インフェルノのレビュー・感想・評価
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強引な展開もこのシリーズの魅力
物語はラングドンがイタリア・フィレンツェの病室で目覚めるところから始まる。
意識が混濁する中で、悪夢か妄想か、はたまた現実かわからないような惨劇(地獄絵図)の映像が彼の頭の中を過ぎっていく。
頭部の右側に真新しい傷のあるラングドンは、時折激しい頭痛に苛まれながら記憶を振り返るが、一時的な健忘に見舞われていた。
前2作の面白味は「タブーへの抵触」と「暗躍する組織との対決」であったが本作はそのどちらも色合いが薄く感じた。
『ダヴィンチ・コード』はキリストの存在とその子孫についての自説で論争を巻き起こし、『天使と悪魔』では宗教と科学の対立を描いた
本作で描かれるのは「人口爆発問題」であり、その方策としてゾブリストが目論むのが「人類の半分を死滅させるウイルスの製造と散布」であり、現実的な問題を扱っている反面、タブー色はほとんど感じない。
そもそも、「人類増えすぎちゃったし殺しちゃお」計画は今に始まった思想ではなく、これまでに同じような主義主張を描いてきた作品は多い。
その中で真新しいものがあるとすれば、「古典を引用し意味ありげな謎を散らばせていく犯人像」に他ならない。
この物語の主人公はラングドンであるが、ダン・ブラウンのこのシリーズでは彼が謎解きをするものの、諸問題の動機は彼以外が創り出してきた
『ダヴィンチ・コード』ではソニエールが遺書を残して陰謀の一幕を提示し、『天使と悪魔』ではカメルレンゴが信条の元に行動を起こしている。
本作でもゾブリストの思想信条を基に計画が行われるが、そこに潜むべき「秘密」の暴露は弱い。
教会やイルミナティのように表向きとは違った思想を蓄えているのではないかという懸念はなく、それが前2作の面白味のひとつであったが今回はそれがない。
出てくる組織はWHOという国際組織と機密に関する危機管理を担う大機構という組織が出てくるがミステリー色はそこまでないのだ。
前半のシークエンスは、物語開始時にラングドンが置かれた状況へのアプローチと全体を包む大いなる意思の解読だった。
それが露見した後半は、いかにして陰謀を阻むかに注力するのだが、そこで最大の裏切りが発覚する。
ラングドンを必要としていた者の存在は、利用価値と大いなる意思の狭間で嘲笑い、彼の元を去るのだがその動機がイマイチ弱い。
シエナの動機も軽く、命を守る側が奪う側の助けをしていくという流れには違和感が募った。
それでも褒めるべき点はある。
ダ・ヴィンチ コード シリーズの抹香臭さがマイルドに調整され、グローバルな破滅テーマに集中した分シネマ的昂揚感が膨らんでいた。
相変わらずの都合の良い謎解きも、教授の記憶喪失というハンディキャップで多少スリリングになっていた。
何よりダンテ・アリギエリの神曲、フィレンツェ、ヴェニスの観光地ロケをおまけに、イタリアツアーも楽しめる。
劇場鑑賞代1800円ぽっちで実に美しい外国の街並みと、歴史あるサン・ジョヴァンニ洗礼堂やヴェッキオ宮殿にある絵画等を拝めてしまうのだからこんなにお得感溢れる映画はない。
むむむむむっ。
1も2も大好きだから高まる期待からか、物足りなかった。
謎解きがほとんどなく、わくわく感も少なく夢に出そうな映像が続く…。
人物の描写が少なく、ふーん。となる場面も多く、
珍しく眠かった。
ただ、フィレンツェ、ヴェネチアはうっとり✨あぁ、これを見るための映画なのか!とも。
うん、帰って1を見よう。
今回は微妙~
仕方ないのかな、と。
シリーズものはさすがに3作目ともなると、新鮮味が薄れるのは仕方ないですね。それを補うように、あのインディ・ジョーンズシリーズも『最後の聖戦』ではとっておきとも言える、ショーン・007・コネリーとの親子関係を絡めることで(そういえば、インディが蛇嫌いになるエピソードもありました)、前作までとひと味違う味わいや楽しみを与えてくれました。
本作でも、新味を出すという意味では、謎の便利屋さん?(実在するのかどうか、池上彰先生に教えて欲しいくらいです。原作では大機構って言いましたっけ)やWHOの特殊部隊⁉︎(あんな強い組織を持っていたんだ‼︎)などが活躍してましたが、いかんせん、それらに関する予備知識が無いためか、登場頻度や役どころの重要性の割には存在感とか切迫感を持てませんでした。もしかしたら、天使と悪魔に出てきたCERNとか反物質などの方が、日本人のノーベル物理学賞などの話題を通じて、比較的馴染みがあったのかもしれないですね。
本作で初めてラングドンシリーズに触れた方はとても幸せです。このレビューで期待ほどではなかったとおっしゃっている方が多いということは、第1作、第2作は本作より面白かったということですから。原作も未読だったらこの先どれだけこのシリーズの世界を楽しめることか、羨ましい限りです。
ハドソン川の奇跡のレビューでは、あれほどまでに称賛されているトム・ハンクスさんが本作レビューでは、やや痛ましく評されていることが多くて、ちょっぴり淋しさを覚えましたが、これも仕方のないことなのですね、きっと。
原作は映画より上か
ダン ブラウン原作の「インフェルノ」が映画化され公開された。3年前に原作が出版されたときに、すでに映画化されると発表されていたので、予定通りで、待ってましたーという感じ。前回 「ダ ビンチコード」(2003年)も、「天使と悪魔」(2000年)も、ダンブラウン原作、ロン ハワード監督で映画化されてきて、この「インフェルノ」が、彼らの第3作目に当たる。
ダン ブラウンの作品は、緻密な歴史的考証をもとにして書かれているので、映画化するのに向いている。でもキャストについていえば、主役のラングルトン教授をトム ハンクスが演じるのは、もういい加減最後にして欲しい。ラングルトンは博識で、紳士で、50代らしいがチャーミングで独身生活を楽しんでいる。毎朝大学のプールで かるーく千メートルは泳ぐことを日課にしていて、英国仕立てのハリスのツイードジャケットが似合う、いわば男の理想像みたいな学者だ。トム ハンクスが役者では、軽すぎる。今回の悪役、ベルナルド ゾブリストを べン フォスターにしたことも、完全にミスキャスト。遺伝子工学の世界的な権威で天才的なドクターでおまけに富豪という役は、もっとカリスマのある人が演じないと映画が生きない。アクション映画の端役ばかりをやってきたベン フォスターにゾブリストでは、荷が重すぎる。
原作では良い人のはずだったクリストフ ブルダー(オマー サイ)や、準主役のシエナ ブロックスが、映画では悪者になってしまったのは驚きだったが、ラングルトンに、ラブロマンスの香りを付け足したり、原作にない暴力シーンが多かったことに、とても驚いている。
ロン ハワードの3作の中で、この映画が最悪の評価をされているらしいが、実際「ダ ビンチコード」や、「天使と悪魔」にはなかった原作のいじり過ぎが目立つ。いつの頃からアメリカ映画には、暴力とセックスが無くてはならないものになってしまったのだろうか。おかしいではないか。誰もがそういった傾向を好ましいと思っているわけではない。映画は芸術だったのではないか。ひまつぶしではないはずだ。原作から脚本を作り、撮影し音楽を作る、その過程は2年も3年もかかる総合芸術を生み出すための制作過程だ。原作をいじって、暴力とセックスを付け加えるのに断固反対。原作は映画よりも上か。勿論だ。特にこの映画は失敗作。トム ハンクスの老いさらばえた顔を見るよりも、原作を読んで知的好奇心を満足させる方が良い。
この作品のテーマは、ゾブリストが命を懸けて人々に問いかけた人口増加問題にある。私たちは、いま正にダンテの時代を生きている。ゾブリストが言うように「ヒトという種は多産すぎる。」 人口は増加する一方だ。水もエネルギーも食糧も足りない。地球の温暖化は止められない。人々は泥船を漕ぎ出して自滅に向かっている。WHOは何をしている。人口抑制のために開発途上国に無料のコンドームをばらまくだけだ。しかしWHOの職員が立ち去った後を、倍の数の宣教師がコンドームを使うことは神の意志に反していると説いて回り、途上国のゴミ箱には未使用のコンドームで溢れかえっている。70億に達した歯止めの効かない世界人口の倍増を前にして 解決策はあるのか。そんなわけで、ゾブリストは今後人々が子供を産まないようになり、徐々に人口が3分の1になるような解決方法を見出した。しかしゾブリストの解決策が誤っているならば、破滅に向かうダンテの時代を生きる我々人類に、生存できる道があるのだろうか。こういった差し迫った人類に課せられた問題について、答えを見つけられないでいる現状を作家は嘆いている。共感できる。だから原作がおもしろい。ハッキリ言って映画を観るよりも原作を読む方が、100倍面白い。
残念な気がしました
世界的な美術品とサスペンスを楽しむ映画
unknown
人類滅亡の危機
少なからず期待はずれ
サスペンス映画として楽しめる
ラングドン教授は、まるで「ダイハード」の主人公のように、絶対絶命
の人類の危機を並外れた知性と行動力で解決に導く。不本意ながら事件に巻き込まれた、気の毒な学者が、自分の得意分野だとばかりに夢中になっていく姿は爽快感がある。中世と現代の「地獄」の対比の映像効果や、敵味方よく分からないままスピード感をもって終結に向かっていく展開など、映画らしい映画だと思う。トム・ハンクスの演技は言うまでもないが、フェリシティ・ジョーンズの、悲しみを秘めたヒロイン役もとてもよかった。
これで打ち止め?
ロバート・ラングドン教授が大活躍するシリーズ3作目。
今回はダンテの「地獄」がテーマの一編。
いろいろなことを企てたのがアメリカ人、しかも冒頭で死んでしまうという、かなり弱いところから物語は始まる。
この弱さは、全編通して克服されることはなく、そのまま終わってしまう。
人類を半分にするためにウィルスを飛散させる、というのはいかにもである。そのようなウィルスを民間で個人的に作りうるものだろうか。
そういう映画的ウソは大目に見るとして、ラングドンがずっと追いかけられる展開は、見ていてややしんどいものがある。
このシリーズにおけるラングドンの仕事は謎解きなのだから、そちらに集中させてほしかった。
デビッド・コープ脚本、ロン・ハワード監督はいかにも手練れで飽きさせないものを見せてくれたが、深みにかける。
ラングドンは傍観者であるほうが、見ているほうは安心だ。そう、金田一耕助がいつも傍観者だったように。
そうきましたか、、、。
原作読んでから観に行きました。
途中からおやおや?と思ってましたが、原作と大きく内容がちがうじゃありませんか!
お前誰だよって登場人物もいましたし。
シエナ好きからすると、なぜそんな方向で話を作っていったのかと残念で仕方ありませんでした。
ゾブリストとの関係性、ラングドンとの絆を描いてこそ、彼女の誠実さや可愛らしさが垣間見れると思っていたからです。
あれでは気狂いしたただの女性です。
シンスキーの立場もラングドンとの関係性を変えたせいで、威厳が無くなっているように思えました。
原作の好きなシーンを映像化してくれたものだとばかり思っていた側からすると物足りない作品かもしれません。
もし、原作を読まずして観たとしたら。
面白いとは思います。
ただ、端折り過ぎているので、予備知識なく1回観ただけで理解できるのかは分からないです。
でも、観なきゃよかったとは思いませんでした。
やはり、本物のフィレンツェの街並みや作品をみてみると、なるほどこういう状況でこの話は進んでいたのだなと理解が深まるからです。
原作とは、違うということを念頭に置いてみれば、がっかりせずに新しいストーリーなんだという視点で観れていいのかもしれません。
ちょっと残念
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