【「ケイコ 目を澄ませて」評論】王道の語り口を拒む、果敢な試みが見事に奏功した“異色”ボクシング映画
2022年12月18日 20:00
三宅唱の「きみの鳥はうたえる」(2018)を観た時に、「海炭市叙景」(2010・熊切和嘉監督)や「そこのみにて光輝く」(2013・呉美保監督)といった一連の佐藤泰志の原作の映画化作品がもっていたアメリカン・ニューシネマを思わせる、傷つきやすい敗残者、鬱屈を抱えたアンチ・ヒーローふうな青春像から吹っ切れた清々しさを漂わせていることに驚いたのを覚えている。
三宅唱は、既存のイメージにとらわれることなく、自らの裡に生起するヴィジョンを真摯に、しかし、あくまでしなやかさを失わずに追求するタイプの映画作家ではないかと漠然と思った。
「ケイコ 目を澄まして」は、生まれつきの聴覚障害があり、両耳が聞こえない女性のプロボクサー、小笠原恵子をモデルにしているが、いわゆる実録ものではない。映画は主人公のケイコ(岸井ゆきの)が、自分が所属する下町の小さなボクシング・ジムに通いながら、一戦、一戦を勝ち抜いてゆく日々を、一見、淡々と定点観測のように描く。ジムの会長(三浦友和)は深刻な病を抱えており、ジムを閉じることを決意する。
古今東西を問わず、ボクシング映画というジャンルにはほとんど駄作がない。クライマックスに対決の場面が用意され、華やかに勝利するにせよ、苦い敗北を喫するにせよ、ドラマチックなファイトシーンで観る者を鷲掴みにするような<語り口>の王道といったものが遵守されるからだ。トレーナーと女性ボクサーという、この映画と同工の設定を持つクリント・イーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)も決して例外ではなかった。だが、「ケイコ 目を澄まして」は、ファイトシーンはあるものの、劇的な盛り上がりによって観る者の感情移入を誘うといった巧みな<語り口>を周到に拒んでいる。
ケイコが筆談しているさなか、「勝手に人の心を読まないで」というフレーズを書き記す印象的なシーンがある。聴覚障害者という被害者意識から能うる限り自由であろうとするケイコというヒロインの強靭な意思が垣間見える瞬間だ。
三宅唱は、ケイコの内面世界にわだかまっている微細な感情の揺れや寄る辺ない焦燥感を、健常者の側から観察するという傲岸さとは無縁の、一切の予見を剥ぎ取ったドキュメンタルな視点で掬い取ろうとしている。それは台詞に依拠しないサイレント映画の豊饒さを想起させる。そして、その果敢な試みはみごとに奏功していると思われる。迫りくる<死>の気配を察知しつつ、諦観と疲労感をにじませた三浦友和のいぶし銀のような名演も忘れがたい。
見終わって、ゆくりなくも「まなざしは口にされない言葉である」というロベール・ブレッソンの箴言を思い浮かべた。
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