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劇場公開日:2011年5月28日
解説
元・朝日新聞社記者の川本三郎によるノンフィクションを、妻夫木聡、松山ケンイチの若手演技派初共演で映画化した社会派青春ドラマ。1960年代後半の学生運動を舞台に、理想に燃える若手ジャーナリスト・沢田と、革命を目指す学生活動家・梅山との出会い、立場の異なる2人がそれぞれの理想を追い求めて葛藤(かっとう)し、激動する時代を駆け抜けていく姿を描く。監督は「リンダリンダリンダ」「天然コケッコー」の山下敦弘。
2011年製作/141分/G/日本
配給:アスミック・エース
スタッフ・キャスト
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妻夫木くんと松山ケンイチが大好きで
2人が出ていたから見てしまった映画。
あの時代に生きていなかった自分としては
すごく衝撃だった。
妻夫木くんの気持ちも
松山ケンイチの気持ちもわかる…
けど、うん…
若いときってそうゆうことある…
学生運動の時代のことを勉強しようって思わされたきっかけになった映画。
面白いと言えるかはわからないけど
なんだかずっと心に残ってしまう映画。
松山ケンイチと妻夫木くんの演技はさすが。
2022年5月9日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
原作未読
約10年ぶり2回目の鑑賞
2011年の作品
2時間21分
ノンフィクションをフィクションとして映画化
時代は1970年頃
学生運動
活動家とジャーナリストの交流を描いていた作品
あの時代の雰囲気を味わえる
あの時代の音楽にあの時代の映画
あの時代の理屈
当時の若者の挫折
団塊の世代の思い出
監督は『リンダ リンダ リンダ』『天然コケッコー』『苦役列車』『もらとりあむタマ子』『味園ユニバース』『ぼくのおじさん』『ハード・コア』の山下敦弘
ベースが学生運動のドキュメンタリー
エンターテイメント性はない
娯楽映画ではない
プロパガンダ映画でもない
三島由紀夫のドキュメンタリー映画に出てくる学生に比べれば梅山の主張はそれほど難解ではないが本人真面目なのに頓珍漢で胡散臭くアホらしい
問い詰められ言葉に詰まれば「おまえ敵だろ」と言ったりする
共感はできないが凡人の域を脱していないならそれが当たり前だ
共感できないと楽しめないならこの映画はあまりにも冗長
妻夫木や松山のファンじゃないとキツい
『リンダリンダリンダ』『俺たちに明日はないッス』『色即ぜねれいしょん』『ふがいない僕は空を見た』『もらとりあむタマ子』『聖の青春』『愚行録』の向井康介
東都新聞の週刊誌記者・沢田雅巳に妻夫木聡
赤邦軍リーダー梅山こと片桐優に松山ケンイチ
週刊東都表紙モデル倉田眞子に忽那汐里
赤邦軍隊員・安宅重子に石橋杏奈
赤邦軍隊員・赤井七恵に韓英恵
赤邦軍隊員・柴山洋に中村蒼
東都ジャーナルのデスク飯島にあがた森魚
週刊東都のデスク徳山健三に山崎一
自衛官・清原に山本剛史
運動家・佐伯仁に山本浩司
活動家に岸井ゆきの
週刊東都記者・中平武弘に古舘寛治
週刊東都記者津川に中野英樹
京大全共闘議長・前園勇に山内圭哉
唐谷義朗東大全共闘議長・唐谷義朗に長塚圭史
兎売りタモツに松浦祐也
コンドームメーカーに面接に行く予定のキリストに青木崇高
東都新聞記者に近藤公園
刑事・高峰に康すおん
キネマ旬報編集者に早織
東都新聞社長山口に並樹史朗
東都ジャーナル編集長小林に菅原大吉
週刊東都編集長島木武夫に中村育二
東都新聞 社会部部長白石に三浦友和
岸井ゆきのはかなりわかりにくい
セリフはない
ほんの一瞬だ
おそらく全共闘の白いヘルメットを被り妻夫木聡の背後から走り抜けていく女が岸井ゆきのだろう
これじゃエキストラじゃないか
心なしか不貞腐れたような表情でいやいや走らされている感が否めない
悪い意味でプリプリしていたように見える
どんなコンセプトで臨んだのかわからないが芝居をしているようには見えなかった
彼女からすればあまりにも不本意だったのかもしれない
唐谷が刑事たちに逮捕されそうになっている様子を見つめ恐れおののく中核派のヘルメットを被った女学生を演じた二人組の方がよっぽど芝居をしていた
2人の役者名は知らないけど
この作品は岸井ゆきののマイ・バック・ページといえる
2020年8月8日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
“赤邦軍”という新左翼のリーダーである梅山=片桐優(松山)は全共闘に乗り遅れた感もあり、憧れの革命家たちをも踏みにじろうとしていたのか?焦る気持ちが自衛隊から銃を強奪しようとする計画を生みだし、マスコミを利用して自らのセクトを確立したかっただけにすぎないのだろう。彼の嘘や虚言に騙されながらも親近感を抱いた沢田(妻夫木)はスクープを得ようと躍起になるところで共通点があった。元は彼も左翼運動に加わっていたのに、どうしても暴力の中に入り込めなかったのも原因か?
69年から71年にかけての物語。熱く語っている部分と冷めた部分が共存し、結局は空しさしか残らない。松ケンがCCRの「雨を見たかい」を弾き語りするシーンも印象的だし、東都新聞のイメージガールとして選ばれた忽那汐里が男の涙について語っていたが、それを否定していた妻夫木が最後に涙を流すシーンとがいい伏線になっていた。『ファイブ・イージー・ピーセス』のジャック・ニコルソンの男泣きだなんて、ぜんぜん記憶に残っていない。
山下敦弘作品には必ず出演している山本浩司も登場するが、彼のエピソードなんかもイマイチ理解できなかったりする。やはり敦弘向きじゃない作品だったんだな・・・
2020年5月14日
PCから投稿
鑑賞方法:TV地上波
ネタバレ! クリックして本文を読む
70年安保の迸る情熱は薄れつつある時期。熱く新しい世界を求めた純粋さは、そこに参加できなかった男たちに負い目を与えたのか?
主人公は距離を置いていた負い目から、活動家もどきにのめりこんでいく。活動家は乗り遅れて追いつこうとするが、そこには培った理論や思想はなく、自分の言葉に酔い次第に活動家になっていく。
当時の学生運動、幼い頃のかすかな記憶はお茶の水の学生・デモ行進・ヘルメット、喧騒と情熱。その後の連合赤軍への怒りと恐怖。
これが入り交じったのもあり、思いのほか適当な活動家の行動に共感できず、むしろ怒りを覚えどうも好きになれなかった。