大林宣彦
幼少の頃から映画を撮り始め、大学時代に自主制作映画のパイオニア的存在となる。なかでもベルギー国際実験映画祭で審査員特別賞を受賞した「喰べた人」(63)や「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」(67)が話題を呼んだ。その後、当時は作品としての価値が低かったCMの業界に進出。CMディレクターとして、チャールズ・ブロンソン出演の「マンダム」を筆頭に海外スターを起用したCMを多数手がける。「HOUSE ハウス」(77)で商業映画デビュー。故郷・尾道で撮影した「転校生」(82)、「時をかける少女」(83)、「さびしんぼう」(85)は“尾道3部作”として広く知られる。「青春デンデケデケデケ」(92)が文化庁優秀映画作品賞、「SADA」(98)がベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞するなど国内外で高い評価を獲得し、日本映画界を代表する監督のひとりとして活躍を続ける。2016年に肺がんで余命宣告を受けるが映画製作への意欲は失わず、「この空の花 長岡花火物語」(11)、「野のなななのか」(14)に続く、“大林的戦争3部作”の最終作「花筐 HANAGATAMI」(17)を手がけ、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞など映画賞を多数受賞。続けて、約20年ぶりに尾道で撮影した「海辺の映画館 キネマの玉手箱」(19)を完成させるが、20年4月10日に永眠。同作が遺作となった。04年春の紫綬褒章、09年秋の旭日小綬章を受章。19年には文化功労者にも選ばれている。妻は映画プロデューサーの大林恭子。