インフェルノのレビュー・感想・評価
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早い段階でぐっとのめり込んでから終わるまでずっと前のめりになってみ...
世界の人口問題について
おなじみのトム・ハンクス演じるラングドン教授シリーズだ。ミッキーマウスの腕時計も健在。となると、困難な状況に陥った教授が、持ち前の宗教学の知識と頭の回転の速さで次々にパズルを解いていくストーリーになるのは必須だし、お約束だ。そういう意味では安心感のある映画である。
とはいえ、今回はいきなり教授が怪我をしているシーンからスタートする。いったいどういう状況なのか、教授にもわからないが、観客にもわからない。そこに危険が迫り、記憶がはっきりしないままに追われて逃げることになる。教授は超物知りというだけで、特殊な能力を何も持たない普通の人間であり、暴力には極端に弱い。しかし時には蛮勇を発揮することもある。観客は教授とともに謎解きと逃避行の旅に向かうが、誰を信用していいのかもわからず、極めて心もとない心情を共有することになる。感情移入せずにいられない展開だ。
フィレンツェから始まり、ヴェニスのサンマルコ広場、そしてイスタンブールと、誰もが行きたい観光名所が舞台であるところも感覚的になじみやすい。どこも観光客で一杯だ。みんなが見ているはずの観光地に、みんなの気づかない秘密があるところがこの映画シリーズの一番の魅力である。
映画のタイトルはダンテの「神曲」の地獄篇を意味するが、ダンテのことを知らなくても、映画は十分に楽しめるようになっている。むしろ知らない方が一層面白いかもしれない。
そもそものきっかけを作った大金持ちの男性の、人類が地球上に増えすぎているという思想は、あながち間違っているわけではない。生物兵器を用いて人類の半分を減らそうという目論見は、手段として否定されるが、ラングドン教授はその思想自体を否定してはいないのだ。
地球の人口は80億に達しようとしていて、地球温暖化その他が齎す天災地変は人口増加が原因のひとつであることは誰もが認めざるを得ないところだ。「人口論」のマルサスが警告したのは食糧危機だったが、飽食の日本では、実感に乏しい。世界各地では貧困と飢餓にあえぐ地域があるのは情報として得られるし、それらの地域ではまぎれもなく食糧危機が現実である。だがそれは地球全体の問題というよりも、格差の問題であるように思われる。飽食の地域と飢餓の地域の格差だ。むしろ人口問題は、人口の増加が格差を生み出したというところに本質があるのだ。
映画はスリリングで息もつかせぬ面白いストーリーだったが、人口問題は映画で解決されはしない。戦争で人口が減るのが人間の自然淘汰だと主張する学者がかつていたが、人類は戦争を減らす方向で努力している。戦争をしないで人口問題を解決するには、子供を産まない選択をするしかない。そして高齢化が世界で最も進んでいる日本では、すでに国民がその選択をしはじめている。少子化は政策で解決できる問題ではない。人類にとってもっと根本的な、構造的な問題だ。人口増加が格差を生み、その格差が少子化を齎しているのだ。世界の人口減少の最先端に日本がある。
世界の人口増加はいつかは止まるだろう。そして減少がはじまる。そのときにたくさんの問題が次々に湧き上り、たくさんの人々が苦痛を味わうことになる。それはまさに現実のインフェルノとなるだろう。日本ではそれがもうはじまっている。
映画的なハッピーエンディング
強引な展開もこのシリーズの魅力
物語はラングドンがイタリア・フィレンツェの病室で目覚めるところから始まる。
意識が混濁する中で、悪夢か妄想か、はたまた現実かわからないような惨劇(地獄絵図)の映像が彼の頭の中を過ぎっていく。
頭部の右側に真新しい傷のあるラングドンは、時折激しい頭痛に苛まれながら記憶を振り返るが、一時的な健忘に見舞われていた。
前2作の面白味は「タブーへの抵触」と「暗躍する組織との対決」であったが本作はそのどちらも色合いが薄く感じた。
『ダヴィンチ・コード』はキリストの存在とその子孫についての自説で論争を巻き起こし、『天使と悪魔』では宗教と科学の対立を描いた
本作で描かれるのは「人口爆発問題」であり、その方策としてゾブリストが目論むのが「人類の半分を死滅させるウイルスの製造と散布」であり、現実的な問題を扱っている反面、タブー色はほとんど感じない。
そもそも、「人類増えすぎちゃったし殺しちゃお」計画は今に始まった思想ではなく、これまでに同じような主義主張を描いてきた作品は多い。
その中で真新しいものがあるとすれば、「古典を引用し意味ありげな謎を散らばせていく犯人像」に他ならない。
この物語の主人公はラングドンであるが、ダン・ブラウンのこのシリーズでは彼が謎解きをするものの、諸問題の動機は彼以外が創り出してきた
『ダヴィンチ・コード』ではソニエールが遺書を残して陰謀の一幕を提示し、『天使と悪魔』ではカメルレンゴが信条の元に行動を起こしている。
本作でもゾブリストの思想信条を基に計画が行われるが、そこに潜むべき「秘密」の暴露は弱い。
教会やイルミナティのように表向きとは違った思想を蓄えているのではないかという懸念はなく、それが前2作の面白味のひとつであったが今回はそれがない。
出てくる組織はWHOという国際組織と機密に関する危機管理を担う大機構という組織が出てくるがミステリー色はそこまでないのだ。
前半のシークエンスは、物語開始時にラングドンが置かれた状況へのアプローチと全体を包む大いなる意思の解読だった。
それが露見した後半は、いかにして陰謀を阻むかに注力するのだが、そこで最大の裏切りが発覚する。
ラングドンを必要としていた者の存在は、利用価値と大いなる意思の狭間で嘲笑い、彼の元を去るのだがその動機がイマイチ弱い。
シエナの動機も軽く、命を守る側が奪う側の助けをしていくという流れには違和感が募った。
それでも褒めるべき点はある。
ダ・ヴィンチ コード シリーズの抹香臭さがマイルドに調整され、グローバルな破滅テーマに集中した分シネマ的昂揚感が膨らんでいた。
相変わらずの都合の良い謎解きも、教授の記憶喪失というハンディキャップで多少スリリングになっていた。
何よりダンテ・アリギエリの神曲、フィレンツェ、ヴェニスの観光地ロケをおまけに、イタリアツアーも楽しめる。
劇場鑑賞代1800円ぽっちで実に美しい外国の街並みと、歴史あるサン・ジョヴァンニ洗礼堂やヴェッキオ宮殿にある絵画等を拝めてしまうのだからこんなにお得感溢れる映画はない。
むむむむむっ。
1も2も大好きだから高まる期待からか、物足りなかった。
謎解きがほとんどなく、わくわく感も少なく夢に出そうな映像が続く…。
人物の描写が少なく、ふーん。となる場面も多く、
珍しく眠かった。
ただ、フィレンツェ、ヴェネチアはうっとり✨あぁ、これを見るための映画なのか!とも。
うん、帰って1を見よう。
今回は微妙~
仕方ないのかな、と。
シリーズものはさすがに3作目ともなると、新鮮味が薄れるのは仕方ないですね。それを補うように、あのインディ・ジョーンズシリーズも『最後の聖戦』ではとっておきとも言える、ショーン・007・コネリーとの親子関係を絡めることで(そういえば、インディが蛇嫌いになるエピソードもありました)、前作までとひと味違う味わいや楽しみを与えてくれました。
本作でも、新味を出すという意味では、謎の便利屋さん?(実在するのかどうか、池上彰先生に教えて欲しいくらいです。原作では大機構って言いましたっけ)やWHOの特殊部隊⁉︎(あんな強い組織を持っていたんだ‼︎)などが活躍してましたが、いかんせん、それらに関する予備知識が無いためか、登場頻度や役どころの重要性の割には存在感とか切迫感を持てませんでした。もしかしたら、天使と悪魔に出てきたCERNとか反物質などの方が、日本人のノーベル物理学賞などの話題を通じて、比較的馴染みがあったのかもしれないですね。
本作で初めてラングドンシリーズに触れた方はとても幸せです。このレビューで期待ほどではなかったとおっしゃっている方が多いということは、第1作、第2作は本作より面白かったということですから。原作も未読だったらこの先どれだけこのシリーズの世界を楽しめることか、羨ましい限りです。
ハドソン川の奇跡のレビューでは、あれほどまでに称賛されているトム・ハンクスさんが本作レビューでは、やや痛ましく評されていることが多くて、ちょっぴり淋しさを覚えましたが、これも仕方のないことなのですね、きっと。
原作は映画より上か
ダン ブラウン原作の「インフェルノ」が映画化され公開された。3年前に原作が出版されたときに、すでに映画化されると発表されていたので、予定通りで、待ってましたーという感じ。前回 「ダ ビンチコード」(2003年)も、「天使と悪魔」(2000年)も、ダンブラウン原作、ロン ハワード監督で映画化されてきて、この「インフェルノ」が、彼らの第3作目に当たる。
ダン ブラウンの作品は、緻密な歴史的考証をもとにして書かれているので、映画化するのに向いている。でもキャストについていえば、主役のラングルトン教授をトム ハンクスが演じるのは、もういい加減最後にして欲しい。ラングルトンは博識で、紳士で、50代らしいがチャーミングで独身生活を楽しんでいる。毎朝大学のプールで かるーく千メートルは泳ぐことを日課にしていて、英国仕立てのハリスのツイードジャケットが似合う、いわば男の理想像みたいな学者だ。トム ハンクスが役者では、軽すぎる。今回の悪役、ベルナルド ゾブリストを べン フォスターにしたことも、完全にミスキャスト。遺伝子工学の世界的な権威で天才的なドクターでおまけに富豪という役は、もっとカリスマのある人が演じないと映画が生きない。アクション映画の端役ばかりをやってきたベン フォスターにゾブリストでは、荷が重すぎる。
原作では良い人のはずだったクリストフ ブルダー(オマー サイ)や、準主役のシエナ ブロックスが、映画では悪者になってしまったのは驚きだったが、ラングルトンに、ラブロマンスの香りを付け足したり、原作にない暴力シーンが多かったことに、とても驚いている。
ロン ハワードの3作の中で、この映画が最悪の評価をされているらしいが、実際「ダ ビンチコード」や、「天使と悪魔」にはなかった原作のいじり過ぎが目立つ。いつの頃からアメリカ映画には、暴力とセックスが無くてはならないものになってしまったのだろうか。おかしいではないか。誰もがそういった傾向を好ましいと思っているわけではない。映画は芸術だったのではないか。ひまつぶしではないはずだ。原作から脚本を作り、撮影し音楽を作る、その過程は2年も3年もかかる総合芸術を生み出すための制作過程だ。原作をいじって、暴力とセックスを付け加えるのに断固反対。原作は映画よりも上か。勿論だ。特にこの映画は失敗作。トム ハンクスの老いさらばえた顔を見るよりも、原作を読んで知的好奇心を満足させる方が良い。
この作品のテーマは、ゾブリストが命を懸けて人々に問いかけた人口増加問題にある。私たちは、いま正にダンテの時代を生きている。ゾブリストが言うように「ヒトという種は多産すぎる。」 人口は増加する一方だ。水もエネルギーも食糧も足りない。地球の温暖化は止められない。人々は泥船を漕ぎ出して自滅に向かっている。WHOは何をしている。人口抑制のために開発途上国に無料のコンドームをばらまくだけだ。しかしWHOの職員が立ち去った後を、倍の数の宣教師がコンドームを使うことは神の意志に反していると説いて回り、途上国のゴミ箱には未使用のコンドームで溢れかえっている。70億に達した歯止めの効かない世界人口の倍増を前にして 解決策はあるのか。そんなわけで、ゾブリストは今後人々が子供を産まないようになり、徐々に人口が3分の1になるような解決方法を見出した。しかしゾブリストの解決策が誤っているならば、破滅に向かうダンテの時代を生きる我々人類に、生存できる道があるのだろうか。こういった差し迫った人類に課せられた問題について、答えを見つけられないでいる現状を作家は嘆いている。共感できる。だから原作がおもしろい。ハッキリ言って映画を観るよりも原作を読む方が、100倍面白い。
残念な気がしました
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