映画の予告で流れる言葉「ゴミ山で僕たちが拾ったのは、世界の”希望”だった」
しっくりこない。
私なら、「この映画を観たあなたは、世界の”希望”を見つける」ってしたい。
14歳。日本なら中2か中3、そんなお年頃。
こんな風に正義感と反抗期的な意地で突っ走りそうな奴、いるような、いなさそうな。周りの中学生をみて思う。
(悲惨なニュースばかりが取り上げられて暗くなるけれど、ニュースにならない日常の中には、うん、いるよと最近は思う)
純粋な心を育むのは、何なのだろう。
この映画の少年達が持っていたのは、自分で判断して行動しなければならない生活。喧嘩しながらも、付き合ってくれる仲間。そしていつでも行けば受け入れてくれる環境。過干渉でも放任でもない。
確かに”学力”では日本の子どもの足元にも及ばない。けれど、生きる知恵と、何が本質的に正しくって、自分や皆を幸せにするかは、判断でき、行動できる。その知恵は日本の子どもたちを遥かに凌駕している。
うん、お金はいらなくはない。でもラストの彼らの笑顔を観れば、彼らが本当に欲しかったものが何かはわかる。自分の力で生活を立てる力(恵んでもらうんじゃなく)、そして仲間。明日も同じように集えて、そこそこ楽しいことがある。それこそが宝であり、希望。
「一人はみんなの為に。みんなは一人の為に」
「奪い合えば足りない。分かち合えば満ちる。(だっけ?)
「正しいことだからする」単純明快な動機、不屈の精神力。
「俺達が何をやった?」事が大きくなるたびに、かえって信念が強まっていく。こんな脅しに屈してなるものか…。
日本人には真似できなそうな身体能力。
すんでのところで捕まらないハラハラ感も見逃せない。
偶然に偶然が重なり、絡まっていくストーリー、謎が解けていくストーリー。 言っていることとやっていることの違いが醸し出すユーモア。
悪役フェデリコの執拗さ。
児童文学の映画化だそうな。
原作では架空の国の近未来での話だそうだ。
それを現代ブラジルのゴミだまりに舞台を移し替えている。
単なるファンタジーにしていないのは、描写の確かさ。
製作総指揮に『シティ・オブ・ゴッド』の監督メイレレス氏。『シティ・オブ・ゴッド』があまりにも希望も救いもないから、この映画でバランスをとりたくなったのかと思ってしまった。
そしてこの映画でも、オーディションで選んだ、ゴミだまりに住む子どもたちを主役にしている。この子どもたちの表情が良い。どんどん惹きつけられてしまう。
そして、この映画は善と悪のニ分割にはしていない。
「正しいことをしたい」という少年も、ゴミ捨て場で拾った財布のお金は自分のものにしようとする。
少年達は適度に神父とボランティアの女性を巻き込むが、決して頼り切らない。財布を拾った時も、手紙を見つけた時も、少年は神父たちにそれを見せない。微妙な信頼関係。だってボランティアはいつか去っていく人。自分は神父達からしたら大勢の中の一人というわきまえ、諦め。自分の事は自分でという生き方を身につけているのだろう。
まあ、知らぬ間に巻き込まれている人々はたまったものじゃないけど。
オリヴィアが「ビデオを撮ろう」と言う。それを聴いた少年は”ビデオ=ポルノ”と思う。日本人とは違う感覚。
自分を殺すという相手に「神のご加護を」と言うラファエル。それを聞いた時のフェデリコの表情。だったら改心するかと思うとそうはいかないんだよな、当たり前か。
そしてその後の警官の行動。
フェデリコも、ラストの大詰めでさっさと少年達を殺すのかと思えば…。
善の中に悪が。悪の中に善が、巧みに描かれている。
ラストを知ると、冒険ファンタジー風の映画だが、
見応えのある映像。
緊迫感のある場面。
絶妙なミステリー。緩急巧みな展開。
人間の描かれ方。
高揚する音楽。
特にあの中盤とラストの銃の場面。まだ救いはあると思った瞬間だった。
現代の社会問題と、少年達の生きざまを描いており、かつエンターテイメントとしても見応えあるものに仕上がっている。
自分の価値観を見直したくなる時に、見たくなる映画。
欲張りは不幸の素だね。