her 世界でひとつの彼女のレビュー・感想・評価
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世界に多くの彼氏。
本年度のアカデミー受賞作品の中では一番観たかった作品。
特にS・ジョーンズのファンではないけど、内容に惹かれた。
どんな風に書いて観せてるんだろう?とちょっとワクワクした。
結果は…。
確かに脚本としては巧いなぁと思う。台詞の使い方が秀逸。
主人公の孤独をひしひしと感じさせる段階から、OSと出逢い、
人生が活き活きと輝き出すところなど、常に独りごとのように
語られる世界観が(おそらく)この監督そのものなんだと思う。
最愛の喪失…まぁ他にもあるんでしょうが、男はそうかもね。
もう自分は誰かを愛することができないんじゃないだろうか?
…と、某国民的アイドルグループの1人が先日言っていた。
どこかで愛に傷付いたまま、何年も時が過ぎると、
もう自分には恋愛なんて二度とできないのでは…と思えてくる。
まぁだけどさ。運命なんてこの先分からないでしょ。
55歳にして春がくるかもしれないし、63歳で家族が増えるかも。
主人公の傷ついた面もちが、やっとの思いで離婚にこぎ着けた
前妻との再会シーンで明らかになる。
OSサマンサとの楽しい日々を報告するも、怪訝な顔をされ、
「あなたはまだそんなことを…」と言われる。
私はこのシーン以来、だんだんと雲行きが怪しくなっていく
セオドアとサマンサのやりとりに、前妻との想い出に叶わない
切なさをヒシヒシと感じるようになった。手紙や声での言葉は
本当にステキなんだけど、生身の人間から発するそれとは違う。
人間の表情が語る言葉の強さを、逆に見せつけられた気がした。
セオドアにとってはたったひとつの彼女も、サマンサにとっては
大勢の中のひとりの彼。人工知能と付き合うってことは最初から
そういうことだと分かってはいても、いざ人数まで言われると怖い。
これは嫉妬レベルではないな…と苦笑い^^;
サマンサに恋をしたセオドアの気持ちは分からないでもない。
もう面倒な恋愛は勘弁だという彼の想いを代弁したような彼女。
だけど面倒じゃない恋愛なんてこの世のどこにも存在しない。
孤独妄想か疲弊現実か…いや~文字にするとやっぱりやな感じ^^;
(じゃあ次はエイミー主演で「he」やります?声の主はどなたに?)
どこに寄せて観るかでかなり印象が変わってくる作品ではないか。極めて味わい深い良作。そしてルーニー・マーラがこれまでで一番綺麗に映っていた作品かも。
当初はサマンサ=サマンサ・モートン、キャサリン=キャリー・マリガンだったそうで、前者は制作側の意向でポストプロの際に、後者はスケジュールの都合でプリプロの時点でキャスト変更。そして成功。元のキャスティングも素敵だけど。イギリス系の役者ばかりなのはチューリング由来なのだろうかという指摘もある。舞台が西海岸なのはわかりやすくアラン・ワッツですね。
この作品で特筆したいのは、よく練られた本とリアリティ、そして世界観として作品のトーンとなっている衣装、美術、デザインそして音楽が素晴らしく融合しているということです。これはスパイクとその周辺にいる人たちのセンスの良さのあらわれですよね。
あとポーシャ・ダブルデイのルックスはサマンサ・モートンに近いグループにいるなと思ったりも。これはポストプロでキャストが交替となった名残かと笑。
透き通る瞳に映るOS・彼女
ホアキン・フェニックスって、こんな表情ができる俳優なんだねぇ。
どう見たって、純真そのもの。透き通った瞳。子供の心のまま、大人になってしまった人。
彼がかつて出演した「ザ・マスター」
あれは恐ろしい作品だった。兵役を終え、心の傷が癒えない主人公。彼は復員後、一般社会になじめず、新興宗教にのめり込んでしまう。教団教祖に心酔し、ロボットのように動く人物を演じ上げている。また「エヴァの告白」では、貧困にあえぐ、アメリカ移民の女性たちを誘い「夜の女」に仕立て上げる人物を、これも怪しい雰囲気で演じた。
「アブナイ」「怪しい」「いかがわしい」という人物を演じさせたら、いまやホアキン・フェニックスの独壇場のようだ。
そんな彼が、全く新しい人物像を演じるのだ。
俗にいう「草食系男子」をである。
これは観てみたい、と思った。劇場に足を運んだのは、ただそれだけの理由である。
ストーリーは「アカデミー脚本賞」を受賞している、との触れ込みだったが、予想に反し、実にありきたりで、誰でも思いつくだろうと言う程度のものである。
主人公、セオドアは手紙代筆の専門企業に勤めている。ラブレターの代筆なんて朝飯前だ。彼はゴースト・ライティングのスペシャリストなのだ。
その彼が新しいコンピューターソフトを購入する。ソフトは人格を与えられている。彼はソフトの設定を女性にした。
ソフトの名前は「サマンサ」
コンピューターソフトとは思えない程「彼女・サマンサ」は、セオドアの気持ちを理解し、辛辣なジョークさえ飛ばしてみせる。彼は愉快でしょうがない。あまり人付き合いがうまくないセオドアは、リアルな人付き合いよりも、どんどん「サマンサ」にはまり込んでしまう。「彼女」がいない生活なんて考えられない。やがて彼は「サマンサ」と疑似恋愛に陥ってゆく。
う~ん、これで「アカデミー賞」ですかぁ~。と言う感じだなぁ。
今や、自律型ロボット兵器が実在し、ロボット兵器が自分の判断で、人間を殺せる時代である。
ならば、コンピュータソフトが人間を愛したり、嫉妬したり、浮気したり、挙げ句の果てに、ご主人様を見限ることさえ不可能ではない、とたやすく想像出来る。
私事で恐縮だが、1995年、僕はAppleのMacを初めて購入した。信じられなかった。マウスひとつで、スイスイなんでもやってのける。
始まったばかりのインターネットにもつないだ。
ホワイトハウスのサーバーから、当時の大統領夫人、ヒラリーさんの画像が太平洋を渡って僕のMacに送られてきた。
そればかりか、スイスの原子核研究所CERNの画像が表示されたりした。MacでドリカムのCDを聞きながら文章を書き、お絵描きをし、FAXを会社に送り、世界中と繋がる。もう、完全にMac中毒。
その後も僕は、仕事中も頭の中は「七色りんご」に染まっていた。まさにそれはMacというパーソナル・コンピュータに「恋してしまった」状態だった。僕とMacの関係は2014年の今、四代目のMacに引き継がれている。そんな僕だから、本作での主人公の心情はとても理解出来た。
なお、本作を鑑賞して思わぬ収穫だったのは、相手役のエイミー・アダムス。いいねぇ~、彼女。
クリント・イーストウッドと共演した「人生の特等席」でも、映画界の巨匠相手に、全然ひるむ事なく、自分の演技をぶつけて行った、肝の据わり方は大したものだ。
しかも彼女には、ハリウッド女優にありがちな「私はハリウッドのセレブなのよ」「大物女優なのよ」という「臭み」が全然ないのである。本作で彼女の自然体の演技が観られたのは、せめてもの救いといえるだろう。
リアル ラブプラス マイナス?
NHKあさイチ!での紹介を見てずっと気になってました。
OSとの恋愛ということで、見てる間ずっとあーだこーだと結末の想像ばかりしていました。
で、最後の急展開にこれからどうなるのか???と思ったところで・・・。
私はどうしてもSFとして見てしまい、築かれている世界観だとか、未来は本当にこういうのありえるなーだとか、元ネタはラブプラスだろうな~とか、OSが恋人になっちゃったら少子化問題がさらに激化するなーとか、このOSが人間型ロボットに搭載されれば「A.I」だとか「アイ、ロボット」だとか「ブレードランナー」の世界がやってくるんだろうな~、そして「ターミネーター」とか「マトリックス」の世界がやってくるんだろうな~、とか考えてみていました。
なので、当の恋愛の部分にドキドキ・ワクワクを感じるようなことはありませんでした・・・。
結末についても、OSが主人公の幸せを願って奥さんとのヨリを戻させるのかな~とか、人間的になりすぎたOSを恐れて会社が回収するのかな~とか、OSが初期化されて主人公との記憶を無くすのかな~とか、いろいろ考えていましたが、どれも当たらず・・・。
突然のエンディングロールを見ながら、あ~これは純粋に主人公とOSとのほんわか切ない恋愛を楽しむ映画だったんだ・・・、と気付かされました。
なんか、どんでん返し的な結末を期待してたぶん、撃沈してしまいました・・・。
う~ん、せめて「髪結いの亭主」くらいの(とまではいかないまでも)もう少しインパクトのある終わり方なら、私みたいな間違った?見方をしていた人間でも楽しめたのに・・・、とちょっと残念でした・・・。
エンディング間際の急展開もいい感じだったのに・・・。
と、根本的に私のこの映画を見る姿勢自体が間違っていたようです・・・。
世界観とストーリー共に最高
まず、凄く驚くのは近未来の設定なのですが、これまでの映画でよく見かけるような未来ではなく、どちらかと言うと『ガタカ』のような少しクラシカルな趣を感じます。ただ、あそこまでクラシカルな志向ではなく凄く現在の延長にあるように感じました。その絶妙かつセンスの良い世界観にまず惚れ込んでしまいました。劇中に出てくるエレベーターとか実際にあればいいのにと思いました。あとストーリーもとってもオリジナリティ溢れていて、見ている間ずっと主人公の心の成長や恋愛模様を見守っている気分で、最後まで全く飽きることなく楽しめました。主演のホアキンフェニックスはこれまで見たことがないような可愛らしい演技でビックリしますし、快活な女性というイメージだったエイミーアダムスのゲームクリエイターという役どころも抜群で凄く可愛らしかったです。そして、画面には一切出てきませんがスカーレットヨハンソンの少しかすれるような声だけでの演技、肉体は無いのに最高にセクシー!
恋愛映画ですが人生全般に言えるメッセージもあって非常に満足度の高い映画でした。若干のマイナスは少々物足りなさがあったと言うか見終わってからドスンとくる物がなかったからなのですが、デートや友人らと見るならむしろその点も美点になり得ると思います。
これぞ恋愛における人生賛歌!
恋愛には、代償が必要だ。
甘く蜜月な魔法が過ぎれば、
それぞれのエゴがぶつかり合い、
いつの間にか束縛しあい、確執が生まれる。
男と女、人と人。
信頼しあい、自分をさらけだすだけ、
深く傷つき、自分を責める。
そうとわかっていても、
恋することはやめられず、同じ過ちを繰り返す。
それが生身の人間同士であっても、
都合よく作られたはずのコンピュータだとしても、
結局は同じこと。
だからこそ、やめられない。
だからこそ、生き続ける価値がある。
恋愛という素敵な狂気
“Falling in love is kind of like a form of socially acceptable insanity”
「恋に落ちるのは社会的に受け入れられる狂気のようなもの」
ちょっと未来のロサンゼルスを舞台に、妻と別れて失意のどん底にいた孤独な男性と超高度な人工知能を備えたPCのOS(オペレーティング・システム)との恋愛を描く。
バーチャルに恋をするオタクの存在を知る人からすれば、ややもすれば危険な題材ではある。
カメラが付いた端末を持って2人がデートをするシーンなど、ニンテンドーDSのゲーム「ラブプラス」(懐かしい)にハマる男性を想起させなくもない。
それとは全く別物なのだけど、いずれにせよイタい映画という先入観を抱く人もいそうなので、敢えて言わせてもらいたい。
人間と非人間(=人工知能・ロボット)の境界、というSFの哲学的命題に当てはめてこのラブストーリーを俯瞰してみれば何らイタいことはなく、この映画は近い将来このようなことが実際に起こり得るかも?という現実感を十分に抱かせつつ、ファンタジックなテーマを緻密且つ情感豊かに描いた傑作なのだ。
監督はアメリカンインディーズ映画界のカリスマ的存在スパイク・ジョーンズ(『マルコヴィッチの穴』『かいじゅうたちのいるところ』)。
主人公のセオドアを演じるのはホアキン・フェニックス。
若くしてこの世を去った名優リバー・フェニックスの弟で、近年ドキュメンタリー映画『容疑者ホアキン・フェニックス』のためにラッパーに転身するという壮大なドッキリを敢行し世間を騒がせた俳優。
復帰作のポール・トーマス・アンダーソン『ザ・マスター』からのスパイク・ジョーンズの映画とは、持っている俳優だなぁと思わずにいられない。
そしてOSのサマンサの声をスカーレット・ヨハンソンが演じている。
彼女のセクシーで知的なハスキーボイスは特異な恋愛関係に多大な説得力をもたらしている。
サマンサは身体を持たないので2人の声の対話が映画の主軸となっているが、彼女の声とホアキンのしゃがれ声の掛け合いはとても柔らかくて耳心地が良い。
そして『ドラゴン・タトゥーの女』でブレイクしたルーニー・マーラ(かわいい!!)がセオドアの元妻キャサリン、セオドアの良き理解者である友人エイミーを『魔法にかけられて』のお姫様エイミー・アダムスが演じ、脇をガッチリと固めている。
セオドアが初めてOSを立ち上げるサマンサとの出会いのシーンで、サマンサの「性能」の高さが端的に描かれている。
ぎこちない挨拶を済ませたのちに、とりあえずの仕事としてセオドアはPC内のデータの整理をサマンサに頼む。
サマンサはメールの整理を始めるが、内容を勝手に閲覧することを躊躇い、セオドアに許可を求める。
彼女はPCのシステム全般を管理するOSなので、たとえば大量に保存されたエロ画像などがあったとしても自由に閲覧できてしまうわけだ。
しかし、おそらく彼女はそれを進んでやろうとはしない。
やったとしてもそのことは告げないだろう。
このような分別こそが彼女の優れた人工知能たる所以であり、人間らしい理知性を感じさせる一面なのではないだろうか。
また、理知性を備えたうえで個人のプライベートな情報を共有するOSとそのホストというのは、或いは下手な夫婦よりもよっぽど深い仲を築けるのではないかと思えてしまった。
サマンサは自立した思考を持ち、またセオドアとの会話やネットを介して知識を得て進化していく。
セオドアはそんな彼女を「生きることにときめいている」と形容する。
サマンサのポジティブな好奇心はセオドアの心を開け放ち、彼女のユーモアは落ち込むセオドアを優しく元気づける。
あらゆる情報にアクセスできるサマンサは最良のコンシェルジュであり、仕事では有能な秘書ぶりを発揮したかと思えば、絵も描き音楽の作曲もしてしまう。
身体を持たないのでセックスは出来ないのかというと、そうでもない(!)。
この描写もとても興味深いが、一番キワどいシーンだと思うので観てのお楽しみ。
ミュージックビデオの監督という経歴で十分に納得できることだけど、スパイク・ジョーンズの映画は音楽がとんでもなく良い。
カナダ出身のロックバンドのアーケード・ファイアの楽曲や、ヤー・ヤー・ヤーズのボーカルのカレン・Oが歌い上げるテーマ曲“The Moon Song”。
電子化した近未来の設定に反し(敢えてだろう)アコースティックを中心とした音楽がさりげなく、そして抜群の効果で映画の情感を引き立てる。
とんでもなく長くなってきたが、セオドアの職業についても言及したい。
セオドアは手紙の代筆ライターという仕事をしている。
手紙といっても紙ではなく、音声入力によって便箋を模したフォーマットに手書き風のフォントで言葉を綴るPCレターなのだが、メールやLINEなどでのやり取りがすっかり当たり前になった現代の延長線上にある近未来において、このような商売が成立しているのも面白い。
しかもセオドアが働く会社の規模からして、結構儲かっているように感じられた。
或いは手紙をプロが代筆するというのがごく一般的なことになっていて、そのこと自体が手紙をより特別なメディアにしているのかもしれない。
これは廃れて主流ではなくなったからこそ成立するメディアの在り方であり、セオドアをこの職業に就かせた監督のノスタルジーを感じずにはいられない。
こういったノスタルジーや現代的な感覚を突飛なアイデアと上手にブレンドするのが、スパイク・ジョーンズの大きな魅力のように思える。
ときめきメモリアル
人がosに恋をするど変態恋愛映画。
もの好きな人が注ぐ愛情の度合いの深さが描かれています。
内容はすごく単調ですこし中だるみをしてしまったが、見方を変えたら個人的には十分に楽しめた。
舞台セットにはジェフマクフェトリッジが携わっていたせいか、彼のイラストやらUIとかがとても良かった。個人的にも参考になる作品だから何度も観たい。それとこの先近い将来起こりうる話なだけに興味深いものでした。
ソフトバンクがリリースしたpepper。これも人工知能を持たせた同じ設定だけど、ロボットの誕生っていまから20とか30年前からもあった発想。
この映画では将来起こりうるロボットが携帯のosに知能を持たせるというところが新しく感じました。
そういう意味でとても洒落てるいい映画だったかも。
今年、観た外国映画のなかで最良の作品。
恋愛映画でもあり、ある意味、SF映画でもあります。離婚した男がコンピューターのオペレイティング・システムの声と恋愛をするという一歩、間違えると壮大な失敗作になる可能性のある題材をスパイク・ジョーンズは巧みに処理しています。分野は違いますが、村上春樹の匂いをどこか感じさせる作品でもあります。しかし、最近の村上作品が悉く、失点を重ねているのに対し、(私は村上春樹の作品を殆ど、読破しています)この作品は「マルコビッチの穴」を髣髴とさせる才気に溢れています。村上春樹も「ノルウェイの森」という駄作を書いていなければ、自意識過剰に陥ることもなく、勘違いすることもなく、この映画のような、レベルの高い小説を残していたでしょう。
音楽の使い方が絶妙でした。必要最小限の音楽しか使っていないのに、その音楽が妙に耳に残るのです。途中、出てくる無機質な高層ビル群の風景、飛行機が機首を地面に突き立て、逆さに屹立しているという異様なオブジェ、が出てきて、これはどこの風景だろうとエンドクレジットを見ていると、どうやら上海の風景であるらしいのです。どこか近未来的であり、どこか不気味なこの光景は人類の近未来を黙示しているかのようでした。
「渇き。」という酷い日本映画を観たばかりだったので、この映画が一際、輝いて見えました。皆さん、必見の映画です。
不思議な感覚にとらわれる作品
エイミーアダムスはこういう素朴な役が似合う。アメリカンハッスルでかなーり違和感を感じていたなか、今作をみて自分のエイミー像が落ち着きを取り戻した。
一連の流れからのラストではワンダーランド駅でを思い出す、静かで甘苦い素敵な作品であったと思います。
さようなら かなたへ
いろいろなことを知りたい彼女
ここにいることしかできない僕
僕が前に進んでもきっと
君にとってはほんの少しだ
行ってしまうのはさみしいけれど
いろいろなことを知りたい
もっと進化をしたいのならば仕方がない
僕は等身大の人間の恋愛を
これからしていこうと思うよ
アメリカ人のなんでも受け入れる姿勢が笑えるほどすごい。アンドロイド...
アメリカ人のなんでも受け入れる姿勢が笑えるほどすごい。アンドロイドの事を彼女と紹介されてとまどいながも機械に向かって挨拶する主人公の友人たちの寛大さ。
スパイク・ジョーンズ色
知的好奇心旺盛で、話題に長けていて、性に開けてる。
OSサマンサが持つ人格を通じて、スパイク・ジョーンズの女性の好みが少しわかった気がします。
「写真に残せないから」と言って即興で作曲をしたり、彼が弾く曲に合わせて歌詞を乗せる演出が、ロマンチックでいいなぁと思いました。
ラストにかけて、なんとなく解っていたことが当事者たちにとっては大問題でっていうストーリーが少し、笑けてしまったのはそこまで感情移入できていなかった自分の未熟さかと。
あと個人的には性的描写が多いのも、若干萎える要因でもありました。
ヴィンセント・ギャロの"ブラウン・バニー"を観たときの感覚に似てます。
でも映像の美しさ、シンプルさは流石でした。
実体のないものにする恋も、盲目なのだ。
今や、音声でgoogle検索ができる時代。数年前まで想像も付かないことだった。ましてや、「しゃべってコンシェル」がこのまま進化すれば、映画の中の人工知能OSの開発さえも、近い将来あるのではないかと思えた。
近未来的な街並みや、PC操作や周辺のツールなどが、もうすぐやってくる未来という雰囲気をうまく醸しだしていた。
その人工知能OS・サマンサに感情があることが、なによりも映画に引き込まれる要素だった。悩み、嫉妬する。おまけに、実体がなくても○○(自粛します)までもする。
セオドアにとってはもう、ひとりの魅力的な女性なのだ。
「ふたり」でビーチを散歩するシーンなんて、小さな知的な妖精を胸ポケットに忍ばせいるかのような素敵なデートに思えた。
それに、サマンサがつくった曲「the moon song」(you tubeで聴ける!)が、スウェーデンのアーティストあたりが歌ってそうな柔らかなスローソングでとても心地よかった。
そして僕は、この恋はどこへいくのだろう?と、ずっと不安に揺れていた。
結局、あれは「人工知能OSという商品が進歩しすぎたがゆえに社会問題になってしまい、発売元が回収した」ということか?
たしかに、ありえる展開だと思った。
セオドアが、階段に座り込み、ふと周りには、セオドアと同じようにひとりで誰かに話しかけている人ばかり。それは、所詮サマンサとの恋はリアル(現実)なんかじゃないって気付いたかのようだった。
そして僕も気付いた。
しゃべって文章に起こすテクノロジーはあっても、それを人に伝えるツールはアナログな手紙だ。
サマンサとの別れのあとに、セオドアの心を癒してくれるのはエイミーという生身の友人だ。
多少面倒なことがあるにしても、やはり人の心を満たしてくれるのは、実体のあるものなのだと。
この映画。行き違いや衝突を嫌い、生身の人間との交流を避けて、二次元の世界(アニメやゲーム)で引きこもる若者への痛烈なアンチテーゼのように思えた。
素敵なラブストーリー
世界初学習型人工知能OS(AI)との恋愛を描いていますが、素敵なラブストーリー。近い将来OSが本当にこんな進化をするのではないかと、、。テンポも早過ぎす遅過ぎす、心地良い程度で、ホアキン・フェニックスの内向的で不器用そうな心に傷を持った主役の演技も良かったですが、、スカーレット・ヨハンソンの声の演技がとても良かったです。映像は暖色系を貴重に優しいカラフルさで色合いが好みでした。
セオドア=自分に思えて
セオドアの孤独と喪失感が、まるで自分をみているようで、前半は泣くしかなかった。
もう一生分の感情を知ってしまっていて、これからはいま迄の劣化版みたいな感じじゃないかな?みたいな発言があり、まさにそんな気分な昨今の自分で、その吐露を間髪入れずに否定してくれたサマンサにまた泣かされ、、、
サマンサとの初めての情事で、若干引いて、そこで涙は止まりましたが(笑)ホクロカメラもね。
最後まで切なく苦しく共感しながらみました。
もっかい観たいな。
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