遺体 明日への十日間

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遺体 明日への十日間

解説

東日本大震災直後の遺体安置所での出来事を、西田敏行主演、君塚良一監督で描いた人間ドラマ。震災で甚大な被害を受けた岩手県釜石市の遺体安置所を取材した石井光太氏のルポタージュ「遺体 震災と津波の果てに」(新潮社刊)をもとに、震災直後の混乱のなか、次々と運ばれてくる多くの遺体に戸惑いながらも、被災者である釜石市民の医師や歯科医たちが、犠牲者を一刻も早く家族と再会させてあげたいという思いから、遺体の搬送や検視、DNA採取や身元確認などのつらい作業にあたる姿が描かれる。主演の西田のほか、緒形直人、勝地涼、國村隼、佐藤浩市、柳葉敏郎ら豪華俳優陣が出演する。

2012年製作/105分/G/日本
配給:ファントム・フィルム
劇場公開日:2013年2月23日

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(C)2013フジテレビジョン

映画レビュー

3.5【東日本大震災発生後、遺体安置所の様を描いた作品。そして、ルポルタージュの実写化の危うさを知った作品。】

2024年6月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

知的

幸せ

■私は、東北に所縁がある。
 故に、今作は震災後2年経たないうちに公開されたので、とても見れないと思い足を運ばなかった。
 東日本大震災をテーマにした映画を観始めたのは、2020年の「Fukushima 50」と「風の電話」からである。

 今作は、釜石市の民生委員だった男を主人公にしている。
 福島ご出身の西田敏行さんは、遺体安置所に次々に運び込まれる津波に呑み込まれた泥だらけの遺体を前に、茫然とする人達の前で懸命に遺体及び遺族に対し丁寧に接する男を見事に演じている。

 一番、グッと来てしまったのは多くの遺体を前に読経する僧侶を演じた國村隼さんが、読経の途中で、何度も涙を堪えるが故に読経が続かなくなる姿である。
 涙が出そうになる。

 だが、私は、ある事実を岩手県庁に勤めている大学の友人からこの映画が公開されて、だいぶ経つ頃に教えられたのである。
 もう、良いだろうと思って観たのだが・・。

<今作は、邦画の名だたる且つ気概ある俳優さん達が集結した映画である。
 2013年公開の映画に出るだけで辛かっただろうと思うのだが、皆さん流石の演技である。
 只、映画と事実は別物である、と言う事は十二分に分ってはいるのだが、多くの名シーンを持ってしても、のめり込む事が出来なかった作品である。>

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NOBU

3.0このような方々がいたからこそ、最期の別れができたのだろう

2023年8月18日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

悲しい

知的

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ぽん

5.0災害時に実際に起こったこと

2020年12月12日
iPhoneアプリから投稿

大きな災害の時に、死者何名、身元不明何名、とニュースで流れる。その時に、亡くなった人のこと、家族のこと、対応した人たちのことを具体的に考えたことはなかった。

災害時の、非日常の中でも、悲しみに向き合い、大切な人に最後のお別れを伝えなければならない。

石井さんが実際に取材した内容に基づいて、本当にあったできごとを丁寧に描いた作品。

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ざおとん

3.0フライング

2020年8月20日
PCから投稿

震災後にもっとも早くリリースされたメジャーな映画がこれだった──と思う。
亡骸を丁寧にあつかうことを励行しているひとの話だった。なんとなく要領を得なかった。被災者ではないゆえ、無責任な発言になってしまうが、厖大な災害時には感傷よりも効率が必要になる気がした。のである。

亡骸を丁寧にあつかう──それは殊勝なことだが、どちらかといえば、独自性の高いこだわり──だと思えた。もちろん涙腺へ誘っている気配は露骨にあった。率直に言ってインチキ臭かった。

先般(2020年7月)映画のモデルとなった人物が少女たいする強制性交で逮捕された。
かれのこうばしいひととなりを述べた住民たちの話もあがっていた。屍体愛好癖で仮設安置場所をうろうろしていたかもしれない男が、いいように誤解され大資本のメインストリーム映画のヒーローになった──わけである。

もちろん、それを予見したわけでない。ただそうなってみると映画にあった違和感がストンと腑に落ちた。

その顛末を知るとき、プロダクションが悲劇を探していたことが分かる。
監督は踊る大捜査線シリーズを手がけた商業監督であって、こうなってみると指名はいい迷惑だったろうが、映画はお涙頂戴とはいえ、その職人手腕に支えられ、悪くない。

しかし。なぜこの人物が脚光したのかといえば、悲劇を探していたからだ。あらんかぎりの悲劇が横たわっていたあの震災の後で、よりにもよって変態に脚光してしまった。
──悲劇は探すものではない、とはそういうことだ。
悲劇が見つからなければ、悲劇はいらない。あるなら、へたに脚色しなくていい。

映画は単体で評価していいものだと思う。
それが嘘でも、ねつ造でも、あるいはキャストやスタッフが犯罪にかかわっていても、楽しんでかまわないと思う。またそれらを知らなくてもいい。
ただエンタメを鵜呑みにしない批評精神はあっていい。
慰安婦や抗日を信じるならわれわれはたんなる色情狂である。
それを考えたとき、まっとうなうらづけのある題材を見つけてくるプロデューサーのしごとも、映画の構成要素だと思った。

個人的には、東日本大震災の映画は早すぎると思う。Fukushima50も早すぎる。進行中の話を感動に仕立てるな──というたんじゅんな理屈であり、これなんか完全なフライングだった。フライングだったからこそ誤謬が発覚したのだ。

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津次郎

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