山下敦弘
高校生の頃からビデオカメラで自主映画を作り始め、大阪芸術大学映像学科に進学する。先輩の熊切和嘉が監督する「鬼畜大宴会」(98)にスタッフとして参加。そこで知り合った向井康介(脚本)や近藤龍人(撮影)とは、デビュー後も度々、ともに仕事をしている。卒業制作として監督した長編作品「どんてん生活」(99)が、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門でグランプリを受賞。その後、大阪を拠点に「ばかのハコ船」(02)、「リアリズムの宿」(03)を監督。オフビートな作風で注目を集め、初めて東京で作った「リンダリンダリンダ」(05)で広く知られるようになった。「松ヶ根乱射事件」(06)は東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、「天然コケッコー」(07)で報知映画賞監督賞を受賞。その後、「マイ・バック・ページ」(11)、「苦役列車」(12)などを手がけている。