桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
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持つもの・持たざるもの。
◯作品全体
本作を見ていると、学校という空間は本当に異質で、特殊な空間だったんだなと感じる。それぞれのコミュニティの範囲外に行くことはほとんどなく、目線を向けたところで互いが互いに嘲笑するくらいしかしない。
そんな異質でありふれた学校生活が本作でもあるが、それが崩れた元凶である「桐島」を登場させず、空白を作ったまま展開される構成に惹き込まれた。
空白を作る桐島という存在は、ヒエラルキー上位の中心人物としてふさわしいキャラクターだ。クラスだけでなく部活でも一目置かれていて、その両方のコミュニティから「あいつには叶わない」と、思われている。それはつまり、周りの人間は「桐島」という壁を突き付けられているのも同じで、あいつを越えないと何であれトップにはなれないという現実を否応なく教えられてしまう。菊池たち帰宅部組はそうした潜在意識があって帰宅部を選んだのだ、と感じた。彼らには味わえない「なにかに没頭すること」を桐島は知っているところに、同じコミュニティでありながら違いがあって、「部活、恋人、ヒエラルキー」全てにおいて「持つもの」である桐島を中心とした「持つもの・持たざるもの」の構図の作り方に巧さを感じた。
ただ、菊池や野崎は恋人がいる「持つもの」でもある。映画部の前田や吹部の沢島とは「持つもの・持たざるもの」の構図になっていて、終盤までは校内恋愛を楽しむ人物が「持つもの」として肯定的に描かれる。しかし菊池たちは桐島を中心としたコミュニティであるため、霧島がいないことに翻弄されればされるほど熱中するものがない、「持たざる」弱さが露呈する。前田たちは熱中できる何かを持っていて、それを嘲笑する野崎に対してバレー部の小泉とバトミントン部の二人が言葉と行動で反論する。ヒエラルキーが主導権を握っていた立場の逆転が起きたのが、終盤の火曜日の屋上だった。様々な「持つもの・持たざるもの」がある登場人物が様々な感情を持って集う屋上での出来事は、今まで避けていたコミュニティの枠を超えてエネルギーをぶつけ合う模様がすごく印象に残った。
作品中盤までは学内ヒエラルキーを中心として青春の良し悪しを意識させられる。しかし、なにを持っているのが良いかという話ではなく、持っているなにかのエネルギーで語られるラストが、熱量の高さと自分の壁を知った高校生の本音を純度高く切り抜いていて、心に深く刺さった。
◯カメラワークとか
・菊池が外を眺めた時に沢島も外を眺めるカットがベタながらよかったな。あの時間だけは二人だけの空間にさせてくれる優しいカメラワーク。エンドテロップの順番もそうだけど、沢島というキャラクターだけ贔屓されてる感じするなあ。
・東原かすみに彼氏がいる現場を見てしまった前田の演出がすごく良かった。見てしまった後の前田の表情を映さず、早歩きで廊下を歩く後ろ姿だけを映す。登場人物に土足で踏み込まない、カメラワークの優しさがあった。
◯その他
・ラストの前田と菊池のシーンがすごく良かった。菊池にとって今まで眼中にもなかった前田が、菊池に刺さる言葉を持っていて、自分にはない前田の真っ直ぐな気持ちを「カメラを向けられる」と言う行為で突きつけられる。
・後輩が沢島に「サックス吹いてる先輩モテますよ」みたいなこと言うシーンが好き。そうだとしても、意識して見てくれないことを知ってるから無自覚に残酷な言葉なんだよね。沢島しかわからない感情。
片想いから、醒めるとき(塚本監督の「鉄男」が効いてます!)
観終わってもなお、(予想通り)謎は残る。ホラーではないので、桐島は出てこない。桐島とは、一体どんな人物?ということをさておいても。
バドミントン部のエースは、なぜチャラけた帰宅部と付き合っているのか。野球部に籍を置きつつ帰宅部とつるむ彼は、なぜ性格悪のケバい彼女と付き合っているのか。…いや、実は彼らは付き合っていないのかもしれない。交際はチャラ男とケバ子の思い込みに過ぎず、エースは「面倒だから」、(野球部)は踏み出せないから、だらだらと相手に合わせているだけ、なのかもしれない。
そこまで考え、はたと気づいた。彼らは皆、片想い=思い込みの壮大なループの中にいる。自分の望みはおおむね満たされている、特段の不満はない、…はず。そんな一見整った世界が、桐島の不在で歪み、崩れ始めた。
「自分は所詮、この程度」「私は、アイツらとは違う」「自分には、やるべきことがある」…。「〜にきまっている」「〜しなければならない」は、日々の迷いを減らしてくれるが、思考停止に繋がり、自分の行動範囲を狭めてしまう。(毎日着るものに悩まなくていい制服が、気楽ながら煩わしいのと似ている。)当たり前と思っていたあれこれは、本当にその通りなのか? 見たいものだけを見ていないか? 幻想が崩れ、傷を負うのを恐れず、今に疑問を持ち、見ないふりをやめることが、「一歩踏み出す」ことにつながる。…とはいえ、繰り返される日常の中でそこに辿り着くのは、なかなか容易ではない。
塚本晋也監督の「鉄男」の使い方が効いている。映画部の彼は、モール内のシネコンで思いがけない出会いをする。二人が観ていたのが「鉄男」、というだけでもニヤリだが、敢えてあのシーンを切り取るとは! そんな彼が傾倒するゾンビ映画が、白人社会のマイノリティー差別(迫害)を暗喩していたことは、いまや自明のこと。ゾンビや近未来SFの自主映画制作が、作り手の想いを映し出す点は、「虹の女神」を思い起こさせる。にしても、本作中映画のハイライトは凄みがある。ここに辿り着いてよかった、という気にさせてくれた。一方、前半で延々と繰り返される「金曜日」のリフレーミングは、少々くどい。群像劇を盛り上げるため必要とわかっていても、焦らすのを通り越し、物語が必要以上にもたつく気がした。切り取り方を工夫すれば、一、二回は減らせたのではないか、と今でも思う。
殺伐とした物語に、前に踏み出し続ける野球部部長の佇まいと、踏み出しかけた映画部の遠慮がちな笑顔が、一筋の風を吹き込んでくれる。カッコ悪いことは、かっこいい。文字にすると、とたんに野暮になるけれど。
高校生活
結局、桐島は出て来ないんだ。
神木隆之介さん演ずる映画部の前田君の周りの
学校生活。
東出昌大さんが高校生役、ビックリ‼️
神木隆之介さんと比べるとちょっと大人びているかな。
桐島というバレー部のキャプテンが部活辞めて
周りが動揺しているんだけど、
そんなに影響力のある人いたかなぁ、と振り返ると、頭良し運動部所属でスーパースターみたいな人いたけど、周りに影響することは無かったし。
強い運動部なら、学校で我が物顔に振る舞うのだろうか。そんなに強い運動部無かったし、文化部を下に見るようなことも知らない。
映画部なんていうのも無かったし。
ツレが入っていたので吹奏楽部にちょっと入ったけど、本作みたいな部員数いないし、部室といっても、古〜いボロ〜い何に使ってたか知らないけれど半分土間の広めの建物。
学園モノ、何かというと屋上が出て来るけれど、映像的にいいのかもしれないが、普通立ち入れない筈。
敷地内でキスする人もいなかったし。
映画の構成がおもしろい。観終わったあとも疑問の残る作品はけっこう好きだ。
映画の構成がおもしろい。観終わったあとも疑問の残る作品はけっこう好きだ。
自分の大事な物は守らないとね。
前から気になっていたので観てみたが驚きました。タイトルの桐島は出てこないのね。
この映画で大人は皆,中高生時代に存在する独特なヒエラルキーを思い出すだろう。自分がどの辺りにいたかも今なら冷静に見えてしまう。そして登場人物それぞれに,こういうヤツいたなと思ってしまった。
それほど見事にあの世界を描いたことに驚きました。
そして主役はヒエラルキーの中でも下層にいるかと思われる映画オタクの少年。神木君が演じると下層には見えないものの、彼にも自分の大事な世界があって、それを守るために戦うのだ。がんばれ👍と思わずエールを送りたくなった。
その時はその世界が全てだったなぁと今は思う。何十年後かにそういう気持ちになるよって教えてあげたら生きやすくなるのか,つまらなくなるのかどっちだろうと思った。
桐島、そんなに魅力あるか?
桐島がほぼ登場せず、物語が進んでいく。
登場人物はみんな、こんなクラスメイトいたいた!と共感できる人たちばかりで、そこは面白く見ていた。
桐島らしき人が屋上から落ちるシーンがあるが、だれかが屋上に向かう前田くんたちとすれ違うシーンがあり、あれは落ちたんじゃなくて降りた、のかな?
でも、たくさんの人が翻弄されるほど桐島には魅力があるのか?いきなり部活やめて全シカトしているやつだぞ‥
見どころは東出くんのカッコよさと、高橋優の主題歌かなあ‥
【群像劇の皮を被ったナイフ】
この映画を見て、鑑賞者が「わかる」と言ったり「わからない」と言ったり。そんな短絡的な尺度で語っていい物ではない。
そんな尺度でこの映画を評価するのは、映画の題材の一つである『持っている奴、持っていない奴』のような、スクールカースト的な分け方になってしまう。
僕は胸を張ってこの映画は「よく分からない」と言おう。
僕の事を「凡庸な感性だ」と言われようが、煮え切らぬようなラストを虚栄心を持ち寄って「わかる」等と言いたくはない。
↑ここまでは本編とは関係の無い感想↑
いや〜、とても痺れました。と言うか、刺さって痛かったです。登場人物の青青しさにグサグサと刺されまくった感覚です。
よくこのような題材の映画には、「リアリティのある」みたいな感想を付けられがちですが、ここまでリアリティのある学園映画見たことありませんよ!
分かりやすい虐めは起こらないし、かと言って目立たない子達に目立つ子達が優しくする訳でもない。一人凄い嫌な奴がいる訳でもなく、主人公が惨い嫌がらせを受ける事も無い。
一人一人自分の畑を耕しながら、他人の畑の進捗をチラチラと睨み合っているような、とてもリアリティのある学校ヒューマンドラマだったと思います。
そして、映画全体について言えば、完成度の高い映画だったと思います。作中でも名前が出て来ましたが、この映画は『タランティーノ監督』の作品に少し影響を受けているのかな?と想像しました。
序盤から中盤にかけて、登場人物の個性や心情、一人一人の関係性を丁寧に描き上げ、それを無かったかのようにラストでハチャメチャに犯しまくる。
そんな傍若無人的な燃え上がる本作のラストシーンは、思わず口に手を当ててしまうくらい、熱狂、感動致しました。
そして、最後は菊池が桐島に繋がらない電話をかけ、耳に携帯を当てながら野球部が躍動するグラウンドを眺める。という、何とも意味ありげな終わり方をしましたが、僕の凡庸な感性ではどうにも納得する正解を導けなかったです。
が、そのまま突っ伏すのでは無く、有識者の方々の考察や意見に目を通させて頂いたところ、一つの個人的な正解を妄想できたような気がします。
桐島は映画に登場しないのでは無く、そもそもキリシマなんて人間は居ないのだと。
非常にメタ的な思考になってしまいますが、もしかしたらキリシマはこの映画にとって、一つの「イメージ像」に過ぎないのでは無いでしょうか。
部活、恋愛、これからの人生に魂を震わせる彼ら、多くの学生達が必死に追い求め続けるキリシマ。
彼らの中でのフワッとした、何らかの雲のような光であるキリシマ。全員が全員、見た事の無いキリシマを目指し続ける。
本作を鑑賞中、「桐島ってめっちゃ人気なんだな〜」等と呑気に考えていましたが、もしかしたら、我々鑑賞者も学生の頃に抱えていた鬱屈とした感情を、何かで綺麗さっぱり流し落としたい。と考えていたはずです。
それを叶えてくれるのがキリシマ。皆の神の様な存在。
まぁ自分でもパッとしないと感じる答えではありますが、僕が想像しえる範疇ではこれが限界です。
映画のメタ的な存在であるキリシマは、学生時代の皆さんの心の中にも居たのではないでしょうか。
何度観ても青春群像劇としては突出した大傑作ですね。
『桐島、部活やめるってよ』(2012)
何度観ても青春群像劇としては突出した大傑作ですね。
主要メンバー含め10名近くのキャストが登場しますが、きちんと一人ひとりのキャラクターが確立されて、人間関係も丁寧に描かれ、心理描写も分かりやすく、自分にとっても「高校時代に経験したであろう既視感のある日常の一コマ」の空気感は、自分に近い登場人物に自身を投影させながら、映画に没入しましたね。
できる者は出来るし出来ない者は出来ない
こういう作品は映画好きにはたまりませんね
賞をとったのも納得です
原作もいいし、映画化も上手い
その後の作品はみんな不満がありますが、この作品に限れば秀作です
青春の諸々がシリアスに描かれている
主役は神木隆之介となってるけれど、原作同様、東出昌大が主役ですよね
彼が神木隆之介の生き様にショックを受けて泣くんですが、人生に正解なんてない
将来への期待もあれば不安もある
それぞれが悩んだり、開き直ったりしながら時は過ぎていく
まあ、生きやすいコツとかはあるだろうけれど、人それぞれですよね
ただ、結局は「できる者は出来るし出来ない者は出来ない。」
これは真理です
東出がこの真理に疑いを持ってしまったのは、若いから
今は不安が勝っているけれど、彼はできる人間で、いずれ、それなりになっていく
というか、すでに恋愛の面では充実しているし、神木は想う人とは一緒になれない出来ない者
目指す物のレベルが違うんだ
出来る者にとって、恋愛なんて息をするように当たり前の物
出来ない者には、人生の一大事なのにね
だから、できる奴らの目標は恋愛じゃないけど、出来ない者にとって、恋愛こそが青春の大部分で、望むのに届かないものだったりするんですよ
そして今回痛感したのは、高校生活でリア充のやつらって、身体が大きいんですよ
神木ら映画研の連中が小さいのに比べらと、あきらかに体格差がある
この典型的な描写は胸に刺さった
ギリシャ時代、貴族は筋肉隆々で、奴隷達は貧相だった
十分な栄養と、時間が余裕があるので鍛錬できた貴族と奴隷の格差のような劣等感
生物的な劣等感を持つんですよ
リア充達への羨望の感情に悲しくなった
まあ映画研の連中は、それなりにアオハルを楽しんでいただけ偉いよ
不登校だった僕に比べれば、十分リア充
ある意味、黒歴史をなぞるようで、イラつきながらも、ただただ羨ましかった
自分の高校生の頃
をどうしても考えてしまう。
見てる人の中には桐島だった人もいるだろうし、菊池だった人、前田だった人、風助だった人もいることだろう。
それぞれの人の心に何かを残す作品だと思いました。
なるほど名作!
変わったタイトルに惹かれて鑑賞
才能がなくても努力したり、
成就しなくても懸命に恋をしたり、
周りに流されずに自分のやりたい事に熱中したり、
一方では、何でもよくできるのに、何に対しても熱中できず、虚無感に襲われたり...
学園のスーパースター桐島くんが姿を消す事をめぐって起こるそれぞれの生活の変化や心情や人間関係を追った話で、まぁまぁおもしろかった。
映画部の男子2人がかわいい。
部活やめるの??
10年くらい前に1度TSUTAYAでDVDを借りて鑑賞。20代前半くらいだったからひろき役誰?東出昌大?かっこいいなー。そんな感想。
先日久しぶりに配信サービスで見てみたら20代とは違った感想。
学生の時ってこんなだったよなー。
大人になると周りのことなんてさほど気にならないのに学生だとやたら気になる。
桐島1人に登場人物みんな(映画部以外)が翻弄されてく。
1人1人、そんなに悪い子っていないし(紗奈は若干?)いじめもない。表面的な付き合い。
この中で大人になっても仲良しで付き合いあるのって映画部の2人くらいなんじゃないかな?
ひろきが最後、涙した事によって桐島とひろきの関係性は変わりそう。ずっと仲良しでいてほしい。
前田朋也が体育で点決めたってみたいな言ってるとこほんとそうだよ。ってクスッとしてしまった。
全然関係ないけど桐島が校内のスーパースターなのにバレー部のリベロ?ってのはなんとなく納得いかないなー。
リベロはもちろんなくてはならないポジションだけどスーパースター的立ち位置なんだからそこはエースアタッカーじゃないの?
個人的にはやっぱりカースト上位って野球とサッカー部のイメージだしひろきが野球部だから桐島はサッカー部じゃダメだったのか?とか
でも体育館の部活じゃなきゃあの感じ描けないかーとか。
今見るとキャストがめちゃくちゃ豪華で驚いた
高校生時間が実にリアル
採点3.7
すっごい真っ直ぐな青春偶像劇。
また、このなんともなんとも言えない高校生時間が実にリアル。
あと映画部のせいか、映画ネタが豊富。
途中入る鑑賞映画が「鉄男」で、しかもドリルのシーンw
わかってますね。
桐島は姿を現さなくてもスゲー奴ってのはすごい伝わります。
そして彼が不在になる事で、クラスや部活に色んな人間関係までぐらついていくのが面白い。
この人間模様が本当高校生っぽいんですよ。
散々学園を掻き回した桐島は、結局姿を見せず(後ろ姿のアレは一応そうなんだろうけど)物語は終了。
そんな中edは高橋優、これは最高の入れ方でしたよ。
物語も何だそりゃ?だし特に感動も何も無いのだけど、実に楽しい作品でした。
アイドル地雷映画。
なにが言いたいのか?
相関関係を理解する前に終わった。
主役がこの演出家のガキの頃って事?
「エイリアン」や「ゾンビ」なんて化石だよ。未だにそれって進歩ないし。
最近の高校って部活を、やる、やらないで内申書決まるんだ。だから、先生も生徒も忙しくなる。昔と違った形の学歴社会なんだよ。部活なんか廃止して勉強するか、遊べばいいんだよ。そもそも、団体競技で個人の資質を内申してもらいたくないよ。
そんなら、一発勝負のテストの方がどれだけ良いか?
それに大学なんか何処行ったって同じだし、大学行ってもいかなくとも人生あまり変わらん。
そんなに行きたくば、働きながら夜にでも行けばいいじゃん。高校だって定時制もあるし。
高校時代からの彼女と結婚してガキが生まれて、今でも幸せな奴って僕の周辺ではおよそ聞いた事無し。
要は「出て来ない桐島の動向でガタガタするな」って言いたいね。
「ウマシカウマシカ」しいお話だよね。
なんでこんな話が映像化されるかなぁ?
最近の傾向では、ライトノベル読むなら、既成のストーリーを読んで貰いたいものだ。勿論、漫画でも良い。
泥縄式に、商業主義的をたっぷり盛り込んで、無理矢理、作家や編集者が作った話なんて!だから、それを原作にしている映画も同じ。
最近の映画って漫画とかライトノベルが多いでしょう。本が書ける作家がいない証拠だね。それは世界共通だけどね。それと「続編」は止めてもらいたい。もっとも、50作も続編作った身の程知らずもいるけどね。
「桐島、部活辞めるってよ」って誰に話しているのか?
「桐島が部活を辞めるってよ」が正解でしょ。
主人公が出てこない映画NO1
主人公でタイトルにもなっている桐島は結局最後の最後まで出てこない
そんなことある??
ドラえもんが出てこないドラえもん
スパイダーマンが出てこないスパイダーマン
桐島役の人体調悪かったのかな
それとも見つかんなかったのかな
全然僕に声かけてくれれば桐島役やったのに
山本美月とイチャイチャしたのに
それがかえって桐島の存在感の強さを引き立たせているし、実際に姿を見せない桐島に桐島の取り巻きは動揺してた
一方で桐島に眼中もなく映画制作に没頭していた映画部の二人が放課後を謳歌する姿は気持ちがいい
桐島がいるだけでアイデンティティを確立していたイケてるグループの男女
上辺だけの友だち付き合い、空気の読み合いはスカッとするけど今見ると「でもこれが学生だからなあ」とも思う
僕も今はお笑いを一目散に考えているから、映画部と重なりこれでいいんだと思ったし
もしかしたら陰で羨ましがられたりするのかななんて思った
感想
考えることが多かった
桐島が最後まで出てこないのは面白かった
正欲を読んでから見ると、違ったんだろうな
バド部の女の子がめっちゃ可愛かった、可愛すぎて現実味はなかった
キスでのマウンティング、好かれているのが自分ではないと気づくヒロキ
バド部の女の子の無駄のなさ。綺麗で(単純に顔が、というわけではない)ユニフォームがよく似合う。足が細い。バド部同期の「ごめんね、」のときの「わかるわかる」の場面。無駄がなく、自分の意思を素直に行動できる人特有の、自分が取り組んだことは俯瞰なく真っ直ぐにできて、結果に満足とか不満とかそういう評価がなく、ただ幸せなくらい取り組める馬鹿正直さを感じた。それゆえに、他人の感情はわかっていない。ただただ、素直で、励まそうとか慰めようとは思っている。ただやっぱり感情を理解しよう、とするつもりはない。
ヒロキ?がかっこいい キャプテンもそう 人格がしっかりしている ずっと世の中に疑問があって、でも客観的にはやっていけてる。本人はどうだか
桐島の彼女っぽい人のえくぼがあまりに美しい 控えめなのが良い 余裕を感じた 余裕があるからこその寛容さもあった
エンドロールで人の名前を見るのが好きで歌を聞いてなかった 歌聞くのは元から苦手だけど
途中で桐島が身投げしたと思って内容がずれ込んでしまった
ゾンビ
誰も彼もが抜きつ抜かれつ一方向に走り続けさせられる現代社会。成功哲学を刷り込まれた人間は、常に自分と他者の優劣を競う。
その先頭を走る桐島。『桐島の居る世界』に生きる人間は、成功哲学の「勝敗」と「優劣」がこの世の全て。リア充のように見えても、自分固有の居場所を持っていないのでどこか虚しい。
『桐島の居る世界』に生きる人間を例えると…。
他人の家に泊まる「居候」のようなもの。成功者ならヒエラルキーの高いところにいるので、他人の家でも居心地は良いかもしれない。だけど、本来、他人の家は自分の家のようには居心地が良くない。自分の家に帰るとホッとするものだ。
この家の主(他者の価値観)は完全に他人なので、家主と居候との間には埋められない溝がある。自分の家ではない違和感を感じたとしても、彼らには違和感の正体がわからない。
自分の家がどこにあるか分からないし、そもそも自分の家が無いのだから、いつまでも他人の家に居候し続けている。
『桐島の居る世界』でトップを走る東出昌大。冒頭から退屈そうで、「何か違う、何かが欠けている」という表情をしていた。そしてラストの涙と電話のシーン。自分には帰る家が無いことに気づき、家主に別れを告げる儀式のように私は感じた。
一方『桐島の居ない世界』に生きる人間は、自分の家(自分固有の居場所)にいつでも帰ることができる!勝敗と優劣が大手を振って歩く世界で、どんなに辛いことがあっても、自分の家が有る人間は活力を回復できる。こんな世界でも戦えるのだ。何度死んでもゾンビのようにね!
視聴者の青春時代に沿って見るだけでいいのかもしれない
タイトルの桐島は作品に登場しない。
そして騒動になった彼の退部の理由も明かされることはない。
同じ日を主要登場人物たちの視点で何度もリフレインさせて、彼らの立ち位置や心境などを立体的に描き出している。
一見仲良しのように見える女子たちのグループ。
男子との付き合いや片思い。
付き合っているけど、公表しない理由。
些細な恋の芽生えと失恋。
全国大会で優勝を狙える男子バレー部の主要メンバー桐島。
数日姿を見せない。彼女は次第に不安になる。
桐島は最優秀選手に選ばれるほどで、おそらく容姿も端麗だろう。
人気選手と付き合っている校内一の美女リサ。
リサを取り巻くようにしてつるむ女子。
日常に空いた小さな不安が、彼女たちの間に亀裂を発生させる。
バレー部で桐島と同じポジションにいるのは小泉。
ひそかに彼を慕うミカ。桐島がいなくなれば小泉が活躍する。女子の亀裂。
日常生活で桐島の代わりにいるのがヒロキだろうか。サナと付き合っている。ヒロキに片思いのアヤ。
ヒロキはスポーツセンス抜群だが、特定の部活に入らず野球部などの試合に時折出ているが、最近は誘われても行こうとはしない。
毎回誘ってくる野球部キャプテンがずっと夜まで練習している姿を見て隠れるあたりは、物事に真剣に取り組む気になれない自分自身への背徳感のようなものがあるのだろう。
屋上にいた映画部の撮影の中に入ってしまってごたごたになるが、その後ヒロキは前田にカメラの部品を拾って返す。
カメラを持ちながら前田に質問する。人はカメラを向けられると素になるのだろうか? ヒロキの質問にまじめに考え答え始めた前田。自分自身の気持ちを改めて気づいたように話す。
そして今度は前田がカメラを持ってヒロキに話しかける。
「おれはいいよ」と言って一筋の涙を流すヒロキ。
彼はなぜ泣いたのだろうか?
これは多義的だ。見る人それぞれの青春時代の思い出に沿った解釈があるだろう。
できるのに本気で取り組もうとしないヒロキ。本気で取り組んでいたのに辞めた桐島。
友人として本気で心配しているが、結局まだ会うこともできない歯がゆさ。桐島の本音が知りたい。
3年の夏が終わっても、引っ掛かることのないドラフト会議を待つキャプテンの一途さ。おしゃれして遊ぶのも若者の特権。周囲からは馬鹿にされている映画部にも、彼らのポリシーがあることを知った。少し斜に見ていた映画部も「本気」で活動していたのだ。
ヒロキは、本気になれない自分に気づいたのかもしれない。何かに根を詰めるほど夢中になってみたい。今しかできないことに集中してみたい。
全国大会優勝を掲げるバレー部にとって、霧島の退部は致命的だ。彼の行動によってさまざまなものが撹拌されるように彼らの立ち位置や考え方などがうまく描写されている。
アヤはサナにわざとらしくヒロキとのキスを見せつける。
動揺しながら合奏練習に戻ってくる。彼女の動揺で合奏にならないのかと思いきや、見事に音が合ったのは、アヤの心の響きと音楽とが一致したからだろうか? 最後にアヤは満足そうに微笑む。彼女にとって一つの青春に区切りをつけることができたのだろう。
本気だから。
本気だから本気で傷つくのだ。
桐島もおそらく、本気だったから、挫折したのだ。
そしてヒロキは、本気になれなかったことに気づいたことで涙を流した。
もしかしたらそれで、みんなそれでよかったのかもしれない。
各々が各々悩み苦しみ、それがどんな形であれ、ダメなことは何もない。
もしかしたらこの作品はそれが言いたかったのかもしれないと思った。
かなり難解だけどいい作品だと思う。
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