
『桐島は選手を、コートを誰よりも見られる立場でプレイしていたけれど(中略)、その桐島を含めてチームを見ることができたのは俺だった』
風助はそんな自負を持ちながらも、いつも自分の先を行く桐島を追いかけていた。桐島がいなくなったことは、前途への道標をなくした不安と、視界が開けたような清々しさが入り混ざる複雑な気持ちをもたらしたのだった。
ここからは映画の話。
原作では、実果と風助の接点は無いが、映画では、
その風助を誰よりも理解し共感する、ある種の同志として、実果の存在がとても重要な役割を果たす。
梨紗、沙奈、かすみ、実果の4人がベンチに揃った場面。
彼氏であるはずの桐島との連絡が取れずイラついてる梨紗と沙奈(松岡茉優さんのビッチぶりがこれまた素晴らしい❗️)の会話を聞きながら、実果が笑顔とも言い切れない本当に微かな一秒程度の薄笑いを浮かべ、沙奈たちとの価値観とは決して相入れないことを鮮やかに表現してみせる。そして、かすみとの関係性の中で垣間見せる内面の葛藤。
イケテル〝上位〟グループに所属していることの優位性だけに依存して、実は何者でもない沙奈や梨紗。
ダサくてカッコ悪くても、桐島という幻影に追いつこうともがいている風助に、亡き姉という幻影を追いかける自分を投影させる実果。
〝上位〟グループに気を遣いながらも、自分と向き合い続ける実果とそれを見守るかすみ。
上位グループの頂点にいるはずなのに、説明できない居心地の悪さを感じ続ける宏樹。
その宏樹に、ひかりの在りかを覗かせた前田たち映画部。
受け止め、感じるだけでいい青春映画の傑作です。
【付録】
原作小説に出て来る映画。
百万円と苦虫女
TOKYO
メゾン・ド・ヒミコ
めがね
打ち上げ花火
花とアリス
リリィ・シュシュのすべて
きょうのできごと
チルソクの夏
ニライカナイからの手紙
※ジョゼと虎と魚たち
→この映画はかすみが一番好きな映画(14歳時点)で5回も出てきます。もちろん、前田も好きで、中学時代放送部で、昼休みに紹介してました。
前田は蒼井優さんが、副部長は犬童一心監督と岩井俊二監督と真木よう子さんが好きなのです。
桐島の不在に翻弄される、いわゆるスクールカースト=体育会系若しくは...
桐島の不在に翻弄される、いわゆるスクールカースト=体育会系若しくは何か「やらなきゃいけないこと」がある、でも何もやらなきゃいけないことなんてない帰宅部の男女と、もはや桐島の不在のない世界線に生きているのかと思わせるような文化部の男女。この作品には桐島という人物は結局最後まで登場しないからこそ、前者のグループが側から見て、実在しないものに翻弄され、自分たちで事を大きくし互いの関係をぐちゃぐちゃにしているように見える。変な例えだが、株価それ自体は上下することが自然で、ただ人の捉え方によってそれはモンスターにもなりえるし、全く関係なく生きていく人もいる、ということだ。作品の終盤、屋上に桐島がいるという情報を聞きつけ、猛ダッシュする上位カーストと、そんなことは何も知らず音楽室という箱で「いい」音楽を奏でる吹奏楽部。後者に属しながらも、前者に巻き込まれる前田たち。彼らが撮っている映画というものを私たちが今まさに見ていたのだという事実。全てが交錯した時、私は人を踏み台にするような生き方はしたくないと感じた。
桐島、前田、菊池
何気なくレンタル。原作は未読。
面白かった。難しい話は抜きにして、前半から1日が色んな視点で展開されて、様々な人物の心理描写も見て取れて、見ていて全く飽きなかった。
「スクールカースト下位が上位に抗う」みたいな映画なのかと思っていたが、おそらくスクールカースト最上位であろう桐島は結局でてこない。スポーツは選抜、かわいい彼女がいて多分勉強もできる、そんな桐島。そんな万能人、スクールカースト1番上が突然いなくなったことで、その周りが狂い始める。
その桐島の親友である菊池もスポーツできて塾に通って多分勉強もできるのに、どこか悩みがあって進路が決められない様子。部活野球は中途半端にやめてしまっていて、多分プロになれないからそんな一所懸命やる必要ないと思ってるのかな。近くで桐島をみて、「できるやつはなんでもできる」と思ってる。
そんな菊池の心を動かしたのが前田。前田は全く桐島のことなんか気にせず、自分にできることをただ好きなようにやっているかんじ。「映画監督は無理」と言っているが、映画が好きだから、映画を作ることで感じる喜びを求めて、好きなように映画をとる。そんな姿に菊池は心動かされる。
色んな立場の人が描かれているが、自分は特に誰かに感情移入したという感じではなかったが、自分はすごく楽しめた。全く関係ないけど、自分も高校時代映画撮るとかやってみたかったな〜と思った。
桐島出てこい!
もうこの言葉に尽きる。前半は出てこなくてもさほど気にはならない。中盤彼女である美人ギャルを泣かせた頃辺りから、桐島の本性が疑わしいぞ。
部活辞めて、彼女振って、登校拒否。挙句は、屋上に現れたかと思いきや消えていない。
あーもイライラする。皆から『桐島〜!!』ってなんどいわせるの?これの何処が面白いのかさっぱり解らない。
ハードルあげすぎた
これから見るよって人に知ってほしいのは
「最後まで『桐島』はでてきません」ってこと。
みんなが認めるカリスマっていうか人気者っていうか
まぁ要は学園ヒエラルキーの頂点にいる奴が「桐島」なんだけど
部活やめる=転落するって意味なのか?って疑問が最後まで残っちゃった。
なんで皆そんな必死に「きりしまきりしま」言ってんの?と。
特にラストシーンのくだりあたり、バレー部ごときがイキってんじゃねーぞ、と。
キャストでいうと神木くんの存在感はやっぱり図抜けていて、
ラストシーンがすごく良かった。
良いこと言ってんだけどパッとしない感じっていうか。
そういや野球部の先輩はいい味だしてたな。
ストーリーテリングの手法としては斬新だと思うけど
面白いかどうかっていうのとは別問題。
まぁ全体的に期待しすぎちゃったかなっていう感じ。
タランティーノならどの作品が好き?
前半は編集の勝利!個々の視点から金曜日の出来事を撮っていて、その金曜日が何度も繰り返す。途中からは普通の群像劇。
桐島本人は登場しないが、彼を取り巻く部員や親友、恋人など、様々な思惑がかけめぐるが、中心となっている菊地(東出)と、イケてるグループとは別の映画部がいい。冴えない中にあっても学園生活を謳歌して映画制作に没頭する姿。ゾンビ映画を撮ることにはなったが、ロメロへの熱い思いや映画全てへの愛が感じられる。「タランティーノならどの作品が好き?」「人がいっぱい死ぬやつ」「どの映画もいっぱい死んでるんだけどな」という会話がいい(笑)。映画館で観ていたら思いっきり笑ったに違いない・・・
しかし、基本のストーリーは盛り上がらない。学園生活の雰囲気をリアルに描いてはいるものの、事件らしい事件が存在しないのだ。恋人や親友なら“桐島”の存在は大きかったのだろうけど、それが映画部まで伝わらないし、菊地に片思いする大後がちょっと弱い。なぜこんなに評価が高いのか理解できない・・・まだまだ映画を観なければ。と、自分の感性の低さも露呈。
桐島はどこにいる
この映画は、
登場人物の誰に感情移入できるかに因って、
感想意見が大きく異なる作品だと思うが、
誰もがこの中の高校生活を実体験したわけではなく、
あくまでも典型であるだけで、あるあるではない。
それを踏まえて、自分には感情移入できる人物はいなかった。
強いて言うなら、
イケてる帰宅部3人に対する劣等感をもの凄く感じる、
目立たないクラスメイト、というところか。
高校生だから異性に興味ビンビンで当然なんだけど、
それ以前に学生である本分、
勉強や部活への真面目さを前提に、いや「言い訳」に、
「けっ、女なんて」と嘯く自分に腹立たしくなる。
この「童貞感」を痛烈に思い出させる作品でした。
同じ時間軸を違う視点で何回も描く作りが、
「告白」に似てるかな。
台詞が少ない分、この同じ場面の違う重ね方で
分かる様に作られてるのが上手いなと。
それもこれも、演者陣の演技力、まあ割と等身大の役でもあるが、
脚本の要望に応えた役者陣も貢献大です。
神木くん(前田)は主役だが役が役だけに目立たない。
それがいい。映画部の肩身の狭さが出てる。
宏樹もいい。桐島がいなくなってからの動揺っぷり、
露骨じゃなくてじんわり揺れてる。
そして前田との邂逅で…、何かに気付く。
一番好きなのは、宏樹に執拗に試合を勧めてた、
野球部のキャプテン。
「ドラフト、終わるまではなぁ」この台詞は重い。
かすみ(橋本愛)その他の女子メンバーの割り切れない感じ。
これはリアルなのかも知れないが、これも重い。
女子だけのシーンは気分悪くなる。
吹奏楽部部長のシーンも、分かるけど気分悪い。
基本的にテンション上がるとか、
高揚感あるとか、そういう映画ではないですが、
高校生ばかりなのに甘酸っぱさゼロの、
残酷性剥き出しな、青春群像劇。
「ヒエラルキー」というより「住み分け」。
「国家が違えばルールも違う」的な。
自分たちが‘イケてる’と思ってるヤツ同士も方が
やたらと気使ってるのに対して、
そんなこと考えてもない奴らも方が、
気兼ねなく話してるのとか、まさにそうだな。
青春群像劇
学生時代にあるクラスのヒエラルキー、女子間の友情、片思い、若いとき特有の自意識過剰感を詰め込んだ作品。
静かに物語が進むけれど、場面を違う角度から切り取っていて、各個人の状況を表現している。
桐島、部活やめるってよ
というタイトルなのに、桐島は出てこず、
でも出てこないけど周囲にどんな影響力があったかがすごくわかる。
桐島が部活をやめることによって、変わる部内の配置や、今まで見ていた景色が変わること、関係性の変化なんかをうまく描いている。
学生時代、クラスの下層に位置していたわたしにとっては、映画部面々の内にこもった感じや嘲笑されている感じ、気配をなるべく消そうとする努力がわかった。
神木隆之介、東出昌大に大後寿々花、太賀、前野朋哉、落合モトキ、浅香航大、橋本愛、松岡茉優と
若手実力派揃いで、わたしの好きな俳優さんばかりで嬉しい。
松岡茉優は今と雰囲気が全然違うのではじめわからなかった(声が松岡茉優なのに誰?と思っていた)。
インタビューのシーンで、きっぱりと無理だと言う神木くんに、なぜかとてもグッときてしまった。
小説を先に読んでいたが、映画の方がうまく融合させていて、桐島が出てこないことをうまく生かして作られていると思う。
何度でも繰り返し観たくなる
リアルな描写に実体験を重ねて観られてる方が多いですね。私もソノクチです(笑)。スクールカーストをわかりやすく描くことで、ラストの屋上シーンの意味を際立たせていますね。ただ、前田君なんかは映画部の部長だし、”おまた〜”の子よりは絶対モテる(意中の子は振り向かないけど)。実は彼女がいるってタイプに見えます。そういう想像をかきたてられるのもこの映画の良さかな。「スクールカースト?なんでそんなもん気にしてんだよ!お前らはまだ何者でもねーだろーが」みたいな感じが裏テーマなのかも?
原作と違いすぎる
原作を見た後に映画をみたが、内容が意味不明だった
父親にあらすじを聞かれても説明できず、見たほうが早いと見せたら、父親からも「なるほど、確かにあれは説明できないな。意味わからん」と言われた
そもそも原作では短編集だから、一人一人が主人公になる
だからそのキャラの心理描写がしっかりと書き込まれていて、わかりやすい
それを1つにまとめてしまい、その中で主人公を決めてしまったから わけがわからなくなったんだよ
それぞれ違ったドラマがあり、それはつながっているようでつながっていない
それを一緒くたにすると、話がわからなくなる
朝井リョウ、最高。
原作を読んでからDVDで鑑賞。
原作が面白かったので、映画も楽しめた。ただ、原作読んでなかったら、少し意味わからないかもってところがあったかな。
神木くんがぴったりすぎる。
本当良い作品でした!
青春はヒエラルキーと共に
DVDで鑑賞。
原作は既読。
原作を読んでとても感動しました。心情描写の繊細さ。視点が変わることで同じ場面でも違って来る意味合いに心を鷲掴みにされました。今までに無かった感じの物語だな、と…
ヒエラルキーの上位にいたであろう作者が(私の勝手な想像です)、なんでここまでイケてないグループの人間の気持ちが分かるんだろう、とめちゃくちゃ感心しました(笑)。
それはさておき、本作では原作のエッセンスを巧みに踏襲しつつ、最後には映画的なカタルシスを存分に堪能できる、珍しい形の青春群像劇に仕上がっているなと思いました。
それぞれの視点から校内ヒエラルキーの存在がつまびらかにされ、誰もが共感出来るはずの人間ドラマが展開されていました。身に覚えのある感情が湧き上がって来ました。
努力した者を嘲笑う風潮は私が学生の頃にもありました。心の中では反発していても大勢に従わざるを得なくさせる、見えない圧力。従わなければ、過酷な排斥を受けてしまう。
思い返せば、なんとえげつない環境だったのだろうと身が縮む想いです。学校が社会の全てだっただけに、如何にサバイブするかと云うのが毎日の課題だったような気がします。
人気者でバレー部のキャプテン・桐島が突然部活を辞め、学校を休んだことから始まる校内ヒエラルキーの崩壊。ひとつの前提が崩れただけで全てが一変するとは、校内ヒエラルキーとは砂の城みたいな脆いものだったんだな、と…
大混乱に見舞われる学校内。些細なことのようですが、当事者たちにとっては一大事。この世の終わりレベルの狂騒が始まりました。じわじわ高まっていく展開が秀逸でした。
なんの情報も無く、交際相手でさえ桐島とは連絡がつかない始末。そんな彼女も校内一のかわいさで、その取り巻きもレベルが高いことこの上無し。取り巻きたちは桐島の彼女を庇う素振りを見せながらも、それは上辺だけの友達ごっこ。
いつ取り巻きからあぶれてしまうかと戦々恐々で、危ういパワーゲームを繰り広げていました。そう言えば私の周りにもそんな感じの娘たちいました。やっぱ怖いぜ、女子…
一方バレー部では、リベロだった桐島の代わりに控え選手がスタメン入り。こちらもこちらで困惑しているだろうし、メンバー間の不満が爆発し、ここでも感情が入り乱れる…
そんなことは眼中無しで撮影に没頭するヒエラルキー底辺な映画部の面々。楽しく映画製作に勤しむと云うわけには行かず、彼らの日常も狂騒の中に取り込まれると云う不条理。
様々な群像が映し出され、感情と思惑が交錯する中、全てが収斂する圧巻のクライマックスへとなだれ込んでいきました。
それまで別々の視点で描かれていた登場人物たちが屋上へ一同に会して、それぞれの想いが溢れ出し、濁流となって爆発する壮大なフィナーレのカタルシスに酔い痴れました。
ヒエラルキーが一瞬で逆転し、襲い掛かるゾンビたち。カメラを回す神木隆之介。学生時代の想い出が蘇り、ヒエラルキー上位の生徒を懲らしめる様に溜飲の下がる想いでした。
想いの大洪水が去った後、静かにカメラを拾った東出昌大と神木隆之介の会話を通して、ヒエラルキーと云う虚飾の壁をぶち破る革命が起こったようで、思わず涙が出ました。
※修正(2024/05/12)
ある意味これも『カメラを止めるな!』
これは思春期にロクな思い出のない私にとって恐ろしくリアルな映画でした。要するに映画部の神木隆之介君に降りかかる酸味に塗れた災厄がイチイチデジャヴ感を纏って私にも牙を剥く。仲良し四人組の中で絶妙なポジションを保つ器用さを持ちながら内心にささやかな秘密と正義を隠し持つ悪魔のような天使、橋本愛が東京ガスのCMで果たせなかった一打。途方もなく美しく学園の女王のように振る舞いながら完全無欠の彼氏桐島を校庭のベンチでしおらしく待つ山本美月が放つ一言。それぞれが抱えた色とりどりの思いが校内で線香花火のようにきらめいては消える様を異なる視点から何度も繰り返し丹念に見つめる、恐らくは原作にはないアプローチで周到に用意された世界観の中で、怒りを爆発させた8ミリカメラを構えた神木君の叫びが、あの教室で29年間立ち竦んだままだった私の魂を夕暮れ時に解き放ってくれました。
最高にエモい青春群像劇
邦画の名作を今更ながら鑑賞。
いやぁ面白かった!
スクールカーストの底辺で非モテで日陰者の映画部部員たち。
でも好きな事に好きなだけ打ち込む前田の姿は何よりも輝いていた!
剣道部の部室の奥でぎゅうぎゅう詰めになって漫画を読んでいた映画部。
そんな彼らが外に出て手探りで映画を撮る。
今日がなんと言おうと、周りから奇異な目を向けられようとカメラを向け続ける!
映画監督になりたいから?
そうじゃない。
なぜなら映画が好きだから!
フィルム越しのワンカットに多幸感を感じるから!
それでいい、それが俺たちの青春だ!
プレハブ小屋、野球部の更衣室の隣の模型部で青春を謳歌した自分には既視感がありすぎた。
あの青春を思い出させてくれた監督とキャストの好演に感謝。
映画って本当に面白い!
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