逃げきれた夢

劇場公開日:

逃げきれた夢

解説

光石研が12年ぶりに映画単独主演を務め、人生のターニングポイントを迎えた男が新たな一歩を踏み出すまでの日々をつづった人間ドラマ。

北九州の定時制高校で教頭を務める末永周平は元教え子の平賀南が働く定食屋を訪れるが、記憶が薄れていく症状に見舞われ、支払いをせずに立ち去ってしまう。ふと周囲を見回してみると、妻・彰子との仲は冷え切り、娘・由真は父親よりもスマホ相手の方が楽しそう、さらに旧友・石田との時間も大切にしていなかったことに気づく。これからの人生のため、これまで適当にしていた人間関係を見つめ直そうとする周平だったが……。

元教え子・南を吉本実憂、妻・彰子を坂井真紀、娘・由真を工藤遥、旧友・石田を松重豊が演じる。「枝葉のこと」などで国内外から高く評価された二ノ宮隆太郎監督が、「2019フィルメックス新人監督賞」グランプリを受賞した脚本をもとに自らメガホンをとった商業デビュー作。

2023年製作/96分/G/日本
配給:キノフィルムズ
劇場公開日:2023年6月9日

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(C)2022「逃げきれた夢」フィルムパートナーズ

映画レビュー

3.5この日々、このやりとり、この彷徨を見続けてしまう

2023年6月29日
PCから投稿

決して大きな出来事が起こったり、何かが劇的に変わるタイプの物語ではない。劇中に音楽はなく、観る者の感情を揺さぶったり、今この瞬間がハイライトだと強調することもしない。つまるところ全ては観客に委ねられている。光石研演じる主人公についても、本人は何かしら問題を抱えてはいるが、それが動力となって物語を牽引するわけではない。主人公はずっと喋っている。が、だからと言って心情が正直に詳述されることはなく、彼が何を考えているのかわからない顔つきで歩き、飯を食らい、定時制高校の教頭先生として学校で教職員や生徒と接するその「姿」を我々は絶えず目撃し続ける。彼はこれまでどう生きてきて、これからどう生きるのか。受け止め方は自由だ。誰も強制はしない。なのに不思議なもので、光石の一挙手一投足を見ているだけで、日常の一部を共有しているように感じ、彼のことがどこか気になり、この彷徨を見届けたいと感じてしまう映画である。

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牛津厚信

4.0ひねったタイトルに想像をかき立てられる

2023年6月21日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

笑える

悲しい

二ノ宮隆太郎監督の映画を観たのは、萩原みのり主演作「お嬢ちゃん」に続き2作目。どちらのタイトルも割とシンプルなのに予想がつきにくく、鑑賞後も「どういう意図でつけたのだろう?」と一層想像をかき立てられる。本作に関しては、アラ還世代の男が主人公と聞けば、バブル期の少し前に苦労せず就職して年金の心配もなく……といった“逃げ切り”のことかと思ったがそういうわけでもない。

2作の共通点としてもう一つ、冒頭の印象的な長回しを挙げておきたい。本作では光石研が演じる丁寧な言葉遣いの主人公・末永周平がある施設で受付を済ませ、室内へ歩み進むのに合わせ、光石を正面からとらえたカメラが徐々に後退するにつれてそこが高齢者向けの介護施設だと判明し、やがて車いすの老人に面会に来たのだと分かる。車いすに座る父親(実際に光石の父が演じたという)に正対しないまま語りかけるのは、周平がこれまで家族をはじめ誰とも本気で向き合わないまま生きてきたことをうかがわせる。

周平は北九州の定時制高校の教頭で、定年を前にして認知症の初期症状が出ているようだ。思い立って妻(坂井真紀)や娘との関係を修復しようと試みるが、まるでうまくいかない。酔って帰宅した場面で、LDKの中間のドア寄りに両ひざをついてだらだらと話し続ける周平と、リビングのソファに座る娘、ダイニングのテーブルそばで立ちすくむ妻、3人の位置で心の距離を象徴した構図が巧い。

自分自身のことや対人関係が、本当に今のままでいいのか、もっと何かできることがあるのではないか。そんな生き方についての内に秘めた焦りや葛藤も、二ノ宮監督作の「お嬢ちゃん」と「逃げきれた夢」に共通し、観客の心を揺さぶる重要な要素だと感じた。

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高森 郁哉

1.0何を伝えたかったのか分からない

2024年6月27日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

単純

寝られる



主演が光石研さんということで
長らくお気に入りに登録していた
今日のぼんやりとした気分に合うかな…と
観てみたものの…よく分からないまま
ぼんやりとしたエンドロールを眺めるに終わった



光石研さん演じる末永が
ただただ近しい間柄の人から
「気持ち悪い」「今日どうしたん」
「最近なんかおかしい調子狂う」…と
言われているだけの作品だった

話しかける、スキンシップをはかる、飲みに誘う…
今までやってこなかったことなのだろう
末永は、身を置いていた組織のトップになるため、
仕事に人生を捧げるような人間だったようだ

それはわかった、わかったけれど
で?観ている僕に何を伝えたかった?

『後悔しないように…いや、しても良いのか』

ふんわりしてんな
というのが感想の総まとめとなってしまいました

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羊

3.0逃げ切れたという「夢」なのか?

2024年5月31日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
「まぁ、後悔せんごと、やっていくだけよ。」

…とは、言葉では言いつつも。
迷いに迷って自分を定位できず、その不安定さをどう受け止めて良いのかわからないという、その「不安定」が、家族、幼なじみ、教え子などまでをも巻き込んで、自分の周囲までをも困惑させてゆくー。

万事につけて「後ろ向き」の末永ですけれども。
極めつけは、やはり「生徒に嫌われる教員は、主に三種類。生徒に好かれようとする奴。きれいごとしか言わない奴。最後は…これがいちばん嫌われる奴だけど…授業がつまらん奴。俺は、その三つ全部に当てはまっている」とか、「本当は校長になりたかったけど、なれなかった」とかいう、自分自身で周囲に振りまいているネガティブに原因していたことは、疑いがなさそうです。

もっと言えば、本作の設定としては「忘れる病気」に罹ってのことということですが、それは、本人の主観の域を出ている、客観的なお話なのでしょうか。
ちゃんと家にも帰れていることですし…。
(そういう意味では、買い物でも買い忘れが多く、帰宅途中でまた店に引き返しては「悪いアタマは足を疲れさせる」という言葉を都度に実感している評論子の方が、よっぽど「忘れ病」は深刻というべきでしょう。これは、健康のために神様が歩数を稼がせてくれたのだと、善意には解釈はしているのですけれども。)

どこに解決を求めて良いのか、そのことが、とてもとても胸に痛い一本でした。

久々の映画主演という光石研の、いかにも「哀愁いっぱい」の演技とも相まち、観終わって、やり場のない閉塞感を抱えてしまうような一本ではありますけれども。
いちおうは、佳作としての評としておきたいと思います。
評論子としては。

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talkie