来る : 映画評論・批評
2018年12月4日更新
2018年12月7日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
ホラー小説が強烈エンタメに“変身”。人間の業と闇を描き続ける中島映画の到達点
80年代から気鋭のCMディレクターとして名を馳せ、「下妻物語」(2004)以降はアクの強い人気小説をスローモーションやCG、アニメーションを駆使したスタイリッシュな表現で映画化してきた中島哲也監督。「嫌われ松子の一生」「告白」でも人間の業と闇に切り込んだフィルムメーカーが、「渇き。」(2014)から4年ぶりに放つのが「来る」だ。
今回の原作は、2015年の日本ホラー小説大賞の大賞受賞作「ぼぎわんが、来る」。イクメンパパの秀樹(妻夫木聡)、その妻・香奈(黒木華)、オカルトライターの野崎(岡田准一)の順に語り手が明確に切り替わる小説の三部構成を踏襲せずに、時間軸を交錯させながらゆるやかに一人称的視点を移動させることで、主要人物たちの二面性を効果的に描いていく。
小説の題から主語を消したタイトルが象徴するように、謎めいた怪物の描写は映画において相対的に減った。奇妙な名前の由来は割愛され、〈来る〉ときの姿も原作ファンには物足りないだろう。監督自身、ホラー映画をほとんど観ておらず「シャイニング」や「エクソシスト」くらいしか記憶に残っていないとコメントしている(本編にはこの2作をそれぞれ彷彿とさせるシーンがあるのだが)。そのぶん中島監督が重きを置いたのは、やはり人間の業と闇だ。とりわけ野崎と香奈にはエピソードを大幅に追加して人物に奥行きを与え、メインキャラたちの関わりをより有機的に描くことに成功している。
中堅から若手の実力派が揃ったキャストによるアンサンブルは各自の新味も加わり見応え十分だが、特筆すべきは日本最強の霊媒師・琴子に扮した松たか子だ。「告白」の教師役にも通じる“戦うダークヒロイン”の雰囲気をまとい、梨園の娘ならではの伝統的な所作と発声でキャラクターに説得力を持たせつつ、超然とした言動でささやかなユーモアも醸し出す。
琴子が美しい和装で臨む終盤の大がかりなお祓いの儀式は、原作にはない映画独自の場面で、魔物を退治する目的と裏腹な祝祭感はまさに中島流エンターテイメントの真骨頂だ。マンション街区の公園に組んだ大規模なセットと多数のエキストラ、儀式のパフォーマンスと強烈な視覚効果で作り出された贅沢なシークエンスは、中島監督と「告白」以来のタッグとなる東宝のヒットメーカー、川村元気プロデューサーの力も大きいだろう。怪物がやって来るホラーを起点としながらも、災いを招く人間の闇にフォーカスしたドラマを組み立て、豪華キャストの競演とゴージャスなスペクタクルで楽しませる。これぞ中島映画の到達点と言えよう。
(高森郁哉)