八日目の蝉のレビュー・感想・評価
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NHKのドラマ版を観た後にこれじゃ
NHKのドラマ版の八日目の蝉は満点です
あれは凄すぎて毎日楽しみで仕方ありませんでした
一方こちら映画版はつまらないです
これはNHK版が素晴らしすぎたためです
何も知らずに映画版だけ観たら
なぁんだ八日目の蝉ってこんなものか。まあまあかな
で済んだと思います
でもNHKのドラマ版が本当に素晴らしい
素晴らしすぎる出来映えでハラハラドキドキ、わんわん泣けます
でその後でこのだるい超劣化版を見せられても
映画版は焦点をなぜか娘に向け主人公も娘にし、失敗しており疑問符のみ残る情けない作品でした
NHKドラマ版と天地だったので非常に残念です
善悪を超えた愛情
総合:90点
ストーリー: 85
キャスト: 90
演出: 90
ビジュアル: 75
音楽: 75
誘拐などもちろん許されるものではない。永作博美演じる野々宮希和子は、一つの家族のそれぞれの人生を大きく狂わせた犯罪者であることを否定など出来ない。法的見地から善悪で判断すれば悪であることは明白である。裁判では謝罪よりも礼を述べるなどというのも、その身勝手さを表している。
しかしそのような裁判劇や善悪の判断を見せる作品ではなく、たとえそれがどんなに間違っていようとも、とにかく自分には得ることが出来なくなったささやかな幸せを追い求めて愛情豊かに暮らそうとした疑似親子のせつなさと、それがもたらす残酷さが真っ直ぐに伝わってくる作品だった。彼女にとって薫は全てだったのだというのがよくわかる。野々宮希和子も井上真央演じる秋山恵理菜も、そんな単純な善悪で割り切れないからこそ苦悩し何年たっても忘れることが出来ないし、だから島を訪ねることになる。誘拐事件以降普通ではなくなってしまった本物の家族との生活を経験した彼女にとって、無償で本物の愛情だけをもって接してくれたのは皮肉にも誘拐犯だったのだから。起こってしまった過去の事実は消せないし、疑似の親子とはいえ一緒に愛情を持って過ごした四年間は二人にとって本物であろう。
そしてそれを演じきった二人の演技力に引き込まれた。緊張しながらたどたどしく接近してくる小池栄子や、薫役の子役も良かった。物悲しく儚い物語を紡ぎながら、いつ発見されるかと怯えながら生きることを表す演出力も見事。
今の大河の主役を井上真央にやらせたい
命を奪ったら死刑なのに、心を奪っても死刑にはならない
映画「八日目の蝉」(成島出監督)から。
何年も何年もの長い間、地中で生活するのに比べ、
地上に出てから七日しか生きられない蝉に対して、
もし、八日目を生きる蝉がいたとしたら、
それは悲しいことなのか、素晴らしいことなのか。
角田光代さん原作「八日目の蝉」も同じことを問いかけている。
今回の一言は、親子の絆が育まれる大切な期間、
生まれてから4歳までの間、わが子を誘拐された母親の叫び。
体は戻ってきたが、心は奪われたままで、なついてくれない。
母親にとって、こんな辛いことはないのだろう。
「命を奪ったら死刑なのに、心を奪っても死刑にはならない」
こんな台詞が心に響いた。
しかし、どうしてあの時、あんなちっちゃな乳児を置いたまま
ご主人と車で出かけたんだろう?、私の疑問も残ったままだ。
心配ではなかったのだろうか、その謎が解けない。
P.S.
実はこの気になる一言、恋愛でも使えそうだ。(笑)
「命を奪ったら死刑なのに、心を奪われても死刑にはならない、
君は罪深い」・・なんちゃって。
解決できないことってあるんだなって思います。
感動作ではあると思うし、内容としてはかなり見ごたえありました^^受け取り手によってかなり印象が変わる作品だと思います。
少し作品の主題とズレるかもしれませんが、私は登場人物たちを取り巻く環境が気になりました。赤ちゃんを誘拐し、エンジェルホームや離島の人々の温かさ触れながら子供を育てることができた希和子。一方恵理菜や千草は周囲の偏見の目によって、気苦労のある生活をして育っていたり。滑稽なものだな、と悲しくなりました。本当の親が恵理菜を抱えてマスコミ陣に囲まれるシーンも印象的です。
なんとなくこういう作品を見ると、じゃあ誰が悪かったんだろうって思います。もちろん誘拐は犯罪です。不倫も良くないです。でも何となく熱くなって観入ることができませんでした。妙に冷めた感じで観てしまう。あぁ、現代日本の映画だなって感じ。
演技はどの役者様も素晴らしかったです!
他の方の感想を読んで、またゆっくり見たいと思います。
許されない家族愛
永作博美と井上真央へお互いへの許されない愛情が、痛いほど伝わってくる作品。2回目だったけどやっぱり泣けた。
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この映画を見て、家族って一体何なんだろうってすごく考えさせられました。血のつながりがあるからといって真の「家族」にはなれなくて、そこには愛情とか、一緒に過ごした時期や時間っていうものが重要なんだなって。
映画を見ている途中、本当に悪いのは誰なんだろうって何度も考えました。確かに一番悪いのは犯人で、彼女が不倫もせず、誘拐さえしなければ誰も不幸にならずに済んだはず。でも、育てられた「薫」にしてみたら、犯人は愛情を注ぎ育ててくれた母親で、大学生になった今も心の底では彼女の愛情や彼女との思い出を懐かしみ、できることなら何も知らず幸せだったあの頃に帰りたいって思ってるはず。
映画の冒頭で、犯人が証言台で話してるシーンがありました。「薫を育てさせてくれたご両親に感謝している」と言った意味が、初めはよくわかりませんでしたが、最後まで見てその言葉に込められた想いがはっきりとわかりました。短かったけれど、薫との幸せな時間は、子供を産むことができない犯人にとって、一生のうちで本当にかけがえのない時間だったのでしょう。
ちなみに、永作博美がすごくハマリ役だって思いました。薫と幸せな時間を過ごしながらも、どこかいつも寂しく切ない表情をしていて、警察に連れて行かれる最後の最後まで薫への愛情を貫いたところシーンでは、涙が止まりませんでした。
本当に深い映画でした。見てよかったです。
産みの親か育ての親かそれは誘拐犯なのか
ほんとうの主演女優賞は
皆さん、こんにちは(いま3月19日pm5:15頃です。
日本アカデミー賞をとりましたね。
僕は日本の映画はそれほど見ないのですが、どれくらいのレベルかな
と思って見てみました。
それに永作博美も井上真央も好きな女優ですだから。
特に井上真央はNHKの朝のドラマ「ひまわり」で、うまい役者だな〜と
思っていました。永作博美は前に3本くらい見ていて、独特の存在感を持ってましたね。
でも、この映画のほんとうの主役はかおる役の渡辺このみちゃんでしょう。
男の子の洋服を着た5歳くらいの女の子。
この可愛さがなければこの映画が成立しない。
そして、その後のかおるになる井上真央も生きてこない。
そのお母さんたる永作博美の思いも生きてこない。
そんなこのみちゃんこそ、この作品の主役だと思いました。
それとそのルーツの場所を旅するときの船上で流れた曲
ビーチハウスの「ゼブラ」。
去年のフジロックで見た聴いた曲だ。
アルバム全体で聞くとちょっと重たいのだが、
こういう場面ではすごくいい曲だなと再発見したのでした。
とにかく、この映画。ストーリーテリングといい、
映像といい、役者の熱演といい3拍子そろった映画でした。
もしも誘拐犯が良い人だったら…
ドリフのコントになりそうな題材だけど、奥が深い作品だ。もちろん誘拐は犯罪である。誘拐を肯定するつもりは毛頭ないが、4歳の子には理解できないだろう。まして愛情を持って接してくれていれば、その子にとってみれば母親以外の何者でもない。それを法律は無情にも引き裂く。「その子はまだご飯を食べてないんです」逮捕された時に叫んだ言葉はまさに母親の言葉だった…。
誘拐された悲劇、母親(誘拐犯)と引き離される悲劇、実の母親と打ち解けられない悲劇、悲劇の連鎖だ。だが、本当の悲劇はこの子の事を本気で考えてあげる人がいなかったことではないのか?誘拐犯の愛は所詮自己満足に過ぎない訳だし、実母の被害者意識に子は入っていない。不倫相手には家族がある。この子を第一に考える愛がどこにも無い。それが一番の悲劇だ。そんな悲劇に絶妙な立ち位置で存在する人がいた。小池栄子である。彼女なくしてこの映画は成り立たないのではないだろうか?なぜなら、彼女だけが真の愛をカオル(井上真央)に向けた唯一の人だからである。
心に残る名作!
母性かあ。。
この作品を観るにあたって、【母親】の経験があるかないかの違いはすごく大きかった気がします。
私にとっては素晴らしいなと思いつつ映画とし手放しで賞賛はできない作品でした(期待しすぎてたのもあると思うんですが…)。全国のお母さん方は誰に感情移入してたのか気になります。
いつか母になる日がきたらもう一度観てみようと思いますが、とりあえず今の私の感想も書き留めておこうと思います。
まずこの作品に出てくる女性はみんなどこか痛々しくてそれでも生きていかなきゃならない“痛さ”が顔をしかめてしまうくらい伝わって私の胸まで痛くなっていました。申し分のない表現力です。それぞれの葛藤を役者さん達が好演してくれていたお陰です。
永作さんから湧き出る希和子の哀愁や愛情や焦燥感、
井上さんからはだんだん成長していく恵理菜=薫の想い、
森口さんは恵津子がああなってしまうのも理解できるほどの行き場のない苦しさ、
余さんの教祖様?っぷりもさすが。
そして私の中のMVP小池さん。この物語に深みを与えてくれるのは千草の存在があってこそ。千草が“図々しくて弱々しい”理由がわかると、更に小池さんの凄さが分かりました。
演出も、血の繋がりのない二人の仕草がどことなく似てたり、同じ景色を過去現在と時間軸を行き来しながら、恵理菜が“母”と同じ立場になってもう一度観ると同じことを感じたりたり、二人(永作さんと井上さんでもあるし希和子と“薫”でもある)が一度もが顔を合わせないのも感慨深かったです。今の希和子をワンカットくらい見たかった気もするけどそうしなかったことで更に余韻が残った気がします。
“なにも悪くない”恵理菜が生きる希望を見出だすラストにも救われました。
ただ、なんかうまく言えないんですが全体的に何かが数ミリずつずれてるようなもやもや感が拭えないままでした。サスペンスをうたっておいて人間ドラマじゃんっていうのはまあ良しとしてw
原作は未読なのですが、私の中の【愛情】や【母性】と作者のそれらの考え方の違いなのかなあ。。
“お母さん”だって人間だし女だしエゴはあって当然なんだけど、希和子の愛の形にはやっぱり感情移入しきれない。
一人の人間を、結婚したら自分の“物”、出産したら自分の“物”っていうのもよく考えたら凄いなと思うし、色んな形があっていいとは思います。ただし人は物じゃないのでそこには血の繋がりがあろうとなかろうと自分以外に対する思いやりが必要です。
希和子のしたことは許されることじゃないけど、それがなければ映画として成り立たないのであとは見せ方ですよね。
決して美談ではないのに実母を悪者にして“許されること”寄りにしてしまったのはどうなのかなぁと。恵津子や四歳から恵津子に育てられた恵理菜がああなってしまうのはむしろ自然なんだけど、そっちの側面ばっかりフィーチャーするのはフェアじゃないです。
恵津子の愛情だって独りよがりな部分も少なくないし元々キツい性格っぽいし、そうでなくても親子だってとどのつまり人と人なんだから、誘拐さえなければ全てが上手くいっていたかなんて分からない。
だけど『Mother』の実母のように虐待してたわけでもなく、一番辛い立場なのは間違いないはず。映画『八日目の蝉』が恵理菜の物語ならもっとスポットライトを当てるべき人物なのに、なんだか腑に落ちない。ついでにお父さんが少し可哀相な人みたいな描かれ方してるのも腑に落ちない。
薫の母親としての希和子にも、恵理菜を自我もないうちから薫にするという最高にズルイやり方で手に入れた“本物”のしあわせなのに、「一緒に生きていきたい」と言いつつランドセルを見たときなんかは潮時を感じていたし(その辛い心中は察するけど)、どこまで覚悟があったのかがわからずに少しイライラしてしまう。
これだけ愛って?母性って?と考えてしまうってことはそれで正解なのかもしれないけど、いいテーマなだけにもっと描き方もあったのにとも感じてしまいました。
あとなんの予備知識がなくても『八日目の蝉』の文字だけで結末が気になる秀逸なタイトルですが、そこが気に入ってるだけにあんまり作中でわかりやすく言及しないでほしかったなーとも思います。
あとあと、原作を読んでると納得できるのかな?…劇団ひとりの起用にw
演技はうまいんだけどそういう問題じゃなかったwホントになんで??w
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