Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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10年という節目に
すみません。少し自分の事を交えて語ります。
震災当時、14歳。山形県に住んでいました。
福島第一原発で思い出した話題があります。
「今日は福島の方から風吹くからヤバいよ」という
根も葉もない悲しい風評被害があったことです。
でも、この映画を観て気付かされました。
今、自分が生きているのは、見えない所で
心臓を動かし続ける人達が居るのだという事を。
そして、その人達にも守りたい家族が居る事を。
誰もが悲観的になるあの状況下において心に火を
灯し続けて闘い抜いてくださった方達がいた事を。
「感謝」や「敬意」という一言では足りません。
「語り継ぐ」とか偉そうに言う立場でもありません。
でもこの映画を観て何も思わずにいられません。
だからこそ、3.11には祈りを込めて合掌します。
いつか、帰りたい場所に帰れる日が来るように。
地上波で見た
誠に申し訳ない事だが、趣味として
こういうタイプの映画を映画館に見にいきたいとは思わないんだけれど、Amazonプライムで視聴しようとしたら映画館に見に行くより高額なレンタル料でびっくりして、今まで見てなかったのを なんと地上波放送。
録画してゆっくり視聴した。
(原作既読)
実際私たちが体験し新聞記事の裏付けもあり、当時の関係者が皆口を揃えて「この通り」と言うほぼノンフィクションの話。
当時の菅直人首相は、この映画を見る事はないんだろうとおもうけれど、地上波放送されて、どう言う気持ちでいるんだろうなあと、東電側のトップの人たちも現場をこんな風に混乱に落とし入れた自分を描かれてどういう思いで見るんだろうか、と
実際まだ生きてる人たちであって
歴史上の悪役とは違うわけだしね。
可哀想とか気の毒と言ってるのではなくて、もし自分なら死にたくなるかもしれないなあと思うんだけど
その自分のせいで びっくりするくらい大きな間違いが起きていて、なんだか情け無い日本のトップであったと衆人の前で明らかにされて、しかも事実。
菅直人という人は自民党時代に
厚生省の蔵をこじ開けて薬害エイズの事実を明らかにした大臣、という事で 昔は長らく 素晴らしいリーダーシップを持った政治家だと思っていた。
その後 女性とのスキャンダルが報じられて、その時の奥様の言動がまさに器が違うと思わせられるもので、あのエイズ問題も実際は奥様の指導のもとであったことが明るみになるわけです。
あーきっと
菅さんの奥様はこの映画はご覧になったんだろうとおもう。
そして出来の悪い息子の不祥事を見るような目で映画館を後にし、ため息つきながらどこかのラウンジでお茶をされたのだ。
って事を勝手に想像した。
最悪のシナリオ
まず、この映画をどう見たのかお話します。
私はこの映画をエンタメ、ドキュメンタリー、ディザスターとして観ました。
震災後の原発事故を題材にした映画なので、もっとシリアスなドキュメンタリーだと思っていましたが、予想を裏切るエンタメ映画になっていたので純粋にドキドキハラハラしながら観れました。
一方で事実をベースにして作られていたので、10年前のあの事故を思い出しながら、ドキュメンタリーとして観ました。それまで語られなかった原発事故の内情や現場職員の奮闘が描かれており、当時の様子を再認識したドキュメンタリーでした。
そして、この映画は自然災害による原発事故という、いわゆるディザスター映画のようにも見えてしまったのは正直な感想です。
しかし、この事故の本当の原因は、東電幹部達の危機管理能力の欠如が招いた人災であった。
映画ではFukushima50と呼ばれた英雄達のストーリーが涙を誘いましたが、この映画が伝えているメッセージは自然の恐怖と自然を甘くみた人間の愚かさです。
結果的にこの事故による被爆被害はチェルノブイリ事故の1/4で済みましたが、2号機の格納容器が破壊され核燃料が全て出てしまう、いわゆる「最悪のシナリオ」と呼ばれる原子炉の圧力破壊が起きていたら放射性物質が全部出てしまい、東日本は壊滅していたでしょう。
このような恐怖感は同じ頃、総理官邸や吉田所長も共有していた訳ですが、当時の日本人はこの事実を伏せられていたので、その実態を把握しきれていませんでした。
それから10年経った今でも、なぜ2号機が決定的に壊れなかったのかは、十分解明されていないままです。
当時、菅直人総理大臣は、最悪の場合に何が起きるか具体的なイメージをつかむため、3月22日、近藤駿介原子力委員長に「最悪シナリオ」の作成を要請した。3日後の25日、『福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描』と題する資料が細野首相補佐官に提出され菅総理に報告された。この資料は閲覧後回収されて存在自体が秘密に伏されたが、2012年2月初めに、内閣府の情報開示で公開された。
この資料で示されたシナリオでは、1号機で再び水素爆発が発生した場合、放射線量上昇により作業員が全面撤退を余儀なくされ、他の号機への注水も止まり、4号機の使用済み燃料プールの燃料損傷が発生、使用済み燃料プールでコアコンクリート相互作用(溶融燃料コンクリート相互作用、MCCI)が発生する。この場合、4号機の使用済み燃料プールからの放射性物質の放出量が最も多く、避難規模を大きく左右することになる。その結果、チェルノブイリ事故で適用された基準を当てはめると、170 km圏で強制移住、東京を含む250 km圏で避難を求めることが必要になることが示されている。
菅直人も2013年11月8日、ハフィントン・ポストにて、最悪の場合、東京を始め首都圏を含む5000万人の避難が必要となる可能性があったと述べた。
このような世界史上、類を見ない大事故が起きていた事がリアルに描かれた映画であり、最悪のシナリオを奇跡的に回避したドキュメンタリーです。
映画の完成度は高く日本映画としては楽しめましたが、再三の指摘がありながら福島第一原発の脆弱性を無視し続けた、東電幹部の危機管理能力の低さが招いた人災であったという事を改めて強く認識しました。
原子力エネルギーに頼った我国は、今もそのリスクが残り続けており、自然再生エネルギーへの転換の中でジレンマとして抱え続けている。
制御仕切れない原子力という、いわば神の力と人間の欲望が対立するのか共存するのか、日本の未来はその答えをまだ見出していない。
この教訓を日本はどう活かしていくのだろうか。。。
残念な事に安倍政権から菅政権になってからも、杜撰な危機管理は変わっていない。
東電の廃炉計画もだんだんと緩んできて、原発事故の恐怖と危険性を本当に理解していたのは当時の吉田所長と現場で悪戦苦闘していた作業員たち位であり、遠く東京の空のもとで身の安全を保障されていた政治家・官僚・東電幹部はそのリアルを理解していない。
それは10年たった現在でも大きく変わらず、デブリの最終処理や汚染物質の処理方法も決められない連中が、早くも原発の経済性やCO2排出対策で原発の復活を臆面もなく言い出す始末。
再び同じような事故が起きてもおかしくない。
富岡町を住めないようにしてしまったと所長が避難所の皆に頭を下げて、...
富岡町を住めないようにしてしまったと所長が避難所の皆に頭を下げて、泉谷しげるがそれをかばう場面があるが、ブワッて急に記憶が甦ったのがRCサクセションのサマータイムブルース。キヨシローが「電力は余ってる」と歌うバックで泉谷しげるが「欲しくねぇだろ!」と叫んでいた。いらねーだろ!だったかもしれない。いま手元にCDないから聴き直せない。
自然災害の津波から救ってくれて、ありがとうならわかるのだけれど。
完全な被害者なのになと思った。
全国の学校で義務教育として子供達に観せるべき映画だと思います
素晴らしい映画だと思います
そして勇気を持って映画になさった事に深く敬意を示したいと思います
日本人として絶対に映画に残さねばならない事故でした
風化させてはならないことです
永遠に何があったのかを伝えなければいけないことなのです
しかしどう撮っても、どのような態度で製作しても、如何様に工夫しても批判されるのです
それでもなお、そんなことを百も承知で敢然と受けて立って映画化したその勇気こそ尊敬されるべきことです
左右どちらからも、何かしらの政治的志向で、見えかたが全く違うようです
そんな政局の為に本作を云々して欲しくないと思います
もっと沢山の作品がこの事故を取り上げられなくてはなりません
そうすることでより立体的にこの事故のことが見えてくるのだと思います
このような事故を二度と起こさない為にこの事故をリアルタイムで経験した私達が為さねばならないことです
この作品を生み出したスタッフの皆様には全く頭が下がる思いです
よくぞ映画になさって頂きました
途中で涙が止まらなくなりました
メルトダウンを起こした原子炉に向かうために決死隊を募るしかなくなる場面
行かなければ、生まれ育った故郷は二度と住めない、それどころか東日本壊滅まで現実的だったのです
しかし、行けば死ぬかも知れない
それも悲惨な死に方で治療方法もない
ただの一技術者に過ぎない普通の民間人です
だから誰もが尻込みする
誰一人押し黙って手を上げるものはいない
当然のことです
それをみて現場の更に最前線にいる当直長が、自分と一緒に行ってくれるものと、自ら手を上げたとき、
あなたはここに残り指揮を執らねばならないと口ぐちに自分が代わりに行くと我先に手を上げます
自分が行くのは怖い
しかし絶対に何とかしなければならない
自己を犠牲にすると覚悟を決めた人達の思い
このような人々です
あれは戦争だったのです
メルトダウンを起こして放射能を撒き散らした
だから敗戦です
しかし、その敗戦の悲惨をそこまでで食い止め、険しくとも復興する道を彼らがが残してくれたのです
どんな人々が役立たずで無能どころか邪魔で被害を拡大させたのか
どんな人々が最前線で自己を犠牲にして故郷を家族を日本を守ってくれたのか
それを私達は知り後世に伝えなければならないのです
子孫への責務です
現地対策本部に詰めている吉田所長以下大勢の人々
原子力技術者のフロントだけでなく、下請けに入っている人々、総務の女性は停電で水洗トイレは流れず、排泄物が山のようになったものを清掃してみんなを支えています
消防の人々、自衛隊の人々
あの時、あの場所に踏みとどまり、日本を救った英雄達であるのは間違いのないことです
Fukushima 50
世界が賞賛して当然の人々です
数年前、いわき市に何度か行くことがありました
市内のあちこちには放射線モニタリングポストが立っています
東京で一時期よく見掛けた光化学スモッグのオキシダント濃度の表示器のように普通にあるのです
商業施設の中にはその施設には大き過ぎるような屋内遊技場があり子供達が遊んでいました
なるべく外であそばせたくないのです
だから東京の商業施設にある同種のものよりどこもかなり大きいのです
しかしそれをのぞけば、あんな事故があったことは分からないほどです
終盤の立ち入り制限区域内の満開の桜並木、道路沿いの無人の商業施設、無人の住宅街
現実にあったことなのになにか非現実
夢幻のような
彼らがこの程度でなんとか食い止めてくれたからなのです
本当は帰還困難地域が厳然としてあり、いまだに故郷の街にも家にも帰れない人々が大勢います
農作物も水産物も風評被害は大きいのです
風化させてはならないのです
夢幻のように忘れ去られてはなりません
何があって、そのとき誰がどう苦闘してそれを食い止めたのか
永遠に伝えて行かなければならないのです
全国の学校で義務教育として子供達に観せるべき映画だと思います
危機管理とは・・
未曽有の原子力事故に携わった現場の方々の必死の努力には頭が下がるが格納容器破損の最悪の事態を人為的に防げたのは1、3号機のベントまでである。
そもそも緊急事態マニュアルにもSBO(全電源喪失)は想定されておらず非常用冷却のイソコン作動時の排気口の蒸気確認すら全員が未経験、電源車が来ても電圧が合わず使えない、消防車による注水も配管の把握ができておらず炉心に水が届かなかったという失態。
2号機はベントできず、圧力低下は容器の蓋のボルトがたまたま緩んだことによる漏れと見られている、ただ容器から直接放射性物質が漏れた為ベントとは桁違いの汚染をもたらすことになった。次のクライシスは4号機の使用済み燃料プールの大量の燃料の熱崩壊だが、すぐに露出しなかったのは建屋の水素爆発で貯水ピット、原子炉ウェルとプールの仕切りが割れてプールに水が流れた為であるが炉内の隔壁交換工事が遅れていたため原子炉ウェルの水抜きをしていなかったという偶然に救われた。むしろ建屋が損壊したことで外部からの注水ができ最悪の事態を免れた。確かに自然災害が主因だが対応の不備は人災なのである。
先月の福島の地震では肝を冷やした、幸い損傷は無かったようだが地震計の故障の放置などのニュースを聞くと疑心暗鬼に苛まされる。未だ廃炉までの道筋すら見えないのが現実だ。これだけの災害大国でありながら危機管理の意識、能力に欠けている日本人の資質、風潮は何なのだろう。
あの未曽有の事故を風化させないための映画化の功績は買うし現実的に想定が不備だった中で精一杯の努力を尽くした現場の人々に敬意と謝意を払う気持ちは変わらないが内容がややドラマチックに寄せられ感動物語風に作られてしまう映画人のメンタリティには背筋に寒いものを感じざるをえない。個人的には亡き大杉漣さんが吉田所長を演じたNHKスペシャルの再現ドラマの方が事象に正確で学ぶべきことも多く印象深かった。
もっと知らなければ
映画としてというよりも、あの時何が起こっていたのかを知るきっかけとして見ておくべき作品だと思ったので、採点はつけていません。
震災から10年が経ちましたが、今回この映画を観て初めて、現場で起きていた事や東日本全域に起こるかもしれなかった最悪の事態の事を知りました。
原発で働いているわけでも福島に住んでいるわけでもないので、軽々しく語る事はできませんが、私が呆然と立ち尽くす事しか出来なかったあの時、現場では地域や日本を守るために命懸けで戦っていた人達がいて、その方々の努力のおかげで今の暮らしができているのだと思うと言葉では言い表せない気持ちになってきます。
被災した方々や現場で動いていた方々はこの記憶は残り続ける事と思いますが、そうで無い方々の記憶は遠くなりつつあるかもしれません。でもそうであってはなりません。私たち全員が記憶を残し続けていかなければなりません。
この映画を見て原発や震災について自分が色々と知らな過ぎていた事にも気付きました。もっと知らなければ。もっと考えなければ。遠くで起きた過去の出来事ではなく、これからの未来どこにでも起こりうる事について私たち一人ひとりが考えていかなければならないのだと思いました。
震災10年の節目に見れて良かった
この話は取材形式の原作を元に作られており、かなり端折った部分はあったものの、よくぞ映像化したなぁと言う気持ち。
何よりも当時被災地にいた私は、福島の原発に何が起きてるかなんて情報すら得ることができなかったが、今回ドキュメンタリーを見ているかのようにヒシヒシと原発に立ち向かっていた現場の戦闘員がいたんだと感謝の思いです。
ただ、原発と戦っていた人たちはまだまだ沢山いて自衛隊や一般の人達も忘れてはならないので、そこも丁寧に描いて欲しかった。
そして最後オリンピックに結びつける必要はなかったし、復興がまだまだ遅れてる地域が多いのが事実で少し冷めてしまった。
でも吉田さん、今の日本があるのは貴方のお陰です、本当にありがとうございました、お疲れ様でした。
電気のない生活はもう無理
福島原発を守った50人。ちょっと英雄的に描きすぎと思うが、現場の緊迫感は伺える。現場の彼らを持ち上げるためには、本店と政府は下げなければならない。まあ、首相は誰だろうと、あの状況をハンドリングできなかっただろう。やはり、人の手に余る代物なのだ。よくあの程度で収まったと感心する。
あの震災を機に、自家発電ができないものかと、ぼんやり考えた。でも、具体的にどうしたらいいかわからなかった。そのままずるずるしてたら、2019年台風19号により、我が家も停電した。電気がないと、現代社会は生活がままならない。冷蔵庫に入ってた食材はダメになるし、暑くてもエアコンは使えず、お風呂もわかせない。期間は短くて済んだが、けっこう辛かった。この時も東京電力は批判されたね。
電気は本当に便利だ。今やあるのが当たり前で、江戸時代のような暮らしに戻ることは不可能だ。だけど、泉のように湧き出るものではない。誰かが作らなくてはならない。自分が使う分を自分で作れればいいが、それも難しい。家一軒分の電力まかなうには、かなり大容量の蓄電池がないと無理。いろいろ調べてみたけど、完全オフグリッドはできそうにない。なので、電力会社から買うしか仕方ないのだが、いつか、電柱から自由になれたらなーと、夢見ている。
早くも震災をエンタメ化していて遺憾
何様だ。どの立場で震災を勝手にエンターテイメントにして販売し、我々は消費しているのか。これをドキュメンタリーだ、ノンフィクションだ、と信じる阿呆のなんと多いことか。
爆発寸前の原発に突き進んでいく男たちは、もう特攻兵さながら果断に富み、果敢に散った。反吐の出る美化とそれを礼賛するTwitterトレンドを、被災地の方々はどう思って見ているのだろうか。
政府を批判する形で無能さを強調して描こうとしており、それ自体は別にいいが、首相や大臣への例えば発言などの台本制作はただの民主党のネガティブキャンペーンでありがっかりした。「学校で見せるべき!でも政府は流したくないんだろうな。」などといういかにも満面のドヤ顔で言っていそうなつぶやきは、見当違いも大概にしてほしい。
映画の内容をまとめると、あの日政府は役立たずで無責任、安心安全な霞ヶ関から傍観しているだけで、一方現場の勇敢な英雄たちがお国のために命を捧げて日本を守りましたよ、という物語である。また世界中が日本のために祈ってくれましたね、というおまけ付きである。
この映画は顕著すぎたが、日本社会全体が原発事故の真実の追求を放棄し、震災を適当な美談にしようとしている風潮がよく表れている。なぜなら私含め、被災者以外のほとんどの人間は、震災に正面から向き合う勇気がないからだ。
しかしこんなくだらない戦隊モノを後世に語り継いだところで何の教訓も得られない。震災から10年目を迎えた今年こそ、事故の様々な原因を究明し将来の対策を練り、被災地の復興を改めて進めていくべきである。東京オリンピックは復興五輪だとかなんだとか言っていたのはいつの話だったか。
見たいものだけ見ているのではいけない。被災していない我々に、あの日のありしありさまを教えてくれる、そのような映画を観たかった。
総理の悪役っぷり最高
総理大臣をここまで悪く書いてる映画はないだろうなあ笑笑 そしてみんな総理を悪く言う。観てて笑ってしまうくらい。
映画としては山場がちょっと足りないかなと。オープニングから津波シーンがあり、そっから面白いがずっと同じペース。
日本の俳優で1番好きな吉岡秀隆が抜群の演技を見してくれてるので星0.5追加笑
最悪
私は東日本大震災で被災したわけではありません
当然、福島第一原発にいたわけではありません
なので現実で政府、東電本部、現場でどのようなやり取りが行われたのか
対応に当たった人々がどのような会話をしていたのかは知りません
それを踏まえても本作品内容に疑問を感じずにはいられませんでした
プロであるはずの現場作業員は全員ギャーギャーと感情的に騒ぎまわり
当時の菅総理大臣がモデルの登場人物は、旧日本軍将校のようなことを怒鳴り散らします
地震後、停電で真っ暗な原発施設内を走り回ったり
高線量を浴びた防護服を着たまま、待機所に駆け込んできたり
かと思えば「僕はこの原発に育てられたんだ!こいつを守れるのは俺だ」といったような演劇めいた自分語りが続発、挙句の果てには米軍がトモダチトモダチと連呼、これがETかと納得しました
とにかく感動ポルノというやつがてんこ盛りです
真実を描いたという割には現場作業員を英雄のように描くことしか考えられていないようでした
創作には外連味というものが必要なことは重々承知していますが
現実に起き、かつ世界的な注目度の高い出来事をこのような形で世に出して良かったのか甚だ疑問です
大きな代償であり負の遺産。
日本人が知らない「実話」
まず日本国民として、今の安全を確保するためにまさに命懸けで動いてくれた皆さんに感謝。
そして福島県民としては、訛りがわざとらしすぎるな、と…。
「Fukushima50」という呼称は映画を鑑賞するまで知らず、事故についても一連のニュースや報道しか知らなかったので、映画で脚色されているとはいえ非常に緊迫しながら観れた。
まさに決死隊。多少の脚色はあると思うが、実際の現場に残るということは死を意識せざるを得ないと思う。現実では、危険手当のようなものもなかったらしいので、本当に自分の職務を全うするという決意の現れなんだと感じた。
役者さんも非常に豪華(演技力があると言う意味)で、見応えがある。
観賞後に調べてみると自衛隊や在日米軍も撮影に協力してくれたとのことで、リアリティ抜群。
在日米軍は史上初めて日本の映画に撮影協力してくれたとのことで、アメリカからみてもこの出来事のインパクトが大きいことがうかがえる。
実話ベースではあるものの、首相と電力会社周辺がボヤッとされており、誤魔化されている感があった。映像化するにあたって問題があったのか?などどうがった見方をしてしまう。
また、「オレたちは何を間違っていたんだ」という問いに対して、いきなりの「自然を甘くみていた」は唐突感がある。
映画を観ている限り、ベストは尽くしていたように見える。多少の「障害」があったのだが、それは「敵」だったのか?もっとベストな対策を打てたのか?結局のところ『人災』たったのか。
ここもぼやっとしている印象。
最初から狙ってぼやかしたのか、止むに止まれぬ事情があったのか…。
今の世の中の状況も相まって、危機に対するリーダーの資質が本当に問われている。冷静さと敬意とミッションと。
映画ラストの「復興オリンピック」には、別な意味で悲しくなってしまった…。
全499件中、81~100件目を表示







