八日目の蝉のレビュー・感想・評価
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切ないというのか、悲しいというのか
家族って何?
ってことを考えさせられる。
母親とは?
父親とは?
血の繋がりとか関係あるのかな?
そんなことを考えてしまう作品でした。
解決できないことってあるんだなって思います。
感動作ではあると思うし、内容としてはかなり見ごたえありました^^受け取り手によってかなり印象が変わる作品だと思います。
少し作品の主題とズレるかもしれませんが、私は登場人物たちを取り巻く環境が気になりました。赤ちゃんを誘拐し、エンジェルホームや離島の人々の温かさ触れながら子供を育てることができた希和子。一方恵理菜や千草は周囲の偏見の目によって、気苦労のある生活をして育っていたり。滑稽なものだな、と悲しくなりました。本当の親が恵理菜を抱えてマスコミ陣に囲まれるシーンも印象的です。
なんとなくこういう作品を見ると、じゃあ誰が悪かったんだろうって思います。もちろん誘拐は犯罪です。不倫も良くないです。でも何となく熱くなって観入ることができませんでした。妙に冷めた感じで観てしまう。あぁ、現代日本の映画だなって感じ。
演技はどの役者様も素晴らしかったです!
他の方の感想を読んで、またゆっくり見たいと思います。
許されない家族愛
永作博美と井上真央へお互いへの許されない愛情が、痛いほど伝わってくる作品。2回目だったけどやっぱり泣けた。
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この映画を見て、家族って一体何なんだろうってすごく考えさせられました。血のつながりがあるからといって真の「家族」にはなれなくて、そこには愛情とか、一緒に過ごした時期や時間っていうものが重要なんだなって。
映画を見ている途中、本当に悪いのは誰なんだろうって何度も考えました。確かに一番悪いのは犯人で、彼女が不倫もせず、誘拐さえしなければ誰も不幸にならずに済んだはず。でも、育てられた「薫」にしてみたら、犯人は愛情を注ぎ育ててくれた母親で、大学生になった今も心の底では彼女の愛情や彼女との思い出を懐かしみ、できることなら何も知らず幸せだったあの頃に帰りたいって思ってるはず。
映画の冒頭で、犯人が証言台で話してるシーンがありました。「薫を育てさせてくれたご両親に感謝している」と言った意味が、初めはよくわかりませんでしたが、最後まで見てその言葉に込められた想いがはっきりとわかりました。短かったけれど、薫との幸せな時間は、子供を産むことができない犯人にとって、一生のうちで本当にかけがえのない時間だったのでしょう。
ちなみに、永作博美がすごくハマリ役だって思いました。薫と幸せな時間を過ごしながらも、どこかいつも寂しく切ない表情をしていて、警察に連れて行かれる最後の最後まで薫への愛情を貫いたところシーンでは、涙が止まりませんでした。
本当に深い映画でした。見てよかったです。
産みの親か育ての親かそれは誘拐犯なのか
物語の流れから勝手に想像していたのは、もっとどろどろとした暗い映画だと思っていました。
しかし、実際に観てみると、とても暖かさを感じる感動のお話でした。
全体的なお話の流れも、現在と過去の織り交ぜ方も非常によかったと思います。
家族、親子 の問題を抱えている人はぜひ観ることをお勧めしたいような映画です。
駆け込み寺の宗教施設だけはちょっと異様に作りすぎです。
最後に
不倫は 善くないぞ
ほんとうの主演女優賞は
皆さん、こんにちは(いま3月19日pm5:15頃です。
日本アカデミー賞をとりましたね。
僕は日本の映画はそれほど見ないのですが、どれくらいのレベルかな
と思って見てみました。
それに永作博美も井上真央も好きな女優ですだから。
特に井上真央はNHKの朝のドラマ「ひまわり」で、うまい役者だな〜と
思っていました。永作博美は前に3本くらい見ていて、独特の存在感を持ってましたね。
でも、この映画のほんとうの主役はかおる役の渡辺このみちゃんでしょう。
男の子の洋服を着た5歳くらいの女の子。
この可愛さがなければこの映画が成立しない。
そして、その後のかおるになる井上真央も生きてこない。
そのお母さんたる永作博美の思いも生きてこない。
そんなこのみちゃんこそ、この作品の主役だと思いました。
それとそのルーツの場所を旅するときの船上で流れた曲
ビーチハウスの「ゼブラ」。
去年のフジロックで見た聴いた曲だ。
アルバム全体で聞くとちょっと重たいのだが、
こういう場面ではすごくいい曲だなと再発見したのでした。
とにかく、この映画。ストーリーテリングといい、
映像といい、役者の熱演といい3拍子そろった映画でした。
もしも誘拐犯が良い人だったら…
ドリフのコントになりそうな題材だけど、奥が深い作品だ。もちろん誘拐は犯罪である。誘拐を肯定するつもりは毛頭ないが、4歳の子には理解できないだろう。まして愛情を持って接してくれていれば、その子にとってみれば母親以外の何者でもない。それを法律は無情にも引き裂く。「その子はまだご飯を食べてないんです」逮捕された時に叫んだ言葉はまさに母親の言葉だった…。
誘拐された悲劇、母親(誘拐犯)と引き離される悲劇、実の母親と打ち解けられない悲劇、悲劇の連鎖だ。だが、本当の悲劇はこの子の事を本気で考えてあげる人がいなかったことではないのか?誘拐犯の愛は所詮自己満足に過ぎない訳だし、実母の被害者意識に子は入っていない。不倫相手には家族がある。この子を第一に考える愛がどこにも無い。それが一番の悲劇だ。そんな悲劇に絶妙な立ち位置で存在する人がいた。小池栄子である。彼女なくしてこの映画は成り立たないのではないだろうか?なぜなら、彼女だけが真の愛をカオル(井上真央)に向けた唯一の人だからである。
心に残る名作!
ただ観てほしい!
井上さん、永作さん、森口さん、小池さん、渡邊さんの演技に感動!
映画館で3回、DVDを購入してからは週一回観てます。
心が枯れそうになったときに、養分を与えてくれる本当に良い映画です。
文章べたなので、表現は出来ませんが好きなシーン・セリフは、
・井上さんの「あれ、なんでだろう。この子のことが好きになってる。
まだ、顔も見た事ないのにね」
・永作さんの「もう、追いつけないよ」
・渡邊さんの「ママ。。。きて。。。。」
共感してもらえたら、うれしいです。
母性かあ。。
この作品を観るにあたって、【母親】の経験があるかないかの違いはすごく大きかった気がします。
私にとっては素晴らしいなと思いつつ映画とし手放しで賞賛はできない作品でした(期待しすぎてたのもあると思うんですが…)。全国のお母さん方は誰に感情移入してたのか気になります。
いつか母になる日がきたらもう一度観てみようと思いますが、とりあえず今の私の感想も書き留めておこうと思います。
まずこの作品に出てくる女性はみんなどこか痛々しくてそれでも生きていかなきゃならない“痛さ”が顔をしかめてしまうくらい伝わって私の胸まで痛くなっていました。申し分のない表現力です。それぞれの葛藤を役者さん達が好演してくれていたお陰です。
永作さんから湧き出る希和子の哀愁や愛情や焦燥感、
井上さんからはだんだん成長していく恵理菜=薫の想い、
森口さんは恵津子がああなってしまうのも理解できるほどの行き場のない苦しさ、
余さんの教祖様?っぷりもさすが。
そして私の中のMVP小池さん。この物語に深みを与えてくれるのは千草の存在があってこそ。千草が“図々しくて弱々しい”理由がわかると、更に小池さんの凄さが分かりました。
演出も、血の繋がりのない二人の仕草がどことなく似てたり、同じ景色を過去現在と時間軸を行き来しながら、恵理菜が“母”と同じ立場になってもう一度観ると同じことを感じたりたり、二人(永作さんと井上さんでもあるし希和子と“薫”でもある)が一度もが顔を合わせないのも感慨深かったです。今の希和子をワンカットくらい見たかった気もするけどそうしなかったことで更に余韻が残った気がします。
“なにも悪くない”恵理菜が生きる希望を見出だすラストにも救われました。
ただ、なんかうまく言えないんですが全体的に何かが数ミリずつずれてるようなもやもや感が拭えないままでした。サスペンスをうたっておいて人間ドラマじゃんっていうのはまあ良しとしてw
原作は未読なのですが、私の中の【愛情】や【母性】と作者のそれらの考え方の違いなのかなあ。。
“お母さん”だって人間だし女だしエゴはあって当然なんだけど、希和子の愛の形にはやっぱり感情移入しきれない。
一人の人間を、結婚したら自分の“物”、出産したら自分の“物”っていうのもよく考えたら凄いなと思うし、色んな形があっていいとは思います。ただし人は物じゃないのでそこには血の繋がりがあろうとなかろうと自分以外に対する思いやりが必要です。
希和子のしたことは許されることじゃないけど、それがなければ映画として成り立たないのであとは見せ方ですよね。
決して美談ではないのに実母を悪者にして“許されること”寄りにしてしまったのはどうなのかなぁと。恵津子や四歳から恵津子に育てられた恵理菜がああなってしまうのはむしろ自然なんだけど、そっちの側面ばっかりフィーチャーするのはフェアじゃないです。
恵津子の愛情だって独りよがりな部分も少なくないし元々キツい性格っぽいし、そうでなくても親子だってとどのつまり人と人なんだから、誘拐さえなければ全てが上手くいっていたかなんて分からない。
だけど『Mother』の実母のように虐待してたわけでもなく、一番辛い立場なのは間違いないはず。映画『八日目の蝉』が恵理菜の物語ならもっとスポットライトを当てるべき人物なのに、なんだか腑に落ちない。ついでにお父さんが少し可哀相な人みたいな描かれ方してるのも腑に落ちない。
薫の母親としての希和子にも、恵理菜を自我もないうちから薫にするという最高にズルイやり方で手に入れた“本物”のしあわせなのに、「一緒に生きていきたい」と言いつつランドセルを見たときなんかは潮時を感じていたし(その辛い心中は察するけど)、どこまで覚悟があったのかがわからずに少しイライラしてしまう。
これだけ愛って?母性って?と考えてしまうってことはそれで正解なのかもしれないけど、いいテーマなだけにもっと描き方もあったのにとも感じてしまいました。
あとなんの予備知識がなくても『八日目の蝉』の文字だけで結末が気になる秀逸なタイトルですが、そこが気に入ってるだけにあんまり作中でわかりやすく言及しないでほしかったなーとも思います。
あとあと、原作を読んでると納得できるのかな?…劇団ひとりの起用にw
演技はうまいんだけどそういう問題じゃなかったwホントになんで??w
原作を軽く超えた脚本
映画は省略の芸術である、と言ったのは誰だったか。
時系列順に並べた原作では、エンジェルホームの下りが無駄に長かったが、映画では過去と現在を交互に描いている。
それ故に原作を大幅に省略することが可能になり、かつて自分を誘拐した女と同じ道を辿りつつある少女を上手く対比させることに成功している。
対比させることにより、少女は、女の感情を理解し、残してくれたモノを認識していく。
先に生まれた者が後から生まれた者に何を残せるか。
女は少女に、少女はまだ見ぬ我が子に…精一杯の愛情を与え、出来る限りの物を見せたいと願う。
七日しか生きられない蝉が自分が生きられない八日目に何を託せるか…「八日目の蝉」と銘打った秀逸なタイトルを見事に表現した。
本もいい!ドラマもいい!!映画は、もっといい!!!
2回今作を鑑賞して、
ようやく感情が落ち着いてきました。
1回目は、それほどまでに感情を揺さぶられてしまい、
感動なんて言葉では言い表せない、他人から見れば、
錯乱状態と言ってもいいかもしれないほど、自分の、
あらゆる感覚をコントロールできなくなっていました。
その証拠、1回目は
GW前半の鑑賞でしたので、
翌朝別の作品を見た出来事。
予告編は、なんともなかったのですが、
劇場が暗くなり、本編を前に、なんともいえぬ
静寂が訪れた時、本編が始まる前の真っ暗なスクリーンに、
今作の映像と音楽が映っているように見えて、思わず落涙。
当然、その作品には、集中しきれませんでした(苦笑)
◇ ◇
原作:クライマックス、通勤車中で感涙
NHKドラマ:檀れいさんの「薫」の声が、
今もなお脳裏に焼きつく。毎週、号泣。
ちなみに私の愛読雑誌では、このドラマを
2010年ベストドラマに選出しています。
そして、今作の順番を辿って、ここまで来ました。
短い予告編だけで、涙を必死にこらえてしまう。
ときには、あとで、始まる本編以上に感動していたことも。
そんなハイテンションの中、
1回目は誰も視界に入れたくなかったので、前方で、
2回目は全体を見たかったので、劇場のど真ん中で鑑賞しました。
★彡 ★彡
1回目:予告編でも使われた終盤港の俯瞰ショットは芸術品だな
2回目:あのセリフ、1ヶ所だけだったんだ。
前振りは自転車の乗り方だけじゃなくて、うつ伏せ寝もそうだったんだ
※作品全体については、皆様が書かれていらっしゃいますので、
もしかすると、若干、個人的(ディープ)な方向に向かうかもしれません
1回目。
作品のカギを握ると注目していたのは、
小池栄子さんと、森口瑤子さんのお二人でした。
井上真央さん自体が能弁な設定ではありませんので、
そのお二人が、井上真央さん演じる恵理菜さんの感情を
近しい者のセリフで、観客にわかるように浮き彫りにできるかが
重要なポイントになると見ていたのです。
結果は、スタンディングオベーションものですね。
小池栄子さんは、図々しさと気弱さといった相反した
役柄だったのですが、恵理菜の感情を浮きだたせるだけでなく、
二人が幼少のころにいた某ホームの異常性と、そこにいたが故の
悲哀も浮きだたせてくれていました。他にも、あるのですが字数が(苦笑)
森口瑤子さんは、恵理菜くらいの年齢の母親には
ちょっと若すぎるかも、と懸念もしていたのですが、逆に大成功。
恵理菜が、森口瑤子さんにあることを告げるシーンが、
井上真央さんのクランクイン後、初シーンだったのですが、
そんなこと、指摘されるまで、気がつかないほど、井上真央さんの
演技を陰陽の対になって立体感を与えています。ちなみに、私は、
このシーン、井上真央さんの仕草が、一瞬マリア像のある姿の重なりました。
◇ ◇
2回目。
自然に、1回目で気になったことや、
細部を、じっくり見ていくこととなりました。
動きの前振り。
1回目に気がついたのは、
自転車の乗り方と夜空の星の見上げ方の2点だけ。
血は繋がっていなくても
母子の癖は似るんだ、と、
周りが静かな中、一人号泣してました。
今回、気がついたのは、
冒頭にも書いたうつ伏せ寝。
1回目は、そのあとにくるシーンの
井上真央さんの色気のなさと寝方に疑問が
あったのですが、個人が持つ寝方の癖とわかるような前振りがありました。
2回目、確認したかったのはあと2点。
・幻聴でなければ1回だけ成人の井上さんに薫と呼びかけている
・井上さんが方言を使うタイミング、回数、表情
上は、幻聴のような、幻聴でないような結果でした。
きっと、感情が昂ぶりすぎて冷静さを欠いていたんでしょう。
下は、もっと使っているかと思っていたのですが、1回だけでした。
それが、記憶を取り戻す、中押しのシーンになっていました。そのあとは、
一切、方言は使いません。それが、無意識でふと出てしまったことを表す
人間の特性になっています。ここは、仮に外国で字幕で表示された場合は、
表現仕切れないと思いますので、関係者の皆様、工夫をしてもらいたいです。
★彡 ★彡
1回目も2回目も涙が止まらなかったのは、エンドロール中。
恵理菜が伝えたいことが、
中島美嘉さんの歌詞につまっています。
“あなたに名前を呼んでほしくて
はじめて声をあげ泣いたよ“
ここなんて、フレーズを聞いた、
こっちこそ、涙涙でございます。
5点以上なのですが、
5点が上限なので、5点にします(大満足)
小池栄子がいい演技している
劇中、八日目の蝉は幸せなのか不幸なのかという議論があり、
不幸なのではないかとの結論になった。理由は、普通、蝉は7日目で死んでしまうので、1日長く生きながらえても、誰もいなくなった世界でたった一人生きても意味がないという理由だった。
そこでちょっと疑問に思ったのは、同じ日に生まれた蝉なら8日目には自分しかいなくなるかもしれないが、自分が生まれた後に生まれた蝉とは8日目になっても一緒ではないかと。
映画ではその後に別の結論に達して、ラストシーンへとつながっていくことになります。
子供がでくるとどうしても泣かせられてしまいます。
小豆島のきれいの風景と小池栄子の演技が巧かったのが印象に残りました。
他の人と違う景色が見れるかも
原作を読んでから観た映画。
原作と映画はほぼ変わらず、満足できる内容だった。
原作が暗い内容だから、見た後にハッピーにはならない。
”ほかのどの蝉も七日で死んじゃうんだったら、べつにかなしくないかって”
”だってみんな同じだもん”
”なんでこんなに早く死ななきゃいけないんだって疑うこともないじゃない”
”でも、もし、七日で死ななかった蝉がいたとしたら・・・”
”仲間はみんな死んじゃったのに自分だけ生き残っちゃったとしたら”
”そのほうがかなしいよね”
まったく、その通りである。
原作を読んだ人にも
原作を読んで映画を見ると、自分としては好きな部分がデフォルメされていて、それに対して妙に落胆してしまうケースが多いものだが、この八日目の蝉は、原作を読んだ人でも感動できる作品に仕上がっていると思えた。
小説を読むときは誰でも、自分好みの情景を思い描きながら読むものだが、この映画は何と言ってもそれぞれのシーンが美しく、それがまた感動を深めている。(特に小豆島)
臨終の蝉よ世の美しさを唄え
観よう観ようと思ってたのに何故か毎週都合が合わず、
公開から随分経ってようやく鑑賞。
さて本作、
現在と過去とが巧みにリンクする後半の畳み掛けは見事だが、
中盤やや冗長だったかな。
あと映画の雰囲気から浮いてる場面や人物がいる気がする。
特に“天使の家”のエピソードはちょっと異様な気がしたなあ。
(余貴美子が映画『サイレントヒル』のアリス・クリーグに見えた。怖い……)
けれど主人公の希和子と薫(この呼び名で統一させていただく)の
奇妙な絆には、心を強く強く揺さぶられた。
希和子のあの行為が正しいとはとても言えまい。
同情の余地はあれど、やはり身勝手極まりないと僕は思う。
だが彼女が娘に与えた愛情は、真っ直ぐで綺麗な本物だった。
人間てのは厄介だね。
薫の実父母もそうだったが、
単純に善か悪かで括る事ができない。
満天の星、夕焼け、広い海、暗闇の中の灯火、または歌、詩、絵画、
僕らはどうしてそれらに触れた時に“美しい”と感じるのか。
どうしてそこに、生きる事の価値を感じ取るのか。
理由は知らないし、知る必要があるとも大して思わない。だが、
世界には確かに“空っぽのがらんどう”な人生を
価値あるものだと信じさせてくれる美しいものがある。
そして誰もが、それを大切な人に伝えたいと考える。
この世はこんなに美しいもので溢れてる、と。
だから、
この美しいもので溢れた世界に生を受けたあなたは
決して無価値な存在なんかじゃないんだ、
空っぽのがらんどうなんかじゃないんだ、と。
僕は最初、『八日目の蝉』とは“特殊な境遇”に
置かれた薫の事を指していると考えていた。
しかし“蝉”とは希和子の事ではと考えた時に、
ようやくこのタイトルと物語がカチリと噛み合ったように思えた。
いつ果てるとも知れぬ娘との絆を必死に繋ぎ、娘にありったけの
“美しいもの”を伝えようとする彼女の姿は、
とっくに臨終の時を迎えた蝉が、
それでも死にもの狂いで生命を繋ごうと啼くイメージとダブるのだ。
どんなに辛い境遇に置かれた人間でも、
人生を価値あるのに換える美しい感情を
知ること・伝えることはできる。
愛し方が分からないと泣いた娘にも
それはしっかり引き継がれていた。
監督の前作と比べるとややまとまりが悪い印象を受ける本作だが、
それでもこの映画には、胸の奥底をズドンと揺さぶる感動がある。
良い映画でした。
<2011/5/28鑑賞>
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