モーリン・オハラ
アイルランド・ダブリン郊外のランラー出身。本名はモーリン・フィッツシモンズ。14歳で名門アビー・シアターに所属し、英国のミュージカル劇に出演する。俳優兼プロデューサーのチャールズ・ロートンに見出されてアルフレッド・ヒッチコック監督の「巌窟の野獣」(1939)に起用され、米RKOピクチャーズの「ノートルダムのせむし男」(39)で米国に進出する。その後も「わが谷は緑なりき」(41)や「三十四丁目の奇蹟」(47)といった名作に出演。モノクロ映画からカラー映画へと移行していた当時のハリウッドにおいて、透き通るような白い肌に映える赤毛と緑の目から「クイーン・オブ・テクニカラー」と評され、なかでもジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン共演の「静かなる男」(52)で名を残す。その後も「罠にかかったパパとママ」(61)や「H氏のバケーション」(62)、「スペンサーの山」「マクリントック」(ともに63)などに出演する。73年のTV映画「赤い仔馬」を最後にハリウッドの第一線から退き、雑誌「The Virgin Islander」の出版に携わっていたが、90年代に入ってからコメディ映画「オンリー・ザ・ロンリー」(91)や、TV映画「クリスマス・ボックス」(95)などに出演した。私生活では、映画プロデューサーのジョージ・H・ブラウン、映画監督ウィル・プライスとの結婚・離婚を経て、68年に空軍パイロットと再婚したが78年に死別。14年、アカデミー賞生涯功労賞を受賞。15年10月24日、95歳で他界した。