ボヘミアン・ラプソディのレビュー・感想・評価
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フレディ・マーキュリーの鬼子、フランクン・フルター
クイーンというバンドを知ったのは高校生の頃で、「すごく長くて途中でオペラになる変な曲がある」と洋楽好きのクラスメイトが貸してくれたのが、「ボヘミアン・ラプソディ」が収録された『オペラ座の夜』だった。ゴリゴリの洋楽ロック・ヘヴィメタルに熱中していて、ガンズ・アンド・ローゼズやメタリカを聴いていたところに、いきなり何か異質で突飛なロックを放り込まれて、あまり好きにはなれなかったと記憶している。
しかし、本作を観て、初めてクイーンの曲を聴いた頃をまざまざと思い出した。クイーンと様々な出会い方をしたたくさんのファンも、本作で何がしか過去の記憶を喚起されたのではないだろうか。
フレディ・マーキュリーの人生、そしてロック・ミュージカルとしての本作が特に想起させるのは、ジム・シャーマン監督『ロッキー・ホラー・ショー』だ。あえて言えば、フレディの生涯の一部分を切り取って、キャラ化してスキャンダラスなコメディに仕立てれば、それは『ロッキー―』になる。
本作『ボヘミアン―』が、バイセクシャルとして生き、エイズの合併症で亡くなったフレディを「美しく」描ききったとすれば、そうした光の部分から排除された残余が押し流されて、エキセントリックな怪作『ロッキー―』が誕生した、と思える。フランクン・フルターは「闇のフレディ」なのだ。
ボヘミアン・ラブソディの歌詞が真に迫ってくるラスト
この映画、既視感があった。「アマデウス」モーツァルトだ。
・稀有の天才、型にはまらない音楽
・栄華と孤独
・オペラ
・そして早過ぎる死、、、。
ただ一つ違うことはフレディはクイーンという「バンド」であり、信頼できる仲間がいたこと。
このバンドメンバーが3人ともいい!特にブライアン。まなざしや言葉に温かさと包容力が出ています。親戚のお兄さんみたい!メアリーもジムもいいね。弁護士のおじさんも。(ライブでちょっとしたことしちゃうところなんかも。)
ライブ・エイドで「ボヘミアン・ラブソディ」をピアノ弾きながら歌うシーン。歌詞とフレディの現状が見事に重なり泣けた。
あと、「Love of My Life」を観客が歌い出し、フレディが感激して立ちすくんでいるところも。いやー、これいい歌だわ!
高校の時にクイーンの大ファンのクラスメートがいたが「どうせうるさいハードロックだろ?」と決めつけて聞かなかった。それがどうだ。いい曲いっぱいあるやん!綺麗な曲やん!うるさくないやん! あのクラスメートの慧眼にいまさらながら感服する。。
大観衆と一体になるクイーン。
みなさん言っていますが、ほんとこの映画は映画館の大画面&大音響で観てライブ感を味わってこそ!ぜひ映画館で!!
※いつのまにかアルバムも購入、映画も2回目です。。。(同じ映画を2回観ることなんて滅多にないのに。) すっかりクイーンにはまっています。
※この映画を薦めてくれたサイト「前田有一の超映画批評」、感謝です。
元クイーンファンのおっさんは本作を観ながら、文句を言いつつも歌ってしまったよ。
聴かなくなったのはいつからだろうか。
「ウェインズ・ワールド」('92)のヘッドバンギングから始まっているので、大学生のころから聴き始めたのだが、ジョジョよりちょっと先に「キラー・クイーン」にハマり、青くっさいガキゆえ「手をとりあって」にすっかり毒され、プログレにハマっている最中に、「クイーンII」にハマり、「ショー・マスト・ゴー・オン」に泣かされ、「輝ける日々」に枯れるほど泣き、「メイド・イン・ヘヴン」で我に返ってから十数年。
オレの今のプレイリストには、「セイル・アウェイ・スイート・シスター」しか残っていない、という。
あ、そうか、あとはレディ・ガガを聞き始めて、「レディオ・ガガ」をちょっと聴いたぐらいか。
そんなクイーンの映画化の企画が立ち上がったのを聞いた時は全く興味がなかった。だが監督は「あの」ブライアン・シンガーだという。おれに、そんな趣味はないが、これは行かなくては。
カミさんに、テイラー・スウィフトのライブ鑑賞をNGにされたので、これはお願いしやすい。
というか、テイラーの代わりになるのか?と思いつつも、OKをもらったので、初日の川崎LIVE-ZOUNDへ。
「ボヘミアン・ラプソディー」
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本作は、クイーンの実は「落ちていく直前の最期の一花咲かせたイベント」にあたるライブ・エイドをラストに持ってきているので、「ベテラン」となって「商業おっさんバンド」としての「カインド・オブ・マジック」以降とフレディの肉体的衰退とその最後までは描かれていないが、これで正解だと思う。
「元」クイーンファン、ということもあるが、感傷的なレビューはせずに語るならば、フレディが天才、というだけでなく、ルックスにコンプレックスを持っていたり、止められない性癖、一人では眠れない小さな男として描かれていることに、作り手のこだわりを感じる。
ゲイに目覚めていくエピソードやその描写など、「今の時代だからこそ」、描ける、受け入れられるものであり、商業的にも、ただの伝記映画にしない、時流に乗ったものという印象が強い。
だが、映画として、面白くなっているかというと、それは違う。
本作、基本的には、フレディの「栄光と影」の話だ。同時にベストアルバム的な選曲とその誕生エピソードを展開しながら進むため、ファンは楽しいが、フレディの波乱万丈な人生描写とうまくリンクしていない。
もちろん、「ボヘミアン・ラプソディー」誕生秘話は前半のハイライトであるには違いないが、映画としての盛り上がりがライブ・エイドまで全くないのはキツイ。
ラブストーリーとしても、史実に近いルックスの相手ゆえ、BL映画として楽しむことも難しい。
「伝記映画」と「映画」のバランス、「虚構」と「真実」の「演出」がどうにも振り切れていないというか、詰めが甘い。
そして最大の欠点は、ライブ・エイドのシーン。
妙ちくりんなカメラワークや粗いCGは、まあ、置いておこう。それよりも、いちいち会場外のバーやフレディの実家を映したり、とちょいちょい、ステージの外にカメラが飛び出してしまう点だ。
こっちはなあ、一緒に歌ってんだよ!!
みるみる記憶がよみがえって、全曲歌詞まで思い出してちゃってるんだよ!!それを邪魔しやがって、この映画にこれ以上の楽しみ方があるか??
ましてやここがハイライトですうみたいな作りにしているのに、20分間ずーっとステージにくぎ付けにしないでどうするよ??
いや、確かに「ハンマー・トゥ・フォール」をフルに聴くのは嫌だ。だからと言って、チャリティ募金がいくらになりました、電話が引っ切り無しになってます、とかどうでもいいんだよ。ライブシーンの迫力を観ればそんなこと描かなくても分かる。
お前らは泣いたというが、オレは違う意味で泣いたよ。
ブライアン・シンガー降板については、後で知ったが、ブライアン・シンガー自身にこだわりはないが、彼のそのケの「演出」がどこまでだったのかには、興味はあった。どの部分でもめたのか知らないが「ゲイ」映画としては、今の時代的にはまあまあ、だが映画としての出来は落第。
結局、「クイーンの功績のみ」で映画が成り立っただけ、という結果。
フレディ役についてだが、似てはいないし、初期のルックスは悪意があるんじゃね?と思わせるほどブサイク。顔もそうだが、線が細い。これならROLLYのほうがいんじゃね、とも思った。
だが、ちっぽけな、そして、後悔先に立たず、な時間のない覚悟を決めた男が、ウェンブリーでの大会場で主催者にして最高のライブアクトと言わしめたあのシーンを十分に再現していたと思うし、だからこそこっちも一緒に歌うことが出来た。
先も述べたが、クイーンの名曲誕生秘話を楽しみながら、歌い、ライブ・エイドの20分で大合唱するのがこの映画の楽しみ方なので、遠慮なく歌えばいい。
テイラーの代わりには、まあ、なったかな。
追記
最後に「ドント・ストップ・ミー・ナウ」と「ショー・マスト・ゴー・オン」を使ったりと「ベストアルバム」的な役割は抜かりないし、「アイム・イン・ラブ・ウィズ・マイ・カー」の自虐ネタは楽しいだが、やはり「クイーンII」の扱いは低いな。
追記2
「ボヘミアン・ラプソディ」がフルに聴かせてくれない点について
劇中なぜフルに聴かせてくれないのか、という文句をちょいちょい見かける。
そりゃ、お前、曲誕生のエピソードでしっかり、オーバーダブの繰り返しで曲が出来た、という説明をしっかりしてるやないか。
ライブ・エイドのほうで実際全部やってないので、聞かせないのは当たり前だが、「ボヘミアン・ラプソディ」をライブで行ったときの、ステージ演出も当時はオペラパートはかなりキッツイものだったことは残されたライブ映像も観ても分かる。
また曲自体が「オペラ」ゆえ、「ミュージカル映画」にしようとしていないのだから、劇伴にもなりにくい。
この映画が「聴かせてくれない」のは、「聴かせられない」からだ。
今の世間の認識と同様の「ライブバンド」としての伝説を謳った映画なので、「クイーンII」の扱いが低いのも、当然と言えば当然なのだろう。
このメガヒット音楽映画の凄さとは?
「ボヘミアン・ラプソディ」は何が凄いのか。これは、クイーンという素材、制作陣、役者の凄さの掛け算の究極系なのかもしれません。
私は最初クイーンというバンドは薄っすらと2、3曲しか知らなかったにも関わらず入り込めました。これは脚本や演出の上手さも大きくて、主人公のフレディ・マーキュリーが「パキ(パキスタン人)野郎」と差別されるバイト時代から描き、バンドの結成過程、クイーンの音楽の天才的な先見性などをテンポよく描いていきます。ただ、単なるサクセスストーリーではなく、「バンドあるある」の堕落ぶりもしっかりと描き、クライマックスの「ライヴエイド」に向かって突き進みます。実は結構な要素が盛り込まれていますし、歌われている楽曲も多いのですが、それらがバランスよく編集されているので全く飽きがこないのです。1年半後に見返した時には既に全曲が頭に入っていて、ほぼ全曲を好きになっている自分を発見しました。これは本作でクイーンというバンドの楽曲の良さに気付かされ、しかも映画の出来も良いので何度か見ているうちに覚えてしまったわけです。
本作は、通常は落ちていくはずの週末興行収入が5週連続で増え続け、多くのリピーターを生み出し社会現象化して興行収入127億円という驚異的な結果を残しました。
クイーンの音楽は新たに本作によっても伝説化し、本作もクイーンの楽曲と同様に映画史に残り続けるでしょう。ミュージカル映画ではない本格的な音楽映画で、ここまでのメガヒット作は今後、現れないかもしれないくらいのレベルです。
当初、アメリカでは批評家から「史実と違うところがある」など不評な面も目につきましたが、観客からは圧倒的に好評で、第91回アカデミー賞では、作品賞を含む5部門にノミネートされて、主演男優賞(フレディ・マーキュリー役のラミ・マレック)、編集賞、録音賞、音響編集賞の最多4部門の受賞にまでいきました。これは観客が批評家の評価を変えさせた、と言っても良い快挙だと思います。
本作に限らず「史実と違う」という指摘はよく出ますが、映画には上映時間という制約があります。多少の時系列の違いを気にし過ぎずに、むしろ「134分といった上映時間でよくここまでまとめ上げた」と“エンターテインメントとしての功績”として評価し、作品の世界観に入り込む方が私は正しいと思います。
さて、本作をいま見返すと、また違った見え方ができました。
フレディ・マーキュリーは「ヒト免疫不全ウイルス」(HIV)によってエイズを発症し1991年11月24日に「肺炎」で亡くなりました。
現在の医学ではHIVというウイルスの感染は「不治の病」ではなくなりましたが、まだ対症療法の域を出ず、現時点ではHIV完治例は世界で2人しか出ていません。
新型コロナウイルスも勿論、対症療法でしかなく、まだ根治療法ではないのです。
どうやら変化をし続けている今回の新型コロナウイルスは、果たしてどのような型に落ち着くのか。新型のウイルスは常に地球で発生し続けるものなのだ、ということを改めて理解すると共に、多くの才能を一瞬にして奪うスピードも出てきているので犠牲者は最小限にとどめてもらいたいと強く感じました。
“人の心をつかむ”という不思議現象
これだけ人気を得ている作品なので、マイノリティの遠吠えとして聞いていただきたいのだが、伝記映画としても音楽映画としても、足りてない部分や踏み込みの甘い部分が多い映画だと思っている。それでもこれだけの支持を得て、人々を夢中にさせるものとは何なのか? ひとつには間違いなくクイーンの楽曲が持つ魅力と中毒性だろうし、それ以上に、観客に応援したいと思わせるいい意味での隙のようなものが、この映画が描いているフレディ・マーキュリーにも作品自体にもあるのだと思う。「出来がいい」と「心を掴むこと」はイコールではないとはわかっていたつもりだったが、2018年は改めて「心をつかむ映画とは何だろう?」と考えさせられる年であり、本作はそのきっかけになったひとつだった。しかもムチャクチャ現場がバタバタしていたはずなのに、だ。アラン・スミシー的な映画で最も成功した作品として映画史に刻まれるのではないかと思うと、これまた興味深い一本。
今も耳の奥でフレディのハイトーンボイスが鳴り響いている
伝説のロック・グループの知られざる物語と、大音響で奏でられる実物の音源を使ったヒットナンバーがもたらす高揚感が、終始絶妙にシンクロして、恐らく劇場に詰めかけた観客の想像を大きく超えて魂を揺さぶり続ける。終映後、自然と拍手が巻き起こる。リピーターが劇場に足を運ぶ。彼らは、かつて、そして、今も心の中で口ずさむ"ボヘミアン・ラプソディ"の背後に、今は亡き"クイーン"のボーカリスト、フレディ・マーキュリーの凄絶な孤独を垣間見て、強烈な昂ぶりの中で人知れず涙を流すのだ。セクシュアリティの違いによって人と人とが相容れない時代の不寛容に怒りを覚えつつ。それにしても、そんな諸々の感情を一瞬にして振り払う"ライヴ・エイド"@旧ウェンブリー・スタジアムのステージと客席の一体感は何だ!?フレディの早すぎる死も、グループ内の確執も、また、リアルタイマーは勿論、遅れてきた"クイーン"ファンも、すべてひとまとめにして高みへと導いていく音楽というメディアの凄さを、こんなにも強烈に体感させてくれる映画は珍しい。今も耳の奥でフレディの艶やかなハイトーンボイスが鳴り響いている。
メンバー2人が音楽総指揮、感激の高音質!
ブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮で、まず演奏の音質が素晴らしい。フレディのボーカルをはじめ基本クイーンの音源を使っているが、ライブシーンですら各パートの分離が明確でタイト。試写室のスピーカーで実感できたくらいだから、音響にお金をかけた映画館で鑑賞できたらさらにすごい体験になりそう。
クイーンのヒット曲をリアルタイムで聴いてきた世代だが、バンドの成り立ちやフレディの私生活に切り込むストーリーは知らなかった情報も多い。映画終盤で再現される伝説のライブ・エイドのステージにはそんな背景とメンバーたちが胸に秘めた思いがあったのかと驚かされ、万感のパフォーマンスに感動、感涙。久しぶりに満足のいくバンド伝記映画に出会えた。
フレディに触れあえる幸福でいっぱい
圧倒的な存在、フレディ・マーキュリーがここに至るまでを描いた本作。
超満員のウェンブリースタジアムに立つ「QUEEN」のメンバー側の視点を追体験できる、
20分ものライブは2018年最大のご褒美でした。
とにかく、アイデア満載の稀有なバンドであり、
強烈なる個性のぶつかり合いが絶えず発生していたのが、うれしくも苦しいです。
史実に基づくかどうかで論争がありますが、
それは特に本作において重要ではありません。
一人の人間が仲間たちを連れて、大航海に出たのです。
その日誌1ページ1ページをひも解くような物語に、
誰もが心のなかに閉まっていた、無敵の自分を再確認できます。
ただし、それはいつだって「有限」なのです。
【映画の見どころ】
フレディが「QUEEN」に初参加したときの感電ライブ。
名曲が沢山、クイーン、フレディの映画。
フレディマーキュリーの人生
クイーンのメンバー、フレディマーキュリーの人生を描いた作品。
名曲が多いのはもちろんのこと、この作品を見る事で更にその素晴らしさが心に焼きついた。
クイーンがリアルタイムで曲を出したりライブしてる時代にタイムスリップしてみたい。
本物を見ている様で、俳優の方々の演技力に脱帽した。
女性と結婚していながらゲイであり、クイーンのメンバーとも紆余曲折。信頼していたパートナーにも裏切られる。そして体調不良からのエイズ宣告。
インタビューのシーンを見ると、誰でも心身ともに疲れて壊れてしまうだろうと思う執拗な問いただし。
孤独や悩みに苛まれながら、あの様な状況をうまく切り抜けなければならないのだから、有名人は本当に大変だなと胸が痛んだ。
ライブエイドに参加する頃には、バンドメンバーや妻のメアリーとも円満な関係で胸を撫で下ろした。
期待してなかったが…
表と裏。成功の陰に隠れた苦悩と葛藤の日々!
伝説的ロックバンド「クイーン」フレディ・マーキュリーの波乱万丈な人生を描いた圧巻の音楽ドラマ!
現代を生きる人たちの中で、彼らの楽曲を聴いたことがないという人はいないだろうと思います。曲を知っているかたでも、それぞれの名曲が生まれた背景やバンドの内側にあった葛藤、そしてフレディという男の孤独と情熱については、知らない方も多いのではないでしょうか?
この映画を見ることでそういった情景を知ることが出来、厚みを増して曲を聞けるようになるのではないでしょうか?
フレディ(ラミ・マレック)がクイーンのメンバーと出会い、バンドが成功していく過程を中心に展開されます。
天才的なカリスマ性を持っているからこそかもしれませんが、常に自分の居場所を探し続ける姿は、男としての生き方やプライド、そして時代に抗う反骨精神を感じ取ることが出来ました。
華やかなステージの裏では、仲間とのすれ違いやアイデンティティの悩みに苦しむ彼の姿があり、それが男としての弱さと強さの両面を見せてくれました。
映画のクライマックスとなる「ライヴ・エイド」の再現シーンは、まさに鳥肌もの!!
スクリーンを通しても、まるでライブ会場にいるかのような臨場感が伝わり、クイーンというバンドの持つ圧倒的なパワーを見せつけられました。
ロックを愛する人はもちろん見る価値ありですが、何かに情熱を注いで生きている全ての人にとって有意義な時間となること間違いなしの映画だと思います。
ロックの魅力を教えてくれる映画
キネ旬第5位の作品だったが、フレディの自惚れから自省への展開という在りがちなこの作品は音楽門外漢の私には…
この作品は、「スリー・ビルボード」
「ペンタゴン・ペーパーズ」がキネマ旬報
ベストテンでワンツーフィニッシュした年に
見事第5位作品ということもあって、
音楽には門外漢ではあるが初鑑賞した。
そして、クイーンの音楽や
フレディ・マーキュリーの人生を
初めて知ることとなった。
従って、洋楽に疎い私としては、
彼らの音楽に浸ったり、
フレディの音楽哲学に想いを寄せる
と言うよりは、何か、ダイジェスト的に
クイーンのドキュメンタリー番組でも
観ているかのように感じる2時間超の鑑賞
となった。
この作品の時代は、
ロック・ハドソンも思い浮かぶ、
芸能界では特にエイズ感染話が随分と
あったことを思い出させる作品ではあった。
一方、結局は音楽の門外漢の自分には、
CG技術にも支えられたかのような
ライブエイドのシーンこそは見事だったが、
彼らの音楽に理解も及ばないし、
フレディの自惚れから自省への展開は、
これまで見てきた映画や小説の主人公に
在りがちな物語と変わることがなく、
結果として、私にとっては、
それ以上ともそれ以下でもない質感の作品と
なってしまった。
これが成功例?
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