アミューズメント・パーク 劇場公開日:2021年10月15日
解説 「ゾンビ」のジョージ・A・ロメロ監督が1973年に手がけたものの、半世紀近くも幻の未発表作品となっていた長編映画。ある老人が遊園地で一日を過ごそうとするが、いつしか悪夢のような状況に追い込まれていく様が描かれる。年齢差別や高齢者虐待についての世間の認識を高めるためにルーテル教会がロメロに依頼して製作された作品だったが、老人の悲惨な状況が容赦なく描かれており、当時のアメリカ社会をストレートに描いた内容から依頼主がおののき、そのまま封印されて長らく未発表となっていた幻の一作。老人役をロメロ監督の「マーティン 呪われた吸血少年」にも出演したリンカーン・マーゼルが演じた。2018年に発見されて4Kレストアが施され、2021年10月に日本でも劇場公開。
1973年製作/53分/G/アメリカ 原題:The Amusement Park 配給:ビーズインターナショナル
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2023年3月19日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD
あなたも、いつかは老いる 老人は大切に 明確なメッセージを持つ、 教会から依頼され作った1973年の教育映画で、 老人が遊園地で大変な目に遭うホラーっぽい作品です。 依頼したものの、出来上がりが過激すぎたかホラーっぽすぎたかで、お蔵入り。 近年、陽の目を浴びたそう。 少子高齢化の今、リアル。 60点ぐらい。
ポスターのセンスがめちゃくちゃいい。 内容的には痛々しく、白黒映画です。 初めて観ました。観た時の衝撃はすごいけど、人に勧めるかどうかで言ったら悩みます。 白黒の分、時間長く感じるかな〜って思ったらそんな事はなく、割と時間を感じなかった。 映画好きが好きそうな映画。 ※批評には個人の価値観が含まれますのでご了承ください。
2021年11月20日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
過激すぎて日本未発表のジョージ・A・ロメロ監督の作品。 ポスターを見た瞬間に公開したら絶対観ると決めていました! 1973年製作のレトロさが素敵な不条理ホラー風刺映画。 「遊園地で老人が罵られ大変な目にあう」というあらすじが全て。 過激で日本未発表も納得の不条理さ。 Disney映画ピノキオのフェローとギデオンが一瞬写りこの遊園地が老人のプレジャーアイランドに見えて背筋が凍りました。 アミューズメントパークの世界がアプリやインターネット化が進む現代に見えたりもしました。 アプリ予約等が出来ないお年寄り多いのでは? 老人側も環境や驕り等の非がある時もある 「老害」と罵っている私達が歳を取った時、若者からみた私達は立派な老害になってしまうのだろうか… レトロな映像回しで不協和音な音がゾッとするお洒落なホラー映画でもあり、50年近く経った今も変わらない老人虐待という問題テーマを扱ったとても良い作品でした!
2021年11月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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最初に言っておくと、映画としては正直たいしたことがない。 というか到底、人からお金を取れるような代物ではない。 ポスターアートは、最っっ高に生かしてるんだけどなあ(笑)・・・・・・(マグリットかダリみたいな二重像。だれだこんな秀逸なアイディア考えたの??) もともとはルーテル教会の依頼で作られたままお蔵入りになっていた「PSA(Public Service Announcement、公共広告作品)」。パンフによれば、PSAは50年代から70年代末ごろまで、アメリカでは一般的に学校や教会、映画館での前座として、教育的目的で上映されていたものらしい。 冒頭にナレーターが出てきて問題意識を共有する本作の作り自体、当時のPSAのお約束のフォーマットだったようだ。ロメロに依頼があったのも、彼がホラーの巨匠だからというより、ピッツバーグ周辺に他に映像制作会社がなかったからで、教会としては地場の企業に頼みたかったということらしい。 ただ僕は、教育映画だから、ホラーじゃないから、つまらないといっているわけではない。 ぶっちゃけ、映画自体の出来がはなはだ芳しくない。 ロメロと彼の会社は、本作製作のために、エイジズムに関する膨大なリサーチと、何百人にも及ぶインタビューを敢行したそうだが、映画撮影自体は3日間で、仕上げも実見するかぎりかなり雑なつくりだ。 正味53分のうち、前半はただ老人が遊園地内をうろうろする描写に費やされ、メリハリも気の利いた演出もへったくれもない。後半には老人がひたすらいたぶられるショックシーンが続くとはいえ、見世物小屋にはいったらリハビリセンターだったり、いきなりヘルスエンジェルズにしょぼい暴行を受けたりと、とりとめのないダサいシーンを適当にモンタージュで賑やかしているだけで、面白くもなんともない。とくに未来視できる占いの館のモンタージュなんかは本当に拙劣で、むしろ困惑させられる。 冒頭とラストで2回、「暴行被害前」の老人と「暴行被害後」の老人が真っ白な部屋で交錯し会話を交わす、エンドレスの「仕掛け」がちょっと気が利いているくらい。意気込みはさておき、結果物としての映画自体は「やっつけ仕事」といわれても仕方のない出来だと思う。お蔵入りしたのも、「あまりの内容に依頼主が恐怖した」からじゃなくて、単に出来が悪かったからじゃないのか? だが、しかし。 長年ロメロ映画を観続けてきた人間として、いろいろとそそられる作品であることも確かだ。 もちろん、第一には「まだ観たことのないロメロ監督作が遺っていて、それがリストアされて公開される」というだけで、オールドファンにとってはもはや一大事である。 何はともあれ、こうやって劇場で観せてくれたことに、心からの感謝の念を表したい。 それから、「社会派」としてのロメロの本質に直接的にかかわる作品として、本作には無限の価値がある。 とにかく、ロメロというホラー監督は、少なくともそのキャリアの初期においては、間違いなく「社会派」の監督でもあった。 彼にとって、大衆消費社会や人種差別の問題点を指摘し、風刺し、指弾することは、ゾンビを撮ることと同じくらい重要な意味があったのだ。 その彼が真正面から「エイジズム(年齢差別)」という社会問題を扱った「教育映画」が発掘公開されるときいて、ファンが興味深く思わないわけがない。 そう、ロメロの作品世界では、ホラーであることと、社会派であることは、つねに両輪を成していた。 ロメロは、ホラー作家であることと、社会派であることが共存し、どちらかがどちらかの方便になっていなかった稀有な監督だった。常に知識人としての思想性をバックボーンとしつつ、ホラーという異形のジャンルをむしろ嬉々として表現の場に据えた映画作家としては、唯一クローネンバーグくらいしか匹敵する存在を想起できない。 僕は、ロメロという人物は、大衆消費社会を嫌悪する一方で、ユートピア的な素朴なコミューンを愛してやまなかった、理想主義的な社会主義者だったと勝手に思っている(べつに何か文献にあたったわけではないけど)。 たとえば、僕が一番大好きなロメロ映画は、ダントツで『ナイトライダーズ』なのだが、あれはまさにユートピアへの憧憬と幻想に彩られた、生粋のコミューン映画に他ならなかった。 もう少し有名な例でいうと、代表作『ゾンビ』における僕の一番のお気に入りシーンは、実はゾンビの出てくるところではない。巨大ショッピングモールに籠城する主人公たちが、楽しそうに束の間の安楽を満喫するシーン。あそこを観ていると、なんだか無性に泣きたくなってくるのだ。 だってあれ、まんま『明日に向って撃て!』――遅れてきたアメリカン・ニュー・シネマだものね。 そんな彼が、「エイジズム」というテーマで教育映画を撮るにあたって「遊園地」を取り上げたのは、実に当を得た着眼だったと思う。 「テーマパーク」こそは、「ショッピングモール」とならぶ大衆消費社会の縮図であり、しかも「若者」が多数派として君臨する、「老人を少数者として追い込む」には絶好の舞台設定だからだ。 「逃げ場のない特殊な閉鎖的空間」 「圧倒的多数を占める言葉の通じない他者」 「商業主義と大衆消費社会の行きついた悲劇的状況」 「知能や思想が期待できない『モブ』と化した大衆との軋轢」……。 そう、ここアミューズメント・パークは、もうひとつの「ゾンビ世界」でもあるのだ。 別の文脈でも、「遊園地」は題材として、実に興味深い側面を持っている。 多くのホラー作家・監督たちが、カーニバルや遊園地に強く惹かれ、舞台立てとして扱ってきた長い歴史があるからだ。 一義的には、「恐怖」の原体験が幼少時のお化け屋敷に遡る人が多いってことがあるのだろうが、最高の悦楽の裏側に潜む恐ろしき存在とか、非現実的な「ハレ」の祝祭の場にやってくる非現実の怪人とか、ホラーと遊園地の親和性は、実はめっぽう高いといえる。 代表的な存在としてぱっと想起されるのは、やはりレイ・ブラッドベリとスティーヴン・キングの小説群およびその映画化作品だろうが、そのまんまの趣向としては、D.R.クーンツ原作/トビー・フーパー監督の『ファンハウス』なんてのもあった。 昨年読んだ短編で、ラムジー・キャンベルの「道連れ」(1973、『闇のシャイニング』所収)は、まさに遊園地で乗ったジェットコースターが地獄めぐりに変わったあげく、ラストに驚愕のオチが待ち受ける佳品で、伝説的カルト・ホラー『恐怖の足跡』(61)からの影響が感じ取れる作品だった。 で、この『恐怖の足跡』から強い影響を受けたとされている監督の一人が、外ならぬロメロその人だったりする。 実際、本作には、ひとつの「趣向」がほの見えている。 なぜ、主人公の老人は、「白づくめの装束」で、「顔まで白塗り」にしているのか? ホラーハウスに入ったと思ったらなぜかリハビリ室、といった歪んだ時空の構造は、そもそも「なぜ」成立しているのか? 老人の迫害が映画内で始まる直前のタイミングで、一瞬、メリーゴーラウンドに乗る「巨大な大鎌をもったフードの人物」が映り込む。この人影はいったい何者なのか? さらに、この「大鎌の人影」は、老人がヘルスエンジェルズにいたぶられるシーンでも、群衆に交じって映り込む。もしかすると彼こそは、この「地獄の遊園地」の「主催者」ではないのか?? ここで冒頭とラストに置かれた「暴行前老人」と「暴行後老人」のすれ違いを、もう一度思い出してほしい。そもそも、この部屋はいったいどこだ? 老人はどういう「属性」を付与されて、こんなところに放り込まれているのか? 僕は、この映画の老人こそは、「生きている死者」――リヴィング・デッドなのだと思って観ていた。 某有名映画同様、老人自身は気づいていないが、彼はすでに死んでいて、ここはもう「死後の世界」なのだ。 すなわち、本作は「地獄めぐり」――ダンテの『神曲』的な――の物語だといえる。 もちろん、群衆に交じって幾度か姿を見せる大鎌の人影は、「死神」だ。 何らかの理由で、この老人は「罰」を与えられている。 何度も何度も、若者たちに無視され、迫害され、暴行され、眼鏡を踏み割られる永劫の罰。あるいは、その繰り返しのなかで、いつの日か成仏する日が来るのかもしれない。 いかにも「世にも奇妙な物語」あたりで出てきそうな1エピソードだが、それを「エイジズム」をテーマとした教育映画でやろうというのが、まだ30代前半だったロメロらしい仕掛けだし、その種明かしを必ずしも作中で積極的にしないのがまた、奥ゆかしくて良いと思う(笑)。 映画の出来自体はどうしようもないが、「文脈(コンテクスト)」だけでファンならご飯何杯もいける。 そんなマニアックな映画でした。