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解説

元・朝日新聞社記者の川本三郎によるノンフィクションを、妻夫木聡、松山ケンイチの若手演技派初共演で映画化した社会派青春ドラマ。1960年代後半の学生運動を舞台に、理想に燃える若手ジャーナリスト・沢田と、革命を目指す学生活動家・梅山との出会い、立場の異なる2人がそれぞれの理想を追い求めて葛藤(かっとう)し、激動する時代を駆け抜けていく姿を描く。監督は「リンダリンダリンダ」「天然コケッコー」の山下敦弘。

2011年製作/141分/G/日本
配給:アスミック・エース
劇場公開日:2011年5月28日

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(C)2011映画「マイ・バック・ページ」製作委員会

映画レビュー

4.5映画だからこそ成し得る奇跡

2011年9月23日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

この本を、どうやって映画にするんだろう?
…大好きかつ信頼する監督・脚本家・プロデューサーによる、尊敬する文筆家の著作が映画化されると聞き、原作本をさっそく読んだ直後の感想だ。全体に流れる空気は同じでも、駆け出し記者であった著者の回想録(元々は雑誌連載)だけに内容多岐に及び、映画としてまとめ上げようとすれば、こぼれ落ちるものが多すぎる気がした。けれども、彼らならば、きっと。そんな気持ちで、映画公開に期待を膨らませていた。…そして、その期待は裏切られることなく、それ以上のものを見せてくれた。
なんといっても秀逸なのは、映画にふさわしい(映画にしかできない)幕切れだ。特ダネを追っていたはずの主人公・沢田は、抜き差しならない挫折を味わい、思想・政治活動であったはずの殺人は犯罪事件として泥沼に陥った。…それから数年。就職浪人するほど憧れていたジャーナリズムから沢田は遠ざかり、かつて否定した「泣く男」が登場する映画を生業とするようになっている。
そんな彼が果たした、思いがけない再会。かつて記者であることを隠して生活を共にした男は、今も彼を疑うことなく懐に招き入れる。偽り、欺く傍観者であった彼は、いつしか偽られ、欺かれていたのだが…。
ジャック・ニコルソンばりに泣きじゃくる主人公を、画面一杯の光が包み込むかのような唯一かつ一瞬のホワイトスクリーンは、映画だけがなし得る奇跡だ。暗転による場面展開と黒地に白い文字でのクレジットに統一された構成が醸し出す寡黙さと、煙草の煙で淀んだ空気(今では考えられないほど、皆揃って煙草を吸いまくる。とにかくふかさずにいられない、そんな脅迫的なものさえ感じる。)が、その瞬間、晴れた。
とめどなく溢れ、ただただ流れる彼の涙は、美しくもせつなくもなく、(少なくとも私には)センチメンタルさも感じられなかった。それでいて、沢田が全身で泣く姿はとにかく忘れ難く、映画ならではの感情を観る者に掻き立てる。

映画、原作。それぞれを存分に味わってほしい、深みある作品だ。

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cma

1.0白いブリーフ履いてみるか

2011年6月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

寝られる

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しんざん

2.0長いし分かりにくいかな

2024年1月1日
PCから投稿
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プライア

3.0「あまりにも重すぎた」ということか。

2023年3月28日
Androidアプリから投稿

1970年頃の日本と言えば、高度成長の絶頂期といったところでしょうか。
空前絶後の経済成長を背景に、日本中が「何でもできる」と過熱していた時期とも言えます。
そんな頃ですから、いわゆるセクトに加入していた大学生たちも、理論や暴力(武力)で階級闘争を勝ち抜き、自分たちの力で権力を倒して社会変革する(革命を起こす)ことも可能と考えていた時代と言えると思います。
そして、本作の梅山(松山ケンイチ)もご多分に漏れなかったと言うことでしょう。

他方の沢田(妻夫木聡)にしても、本紙編集部には入れなかったものの(否、本紙編集部どころか(社会問題に鋭く切り込んでいるという設定の)ジャーナル編集部にも入ることができず、不本意な週刊誌編集部に配属となってしまっただけに、それらの編集部員を見返すべく)、いっぱしのジャーナリスト気取りで、ますます意気軒昂だったのだろうと思います。

そこへ、この結末ですから、梅山も沢田も、自分の中では咀嚼し切れないほどの挫折感を味わったことは、想像に難くないと思います。
(最後の沢田の涙の理由も、そういう意味に、評論子は理解しました。)

結局、梅山も沢田も、自分の余白(バック・ページ)に押し込んでしまうには、その挫折が余りにも重すぎたということだったのではないでしょうか。
そう思いました。評論子は。

佳作であったと思います。

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talkie