21世紀の女の子

劇場公開日:

21世紀の女の子

解説

「溺れるナイフ」の山戸結希監督が企画・プロデュースを手がけ、自身を含む1980年代後半~90年代生まれの新進女性映画監督15人がメガホンをとった短編オムニバス映画。「自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること」を共通のテーマに、各監督が1編8分以内の短編として制作。キャストには橋本愛をはじめ、「四月の永い夢」の朝倉あき、「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の石橋静河ら実力派女優陣が集結した。2018年・第31回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門の特別上映作品では、インターナショナル版が上映されている。

2019年製作/117分/PG12/日本
配給:ABCライツビジネス
劇場公開日:2019年2月8日

スタッフ・キャスト

監督
企画
山戸結希
プロデュース
山戸結希
エグゼクティブプロデューサー
平沢克祥
長井龍
コプロデューサー
小野光輔
三谷一夫
平林勉
アシスタントプロデューサー
垣内紗央里
衣装プロデュース
装苑
主題歌
大森靖子
平賀さち枝
スチール
飯田エリカ
エンドロールアニメーション
玉川桜
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映画レビュー

3.5豪華映画人の詰め詰めセット

2024年5月21日
iPhoneアプリから投稿

素晴らしかった。
というのも、この短編集の最後を締める
プロデューサーも兼任する山戸結希監督の『離ればなれの花々へ』が、全てを語るからだろう。
女の子、愛、生まれる、その痛み。
そして、映画とは何なのか。赤、黄、青の三原色が映画を作る。色とりどりの嘘をつこう。

「私は自由な母になろう。母の不自由を踏み台にして。違う。母の不自由を抱きしめるために、私は自由な母になろう。」

「自由で幸せである母親を否定する女の子はいないのだから。そうしたら、自由で幸せな女の子がこの世の中に増える。私たちは自由で幸せな母の姿を夢みて生まれる。お母さん、頼んだよ。私を世界一夢みがちな女の子にしてね。あなたにそっくりに生まれます。あるいは、全然あなたに似ていないのは、あなたにあんまり似ていると、まだ自分自身を愛していないあなたに。また愛されないんじゃないかと怖かったから。」

「無数の母の無念を晴らすために、私は生まれて生きてみたい。お母さんに偽りなき女の子の姿を見せてあげるよ。映画が誕生して120年が過ぎた。つまり、たった一人の女の子が死んだ季節。その女の子を弔うような21世紀。真実の映画が生まれるだろう。」

「1秒に24回嘘をつく芸術が完成する。」

他にも。
山中瑶子監督。個性が素晴らしい。最も好きだった。
ふくだももこ監督。演出と台詞が光っていた。
井樫彩監督。世界観が好きだった。幻想と現実。
これからの日本映画界に、希望が持てるかもしれないと思った。

俳優陣も本当に現代を代表するような豪華なメンバー。
唐田えりか、三浦透子、松井玲奈、瀧内公美、朝倉あき、橋本愛、南沙良、小野花梨、柳英里沙、石橋静河、中村ゆり、南果歩、古川琴音、伊藤沙莉、土居志央理。

生まれるべくして生まれたような本作。観る事ができて良かった。
『離ればなれの花々へ』これから何かに迷ったときに、何度でも見返したい。

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JYARI

3.5必ず好きな作品がある

2021年8月12日
Androidアプリから投稿

松本花奈監督の「愛はどこにも消えない」
ふくだももこ監督の「セフレとセックスレス」
山戸結希監督の「離ればなれの花々へ」

が特にお気に入り。8分だと足りないな…というものもあって、今後注目すべき監督の名前・役者の名前も知れて、意欲作だと思います。

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わたろー

3.0挑戦的短編集に滲む監督の力量、コンペティション的な目で観てしまった

2021年2月26日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

山戸結希監督の企画によって集まった女性監督たち。共通したテーマで全く異なる作品たちが集うのが、オムニバスの良いところ。一つ一つの星座に触れるように、見ていきたい。

特に好みだったのが、松本花奈監督『愛はどこにも消えない』と枝優花監督『恋愛乾燥剤』の2本。『愛はどこにも消えない』は短編ながら、時系列をミックスさせつつ、彼女が愛した彼との時間に葛藤する様は、他人事のように思えない。また、その過程を他の女性たちとなぞる、冒険的な世界に優しさを感じる。それでいながら、チャレンジングでありながら、しっかり要所を押さえて展開されていて、とても良かった。もうひとつの『恋愛乾燥剤』は、かなり売れてきた山田杏奈を主演に迎え、好きだった彼への思いに、疑心暗鬼に犯される着眼点が鋭い。さらに、彼女の強い眼差しの先にある個性的なキャラたちが、あたかも指南するようで実は中身は濃くない茶番さも含んでいて、アーティスティックに映る。枝優花の光とコントラストを意識した画力もさすが。意外と首藤凜監督『I wanna be your cat』も嫌いじゃない。

一方、好みではなかったのも敢えて挙げるなら、加藤綾佳監督『粘膜』と竹内里紗監督『Mirror』の2本。『粘膜』は、広げた割には浅くて刺さらず。『Mirror』は少し粗削りな印象を受けた。

個々の監督を調べてみると、ここ2年で評価されている人、ようやく新作を造り上げた人、全く撮っていない人…様々な現在地に彼女たちは立っている。同じテーマ、8分以内というイコールコンディションで、ポテンシャルが計れるコンペティション的な側面も感じられた本作。彼女たちが次の時代を歩むとき、どんな世界が広がっているのだろうか。

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たいよーさん。

0.5ただのじいこうい

2020年7月11日
PCから投稿

タイトルが21世紀の女の子で、全員が若手女性監督。
テーマは「自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること」だそうである。
必然的に、このパッケージは若い女性ならではの映画を標榜している。
しかし映像作品に、ていうか、どんな創作物であれ「女性ならでは」を訴えてしまうのは、女性の驕り──だと個人的には思っている。

男と女が違う感性を持っていることは知っている。
ただし、創作に「女性ならでは」なんてものは世の中に存在しない。
あったとすれば、それはプロクターアンドギャンブルが、主婦職が存在していた昭和期にキッチン用品の使い勝手を調査/報告するために使った死語である。彼女らは素晴らしい慧眼をもっていたか──そんなことは知らない。どのみち使っていりゃ覚える。謂わばその程度のものが女性の感性/視点である。
映画に性なんて関係ないという話である。

とうぜん、子宮感覚や生理や母性や出産能力といったものを創造性と結びつけた価値観へ変換するのは間違いだ。
子宮から血液が定期的に出る現象はクリエイティビティとは関係がない。

1902年生まれのリーフェンシュタールはゲッペルスに頼まれて国策映画を撮るのであって、子宮感覚とやらでナチスから擁護されたわけではない。
リーフェンシュタールから120年経て、若い女性・映画監督の組み合わせに、たんにその他愛もない立脚点を壮語していること自体がつたない。
若い女性で映画監督だから──それがいったい何なのか。

そんなことへ訴求ポイントをぶちまけるのは、映画を見たことがないか、心臓に毛が生えているか、もしくはその両方の言い草である。
すなわち、この作家たちはじぶんの「女性ならでは」の感性/視点が、映画の技術や方法をも差し置いて、商品化に値するものと信じているわけである。21世紀の女の子の名の下に許容されること=若い女性だから容赦されることを知っている──わけである。
傲慢だと思いませんか?

品質はその傲慢を決定づける。
青くて、感覚的。
性衝動に対する背伸び。
「思いはきっと伝わる」の恐喝。
「女には生理があるのよ」の脅迫。
ちょっとした気づきが共感されるはず──という無責任な希望的観測。
演劇部の延長戦。
ただの消し忘れ。

だが、現場は監督をもてはやす。
広報も、若い女性と映画監督の組み合わせに、美術館女子風の商品価値を見いだす。
業界内の迎合的な観衆も支持する。

けっきょく、これらの、躁のようなオナニーコンピレーションを「これはおなにー以外のなにものでもないですよ」と、至極まっとうに結論してしまえる、辛辣な部外者から、彼女たちは厳重に庇護されている──のである。

しかも、辛辣な部外者とは、そもそも辛辣でもなんでもない、ふつうの観衆だ。
そのへんを歩いている人々、地元のおじさん、近所のおばさん、コンビニのレジにいるお兄さん、コンビニで買い物をするお姉さん、映画サイトの評価を参照する一般人、たいして映画に執心していない労働者──そういった観衆である。

かれら──見るともなしに見た一般庶民たちは、この湯気がたつような、にぎりっぺから、いったいなにを感じとれるだろう?

ものをつくるとき、前提の初動となるのは、じぶんが他者とは異なっている。という自覚と確信だと思う。
ところが、他者とは異なる感覚をもった若手監督なんていない。
そもそも彼女たちは、じぶんの感覚が、どんな位置にあるのかさえよく知らない。
比較しうる映画を、世界を、人間を、知らなすぎる。

彼女らがこれらの動画の是非を検証するとき、参考にしなければならないのは、つねに首肯してくれる、従順なとりまきの意見ではない。

女流を意識して映画をこころざすなら、Alma Har'elやCathy Yan、グレタガーウィグ、キャスリンビグロー、Patty Jenkins、ナディーンラバキー、Maren Ade、ケイトショートランド、Reed Morano、Céline Sciamma・・・らと見比べなければならない。もし真剣にそれらの映画と対比したとき、じぶんをどこかへ位置づけることができるのだろうか。

おそらく、このテの批判に対して用意されている釈明が、否そんな大それたことではなく、女性たちの目線や感覚を切り取ったものが面白い、と見ていただければ・・・
だから、この世に女性の視点なんて無いの。──です。

それは映画じゃなくて広告代理業です。
わが国では映画と女子は広告代理業の商材です。美術館女子よろしく作品の隣に立っていれば=カメラの後ろで神妙な面持ちをしていれば、みんなが才能をもてはやしてくれる。わけです。

ただ枝優花はしっかりした映画抑揚がありキラっとした。山戸結希は映画というよりPV、CM、インスタレーションの方向性だが光った。ので二人は除外したい。

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津次郎