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今年6月公開の「RUN ラン」のレビューで、「殺人犯や精神異常者といった映画の悪役に狙われる主人公に身体的なハンディキャップを持たせることは、サスペンスを盛り上げる手法としてたびたび使われてきた」と書いたが、本作もそうしたカテゴリーに入る1本。
主人公のギョンミには聴覚障害がある。母親も同じなので、おそらく先天的なものだろう。冒頭、コールセンターで働くギョンミが、聴覚障害のある顧客向けにビデオ通話で手話を使ってやり取りしている場面が描かれ、ギョンミのコミュニケーション能力がそれなりに高いこと、気が強いことが示唆される。
そんなギョンミが自ら車を運転し、母と待ち合わせて帰宅する途中、暗い路地裏で血を流して倒れていた女性・ソジュンを発見する。その女性を襲った連続殺人犯のドシクは、次の標的にギョンミを選ぶ。ここから、複数の刃物を携行しゲームを楽しむように追いかけるドシクと、母を守りながら必死で逃げるギョンミとの、“命懸けの鬼ごっこ”が始まる。見た目はきちんとした身なりの好青年であるドシクは、誠実そうな雰囲気でもっともらしい嘘をつくので、居合わせた人にギョンミが助けを求めようとしても、ドシクに言いくるめられて立ち去るか、あるいは油断したすきにあっさり殺されてしまう。
本作で長編監督デビューを果たしたクォン・オスンは、耳が聞こえないというハンディキャップを抱えたギョンミと母、快楽殺人者のドシク、瀕死で行方不明のソジュンと妹思いの兄ジョンタクという5人のキャラクターを配し、一夜の壮絶なラン&チェイスを紡いでいく。決着のサプライズはなかなかに秀逸で、この手があったかとうならされた。
一方で、追いつ追われつの状態を持続させることを優先するあまり、状況のリアリティという点で妥協した場面が散見されるのはいただけない。特に問題なのは中盤、ギョンミと母、ドシク、ジョンタクが警察署に連れて行かれてからのシークエンス。警官らが目を離したすきにドシクとジョンタクの乱闘が始まり、ほどなく警官らはドシクに馬乗りになったジョンタクを取り押さえるのだが、ろくに事情を聞かないままドシクを帰してしまう。ギョンミと母はもちろん警察の対応に驚くが、特に抗議も強い訴えもしないままおとなしく家まで送り届けられる。なぜ署にいるうちに、ギョンミと母は筆談するなどして、ドシクに殺されかかったことを警察に伝えないのか。これでは、聴覚障害者のコミュニケーション能力が健常者より劣っているかのような印象を与えかねない。
障害者に限らず、人種やジェンダーを含むさまざまなマイノリティーを創作の中で描写する際、配慮すべきことは前世紀に比べて格段に増えてきている。作り手の側も、受け手である観客の側も、創作におけるマイノリティーの描写に関してリテラシーを高めていかなければならないが、本作はその点で問題がある。アイデアや演出は確かな才能を感じさせるので、次回作では共同脚本の体制にするなどして改善してくれることを期待したい。