<映画のことば>
医者の不養生とは、よく言ったもんだ。
先生も、奥さんを大事にね。
ウチのには、いい迷惑だろう。
夫婦の時間なんて、これっぽっちもない生活で、いざ顔を突き合わせるとなったら(ダンナの)看病とはねぇ。
でも、あいつには悪いけど、後悔はしていないよ。医療に捧げた時間を、ね。
貫田医師の奥さん・千代が、本当に、いつもいつも「夫婦の時間」を望んでいたとは限らないと、実は、評論子は思いました。
この、映画のことばを聞いて。
それは、ある奥さんが話をしてくれた時のことを覚えていたからです。
「ウチのダンナはさぁ、こんな天気のいい日くらい、どっかに出掛けてくれれば家の中の片付けもできるのにと思っても、出掛けもしないで、家の中でゴロゴロ、ゴロゴロ。
鬱陶(うっとうし)いったら、ありゃしない。
それでいて、台風が来ていたり、地震があったりして、こんな心細い日くらいは家にいて欲しいなぁと思う日に限って、仕事で出掛けてしまって…。」
夫のことををぼやいているようで、実は夫を誇らしく思っているんだろうなぁ、ということは(ことばの表現とは裏腹に)彼女の表情からは、読み取ることができました。
ちなみに、彼女の夫は、消防職員(消防士)。
彼女は、身を挺しての火災の鎮圧、人命の救助ということを仕事にしている夫と、夫のその仕事とを誇りに思っていることか、ハッキリと分かりました。
評論子には。
たぶん、医師としての夫と、夫の医師という仕事を、千代はちゃんと理解をしていたのではないかと思います。
時間外労働の常軌を逸した長さということでは、医師は(義務教育緒学校の教員と並んで)ダントツの首位争いをしているような職種ですから、そのワーク・ライフ・バランスの在り方ということでも、単純ではない、一筋縄ではいかないことでしょう。
奥さんの苦悩も目の当たりにしてきていた進藤医師にしてみれば、定時出勤・定時退勤が、多くの他の職業と変わらない(はず)の医師という職業でもワーク・ライフ・バランスを考えなければならなかったようですけれども。
しかし、必ずしもそうも単純に割りきれるものでではないことは、貫田医師と千代、栗原医師とハルとを見比べても、窺うことができるようにも思われます。
そして、千代は、やっぱり知っていたのでしょうね。
貫田医師が大学(医局)からのオファーを蹴って、本荘病院の常勤医師の途を選んだ理由を。
それだけに、家にいることが少ない貫田医師にも理解があったことでしょう。
いいご夫婦だと思うのは、評論子だけではないこととも思います。
三組の夫婦のそれぞれの関係性が、心に温かい一本でもありました。
佳作という評価は、間違いのない一本でもあったと思います。
評論子には。
(追記)
やっぱり有能な医師だったのですね。進藤医師は。
けっきょくは入院患者の四賀も、貫田医師の奥さん・千代にも、充分な説明で、納得と安心とを与えることができているわけですから。
そのことも、本作の「温かさ」の要素の一つになっているのでしょう。
(追記)
映画.comのサイトでは役名が出ていなかったのですけれども。
しかし、糖尿病の入院患者の役で、佐藤二朗が出演していました。
実は、さる医大病院の医師から「勝手なことをする。言うことを聞かない。いちばん始末に負えない患者は同業の患者。」と聞いたことがあります。
患者の側にもなまじっか知識があるだけに、また「医療現場の裏も表も知っている」だけに、治療に当たる医師の側でも何かとやりづらいことでしょう。
その「やりづらさ」を、佐藤二朗は好演していたのではないかと思います。
評論子は。
(追記)
むしろ、第一作に比べで、栗原医師の方が、もっとベテラン臭くなったというのか…。
いわゆる「医師の顔」になっていると思ったのは、評論子だけだったでしょうか。