劇場公開日 2020年3月6日

Fukushima 50 : インタビュー

2020年3月7日更新

佐藤浩市と渡辺謙の逡巡と決断

まだ9年なのか、もう9年なのか、東日本大震災から流れた歳月を明確に計ることは難しい。佐藤浩市渡辺謙にも、逡巡(しゅんじゅん)はあったはずだ。それでも2人は「Fukushima50」に挑むことを決断した。津波に襲われ全電源が喪失した福島第一原子力発電所で、現場に踏みとどまった作業員たちを統率。メルトダウンの危機に立ち向かった名もなき戦士たちの5日間の、緊迫感に満ちた群像ドラマへと導いた。その魂を込めた思いは日本、そして世界へと発信されていく。(取材・文/鈴木元、写真/根田拓也)

2013年「許されざる者」以来の共演。デリケートなテーマを扱う「Fukushima50」への出演は、お互いの存在が大きなモチベーションになった。中央制御室(中操)当直長・伊崎利夫役の佐藤は、17年若松節朗監督のWOWOW「石つぶて 外務省機密費を暴いた捜査二課の男たち」への出演中に話を聞いた。

「早い遅いはないかもしれないけれど、どちらかに偏重してしまうのは怖いからどうなの?と最初は思った。でも、製作サイドからそういう方向ではないとうかがって一緒に走りましょうと。それで吉田所長が謙ちゃんだと聞いて、それだったらぜひ。こういう素材だから、ほかの役者さんも躊躇(ちゅうちょ)すると思うんですよ。謙ちゃんが手を挙げてくれたことで、背中を押してもらえた人もいたと思うのでありがたかった」

一方、福島第一原発所長の吉田昌郎に扮する渡辺が依頼されたのは、ミュージカル「王様と私」の英ロンドン公演中。若松監督の「沈まぬ太陽」(09)の時と同様、製作代表の角川歴彦・KADOKAWA会長の思いを真摯に受け止めつつ、思いは佐藤と同じだった。

「角川さんがこの題材をやりたいと言った時点で、覚悟みたいなものを感じていた。(伊崎は)誰?って聞いたら浩ちゃんがやるっていうから、それは鬼に金棒にさらに大きなものを抱えられる作品になるだろうと思ったので、考える余地はなかった。原発の事象だけを取り上げる作品だったら躊躇したけれど、脚本を読んでちゃんとした人間ドラマになっていたから、そこに迷いはなかった」

伊崎はモデルになった人物がいるが、家族構成など設定が異なる部分もある。佐藤は当人に挨拶はしたものの、疑問に思った点は助監督やプロデューサーを介してリサーチする手法を取った。

「現実に3・11のあの瞬間から現場で過ごされた方たちの気持ちを分かれと言われても、分かりようがない。あの人たちはなぜそこに、どういう思いでいたかをお客さんに伝えるための方法として僕らに何ができるか、どういう芝居をするかに関しては多少のアレンジメントが必要だったからなんです」

対して、東京電力の会見などで頻繁にメディアに出ていた吉田(故人)は実名での登場。これまでも実在の人物を演じたことはあるが、アプローチに関しては撮影現場を訪れた当時の吉田の部下たちの助言が役立ったという。

「皆さんが存じ上げている人なので、ちょっと迷いましたけれどコピーすることに意味はないなと。現場に来てくださった人たちは吉田さんに本当に近い人たちなので、実際にあの時はどうだったんですか、どんな雰囲気で怒ったりほぐしたりしていたんですかということをリサーチしたんです。僕にとってはラッキーで、相当参考になりました」

撮影は中操と緊急時対策室に分け、時系列に沿っての順撮り。18年11月、先にクランクインした佐藤は吉岡秀隆火野正平平田満ら最前線の現場となる中操のメンバーを集め“決起集会”を開いてから臨んだ。

「自分たちが置かれている状況、条件が日々変わっていく不安感など皆で共有する材料が多かったので、日々結束力は強くなっていきました。初号を見た後に出てきた中操のメンバーが、この映画に参加して良かったですと目で言っているわけですよ。当然、お仕事なんだけれど、それ以外のものも感じてもらえたのはうれしかった」

年が明けて緊対へと移るが、その合間に吉田が福島に赴任し2人が再会する回想シーンが入った。渡辺にとってのクランクインで、本来はそれより前に撮らなければいけなかったが、「いい不可抗力だった」と振り返る。

「浩ちゃんが、ちょっと晴れ晴れとした顔をしているんですよ。中操が終わっているから。これから頼みまっせという感じで、すごく熱くて重いボールを渡された気がした。これから始まるんだと、気合が入りました」

そして、緊対での撮影が始まる前、渡辺は全キャスト、スタッフを前に「今もまだ故郷に帰れない人たちがいる。彼らのことを胸に刻んでいこう。(我々は結果を知っているけれど)もう一度あの時間に立ち戻って、これからどうなるのか先が分からない気持ちでやっていこう」と述べた。まさに所長としての決意表明だ。

「中操はブラックアウトしたりベントに行くといったドラマがあるけれど、こっち(緊対)は何もシチュエーションが変わらない中での撮影だったので大変でした。監督も助監督も含めて、とにかく緊迫感を維持して100何十人と共有するかということにほとんど力を使いました」

伊崎が富岡町にある夜ノ森の桜並木を見上げるクライマックスが印象的だ。これは全体撮影が終わった2カ月後に、帰還困難地域となっている現地で撮影された。渡辺が「CGだと思った」とうなるほどの美しさで、しかも撮影前日が雨、撮影の翌日から雪が降ったというから、完全に運も味方につけたようだ。

「本物の桜でなければ意味がないと、監督も僕も製作サイドも同じ意見だった。これはもう言葉にはできない、映画の神様が撮らせてくれた。桜は別に人のために咲いているわけではないけれど、人は勝手に思いを持つ。そんなことがこの映画のラストにマッチしている気もするし、ラストの答えはひとつではないということも含め非常に感慨深いものがありました」

完成した映画の上映も福島・郡山からスタートし、2人も厳粛な気持ちで舞台挨拶に立った。結果、88%が「素晴らしい」と評価し、否定する意見は0だったという。

佐藤「当事者から見れば、きついシーンやカットがある。そこを経て見ていただく覚悟を強いるという厳しさがある中で、何人も女性の方が泣いていらっしゃるし、司会の女性まで泣いてくれた」
 渡辺「さすがに背筋を伸ばして、えりを正して見てもらった感じはあります。最初はかなりきつかったけれど、これは見るべき映画だと思って最後まで見て、本当にいい映画を作ってもらってありがとうございますという声が多く寄せられたので、自信にもなったし、この映画に参加した誇りにもなった」

Fukushima50」は、海外メディアが作業員たちに敬意を込めて付けた呼称。そのためか、既に世界73の国と地域での配給が決まっている。

渡辺「ヒロシマと同じで、ここで何が起きたか、どういう人間たちが立ち向かったのかというドラマを伝えることで、フクシマというワードがネガティブワードではない、未来に対する大きなテーマを投げるワードになってほしいと思う。恐らくそうなるだろうという気はしています」
 佐藤「災害という負の遺産をそのまま伝えるのではなく、その時に自分たちの振る舞いも含めて少しでも考えてもらうだけで、未来に対する遺産になると思うし、そういう形になっていけばうれしい」

後世に残すべき映画「Fukushima50」。2人の思いは、必ずや届くはずだ。

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