東陽一
和歌山県出身。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所に入社する。1962年に退社しフリーの映画監督として活動を始め、翌63年に短編「A FACE」で初メガホンをとる。ドキュメンタリー「東村山市」(64)と「沖縄列島」(69)を経て、初の劇映画「やさしいにっぽん人」で日本映画監督協会新人賞を受賞する。青春映画「サード」(78)では芸術選奨文部大臣新人賞をはじめ、数々の映画賞を受賞。続く「もう頬づえはつかない」(79)や「四季・奈津子」(80)で当代の若い女性の心理を描出し、81年にはにっかつロマンポルノ10周年記念作「ラブレター」を監督。その後も女性の生き様を描いた作品を多数発表していく。96年の「絵の中のぼくの村」は第46回ベルリン国際映画祭で銀熊賞に輝くなど、国内外で高い評価を受けた。その他の監督作に「橋のない川」(92)、「わたしのグランパ」(03)、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」(10)、「だれかの木琴」(16)などがある。バリアフリー官能映画「エロバリ(エロティック・バリアフリー)」シリーズでは東ヨーイチの名義でメガホンをとった。