ゲッベルスと私
劇場公開日:2018年6月16日
解説
ナチス政権の国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルが、終戦から69年の沈黙を破り、撮影当時103歳にして初めてインタビューに応じたドキュメンタリー。1942年から終戦までの3年間、ゲッベルスの秘書としてナチス宣伝省で働いたポムゼルは、「あの時代にナチスに反旗を翻せた人はいない」と話す一方で、「ホロコーストについては知らなかった」と語る。近代史最大の戦争犯罪者のひとりであるゲッベルスに誰よりも近づいた彼女の30時間に及ぶ独白を通し、20世紀最大の戦争における人道の危機や抑圧された全体主義下のドイツ、恐怖とともにその時代を生きた人々の姿を浮かび上がらせていく。
2016年製作/113分/オーストリア
原題:Ein Deutsches Leben
配給:サニーフィルム
スタッフ・キャスト
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2019年6月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ナチス政権の国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルが、終戦から69年の沈黙を破り、撮影当時103歳でインタビューに応じたドキュメンタリー と映画サイトにあるが、戦慄したのは彼女の爬虫類のような風貌と私は何も知らなかったと言い切る姿であった。ネオナチが蔓延る現在、警鐘を鳴らす優れたドキュメンタリーである。
<2018年8月13日に旅先の素敵なミニシアターで鑑賞>
2018年11月10日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館
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時折差し挟まれるナチス関連のアーカイブ映像以外は、ずーっと102歳のブルンヒルデさんが独白する上半身が、画面いっぱいに映し出されるのみのフィルムだ。
ドイツ語がわからない私には、日本語字幕を読む作業に徹するような鑑賞形態となり、まるで読書をしているような気分になった。
彼女は、たまに感情を表すことはあるが、年齢からはとても考えられないほどの明晰さを発揮しながら、始終淡々と記憶を語る。
私は(ホロコーストを)知らなかった。私は悪くない。という、彼女の発言に見る者の心はわずかにざわつく。
だが、しかし、あなたならどうするか?私ならどうするか?
と考えてみると、ブルンヒルデさんをジャッジできる資格はないだろうな、と思い直す。
途中、何度か眠くなったので、大切なメッセージを見逃したかと思い、めずらしくパンフレットを購入した。
とくに見逃した重要なメッセージはなさそうだったが、パンフレットの最後のページに、小さめの字で、〜映画で伝えられていないこと〜という囲みを見つけた。
映画で語っていたブルンヒルデさんには、1936年当時、半ユダヤ人の恋人がいた、というのだ。
その恋人は、迫害から逃れるためにひとりオランダに亡命し、その頃、彼女は彼の子を身ごもっていたが、肺を悪くしていたため医者に勧められ、中絶をしたという。
そして、何回かオランダで密会していたが、当局から怪しまれることを恐れて密会をやめ、戦争勃発を機に音信不通となった。
と書いてあった。
そういう彼女の個人的背景を知ると、彼女の口から語られた内容からくる印象が、また違ったものに感じられてきた。
ただ、映画の中で、あえて監督が上記の事実を一切伝えなかったのは、「ゲッベルスと私」の私とは、ブルンヒルデさんだけのことではなく、もしも、私がナチスと関わることがあればどうするか、ゲッベルスの部下だったらどうするか、彼女と同じ立場にあるとしたら私はどうするか?、というところに焦点を当てて考えてほしいから、という監督の意図があったから、ということらしい。
最近の映画パンフレットは、値段の価値も無いようなのが多いけど、今回は、パンフレット買って良かった、と素直に思った。
そして、映画が眠かろが、反発を感じようが、兎にも角にも、私たちは映画のテーマについて自分の頭で考えなければならないのだ、と思える映画でした。他人事ではないと思う。
印象に、怖い、をつけましたが、ホラーの怖さではなく、人間が無意識であっても戦争犯罪に加担する可能性がある、という点で、怖い、にしました。
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今年観れて良かった映画の一本になった。
自ら情報を集めずに、上司や組織に完全に服従し、生き延びる考え方の独白と、当時の記録映像が平行して流される。
彼女のような人は会社にもいるが、そのような人の苦しみや責任感や考え方をとても良く理解する切っ掛けになる映画だった。
2018年8月31日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
語られていることは、今までにも聞いたことがあるようなこと。しかし、細部のリアリティと資料の映像と音声、ポムゼル自身の存在感のようなもので語ることそのもので映画になっている。
チェコで歌っていた子どもたちはその後どうなったのか?
16、7歳のヒトラーユーゲントたちはどうなったのか?
想像すると苦しくなる。