ユダヤ人の私

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ユダヤ人の私

解説

ホロコースト生存者マルコ・ファインゴルトの証言を記録したドキュメンタリー。1913年にハンガリーで生まれオーストリアで育ったユダヤ人のマルコ・ファインゴルトは、1939年にゲシュタポに逮捕され、アウシュビッツを含む4つの強制収容所に収容された。終戦後は10万人以上のユダヤ人難民をパレスチナへ逃し、自身の体験とナチスの罪、ナチスに加担した自国オーストリアの責任を70年以上にわたって訴え続けた。彼の数奇な人生を通し、反ユダヤ主義がどのように広まりホロコーストにつながったのかを、世界各国の貴重なアーカイブ映像を交えながら描き出す。ナチス宣伝相ゲッベルスの秘書ブルンヒルデ・ポムゼルの証言を記録した「ゲッベルスと私」に続く「ホロコースト証言シリーズ」の第2弾。

2020年製作/114分/オーストリア
原題または英題:Ein judisches Leben
配給:サニーフィルム
劇場公開日:2021年11月20日

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(C)2021 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

映画レビュー

3.5「ホロコースト証言シリーズ」の第2弾

2024年11月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

「ゲッベルスと私」を見てたので見なきゃと思って。

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mikyo

3.5観られて良かった

2022年3月21日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

岩波ホールがなくなると、
こういう映画は日本では公開されなく
なってしまうのかな?
そう考えると寂しいことだ。
良質なドキュメンタリー映画が見られなく
ならないよう切に願うばかりである。

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ちゆう

3.5岩波ホールよ永遠に(泣) 姉妹編『ゲッベルスと私』を観たのもここでした。まさか無くなるなんて……

2022年1月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

いま飛び込んできた岩波ホール閉館のニュース。
衝撃的だ。とにかく残念すぎる。
昨日観に行ったときは、そんな気配まるで感じなかったけどなあ。

考えてみると、僕がこの10年で岩波ホールに足を運んだのも、『木靴の樹』と、ジャック・タチ、ヴィスコンティの特集上映、グルジア映画祭の数本、あとは『ゲッベルスと私』くらいか。
たしかに地味な辺境の芸術映画や、思想的にきつめの映画が大半を占め、なかなか出向く機会は少なかったが、左派系アカデミズムの牙城としての岩波の象徴とも良心ともいえる、重要な意義をもつ映画館だった。むしろあんたら、辞めちゃってほんとにいいの?みたいな。
まあ今の世の中、左派に共感する層の大半は老齢者というのが実情で、しかもその層がよりによってコロナで狙い撃ちされちゃったんだから、興行的には辛かったということなのか。
なんとか、代替的な映画館が、どこかのタイミングで復興できるといいんだけど……。

『ゲッベルスと私』は、2018年に観た映画の中でも、5指に入るインパクトをもった、優れたドキュメンタリー映画だった。
絶対悪と目されるナチスをテーマとしながら、きわめて繊細なバランス感覚を発揮して、悪に対する憎悪や嫌悪を表に出すことなく撮り切った胆力に、心からの敬服の念を禁じ得なかった。
インタビューイを最大限尊重した、誠実でごまかしのない作品づくりは、たとえば日本産のゴミのような反権力映画の対極にある、気高い道徳心で貫かれていた。
素材となった女性の「老い」を、アーティスティックな陰影で捉え、ある種の美的達成として映像に刻印したセンスにも脱帽した。少なくとも僕は彼女の姿を見て、醜いとか蛇のようだとは一切思わなかったし、むしろどういう形にせよこの齢まで生き抜いた人物の年輪が、あたかも鉱物のように結晶化しているようにさえ思われた。

本作は、『ゲッベルスと私』の姉妹編というか、これから撮り継がれていくらしいオーラル・ヒストリー連作の第二弾、ということらしい。
前作では、ナチスの側にいた人間の言葉を記録したということで、今回はユダヤ人サイドの話となる。両作品は「対」になるように企画され、同じような超高齢の人物を同じような映像で撮って、それぞれの「個人史」を通じて、歴史を複層的に紐解いていく仕掛けとなっている。(『ゲッベルスと私』の原題は『Ein Deutsches Leben』(ひとりのドイツ人の生涯)。今回の原題は『Ein judisches Leben』(ひとりのユダヤ人の生涯)。この対比を受けて、『ユダヤ人の私』とつけた邦題作成者は天才ではないか。前作で意訳してしまった軌道に無理やり乗せたのみならず、前作ではあくまで「ゲッベルスと私は別物よ」という線引きの意図がほの見えたのに対して、今回は「私=ユダヤ人」というアイデンティティの主張がはっきり受け取れる。すばらしい!)

ただ、純粋に一個のドキュメンタリーとして観たとき、面白さでいうと『ゲッベルスと私』のほうが、数等倍上に感じられたのは、致し方ないことかもしれない。

『ゲッベルスと私』は、これまで語られたことのなかった「ナチス内部にいた人間の証言」だ。
ブルンヒルデ・ポムゼルによって語られた内容自体、耳新しいことばかりだったし、何よりインタビューイ自身が誰にも話したことのなかった話を引き出したという意味で、口を開かせただけでも稀少性と事件性があった。

対する『ユダヤ人の私』のマルコ・ファインゴルトは、語り部として70年近くも同じ話を繰り返してきた、プロの話者である。
むしろ、「話したことのない内容を引き出すのに大変な苦労を強いられた」と監督が述懐するくらいに、もとより話す内容が「出来上がって」いる。語られる内容の多くも、これまでさんざん耳にしてきたホロコーストの悲惨な現実から大きく外れたものではない。
さんざん聞かされたから価値がないと言っているわけではもちろんないが、「6年間、空腹だった」「次々と仲間が死んでいった」という話は、ある意味悲劇の「どん詰まり」のようなものだ。最強奏のセッションが一時間ずっと続くのにも似て、だんだんと聞く側の閾値が下がって、感性がぼけてきてしまうのだ。

両者の立ち位置の相違も、ドキュメンタリーとしての面白さの度合いと直結している。
『ゲッベルスと私』は加害者サイドで働いていた一市民の回顧録であり、『ユダヤ人の私』は被害者として苦難の日々を生き延びた一市民の回顧録である。
前者の映画には「WHY」がある。むしろ、ナチスによるホロコーストにおいて一番気になるのは、「その他大勢のドイツ国民」の有りようだからだ。「当たり前の生活を送っていたふつうのドイツ市民が、ナチスを容認したどころか協力した」という厳然たる事実があって、その理由がいくら理屈で考えても判然としない。これは恐ろしいことだ。
いっぽう、後者の映画に「WHY」はない。虐げられた側には、加害されたという事実だけが残り、彼らにその責任や理由を一切求めるべきではないからだ。
僕はブルンヒルデの言葉を通じて、彼女がゲッベルスの行った悪に加担したことに対して「何を思っていたか」「何を後悔しているか」、あるいは「何を正当化し、何を後悔していないか」を猛烈に知りたいと思った。
いっぽう、「された側」であるユダヤ人からは、「何をされたか」の話は伺えても、「なぜそんなことをされたのか」の答えはもとより導き出せない。
だから、僕にとっては前作のほうがはるかに興味をそそられる内容だった、有り体にいえば、そういうことである。

むしろ、僕はホロコースト以前に、彼らが差別と迫害を受けているさなか、何を考え、どうそれらの敵と折り合いをつけていたかを知りたかった。無責任に、もっと闘えばよかったと言っているのではない。でも、思いのほか騒乱や抵抗運動の話を多く聞かないことを、ずっと不思議に思っていた。
ホロコーストにおいても、すべてを取り上げられて何を思ったのか、これから列車で収容所に送還すると言われてどう思ったのか、自分たちを助けてくれないドイツ市民についてどう思ったのかを、率直に聞きたかった。どうしても、ユダヤ人には「取り返しのつかない局面になるまで、歯を食いしばって黙々と耐えていた」イメージが拭い去れない。本当はどうだったのか、もしかして「何かをやらなかったことを後悔しているのか」を知りたかった。死と隣り合わせの収容所のなかで日々考えていたことを知りたかった。なんの咎もない自分にこの試練を与えた「絶対神」(ユダヤの神はユダヤ人だけを助ける神のはずだ)に対して何を思ったかを率直に聞きたかった。

でも、今回の映画でそこを深めるような発言は、なかったように思う。
ただ、彼の話を聞いていると、とある瞬間まではナチス党員とも比較的仲良く友達付き合いできていたらしいし、何かの「一線」――「潮目」があったのは確かのようだった。
予兆はあった。でも「そこまでではなかった」。
突然、空気が変わったのだ。
その潮目が比較的「唐突に」来たからこそ、ユダヤ人はもろともやられてしまったのではないか。
その「唐突さ」に、ドイツ国民も飲み込まれてしまったのではないのか。
その潮目が何だったか以上に、「なぜその潮目は唐突に来たのか」を、もっと考えなければいけないと思った。

それと、これを表立って訊くことは道義に反するのかもしれないが、パレスチナ問題についての彼の意見もぜひ聞いてみたかった。他のユダヤ人はともかく、この人物はイスラエルにユダヤ人を導いた張本人であり、立役者なのだ。アンチ・シオニズムは、ナチスだけの問題ではなく、汎ヨーロッパ的な課題であることはよくわかった。でも、だとすればヨーロッパの因縁をもちこまれたアラブの民については、どう考えるべきなのか。きっとマルコのなかには、自分なりの答えと信念があるはずだ。

あと、ところどころに挿入されていた、彼に向けられた攻撃的なメールの文言に関しても、マルコ自身の見解を聞きたかった。
日本人の僕からすれば、ユダヤ人の迫害に関する歴史的事実はゆるぎないものだし、ナチスの悪についても疑いをさしはさむ余地はない話題のように思われる。
それなのに、マルコは人生を通じて、激しい攻撃に晒されてきたという。
なぜ? 誰から? どのような形で? そのあたりをもっと知りたかった。
もしかすると、反ユダヤというよりは、反シオニズムの矢面に立ってきたという話なのかもしれないが、なんにせよ、膨大な情報量のわりに「知りたかったことにあまり焦点があっていない」歯がゆさは総じて否めなかった。

あちこちに挿入される、昔のフッテージ・フィルムも、前作で登場した「空襲後、地平線まで一面の瓦礫の山と化したベルリンの空撮」とか、「死体をベルトコンベアで魚のように処理する収容所」とかのインパクトと比べると、衝撃性において弱かったし、もう少しきちんと説明をしてもらわないと、何の様子なのかよくわからない映像が多めだった気がする。
なかでは、戦争協力者の女性が何百人も丸刈りにされたあと、さんざん見物人に慰みものにされる恐ろしいフィルムのえぐみが強烈だった。これ、レイプだよね。なんとまあ、頭を撫でくりまわしてるオッサンの嬉しそうなこと……。相手に「咎めるべき罪がある」「何をやっていい」となったときの、人間のリミッターの外れ方は、相手がユダヤ人であろうが、ドイツ人女性であろうが、不倫した芸能人であろうが、さして変わらないんだなあということを、ひしひしと感じさせられた。

とまあ、いろいろ不満も述べたけれど、凡百の作品とはくらべものにならないくらい充実したドキュメンタリーだったことは確かだ。
本作の後も、ホロコーストをめぐるオーラル・ヒストリーのシリーズは続いていくらしい。
また次回作も、ぜひ見てみたいものだ。

掛けてくれる小屋があるようなら……。

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じゃい

5.0このような体験をした方の話を聞くほかしかない

2022年1月10日
iPhoneアプリから投稿

ナチス統治の最中にも、アウシュビッツの実態は、赤十字のような団体が訪問したりギフトボックスのような救援物資を送るなど、存在を全く知らなかったわけではないが、実際のところどんなことの行われていたのかわからないということになっていた。本作品で、マルコは、
事態は予想をはるかに超えたものとなった。
も語っているように、誰もが想像できる範囲を超えていたからそうであったのかもしれない。これだけの調査、証言、考察がなされ、まだ100年も経っていないのに、その頃よりはるかに精緻な情報を民間人でさえ知ろうと思えば手に入れることができる今でも、新疆ウイグル自治区の強制収容所は教育機関だとして、まさに同じことが繰り返され、事実なのかどうかわからない、真相はわからないということで、ほぼ何もなされていないも同然であることに、そのことより驚きと焦燥を感じるばかり。
奇しくも、マルコは苦難の時を乗り越え100歳まで命を繋いだ、彼が回想し少しでも良い事があったとしたら、数人に未来を、未来の希望を与えられたことだと回想。マルコが少年時代から培った生き延びるための知恵と方便をここでも駆使して解放された収容者の仲間をパレスチナ に送り出す。途中挟まれるドキュメンタリー映像で意気揚々と地中海渡りパレスチナ を目指す若者たち。彼らの苦難があり証人も証言も体験もなにもかもある同じ時代同じ世紀に何故パレスチナ はイスラエルとなり苦難を経験し欧州をさまよった人達がパレスチナ の人たちに同じことをするのか、といういつものやるせない問題にぶち当たりため息が出る。
オーストリアがいかにナチスと友好的に手を組み戦後もナチス残党を優遇したかそのことを糾弾し訴えてきたという点もよかった。私も小さい時に繰り返し見た、サウンドオブミュージックのあらすじを思い出せば驚くことでもないが。
マルコには解放されてからずっとリーダーとなり、仲間を助け語り講演し、今100歳を超えても未だ語り尽くしてない、まだ話し足りることはないという、オープニングとエンディングの言葉が真実であり、我々は、このような体験を不幸にもされた方が悲しみ恐怖悔しさありとあらゆる感情や無感情や、そういうものを絞り出して語ってくださる話に耳を傾けて、窪んだ目その眼差しを受けることをいかなる人もするべきだ、とせつに思う。聞くしかないし、観るしかない映画である。、

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