セッションのレビュー・感想・評価
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圧倒的な没入感に大興奮 でもシンバル投げ伝説を持ち出されてもね……
ご存知デイミアン•チャゼル監督の出世作。私は最初に見たとき、これはすごい、大傑作だと大いに興奮したものですが、鑑賞直後の興奮から醒めると、結局は暴力礼賛じゃないの、いろいろとやり過ぎてるし、といった、内容に対する嫌悪感がふつふつと湧いてきて、あれはいったい何だったのだろうかと思うようになっていました。私のこの作品に対する評価は大きく揺らいで今を迎えております。
再鑑賞を前にして、私のこの作品に対するスタンスをQ&A形式で示すと下記になります。
-傑作と思うか?: イエス。傑作には違いない
-ひとに薦められるか?: イエス。薦めて鑑賞仲間を増やして、この作品についていろいろと語り合いたい。ただし、薦めるひとは選ぶかもしれない。
-好きか?: ノー。同じ監督の作品なら『ラ•ラ•ランド』のほうがはるかに好き。
-自分の生涯お気に入り映画のリストに入るか: ノー。絶対に入れたくない。今回がこの作品の生涯最後の鑑賞になるかも。
ということで、見てまいりました、公開10周年記念デジタル•リマスター版の上映。どうだったかというと、まあ、なんというか、つまり、そのぉ……いいっ!! いきなり首根っこを押さえつけられてスクリーンの中に引きずり込まれたような没入感を味わい、クライマックスまで息つく間もなく一気に駆け抜けました。やはりタダモノではないですね。体感時間が非常に短い、極上の映画体験でした。
やはり初回鑑賞時の記憶があやしくなっていたようで、今回、少し認識を新たにした部分もあります。最初に見たときには、主要登場人物のふたり、フレッチャー(J.K.シモンズ)とアンドリュー•ニーマン(マイルズ•テラー)の行動の原動力となっているのは、完璧なジャズを目指しての、もっと芸術至上主義的な側面寄りの何かだと思っていたのですが、今回見た感じでは実際にはそういった面もあるにせよ、エゴやプライドといった、もっと人間臭いどろどろとした何かではないかと考えるようになりました。まあ、ふたりともエゴが強くてプライドが高いですからね。ということで、初回鑑賞時はより良い芸術を生み出すためにちょっと違ったゾーンに入ってしまった人たちの物語みたいな受け取め方をしていたのですが、今回はニーマンの上昇志向やふたりの間の私怨、そのもととなっているエゴやプライドに目が行って、思ってたより人間臭い話だったんだなと思うようになりました。二回の鑑賞で共通しているのは圧倒的な没入感と鑑賞直後の大興奮です。
今回の鑑賞で気づいたことは他にもあって、私がこの作品のことを好きになりきれないのは、この作品がファシズムとか反知性主義とかいった、いかがわしくて怪しげな何かを持ち合わせている感じがするからだと思いました。チャーリー•パーカーはシンバルを投げつけられなくとも偉大なサックス•プレーヤーになっていたと信じたいです。まあでも面白かったし、これが生涯最後とか言わず、また見たくなるかも。
最初から最後までずっと緊張感
やっぱ凄ぇよ…(4Kリマスターを観て)
ムビチケカード回遊をしていたら、不意に本作が再上映との事で、早速観てきました!
結論。歳を重ね、更に面白さupです!
実は、要所のお父やん重要っぽい(完璧に理解は出来ていない)、ニコルこんなキュートだったっけ?、コノリーのピエロっぷり、その他etc...と新たな&思い出しの気付きがあり非常に楽しめました。
J・K・シモンズのフルメタルジャケットよろしくのセリフ回しも、相変わらず狂気で最高でした。
以前は、終盤のシーンは“上出来(good job)”と言ってると思っていましたが、改めて観ると違うっぽいような…笑
また、本作のエンドロールの入り方は、個人的にTOPです!!(あのドラムは踊るかのようで狂気です!!)
是非、観た事がない方&見て時間が空いた方、絶対気付きがあります。
是非、映画館でご観賞ください!!!
真剣勝負に人格は要らない
真剣勝負に於いては、パフォーマンスへのリスペクトは人格とは関係ない。
真剣勝負!というほど大げさでなくても、ゴルフとか麻雀とかトランプゲームの大富豪でもいいのですが、真面目に勝負に向き合ったことがある人なら誰でも心当たりがあると思います。普段は〝嫌な奴だなぁ〟と避けてるような人がメンバーにいても、その人の良いパフォーマンスに対しては、人格とは関係なく率直に「上手い」とか「いい手だな」というふうにプレー自体に自然な気持ちでリスペクトの気持ちが湧いてきます。
アンドリューはひとことでは言えない複雑な気持ちを〝自分の土俵〟ですべてプレーとして発揮しました。
始めは土俵の外で、陰湿に仕掛けていたフレッチャーも最高のプレーを見ているうちにプロとしての魂に火がついて、気が付けば同じ土俵に立っていました。
不器用で人間関係に気を使うのが苦手な人でも、何かひとつ自分の土俵といえるものがあると少し違った世界が見えてくるような気がします。
映画館で観るべき映画
昔WOWOW契約していた頃家のTVで観て色々衝撃受けて最後度肝抜かれて「この映画は絶対映画館で観るべき映画だ!!」と思ったのを覚えてる。時が流れリバイバル上映で映画館で観られて嬉しい。私は音楽は小中高の音楽の授業で習っただけだから音の良さや主人公の技量もわからないけど本当最後は圧巻なのでぜひたくさんの人に映画館で観て欲しいと思った。J・K・シモンズだからあのトラウマ級の鬼教授が演じられるんだろうね。一昔前はこんな怖い教授本当にいたのかな〜?お互い最後復讐し合ったけど結局音楽で繋がった感じだよね。主人公のマイルズ・テラーはトップ・ガン マーヴェリックのルースター役の俳優さんなんだけど困り顔が何とも可愛い。マーヴェリック映画観た時セッションに出てた俳優ってことに全く気付かなかったよ。マーヴェリックでも軽快にピアノ弾いてたね♪
殴り合い
音の戦争
「目玉をくり抜いてやる」
音楽院を舞台にしたスパルタ教師とドラマー志望の学生による音の戦争。ミュージカルを製作したかったデイミアン・チャゼルが資金集めとアピールのために製作したのが本作にあたる(ご存知の通り、その後チャゼル監督のミュージカル構想はは「ラ・ラ・ランド」として結実する)。
やるじゃねえかチャゼル、というかどうした?こんなに素晴らしい作品を製作したのにその後は一体何だ?「ラ・ラ・ランド」はまあまあ面白かったが「バビロン」はまるで離乳食だ。
魂を揺さぶられた。また私事になるが、僕は奇しくもアンドリュー(演:マイルズ・テラー)とフレッチャー(演:J.K.シモンズ)両方の立場を自分の中で経験した。そしておこがましいことを言えばチャーリー・パーカーも。
僕は10歳の頃同級生からいじめにあった。中学は受験したので中高一貫校に進んだが、小学校時代の同級生を見返したい一心で(「自分はあいつらとは違う」という差別意識もあった)勉強も部活も取り組むようになった。ここまでは聞こえが良いが段々と方向がおかしくなり、気付けば「叩く側」と「叩かれる側」の二面が自分の中に。謂わば「セルフパワハラ」である。「猿でも解ける問題で何故満点が取れないのか?お前の存在は人類第8の大罪だ」といったことを並べたて、ピーク時には真冬に窓全開でシャツ一枚で勉強、試験の成績が思わしくないとズボンのベルトで自分のことを殴りつけるといった始末だった。しかしそうこうしているうちに今度はメンタルがおかしくなり、17歳の頃学校内の試験で失敗したことで完全にグレた。ライブ中にシンバルを投げつけられたチャーリー・パーカーのように、周囲から笑われて完全にやる気をなくした。「お前は無能だ」と吐き棄てて自分を見限ったのである。残念ながら現在でも自己嫌悪の感情はある。
気持ち、僕はフレッチャー寄りだ。僕からすれば「努力」「立派」というワードは人を破滅させる危険なワードだ。英語で言うと"Good Job"といったニュアンスだろうか。だが同時に「一線というものがあるでしょう」とも思う。17歳の自分は、やってもやっても認められない虚しさにやってられなくなって全てを投げた。数年前、電車が遅延した際に「社内会議に遅れる」という理由で勝手に線路を歩き出した会社員が社会問題となった。やはり行き過ぎるとこういうことが起こるし、ここまでくると容認も看過もできない。
でもね、「努力」は結局偽物でしかなく、本物にはなり得ないと個人的には感じる。ここまで来るともう価値観の問題で、要は「天然だろうが養殖だろうがウナギは美味しい」と考えるか、「いや、やっぱりウナギは天然に限る」と考えるかの問題である。別に世の中妥協しても死にやしない、というか、チャーリー・パーカー自体が結局ドラッグに溺れて寿命を縮めたことを考えると、陽キャとして生きたければそこそこのラインで妥協することが必須だ。だから皆「努力が大事」などと不揃いな薄っぺらいことを言う。僕は陽キャにはなれない、故に「努力」とは生涯相容れない。となれば「イカれる」しかなさそうだ。伝えるべきは、狂気。
恐怖体験ココにあり
最高に飛ぶ映画
勢いとパワーで押し切られない様にしないと負けそうになる映画
アメリカ版「嵐を呼ぶ男」(嘘です)
腕を怪我したら自分で歌えばいい・・・わけないw
数年前に配信で鑑賞したが、公開10周年を記念した4K&Dolby Atmosのデジタルリマスターでリバイバル公開という事で劇場にて再鑑賞した。
公開当時は自分も小中学生向けにとあるスポーツの現役コーチをしており、クラブ自体も厳しい事で知られていたこともあって、フレッチャーの指導方法に対し少なからず共感する部分もあったが、時代が変わり10年経った今改めて観るとただのイジメにしか見えなかったw。
名門音楽学院の指導者フレッチャーは自分でジャズの名演奏者を育てるという崇高な目的を掲げ軍隊の様な厳しい指導をするが、教え子達のメンタルをことごとく壊し、中には自死した者もおり、最後は行き過ぎた指導により学院を辞めさせられるが、その復讐として大衆の前でニーマンに恥をかかせようと(ここがなかったらホントに良かったのに)という反省どころかとんでもなくセコイ暴挙に出るなど、本来の目的はどこ吹く風状態で生徒への愛情なんていっさい無いイジメ体質のただのパワハラ指導者だということがわかる。
追い込まれていく生徒のニーマン自身も必死に食らいつこうとするが、交通事故など不運(とというより単なる自分のミスなんだけど)もあり大事な演奏に遅刻し、最後はフレッチャーへ掴み掛かり退学になる。
ニーマンが最後はあくまでもミュージシャンとして、そしてジャズドラマーとしての戦い方で応戦するが、フレッチャーも戸惑いながらも中断させなかったのは本来自身もジャズを心から愛する者としてずっとこのままでいたい、ずっと演奏させたいという気持ちが勝ったからだと思う。
色々とツッコミどころは多いが、とにかく演奏シーンは圧巻で見応えが半端なく、実際ジャズドラマーを目指していたというデイミアン・チェゼル自身の経験からならではの臨場感を演出し、特にラストのニーマンの血と汗が飛び散るドラミングは観ていて鳥肌が収まらないほど強烈で、画面に呑まれないよう必死になってしまうほどだった。
まさに音響設備の良い劇場で観るべき映画である。
天才と狂人は紙一重
狂気と狂気のセッション
ラスト9分19秒は、何度見たことか。多分100回ではおさまらない。それだけ思い入れのある『セッション』が、デジタルリマスター&DollbyAtmosで再上映だから見逃すわけにはいかない。
パワハラの代名詞ともなったフレッチャー教授。『フルメタルジャケット』のハートマン軍曹も恐いが、精神的なダメージの与え方で言えば、フレッチャーの方が上回る。全人種平等に悪態をつくその徹底ぶりに、奇妙な“公平さ”を感じてしまう。
教え子が、現場に満足することを恐れて常にプレッシャーを与え、意図的にライバルを作って競わせる。フレッチャーのしていることは、星一徹メソッドの究極バージョンとも言える。
星一徹メソッドの欠点は、勝ち残った人間はとてつもなく強靭な能力を得るが、数多くの落伍者は、悲惨な末路をたどる。
フレッチャー的な父親に育てられ、フレッチャー的な教師にどつかれながら教育を受けた身としては、強圧メソッドには嫌悪感を感じるし、肯定できない。結果的に打たれ強くなっただけで、真の強さとは程遠い。
……でも、あの狂気の先に何かがあるんじゃないかって思ってしまう。それを信じさせるのが、デミアン・チャゼル監督の巧さなんだよね。狂気と狂気がぶつかって、何かが生まれる。そう感じてしまう自分がいる。
それにしても、DolbyATMOSの効果はすごい。全方位からフレッチャーに罵倒されている気分になり、タマタマが縮む上がる。拳銃を突きつけられるよりも恐い。
見た人も見てない人も見逃す選択肢はございません。
やっぱ傑作!Don't think, feel!
最悪の褒め言葉は「Good job」
狂気、一流を目指すなら踏み入れることになる領域
アカデミー賞3部門を受賞した映画。伝説の鬼教師のもとで究極の師弟関係が描かれていました。「完璧」を求めるからこその、圧倒的な練習量、0コンマ何秒の世界の細部にわたるこだわりなど、異常ともいえるほどの厳密さと真剣さが描かれているのを見て、こうした「狂気」ともいえる没頭・練習があるからこそ、とんでもない作品、プレー、サービスなどが生み出されるなと感じました。エンジニアに対して無理難題に近い超高レベルなものを要求し続けていたことが有名なAppleのスティーブ・ジョブズも「完璧」「画期的な」商品を開発・展開したいという想いがあったからこそ、この映画での鬼教師のようなあり方だったんだろうと思いました。
パワハラ、などともいわれやすくなった現代において、本編のような究極の師弟関係やバディシップを組むことは社会的にやりづらくなってきているなと思います。ただ、社会に革新的なインパクトを与える人たちは、このような狂気ともいえるレベルでのこだわりや下積みをもっている方々なのではないか。そう考えると、僕も自分の仕事において、このように狂気ともいえる没頭に身を投じて、社会・世界に貢献していきたいと思いました。楽ではないとおもいますが、こうした生き方のほうが充実はするのではないかと。
凄かった!フレッチャー先生のニーマンへの指導
CSで録画視聴。
結構、評価が高い作品だったので、気になって観てみた。
なるほど、名門音楽学校でドラムを担当したニーマンに対して
フレッチャー監督の熱血指導は確かに凄かった。
ニーマン役はあのトップガンマーベリック役のマイルズ・テラー。
彼がブレイクした作品なのも頷ける。
ただ、作品全体を観る限りありきたり。平凡な作品に思えた。
凡人よ、黙れ!
グッジョブ
世界的ジャズドラマーを目指して名門音楽学校に入学したニーマンは、伝説の教師と言われるフレッチャーの指導を受けることに。
しかし、常に完璧を求めるフレッチャーは容赦ない罵声を浴びせ、レッスンは次第に狂気に満ちていく。
(解説より)
才能溢れるニーマンと、明らかに度を超えた教育方針のフレッチャーの様子が描かれる。
フレッチャーの指導に耐えきれず一度は離れる2人だが、ある出来事がきっかけで再会。
再びフレッチャーに誘われたニーマンがジャズフェスティバルで演奏するが…というストーリー
狂気としか言いようがない。
最初はフレッチャーのみがそうだが、その教育に影響されニーマンも次第に狂人化していく。
ややフレッチャーという人物の心理描写が不足する(どこまでが本心か)が、素晴らしい音楽家を育てたいという意思だけは本物だったのだろう。
この映画について「教育方針が不快で駄作」といったレビューがいくつか散見されるが、評価は個人の自由であると前置きしつつ、論点がズレていると思う。
本作はそのような教育方針云々の話ではない、あくまで「狂気に囚われた2人の音楽家」の話であり、過激な表現が嫌いな方はこの作品は鑑賞しない方がよい。
2人の微妙な表情の変化、仕草、全ての演技が素晴らしい。
ラストの「セッション」は圧巻。
まさに「グッジョブ」
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