グリーンブックのレビュー・感想・評価
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何もかも正反対な2人が人種差別を乗り越えながら変化していく実話を基にしたロードムービー
必死に理性を保ちながら生きている
孤独な天才ピアニストと
そのピアニストのコンサートツアーに
用心棒兼運転手を任されることになった
必死に今をありのまま生きている主人公。
性格、人種、生活すら正反対な2人が本気でぶつかり合い
人種差別を乗り越え、固い友情が芽生えていくお話し。
笑えるところもあり、じんと心が温まる
素晴らしい友情を実話を基に描いている。
人種差別の問題は本当に辛い。
奴隷制度、アメリカ南部の黒人差別問題。
グリーンブックというものがあったことは知らなかった。
そんな真っ只中
敢えて人種差別に立ち向かう
彼ら(先人)のとてつもなく強い勇気と行動が
現在に繋がっているのだとわかり
とても考えさせられた。
勇気ある行動は人の心を動かす。
差別は会社やコミュニティなど小さなところから地域や国など大きなところまで、
なくなることは難しいかもしれない。
黒人だから、白人だから、イタリア系だから
〇〇なんだと決めつけることは
差別している事と同じだと気づかされた。
私自身も知らぬ間に、偏見や決めつけるような凝り固まった思考になっているところがあると思う。
個人、1人の人として、向き合い理解を深め、尊重できる人になりたいと思った。
人は何かがあって心を閉ざすことがある。
常に冷静でいて、楽しそうではなかった天才ピアニストだが、
主人公と心に触れ、段々距離が縮まり
感情を出せるようになっていった。
そして最後、楽しそうに演奏する姿はいつにも増して素敵で輝いていた。
人は人との心の交流を通じて閉ざされた心も開くことができる。相手を想う行動は相手の心に伝わる。
音楽は差別も関係なく人の心に伝わり、素晴らしいと感じさせてくれた。
最後のシーンは色んな愛に溢れていた。
人種差別を考えさせながら
友情や愛に心温まる映画。
ヴィゴ・モーテンセンか!??
車内の前後の位置関係が、まったく異なる二人を優しく近づける。
〇作品全体
生まれも育ちも人種も性的趣向もなにもかも異なるトニーとシャーリー。二人の旅の序盤から、すでにトニーはシャーリーとウマが合うことをドロレスへの手紙で綴っているけれど、それでも黒人に対して差別意識のあるトニーがシャーリーと長い時間同じ場所で過ごすということは難しいことだと思う。
この状況でワンアクセント、特徴的なものがあった。それは車内での前後の位置関係だ。
トニーとシャーリーの二人は旅の多くの時間を車内で過ごす。会話は必然と前後の位置関係になるわけだが、この位置関係であれば外見からくる二人の齟齬は薄れる。外見というのは肌の色や、所作から感じる育ちの要素もそうだろう。ひざ掛けをするシャーリーと、人の分までサンドイッチを食べてしまうトニーの育ち方はカメラを通せば一目瞭然だが、二人からすればそれがそれぞれの視界に入ることはほとんどない。前後の位置関係であれば、シャーリーからすれば「不衛生」で行儀の悪いフライドチキンを食べる姿も直接見られることはない。
顔を合わせていなからこそ真っ向から対面する緊張感がなくなる。相手の許容できる部分は許容できるし、許容できない部分については許容できないと本心を出し、意見を交わすことができる。行く先々で肌が黒いことを気にしなければならない世界で許容を強いられ、一方で黒人コミュニティに馴染めず孤独でいるシャーリーにとって、肌の色が関係ないうえ一人ではないこの空間が、心を開くきっかけになったのではないだろうか。
トニーからしても、視界は前の景色とバックミラーだけで、人種を意識して話す機会はほとんどない。頭に血が上りやすい性格だが自分勝手な性格ではないことは用心棒の働きっぷりからも、そして家族との関係性からも見ていればわかる。
これは完全な私的な印象だけれど、映画作品において嫌々仕事を請け負うときの理由付けは、得てしてネガティブな義務感からが多い。家庭で問題があるから、なにかしらの過ちから…等々。本作でもトニーが用心棒でやりすぎてしまったから、というのはあるけれど、最終的に仕事を請け負う決め手はドロレスの承諾があったからだ。元々順調な夫婦の仲をより強固にする、というポジティブなストーリーラインが好きだし、トニーがただの無法者ではなく、家庭に責任を持つ夫であるというキャラクター付けも好感が持てる。
話が少し逸れたが、トニーの「2時と10時でハンドルを握る」責任感をきちんと持ち合わせ、時にそれをハズすユーモアが存分に発揮される運転席というポジションだったと思う。
二人が視線を合わせて対面で話す機会は車外でもほとんどない。レストランではシャーリーが新聞に視線に落としているし、手紙の書き方を教えるときにもシャーリーが横を向いていたり、トニーのまわりを歩いていたりする。同室に泊まった時も、二人はベッドに横たわりながら会話をする。
そういったワンクッション置くような位置関係での会話があるからこそ、対面で、目線を合わせて会話するシーンは重要な場面で使われる。石を盗んだトニーを咎めるシーンや、浴場で警察官を買収した後の駐車場のシーンだ。距離を詰める空間では目線を外してソフトな空気感に、距離間を確かめる空間では目線を合わせハードに。この映像的緩急が二人の関係性を築いていく上で非常に大事な役割を担っていたと思う。
本作のwikipediaを覗いてみたら、本作は「白人の救世主」の典型例だという。確かにそうかもしれない。だが、「救世主」然としていないとも感じる。その根拠として、二人が帰属する人種や生まれ、育ち…そういった「白人の救世主」要素が薄まるこの前後の関係性があったからだと、そう納得することもできた。だからこそ自分は二人の友情に魅入られたのだと、そう感じる。
〇その他
・終盤、黒人が集まるレストランでシャーリーがピアノを弾くシーンがすごく良かった。孤独から脱却する一歩、みたいに映るし、今までシャーリーがやってきたことは間違いじゃなかった、といような肯定感もある。
理解し合う映画と、理解し合える関係になれた、そんな気がした映画でした。
おっさんには、オスカーの凋落と打算しか本作には見いだせなかったよ。
去年のアカデミー賞はマイノリティ、ダイバーシティヨイショの極端な過敏反応のせいで、クソみたいな同人誌映画「シェイプ・オブ・ウォーター」が受賞した。
もちろん前向きに見ると、「初の怪獣映画のオスカー受賞、イエイ」といえなくもないが、ただ単に、オタクが会員層の大部分を締め、「難しい」映画を理解できなくなったとも言えなくない。
そんなこんなのアカデミー賞の今年の結果はどうかと言うと、案の定の、会員があたかも全員一斉に集まって、消去法で決めたかのような、各部門の受賞結果。
もはや映画の内容、映画のデキには目を向けず、マイノリティ、ダイバーシティヨイショだけが選考理由。
結果、あげるべき人にあげてないくせに「ダイバーシティ」だとほざきやがる。
アカデミー賞は、業界人による、内輪の賞だが、もはやこんなももらって嬉しいか?というほどに、権威は失墜したと思う。
そんなことがはっきり見えたのが、この
「グリーンブック」
・
・
・
「既視感」というには、あまりにも退屈すぎる。ここで繰り広げられる物語は、表面上で起こったことしか見えない。というより、見せていない。想像力の欠如とでも言おうか、登場するキャラクターの背景が全くと言っていいほど、表面的だ。
ああ、脚本家の一人に、主人公の息子がいるからか。
もちろん、彼にとって父親である主人公は「ヒーロー」である。だがあまりにも物分りが良すぎる。まるで、事の流れに逆らわないように。
ドクに、「自分にしかデキないことをしろ」、というが、そんなキャラだったか?
そもそもドクが天才なのは誰でもわかるかもしれないが、彼がそこまでドクに「仕事以上」に心を通わせるのがわからない。
手紙?手紙の反応がトニーに戻ってきた描写はない。
plainとplaneのしょうもない話はともかく、主人公の「美しい平原広がる南部ツアー」の結果が黒人と仲良くなっただけなのも、ロードムービーの体をとってるくせに、つまらなすぎ。
ドクのほうも、全くと言っていいほど、ペラペラのキャラクター。
ちょっとだけホモネタ入れちゃう?とか、どうせ、そんなノリだろ?
南部に行く理由も、「勇気ある行動」で片付けられる。
勇気を示す理由は何よ?そして、そもそも散々引っ張った兄貴の件はどうなったんだよ?
つまり、こういう設定だったら、オスカー取れんじゃね?こういうシーン入れときゃオスカー取れんじゃね?ということしか考えていない映画。
グリーンブックというタイトルも、止まった場所に何かあるわけでもなく、地域性だって、ケンタッキー・フライド・チキンだあ?子供の映画か。(当時のクソ不味いアメリカのKFCをニコニコ食べる二人をギャグにしているのかもしれないが)
「グリーンブック」ってタイトルつけときゃ、アイロニックな感じが出るでしょうみたいなのりだったんだろうが、全く機能していない。
クライマックスに、黒人で溢れるBARでドクの演奏するシーンが有る。トニーが黒人限定BARに入るところこそが、本当は一番ドラマなはずなのだが、そこはお前ら、スルーかよ。
トニーが黒人限定なBARに入る、これこそまさに「『逆』グリーンブック」。
これで評価されるならまだ分かる。
追記
唯一の笑いどころは、銃を実際に持っていたところだけ。だが、これだって相当やばい「ネタ」なのに、もっと高いレベルの笑いにまで昇華できたはずだ。
結果、黒人をダシにして、主人公がお金を稼いで、物分かりのいい性格になり、手紙を書くのが上手になりました、っていうだけの映画。
それでも、僕たちは手紙を出さなければいけない。
初めて鑑賞したとき、あまりの“良さ”にやられ、その日のうちに2度目の鑑賞をキメた。それくらい好きな作品だ。
改めて再鑑賞したので、僕の心のうちをうまく説明できるかどうかわからないが、とにかく感想をつらつらと書いてみる。
おじさん2人の珍道中ともいうべき物語は、どこかハートフルで、どこかコミカルで、どこかデカダンス。個人的に心に残るのは、「手紙」というモチーフを通じて描かれる“コミュニケーションの郵便的不安”だった。
“郵便的”とは何か。フランスの哲学者ジャック・デリダによる概念だ。ここでは「意図したものが届くかどうかわからない」という意味で使用していく(概念として間違ってるかもしれないけど…細かいことは置いておく)。
郵便は差出人が郵便局を預ければ、それは局を通じて受取人に届けられる。しかし、郵便は確実に届くのだろうか? 誤配の可能性は確かに存在し、郵便が届くかどうかはわからない。そして何かの行き違いでどこかに行ってしまえば、永久に失われるのである。
それは手紙などの郵便物だけでなく、コミュニケーションも同様である。僕すなわち主体が発する言葉を、受け手である客体は、主体が意図した正しい意味で受け取るだろうか。
言葉という媒介を通している以上、主体の意図した意味から大きく外れ、誤解が生じることは珍しくない。というか宿命とすら言える。コミュニケーションは非常に脆いシステムの上に成り立っている、極めて紛失されやすい郵便なのだ。
本作ではトニーが妻に、旅の無事を知らせる手紙を出す。それは単なる手紙ではなく、物語のテーマを内包する“装置”でもある。つまり本作の手紙は、コミュニケーションの郵便的不安、すなわち“届くかどうか、伝わるかどうか”という主題を象徴している。
トニーがドクターにフライドチキンを勧め、「黒人のソウルフードだろ?」と語りかける。ドクターは苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。トニーに悪気があったわけではない。無自覚に、本当に単純に、美味いからチキンを食えと言っている。しかし、差別に敏感なドクターには、その意図は届かない。
こうして、トニーとドクターはいささか、コミュニケーションの郵便的不安に翻弄され、すれ違いを見せつつ、誤解と理解を繰り返しながら旅を続けていく。ところが、その誤解と理解を繰り返す、という点に、僕たちがこの修羅のような世界で健やかに生きるためのヒントが現れているように思える。
トニーとドクターが対話するうちにお互いを知り、友情を芽生えさせていく。コミュニケーションは届くかどうかわからない不安定な手紙だ。でも、差し出してみなければ絶対に届かない。痛みが伴うかもしれない。溝ができるかもしれない。それでも、僕たちは手紙を出さなければいけないのだ。スクリーンに映る2人は、観客にそんなことを語りかけてくれる。
「寂しいときは自分から手を打たなきゃ」「才能だけでは不十分だ。勇気が人を変える」「黒人でも白人でも人間でもない。教えてくれトニー。私はなんなんだ」
監督のピーター・ファレリーやキャストたちが差し出した手紙は、僕にしっかりと届いた、と思う。このレビューという手紙も、誰かに届くだろうか。
複雑に入り組む人種差別
粗野なイタリア系白人と知的な黒人のロードムービー。あえて黒人差別の激しい南部へコンサートツアーに行くシャーリーの決断は、それもまた偏見をなくす一歩であるからだが、そのコンサートに来るのは、「先進的」だと思っている白人ばかり。黒人の音楽に理解を示す自分は差別主義者などではないと彼らは思っている。しかし、地元の黒人にはめもくれず、この構造自体が差別を温存してもいる。(スパイク・リーが過激な発言をよくするのは、そういう構造に利用されたくないという思惑もあるのだろう)
白人であっても貧困で被差別的な扱いのイタリア系のトニーは黒人に仕えるということに複雑な感情を抱き、黒人であっても知的で裕福に暮らすシャーリーは黒人コミュニティでも馴染めない。人種差別がとても複雑に入り組んでいるのである。
その複雑に対して、やや安直すぎる結末ではないかとも思うが、気持ちよく観られる作品だ。ただ、気持ちよくなっただけでは、「先進的」だと思いこんでいる南部の白人と変わらない。差別の複雑な背景を理解するよう努めなければならない。
祝作品賞。旅が育む友情、笑い、音楽すべて最高!
よく指摘されるように、仏映画「最強のふたり」を観た人なら多くの共通項をこの「グリーンブック」に見出せるだろう。白人と黒人、教養も資産もかけ離れた2人が、カルチャーショックを経て確かな友情を築いていく。どちらも実話ベースだが、創作したかのように好対照な凸凹コンビだし、だからこそ奇跡的に生まれた絆が一層輝く。
ロードムービー、バディもの、喜劇、音楽といった王道のジャンルと素材に、人種問題やLGBTという社会派の味も加わり、しかもそれぞれの要素が邪魔しあうことなく、絶妙なハーモニーで口当たりの良い逸品料理に仕上がった。アカデミー賞の作品賞も納得だし、ピーター・ファレリー監督の手腕も見事と言うしかない。
車中でトニーがドクにフライドチキンを強引に薦める場面。ラスト近くでトニーの妻ドロレスがドクに伝える言葉。思い出すだけで頬が緩み、同時に胸がじんわりと温かくなる。
この映画は観客を選ばない。分かりやすく楽しく、魂のうねりに触れられる傑作
この映画は観客を選ばない。誰もがハードルなく楽しめて、10人中9人が「本当にいい映画だったね」と胸を熱くさせて映画館を後にすることができる。そんなわかりやすさと可笑しさ、そして観客の心をグッと引き寄せる魂のうねりを併せ持った作品なのだ。
冒頭ではちょっと強面なオヤジに見えた太鼓っぱらのヴィゴ・モーテンセンと、それとは正反対の気高さを持つ黒人ピアニスト役のマハーシャラ・アリ。肌の色も性格も育ちも正反対の彼らが、旅の過程で徐々に互いへの敬意と友情を結んでいく。そこに折り重なるエピソード一つ一つがまた、なんとも言えない輝きを放ち、胸いっぱいに余韻を広げていく。
このロードムービーは二人の目線の高さを同じくして、互いの立場に立って物事を見つめることの尊さを我々に教えてくれる。60年代を舞台にしながら、分断の顕著な現代世界に、普遍的であり微塵のブレもない力強いメッセージをもたらしてくれる傑作だ。
素敵な映画!定期的に見たくなる作品!
合同会社everfreeという会社の代表をしている梶清智志と言います。
大好きな作品になったのでシェアしたいと思い、感想書いていきます。
まず最初見る時に気になったのは、音楽関係の映画だということ、そして
アカデミー賞では全5部門でノミネートされ、作品賞、脚本賞、助演男優賞を受賞
ゴールデングローブ賞も3部門受賞
と賞を取りまくっているすごい映画だということ。
実話というのもものすごく惹かれていました。
見た感想は、とにかくラストがものすごく感動!!!!!!
そして、
・作中のピアノの演奏がしびれる!
・フライドチキンが美味しそうすぎる!
・主人公の奥さんがとても素敵!
と見所は満載なんですが、僕自身が特に学びがあり、痺れたポイントを3箇所書きたいと思います。
①新しい体験にチャレンジしていく勇気
そもそもホワイトハウスで演奏するぐらい成功しているにも関わらず、差別が激しい地域に乗り込んでチャレンジしていく姿がものすごくかっこよかったです。
自分なら、このチャレンジができるか?
今後自分をさらに成長させていくには、こういう厳しいところにチャレンジしていく必要あるなと感じたので、余計に痺れました。
②寂しい時は自分から
これもまた心にグッときたところなんですが、いろんなものを抱えて一人孤独を感じて助けて欲しいときほど自分から行けばいいと。
経営者をしていると、孤独に感じる時もあるし、きつい時もいっぱいあるし、寂しい時もたくさん。そういう時ほど自分からいくことで救われることってあるんだなと感じた学びの一言でした。
③信念を貫き通す
最も痺れたのはこれです。
最後の最後、信念貫くことで、自分の幅が広がり、新しい一面が見え、最高の演奏を披露していて痺れました!
自分の仕事でも、自分の信念を貫き通していくこと大事と思ったので、実践していきます。
この3つが特に学びがあり最高だなと思ったポイントです。
本当に最高の映画でした。
ご興味ある方はぜひ鑑賞してみてください。
良すぎる
良すぎる〜2人の組み合わせが良すぎる
生半可な精神力では心を病んでしまうような体験を繰り返してなお、南部でのツアーを決め舞台に立つドクの精神力と信念が本当に強い。そんなんできない。
何がそこまで彼を動かすのか、何が原動力になっているのかもっと知りたいと思いました。
ずっと孤独だったドクがレストランで黒人社会に受け入れられるシーンや、最後白人のトニーの家族に歓迎されるシーンは本当に…涙…。ありがとう…。
トニーの自分に正直でまっすぐな人間性もよかったです。
肌の色で決めるのではなく、しっかり1人の人間としてドクに向き合い、純粋に評価していることが伝わってめちゃめちゃいい奴だな!と思いました。
家族やドクなど身内への愛が大きいところもいいですね。
ポイ捨てするし窃盗するし身近にいたら絶対嫌ですけど。
不憫なミュージシャンとワイルドな相棒
実話に基いた話。ドライバー兼用心棒を務めたトニーとピアニストのシャーリーが2013年まで友人であったことにも感動。トニーは最初、黒人に対して毛嫌いしていたけど、シャーリーに会ったことで黒人に対して毛嫌いではなくなっていく様子と頑なに自身の存在を律する事ばかりに囚われていたシャーリーが徐々にトニーに打ち解けていく様子が見どころ。
世界は醜い、でも時々美しい。
心痛む描写は多い。
最初トニーは差別主義者の気難しい粗忽者かと思ってたけど、ドクを守るトニーの姿にだんだんと印象が変わっていった。おしゃべりででたらめで気の強いトニーはなんて頼もしいのかと。
他の車から見られた時、トニーが中指立てるの最高だった。
ラスト、自分を差別する支配人に対して誇りを貫いたこと、その後のバーでクリスマスパーティよろしくシャーリーの音楽を披露して盛り上がったところ、泣いた。
持ってないと言っていた銃を持っていたところ、雪の中出会った警官は差別しなかったところもいいオチ。
ドク(シャーリー)からクリスマスパーティに参加したことも、ドクとトニーはお互いに刺激し合い人として変わったんだと思わされた。
希望の持てるいい終わり方だ。人よ、見えるもので決めつけるのはやめよう。優しくあろう。
何度でも見れる、素晴らしい人間ドラマだ。
黒人ピアニスト、ドン・シャーリーと、彼の運転手兼ボディガードでイタリア系のフランク・「トニー・リップ」・ヴァレロンガが、1962年にディープサウスを演奏旅行した実話に基づくロードムービー。
黒人と非黒人でロードムービーというと、『ドライビング Miss デイジー』もある。ただし、あっちは老齢のユダヤ人未亡人で、本作はイタリア系の用心棒。
本作は、人種差別が根強い米国最南部が舞台だが、娯楽色の強い作品だ。さまざまな困難や屈辱を乗り越える黒人音楽家とイタリア系用心棒の友情を、ユーモアを交え、ハートウォーミングな演出で綴っている。
善意さにあふれたベタな映画で、安心して見ていられるし、よく練られた大人の寓話だ。数々の気の利いたやり取りを、ヴィゴ・モーテンセンとマハーシャラ・アリが軽妙に演じ切っている。何度でも見れる、素晴らしい人間ドラマだ。
⭐︎4.3 / 5.0
だいぶマイルド
あんたは俺の相棒だぜ
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