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本作では、原作から大きく変更された点が主に2つある。
ひとつは生活保護行政に携わる側の描き方、もうひとつは利根の擬似家族「カンちゃん」の扱いだ。
原作での福祉保険事務所の職員の描き方は、ひどく類型的だと感じていた。笘篠が最初に殺された三雲の周辺に聞き込みをした時は評判のよい人物だった、でも窓口対応はひどい人でした、ただそれだけで、三雲の言動の理由についての掘り下げが原作ではほぼない。
是非は別として役所側にも何かしらやむを得ない面を孕んだ組織の行動原理があり、個別のケースで人としての倫理と相剋する場面があるはずで、その悩ましさを描くドラマを私は見たかった。だから、善良な職員は成長したカンちゃんのみ、他の職員はふてぶてしい人間ばかりという、公務員批判の意図が悪目立ちする原作の設定では、単純な悪者糾弾の話に見えて、話の厚みがなかった。
本作では、議員になった元職員上崎のキャラクターを原作から180度変更して善意の職員として描き(原作では海外に買春旅行に行く人間という、震災や保護行政とは無関係な汚点を描写されている)、彼に行政側の視点を語らせている。三雲が被災した墓石を元通りにしようと汗を流す描写も入った。
これにより、職員側も様々な考えの者がいること、そして何より、彼らもまたあの震災の被災者なのだということが見えやすくなった。このことで人間ドラマとしての厚みが増し、震災の物語としてのクオリティが上がったと思う。
原作の文庫巻末に掲載された原作者と瀬々監督の対談で、監督はこう述べている。「どうしようかと非常に悩みあぐねたところは、福祉保険事務所側の人間の描き方です。映画では彼らを悪にするのではなく、社会構造の矛盾として捉えたかった。」
監督の狙いは私の見たかった物語でもあり、それがきちんと伝わってきた点はよかった。
一方でカンちゃんの扱いだが、原作で男性だったカンちゃんをわざわざ女性にした理由がよく分からなかった。純粋に映画としての質の向上を狙った改変とは思えない。
幼少期のカンちゃんが中性的な雰囲気で、井之脇海の役名が「菅野」だったのは前半のミスリード用設定で、そこはちょっと惑わされた。井之脇海をわざわざこの役に配したのもそういう目的だろう。
清原伽耶は好きな役者だし、実際熱演ではあった。
けれどさすがに、スタンガンでぐったりした大きな男性を何人も拉致して階段の上に引っ張り上げたりするという設定は、華奢な女性には無理筋に見えてしまった。拉致に公用車を使うというくだりは、女性の非力を考慮して付け加えたのだろうが、犯罪者としては隙がありすぎる。企画がアミューズなので彼女を当てたのは大人の事情なのかも知れないが、少しもやもやした。
それ以外は、細かい時系列が組み直されている部分はあったが、利根とけいとの絆の描き方など、総じていい方向に作用していたように思う。
小説の映画化というと、時間の制約で内容が削られて残念なことになる場合が多いが、本作はそういう駄目な端折り方はされていない。比較的丁寧に原作の物語を追い、その一方で行政側まで含めどの立場の登場人物の視点も大切にしようとする姿勢が見えた。