母の身終い

劇場公開日:

母の身終い

解説・あらすじ

「愛されるために、ここにいる」のステファヌ・ブリゼ監督が、尊厳死を望む母親とその息子の絆を描いた人間ドラマ。麻薬密輸の片棒をかついで逮捕され、服役していた48歳の男性アランは、出所して母親のイベットが暮らす実家で再出発を図るが、希望の仕事が見つからず、几帳面な母と衝突してばかりいた。そんなある日、アランは母が脳腫瘍に冒されており、スイスの会社と契約して尊厳死を実行しようとしていることを知る。

2012年製作/108分/PG12/フランス
原題または英題:Quelques heures de printemps
配給:ドマ、ミモザフィルムズ
劇場公開日:2013年11月30日

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(C)TS Productions - Arte France Cinema - F comme Films - 2012

映画レビュー

3.5自律に徹する母親の人生 その最期の決意と希望とは

2025年5月11日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

知的

難しい

邦題にある「身終い」を辞書で引いてみたが、見当たらない。「身仕舞」「身じまい」であれば、身なりをつくろうこと。また、化粧して美しく着飾ること。身支度 (みじたく) とある。転じて「人生の身じまい」であれば葬儀会社のキャッチコピーなどに見いだせる。原題の直訳は「春の数時間」。本作を観れば、その意味するところも伝わるのだが、邦題が伝えたいことは、人生の最期をどのように迎えたいのか、何かを成し遂げておきたいことはあるまいか。そうした、人生の旅を終えるときへの身支度、身近な者の想いは、この邦題の語感と文字遣いなればこそ心に響いてくる。

47年間連れ添った夫は先だち、自宅に独り暮らすイヴェット(エレーヌ・ヴァンサン)。48歳になる一人息子のアラン(ヴァンサン・ランドン)は、長距離トラックの運転手だったが麻薬運搬に関わり18か月の刑期を終えたばかり。いまはイヴェットの家に同居し失業中の身だ。

イヴェットの暮らしぶりは、ある意味坦々としている。家の掃除、洗濯、食事づくり、ゆとりのある時間はジグソーパズルなどに興じたり、ジャムを作って親しい隣人のラルエット(オリビエ・ペリエ)にお裾分けする。アランが帰ってきてからは、家で食事をするがリビングとキッチンに分かれて座り、飼い犬が呼ばれる度に二人の間を行き来して食べ物をもらう。

その打ち解けあえていない空気感が、みごとなまでに漂う。テーブルのゴミをかき集めるイヴェットの仕草にも、失業中の息子へのちょっとした苛立ちが垣間見られる。そんなある日。アランは、イヴェットがスイスの尊厳死を仲介するNPOからの書類を見てしまう。がん細胞が脳にまで転移していて治癒の可能性はない。ターミナルケアの勧めを拒否して、自殺ほう助による尊厳死を選択していることを主治医から確認したアラン。

どうにか仕事に就いたが、張り合いのない毎日。見つけた仕事も辞めてしまったことで母子は激しく口論し、アランは家を出て隣家のラルエットの所に隠れてしまう。

イヴェットとアランの少ない会話のなかに、二人がどのような家庭の中で暮らしてきたのか。夫が亡くなった後、イヴェットはなぜ自殺ほう助での尊厳死を選択し、意固地なまでに遂行しようとするのか。母親の自死への決意を知ったアランの心の動きは?。その人情の機微が静謐(せいひつ)なときの流れの中で、不思議な体温を感じさせながら語られていく。

スイスの尊厳死を援助する団体の責任者が、イヴェットの意思を確認するため自宅を訪問した時の会話が印象深い。「あなたの人生は幸せでしたか?」と問う責任者に、イヴェットは、「人生は人生ですから」とだけ答える。投げやりな答え方ではない。亡き夫との関わり、アランとの関係、それらすべてを受け入れて歩んできて「いま」があるという誇り。

イヴェットの選択と決意に、賛否両論が生まれることだろう。だが、彼女の自律した選択と方法論を超えて、二人が最期の‟とき”に臨んでどうありたかったのか。人生を捨てたのではないことが、静かに深く心に伝わってくる作品だ。

監督:ステファヌ・ブリゼ 2012年/フランス/108分/映倫:PG12/原題:Quelques heures de printemps 配給:ドマ/ミモザフィルムズ 2013年11月30日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー。

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JC-LORD

0.5薄気味悪い最悪の映画だと思う。トラウマが増えた。

2023年11月16日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD
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マサシ

4.0自分の”死”を考える。

2023年4月23日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

悲しい

知的

難しい

死を考えること=生を考えること。
 これからの生き方のビジョンを考えるセミナーに出た時、自分の葬式で語られる弔辞を考えさせられたことがある。どんなふうに生きてきたかを語られる弔辞。それが貴方の”こうありたい”なのだと。

映画は重い。
 自分の生き様―誰にどう最期を見取ってもらうのか、そのために今何をすべきかー仲直り?新たな関係構築…?―を考えるきっかけになると思うが、あまりに重い。

自分の生き方しかできぬ母。
その母に傷つけられ、遠ざかり、自分から関係を壊すことしかできぬ息子。
そんな当てにならない息子に、さらに自分の生き方に固執していく母。

あの犬のエピソードは何だったのだろう。
 「帰ってきて」との一言が言えない代わりに、犬を病気にして母は息子を呼び戻そうとした?

お互いを必要としていながら、傷つけあうことしかできない親子。

 せっせとモップをかけ、タオルにアイロンを当て、身の回りをホテルのように居心地よくする母。
 その母の努力を片端から台無しにしていく息子。
 息子にとっては息詰まる生活。
 息子なりの努力を微塵も認めようとしない母。息子に一人前らしくなってほしいが故にだが。

もし、二人の関係が違っていたら、
息子の家族に囲まれた”おばあちゃん”として生きていたら、
隣人の気持ちを受け入れられていたら、
もっといたわりあい、理解しようとし、お互いが近づこうとしていたら、
母はあの選択をしたのだろうか?

「自分らしく死にたい」「夫の様には死にたくない」その思いはわかるものの…。
少なくとも、闘病・死を息子に託していたら、”自分らしく”は死ねないだろう。
乱暴なやり方での看護ならまだしも、へたすれば放置…。
息子の負担にはなりたくない。せめて支えになれぬのなら。

そんな二人の生き様を、映画は静かに静かに描く。
 表面上は、母の死の選択という事件はあるものの、母と子二人の思い通りにいかぬ様を、おちゃらけたエピソードやお涙頂戴なエピソードなど排して、ただただ平板に綴っていく。
 だが、母子二人、隣人、恋人のわずかな表情・動きでその人柄・思いを描き出す。
 見ているのが辛くなるほど、ヒリヒリとした愛憎。
 こんなに雄弁な沈黙があったなんて。

たらればを語っても仕方がないと思うものの、いつまでもリフレインする。

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とみいじょん

3.0ちょっと羨ましいかも…

2021年7月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
前のアカウントの削除や取り消しもできないので、

これからは「星のナターシャnova」

以前の投稿をポチポチ転記しますのでよろしくお願いいたします。
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こう言う映画のレビューは
ほとんど書く人はいないと思うので書いときます。

このお母さんはきちんと毎日規則正しく暮らし
家の中も整理整頓されて、良い男友達も居たりして、
多分日々が充実してるから、
今の生活が悲惨になって行くのが堪えられないと言う感じだな~~

でも、このお母さん、いきなり帰って来た厄介者の息子
いい年なのに仕事も無くて全然ちゃんと暮らしてない息子を
残して行くのは気がかりではないのだろうか?
なんかちょっとその辺が少し冷たい気もする。
まあ、西洋ではいい年の子供をいつまでも面倒みないようなので
こんなものか…

この映画は尊厳死を選ぶかどうか?の葛藤では無く
既に決意してしまった母を描いているので
行く末に悩む今、参考にはならないかもしれない。
でも、スイスの尊厳死協会の様子がみられてなかなかに興味深い。
最後に飲む薬。
大きなタンブラーに入ったジュースの味のする薬。
あれは何なんだろう?
あんなジュースの様なものであの世に行けるのなら
案外人間は簡単なもんなんだな~~と思った。

尊厳死…

難しいテーマだけど、そう言う選択肢があっても良いと思う。

最後に1つだけ、映画的には上手いけど(苦笑)
親子がケンカしてその争いに巻き込まれて
いい様に利用される飼い犬がちょっと、可愛そう~。
(死んだりはしないけど)

日本だったら動物愛護協会から抗議が来そうだわ~~~

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星のナターシャnova