Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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自分の知らないことがあの時起きていた
当時、中学1年生だった私は現場でここまで重大なことが起きてるとは知らずのうのうと生活していました。あの時、住んでいた場所は千葉県です。映画で初めて千葉まで影響があるかもしれないということを知りました。あの最前線で必死で日本の為に尽力を尽くしてくれた人達には本当に感謝しかありません。この映画を見るまで知れなかった事実がありますが今日、自分が安全で安心な生活を送れてることを当たり前だと思わず、感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいと思います。あの震災で亡くなった方々、被爆された方々にご冥福をお祈りします。この映画を作ってくれてありがとうございますこれからの長い人生いつか福島の為に日本の為に生きていけるように自分も尽力を尽くしていきます。
あくまで映画です
今だからこそ見てほしい
世間では新型コロナで大騒ぎだけど、この映画観たら放射能の恐怖は比ではないほど凄まじいものだったんだなと。当時テレビではもちろん放送していたけれども、西日本に住んでいる自分としては、あまり伝わってこなかった当時の状況を知れたことはとても良い経験でした。
映画としては吉田局長の手記を元にしているので、ドラマよりもドキュメンタリーに近い内容になっていました。世界に観てほしいなら、確かに映画が正解ですが、国内に広く知ってほしいという意味では2時間ドラマでも良かったと思います。
日本側の出演者を実力派で固めたことは良かった反面、アメリカ側の俳優陣の演技が下手で気になりました。
今後この作品が多くの人が目にすることを願うばかりです。
当時を知らない世代や福島から遠く離れた場所にお住まいの方は是非劇場でご覧ください。
祈り
知らないことが多くて、これがどこまで事実をトレースしているのかも解らないけど、あの時、何も知らずに、楽観的に単に祈っていた人が多かったのではないだろうか?
私はそうだった。
結果的に何が正しかったのかは、後になっても分からない(批判はできるけど)、その時、その時で、判断をしていくしかない。今のコロナウィルスに対する一斉休校だって同じです。
ただ、今となっては、あの時に奇跡が起きたことが全てで、多くの人の祈りが通じたのではなかろうか?と改めて思った。
もちろん、多くの人が祈ることも叶わずに、一瞬にして亡くなったことも事実だが…。
この映画というより、この災害は、何を残したのだろうか?
未だに電気を垂れ流し、原発を稼動させている。
(つい数年前まで原発が無くても普通に経済活動が出来たにも関わらず)
人はいつになったら叡智を得ることできないのだろうか?ということを考えさせられました。
一方で、多くの日本人が持っているであろう、ある意味での特攻精神(無私の精神)を見ることが出来て感動しました。
機会があれば、何度でも観たい。
良かった。 元々「事実をもとにした」系の映画は好きなのでよく見るけ...
俺たちは何か間違ったのか?
緊迫感抜群の映像。当時の再現性は高いという。役者陣の健闘もある。違和感は、ヒーローとヒールを明確にしているところか。たしかにその方が見ている方はわかりやすい。所長を含め実際の現場職員の使命感だって映画同様強かったはず。
だけど、そもそも論を言えば、あそこに原発を建設したときの予測が甘かった、に尽きるのだ。海に隣接するメリットはある。ならば、津波は避けられないリスクだとして、考え得る事態を十分想定したのか、が一番に問われるべきだ。有史にしっかりと貞観の地震の災害がある。歌詠みの”末の松山”と幾度も詠まれたあの地震だ。慶長期にも大津波が来ている。ここ100年くらいだって何度も。それは吉村昭の著書を読めば戦慄が走るほどだ。なのに、それを無視して低い堤防で濁した。その結果の原発事故。その責任は、この映画で被害者のように扱われている電力会社にある。さらには、その過去を知っていながらみすみす建設を許可した地元にも、ないとは言えないのではないか。その思いが消え去ることなく僕は観ているので、どうも素直に喝采を送る気分が湧いてこない。この映画に出ているFukushima50と賞賛された彼らの働きには頭が下がる。わが身を挺して「わが子」のような原発を鎮めようとする決意には、心うたれる。のに、だ。
吉田と伊崎が語る。
「俺たちは何か間違ったのか?とお前は言ったな。自然を支配したつもりになっていた、慢心だ」
単に美談で終わることなく、その言葉を肝に銘じなければならない。
日本を襲った歴史的な災害を心に留めよう
2011年3月11日、東日本大震災で恐るべき津波に見舞われた福島第一原発。ニュース映像やドキュメンタリー番組でしか知らなかったあの時、あの場所で何が起こっていたのか?
制御不能の原発に最後まで残り、命がけで戦った50人を海外のメディアはFukushima50と呼んだ。
これは事実に基づいた真実の物語。
人類の生死に関わる未曾有の大惨事に直面し極限状態の中において彼らが何を選択し、どう行動したのか?刻一刻と迫る日本終末へのカウントダウンを奇跡的に回避するまでを描いた作品です。
日本屈指の俳優陣の力量が緊迫感と臨場感を持って伝わってくる迫真の2時間。これらの勇敢な人々がいなければ日本は、あの時に終わっていたのだと思うと涙が止まらない。最後の五嶋龍のバイオリンの音が心に染みる。
これは原発の有無や当時の政権の姿勢を問う映画ではなく、このような事実を通して極限に遭遇した人間と日本人のあるべき姿を問う人間ドラマであり、日本の歴史的災害の記憶を風化させない為に日本人なら見るべき映画だと感じました。
現在、新型コロナウイルスで世界的なパンデミックであるため劇場での映画鑑賞を強く勧めるわけには行きませんが、本作を見るとコロナの危機的な状況下で頑張っている世界中の病院や医療関係者の姿が重なってしまいます。この最悪な病気が早期に収束することを心から願っています。皆さま、ご安全に!
真剣に向き合って観たい映画
日本に住むものとして観ないといけない気がして、このような時期ですが映画館に観に行きました。
あのとき何がおこっていたのか。地震・津波・余震…テレビを通して知り、想像を超える映像にただただ驚いていた9年前
今どうなっているか知っていても、映画を観ていて怖かった。それを思うと、先の見えない当時の現場の恐怖は計り知れない。
この映画をみて、命をかけて原発を守ろとした福島50の方々に改めて感謝の思いでいっぱいになりました。又、吉田所長の手紙での言葉、「自然の…」が終わりにあり、誰が悪いのではなく教訓だと思いました。
未だ続いている東日本大震災の影響もある中で、このような映画を公開していただきありがとうございます。
楽しい映画ではありません。目を背けたくなることもありますが、観ることができ本当によかったです。実際と相違があってもなくても、多くの方に是非観てほしい映画です。
多くの人に見てもらいたい
私がこの映画につける★の数は、映画そのものに対する評価ではなく、この映画を通して見えてくる、当時福島で戦っていた人たちへの感謝の気持ちです。
実話を基にしているといっても、変なお涙頂戴やおおげさな演出でしらけてしまうのではないか。変な脚色がされているのではないか。色々な不安はあったものの、原作は一応ノンフィクション。「当時、決死の思いで原発事故という未曾有の危機から逃げずに立ち向かった人達のことを、もっと知ることができるかもしれない」という思いで見に行きました。
予算のしょぼさがところどころに見え隠れし、その都度現実に引き戻されてしまうものの、ドキュメンタリーのような奇妙な感触があり、見知った役者さんたちの顔の後ろに、別の誰かが確かに見える。ホラー映画ではないのに、結末がわかっているのに、ただ恐ろしく、不安に押しつぶされそうになる。何も出来ず、ただ傍観するしかない観客である自分にもどかしくなる。テレビやパソコンの前で事態を見守ることしかできず、手を組んで祈るしかできなかった記憶が呼び覚まされ、気がつくと手に爪を立てていた。記憶による補完があるものの、映画は当時の緊迫した空気を見事に再現していると思う。
映画を見終えて胸に残るのは、ただただ深い感謝だけである。
この映画が見せる出来事は、ヒーロー物のフィクションではない。ハッピーエンドは必ずしも用意されていない、そんな厳しい現実の中で、スーパーヒーローでもない普通の人たちがギリギリのところで命をかけて頑張ってくれたのである。
月日は流れ、人の記憶は薄れていくけれど、忘れてはいけないことがある。知らないままでいてはいけないことがある。
つまらない、ありふれた日常がどれほどかけがえのないものなのか、忘れてはいけないのだ。
当時の記憶があるわたしには、この映画を単体では評価できません。
ですが、この映画の目標はきっちりと達成できていると思います。
映画もリアルもすべて含めて、星を捧げます。
※ちなみに、今は新型コロナウィルス禍の真っ只中。劇場はほとんど貸しきり状態でした。
多くの人に見てもらいたい映画なのに、このままではひっそりと上映期間が終わってしまうかもしれないと思うと、残念でしかたありません。
人生は苦難との共生
さまざまな意志は強く感じる作品。 後半の流れは、下記のように言われ...
さまざまな意志は強く感じる作品。
後半の流れは、下記のように言われても仕方ない。
昭和は、
原爆を落とされたまま、
特攻をさせたまま、
平成は、
震災もそのまま、
放射能もそのまま、
令和も?
コロナもそのまま、、、。
でも、がんばりました。
がんばりました?
現場でがんばった人たちに、
敬意を表して、
もうあなた達のような想いはさせない、
特攻はさせない。
現場への批判と、
指揮システムへの批判は別次元。
クニ、グンブ、トウゲンで括ると見えるべきものが見えなくなる。
修正すべき点が見えなくなる。
決死隊なんて不要な仕組みをつくる。
何度も劇中で出てきた、
若い人たちのため。
若い人たちのためになってる作品?
それを決めるのは観客ひとりひとり。
そのためにはもっと多数の作品を作られないといけない。
なぜ?
なぜ、若い人のために作らないといけないの?
もう決死隊は出さないため。
そのために、
組織としての、
考え方、文化、判断のしかた、
何が良くなかったのか、
反省、修正すらできない自分も含めた一部の昭和世代の、
悪しき習慣をリセットするため、
ではないのか?
中止はありえない、
は、
ありえない。
ありえないデータは?
ありえない根拠は?
同じことを繰り返さない為の、
意志を感じる部分と、
感じない部分があった、
ただ、それだけ。
題材が大震災で、多くの視点があるとは思いつつ
誰もが観るべき作品
あの日、絶望的な状況の中で現場の作業員の方々が、どれだけ必死に日本の為に頑張ってくれていたのかを知ることができ、感謝の想いしかありません。
原発周辺の住民の方々が避難するシーンがありましたが、この日から9年経った今でも、この住民の多くは家に帰れていないという事実にゾッとしました。
また、登場人物の父親が原発が出来たおかげで、出稼ぎに行かずに家族と暮らせると言っているシーンがあり、原発を巡る問題は安全性だけでは解決しないと言うことも認識しました。
原子力発電に関する問題は様々な政治的な立場や意見があるとは思います。しかし、あの時絶望のどん底で現場の作業員がどれだけ必死に職務を全うしていたか、原発周辺の住民はどのような気持ちで避難していったか。来年に復興五輪を控えているからこそ、この映画を観て、それを改めて知るべきだと思いました。
Fukushima
素人がプロに口出しをしてはいけないね
文系は無力。こういうとき理系は強くて、かっこいい
組織、原子力事故、仕事に対して勉強になった。
情報の伝達をするにあたって人数が多すぎると混乱を招くし、だからといって人数が少ないと現場の人数が足りなくなる。なおさら未曾有の地震だから難しい。
そして恥ずかしながら東海村JCO臨界事故を知らなかった、、、とんでもない事故だったのに、、
原子力発電所動かすべきだなんて軽々しく言えん。
「慢心」これほど当たり前にやってきて怖いものはない
東電本店と現場の板挟みはつらい。変に責任も重いし、現場との兼ね合いもあるし中間管理職て大変。
豪華キャスティングすぎた、、、! 最高。
トイレのタバコ渋すぎ。カッコ良い
家族のシーン2パターンと米兵シーンあったのは不思議だったけど。
あ、あとなんで4号機の爆発触れなかったのかも不思議
専門用語をある程度入れて、事前に調べてからみるともっと楽しい映画になると思います。
東電は原発復興作業員を守れ
あの時、福島の原子力発電所で何が実際に起きていたのかを見たくて映画館に足を運んだ。映画に関しては感動ポルノ的な俳優の演出がすこしきつかった。東電本社と官邸と現場で作業している人たちが対立するのは当たり前で、皆それぞれの立場で出来ることをしたと思う。ネットの放送などで原作者の門田隆将が菅直人の事をディスる発言をしているのを多少見たが、完全情報のない当時、国民の代表として東電や現場指揮者に圧力をかけるのは彼の役目だと思う(現場に自分が向かう必要はなかったかもしれないが)。福島50の人々には頭の下がる思いだが、今なお原発の復興に従事している人の事を忘れてはならない。高線量にも関わらず命を削って作業している人々が多重の下請け構造の中でひどい中抜きをされていると耳にする。これは、今現在の私たちの責任である。東電の人間はこの元請け下請け構造をどうにかできないのであろうか、当時現場にいる人だけが命を懸けているのではない。福島原発の社員だけがヒーローなのではない。このような復興作業員の待遇をそのままに放置して、目を逸らしているのだとすれば、私は東京電力を応援する気にはなれないのであります。
生きる
久しぶりに最初から最後まで涙が止まらない、ハンカチがハンカチの役割を十二分に活躍させた作品でした。
原子力発電のシステムに関して、専門用語も出てきますが、素人の私にも、なんとなく理解できるように、ちょいちょい解説も入っていて、今何をすべきなのか、それがどんなに難しく、どれだけ大事なことなのかがよく伝わってきました。
地震・津波という、どうしようもない天災、エネルギー、立地の良し悪し、経済的効果などなど考えてしまったことはたくさんありましたが、大事なメッセージはエンディングに込められていたと思います。
2011年3月の震災を風化させずに、誤ちを繰り返さないと言いながらも、日々、あの衝撃を忘れて怠惰な生活に自分堕ちていたなと反省しました。
現場で命をかけて対応してくださいました皆様に感謝の一言です。
知らない事実があった
いずれ作られるべき題材。「今」だから大切なのだ
震災当時、自分はとても幼かった。
名古屋に居たので震源からは遠いのだがかなり揺れた。
その時公園で同級生と遊んでいた。
何をしてたかは忘れたがブランコが勝手に揺れて騒いだのを覚えてる。
その後親が公園に来て家に帰った。
母とニュースを観ながら「津波ってなーにー?」と何度も聞いた。
あれから9年。
2011年なんてほとんど忘れているのにあの日の思い出だけは鮮明に覚えてる。
正直に言おう。
原発事故がどうのこうのとは知っていたが何が起こっていたのかは何も知らなかった。原発が爆発したことすら知らなかった。そして何があったのか調べた事も無かった。
つまり当時幼い自分のような世代には原発事故に関しては80%風化されている状況だ。
そんな時にこの映画を観た。
専門用語が飛び交い完全には理解出来なかったが、ベントはいかに深刻なのか?原発で何が起きたのか?それらに対しては充分理解出来た。
絶句した。
自分は名古屋で呑気にお菓子を食べながらテレビを観ていた時、福島ではこんなに悲惨な事が起こっていたのか?と。
この出来事は原発事故とされている。
しかし厳密には原発人災事故とも言える。
政治的な背景が事実と違うと批判してる人がネットにたくさんいる。
それに関しての知識は全く無いのでなんとも言えないが確かにこの映画は政治面で気を使ってるように思えた。
せっかくこの題材に挑むのだからちゃんと政治家達は実名で責任は誰なのか?頭の硬い政府は何をしていたのか?そこを明確にして社会派としても描いて欲しかった。
邦画だから観ない。
そんな人もおそらくいる。
映画は観なくてもいい。
しかしこの機会に是非、フクシマ50について調べて欲しい。
社会では風化してはいない。
しかし自分達のような若い世代には風化している。
我々はこの教訓、事実を風化から「復興」すべきではないのだろうか?
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