BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント : 映画評論・批評
2016年9月13日更新
2016年9月17日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー
ふれあいがもたらすヒューマニズムの滋味と映画を全うするスピルバーグの凄み
スティーブン・スピルバーグが英作家ロアルド・ダールの原作ものを手がけると聞いたとき、さほど意外性は感じなかった。子どものような無邪気さに、自覚なき残酷さを合わせ持つ前者の作風と、後者のブラックユーモアあふれる童話世界との親和性は高い。事実、今回の「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」は、孤児院の少女ソフィー(ルビー・バーンヒル)と優しい巨人BFG(マーク・ライランス)が心を通わせ、一転、英国王女の力を借りてフレンドリーではない巨人族の退治へと事を運ばせるところなど「スピルバーグらしさ」「ダールらしさ」の協調が精密機械のように保たれている。
それよりも意義深いのは、この映画がディズニー映画だということだろう。スピルバーグの諸作には、いつもディズニーへの目配りがあった。異星人との接触を描いた「未知との遭遇 特別編」(80)では「ピノキオ」の名曲「星に願いを」を最後に流し、戦争コメディ「1941」(79)の劇中においては「ダンボ」(41)を引用。極め付けは「ピーター・パン」(53)の後日談を描いた「フック」(91)を自ら手がけるなど、折に触れて敬意をあらわにしてきた。そんな彼がディズニーで作品を監督することは、傍流の弟子が本家公認になったかのような帰結を覚える。
しかし、なぜこの期に及んでディズニー製スピルバーグなのか? それは現在、映画というメディアの表現が頭打ち傾向となり、いっぽうで「ポケモンGO」などのAR(拡張現実)あるいはVR(仮想現実)コンテンツが娯楽の主権を握るのでは? といった推移が遠因として頭をよぎる。「インディ・ジョーンズ」シリーズで密度の濃いアクション様式を、「ジュラシック・パーク」(93)でCG革命を、「プライベート・ライアン」(98)で迫真性に満ちた戦闘描写を映画にもたらし、とことんまで表現を追究してきたスピルバーグ。だが、ここにきて自身の真髄ともいえる、ディズニーに薫陶を受けた「E.T.」(82)的な作品に立ち返り、時代に左右されない不動のクラシックを自覚的に放つことで 長い歴史を経て確立してきた「映画」の存在を誇示しているのかのようだ。
少女と巨人のふれあいがヒューマニズムの滋味をもたらす、体にやさしいスープのような作品だ。だが、そこにはスピルバーグという、映画を極めてきた男の凄みも下味となって腑に染み渡る。
(尾﨑一男)