桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
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持つもの・持たざるもの。
◯作品全体
本作を見ていると、学校という空間は本当に異質で、特殊な空間だったんだなと感じる。それぞれのコミュニティの範囲外に行くことはほとんどなく、目線を向けたところで互いが互いに嘲笑するくらいしかしない。
そんな異質でありふれた学校生活が本作でもあるが、それが崩れた元凶である「桐島」を登場させず、空白を作ったまま展開される構成に惹き込まれた。
空白を作る桐島という存在は、ヒエラルキー上位の中心人物としてふさわしいキャラクターだ。クラスだけでなく部活でも一目置かれていて、その両方のコミュニティから「あいつには敵わない」と、思われている。それはつまり、周りの人間は「桐島」という壁を突き付けられているのも同じで、あいつを越えないと何であれトップにはなれないという現実を否応なく教えられてしまう。菊池たち帰宅部組はそうした潜在意識があって帰宅部を選んだのだ、と感じた。彼らには味わえない「なにかに没頭すること」を桐島は知っているところに、同じコミュニティでありながら違いがあって、「部活、恋人、ヒエラルキー」全てにおいて「持つもの」である桐島を中心とした「持つもの・持たざるもの」の構図の作り方に巧さを感じた。
ただ、菊池や野崎は恋人がいる「持つもの」でもある。映画部の前田や吹部の沢島とは「持つもの・持たざるもの」の構図になっていて、終盤までは校内恋愛を楽しむ人物が「持つもの」として肯定的に描かれる。しかし菊池たちは桐島を中心としたコミュニティであるため、霧島がいないことに翻弄されればされるほど「熱中するものがない」という「持たざる」弱さが露呈する。前田たちは熱中できる何かを持っていて、熱中する前田たちを嘲笑する野崎に対して、バレー部の小泉とバトミントン部の二人が言葉と行動で反論する。主導権を握っていた立場の逆転が起きたのが、終盤の火曜日の屋上だった。様々な「持つもの・持たざるもの」がある登場人物が、様々な感情を持って集う屋上での出来事は、今まで避けていたコミュニティの枠を超えてエネルギーをぶつけ合う。その模様がすごく印象に残った。
作品中盤までは学内ヒエラルキーを中心として青春の良し悪しを意識させられる。しかし、なにを持っているのが良いかという話ではなく、持っているなにかのエネルギーで語られるラストが、熱量の高さと自分の壁を知った高校生の本音を純度高く切り抜いていて、心に深く刺さった。
◯カメラワークとか
・菊池が外を眺めた時に沢島も外を眺めるカットがベタながらよかったな。あの時間だけは二人だけの空間にさせてくれる優しいカメラワーク。エンドテロップの順番もそうだけど、沢島というキャラクターだけ贔屓されてる感じするなあ。
・東原かすみに彼氏がいる現場を見てしまった前田の演出がすごく良かった。見てしまった後の前田の表情を映さず、早歩きで廊下を歩く後ろ姿だけを映す。登場人物に土足で踏み込まない、カメラワークの優しさがあった。
◯その他
・ラストの前田と菊池のシーンがすごく良かった。菊池にとって今まで眼中にもなかった前田が、菊池に刺さる言葉を持っていて、自分にはない前田の真っ直ぐな気持ちを「カメラを向けられる」と言う行為で突きつけられる。
・後輩が沢島に「サックス吹いてる先輩モテますよ」みたいなこと言うシーンが好き。そうだとしても、意識して見てくれないことを知ってるから無自覚に残酷な言葉なんだよね。沢島しかわからない感情。
片想いから、醒めるとき(塚本監督の「鉄男」が効いてます!)
観終わってもなお、(予想通り)謎は残る。ホラーではないので、桐島は出てこない。桐島とは、一体どんな人物?ということをさておいても。
バドミントン部のエースは、なぜチャラけた帰宅部と付き合っているのか。野球部に籍を置きつつ帰宅部とつるむ彼は、なぜ性格悪のケバい彼女と付き合っているのか。…いや、実は彼らは付き合っていないのかもしれない。交際はチャラ男とケバ子の思い込みに過ぎず、エースは「面倒だから」、(野球部)は踏み出せないから、だらだらと相手に合わせているだけ、なのかもしれない。
そこまで考え、はたと気づいた。彼らは皆、片想い=思い込みの壮大なループの中にいる。自分の望みはおおむね満たされている、特段の不満はない、…はず。そんな一見整った世界が、桐島の不在で歪み、崩れ始めた。
「自分は所詮、この程度」「私は、アイツらとは違う」「自分には、やるべきことがある」…。「〜にきまっている」「〜しなければならない」は、日々の迷いを減らしてくれるが、思考停止に繋がり、自分の行動範囲を狭めてしまう。(毎日着るものに悩まなくていい制服が、気楽ながら煩わしいのと似ている。)当たり前と思っていたあれこれは、本当にその通りなのか? 見たいものだけを見ていないか? 幻想が崩れ、傷を負うのを恐れず、今に疑問を持ち、見ないふりをやめることが、「一歩踏み出す」ことにつながる。…とはいえ、繰り返される日常の中でそこに辿り着くのは、なかなか容易ではない。
塚本晋也監督の「鉄男」の使い方が効いている。映画部の彼は、モール内のシネコンで思いがけない出会いをする。二人が観ていたのが「鉄男」、というだけでもニヤリだが、敢えてあのシーンを切り取るとは! そんな彼が傾倒するゾンビ映画が、白人社会のマイノリティー差別(迫害)を暗喩していたことは、いまや自明のこと。ゾンビや近未来SFの自主映画制作が、作り手の想いを映し出す点は、「虹の女神」を思い起こさせる。にしても、本作中映画のハイライトは凄みがある。ここに辿り着いてよかった、という気にさせてくれた。一方、前半で延々と繰り返される「金曜日」のリフレーミングは、少々くどい。群像劇を盛り上げるため必要とわかっていても、焦らすのを通り越し、物語が必要以上にもたつく気がした。切り取り方を工夫すれば、一、二回は減らせたのではないか、と今でも思う。
殺伐とした物語に、前に踏み出し続ける野球部部長の佇まいと、踏み出しかけた映画部の遠慮がちな笑顔が、一筋の風を吹き込んでくれる。カッコ悪いことは、かっこいい。文字にすると、とたんに野暮になるけれど。
全然分からないけど、それでもいい!
カナダ映画、『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』を観て、そういえば日本にも映画好き高校生がいたなあと思い出し鑑賞。
もう4〜5回は観ているが、やっぱおもしろい。
わたしは気が利かないタイプなので、映画の考察とか裏に潜むメッセージとかは推し量れないが、映画について思ったことを3つ。
①桐島の存在について
もう今更すぎて取り立てて言及するのも恥ずかしいがこれは個人的な感想なので。
この映画には「桐島」くんは出てこない。スクールカーストトップだった桐島くんが数日学校を休んでいる。どうやら部活も辞めるらしい。
学校全体(というか桐島くんに近い、スクールカーストの高い生徒たち)に衝撃が走り、うろたえ、泣き、叫び、走り、言い争い、「桐島」くんの凄さを分からないわたしは、ええそんなに一人の生徒に感情動く?という気持ちになる。
また、「部活辞めるってよ」というタイトル。
「辞めた」ではなく「辞める」。
「辞めるよ」、ではなく「辞めるってよ」。
たった、いち高校生徒が部活を辞めちゃうかもという伝聞だけで大リーグ選手の引退のように噂が走り、噂が噂を呼び、失望し、うろたえ、叫び、走り、言い争い(繰り返し)まあつまり人間の醜い言動を色々見られるわけだが、ええ、そんなに?なんか世紀末じゃん、なに、桐島くんって神様なの?って思ってたら、どうやら本当に桐島=キリストのもじりらしい。桐島(=キリスト、つまり信じるもの)を失った者、桐島に関わりない者(=スクールカースト下層グループ)の、色々が、なんか、面白い。(私の考察の限界)
②好きなことについて
わたしは長年、趣味などの好きな物を持つことを、心のどこかで軽蔑していた?軽んじていた?なんというか罪悪感があった。これは親のセンスない教育と真面目すぎる自分の性格由来の考え方なのだが、なんとなく言語化すると「お金(仕事)にもならないし、一生懸命やっても誰も喜ばない、人生の時間を無駄遣いするだけのもの」という感じ。
でもさ、色々経験して来て、趣味、てか、なにかを好きという感情が、私の人生にとって一番大事なものかもと思い始めて来た。趣味っていうか、なんか、生きがい。そのためだったらどんな努力もできるし、てか、努力が努力に思えない。いくらでもやれるし、いろんな工夫が思いつく。
好きなものがある前田くんとか吹奏楽部長とか野球部部長は、キリストがいなくなっても強い。誰にも寄りかからない、自分の中に自分だけの好きという信念があるから。それが、このどうしようもない世界で生きていく方法だから。
ラスト、東出くん役のかっこいい子が前田くんに「将来は映画監督ですか?」と問い、前田くんに「いや、映画監督は無理」と言われるシーン、すごく良かった。映画を仕事にするわけでもない、誰かの役に立つわけでもない、自分の才能の限界も分かっている。でもやっぱ好き!てかやらんと気が済まん!ってやつ。だけん東出はあんなに食らった表情してたんやろ?なんか、それって最強じゃん?(私の語彙の限界)
③桐島の登場シーン
終盤に、桐島(と思われる生徒)が屋上の棟的な部分から少し下のフロアに飛び降りるシーン。これは何を表しているのだろう?とずっと気になっていた。確かに屋上がキーの映画だが、久々に学校来て屋上の上でたそがれるか?そして飛び降りる?何それ?
考察サイトをカンニングすると、スクールカーストから降りる、カーストトップの位置からひらりとこぼれ落ちる(個人的超訳かも)ことのメタファー(表現間違ってたら恥ずい)と書いてあり、妙に納得した。
あと、桐島(と思われる生徒)と唯一すれ違うのが演劇部だが、みんな屋上から降りてくる桐島を見ていない。主人公の前田だけが、少し振り返って不思議そうな顔をする。
イケイケグループ(死語)たちが、必死こいて全力疾走で探し回っている桐島なのに。
え、桐島ってほんとにいるの?幽霊のメタファー?(これは確実に表現間違っている)と、いつのまにかわたしの目にはホラーに映りはじめてており、しかしそんな息継ぎはできないほどに登場人物それぞれの心情、場面が重なり合う。
キャスト、全員良かったよなあ。
特に松岡茉優がまじで嫌な女すぎて感心する。あと橋本愛が美しすぎる。スクリーンで光ってた。
しかしこれは映画館で観なくてよかった。なぜなら一度観ただけではわたしには理解が及ばないから。わたし馬鹿です!!!って言ってるみたいで恥ずかしいが、全体を把握し、辻褄を理解するのに3回はかかった。
まあさ、難しいこと分からなくてもいいよね。ちょっと観ただけでも、学生時代特有の、空気を読み合うあのうわべの会話の感じとか、窓から見える校庭の風景とか、クソ狭い教室の息苦しさとか、部活動ヒエラルキーとか、誰と誰が付き合っててここは仲悪くてとかのヒリヒリ感とか、制服の着崩し方とか前髪の整え方とか、もう一気にあの高校時代の空気を思い出した。ぎえー。
それを、余計なセリフなしに表情や声のトーン、目線で表現している感じ!やっぱ俳優さんすごいよ!!
ストーリー構成、俳優陣の演技、それぞれの心情、ゾンビ映画、メタファーの考察(そもそもメタファーって何)、まだまだいろんな楽しみ方ができるはず。あと2回は観たい。
ものすごく長くなってしまった。
でも、いいのだ。わたしは、文章を書くことが好きだから!!!!
俺達はこの世界で生きていかねばならない
WOWOW放送録画で超久しぶりに観た
これも海に眠るダイヤモンド効果かな
上演当時は桐島を連呼するせいか桐島は誰がやってるのかが気になってしまい、最後まで姿を現さない桐島にツッコミ入れてた記憶です
改めて観ると同じ時間をそれぞれの目線で観せてくれる面白い構造の秀逸な青春群像劇ですよね
神木君が主役にはなってますが、それぞれのキャラがちゃんと成長したりしなかったりの時間をきっちりとキャラ目線を使って光を当ててる魅せ方が良いですね
最終的に神木君演じる映画部前田くんの台詞が映画をきっちり締めてくれる高校生のリアルな日常
「戦おう、ここが俺たちの世界だ、俺達はこの世界で生きていかなければならないんだから」
学生時代から存在する日本のヒエラルキーの中で生きているのは高校生だけじゃない
人に合わせて白を黒と言う世界
何かに夢中になって一生懸命にやる事がカッコ悪いムードの漂う仲間の世界に漂う東出君
夕陽を背負って小さい喜びを語る映画部の神木監督の真のカッコ良さ
見た目のカッコ良さを褒められたって俺には何も熱い物がないって涙を流して見つめるエンディングの野球部
なんて素晴らしい青春映画
高校生じゃなくても一人でやりたい事をやる人生を生きる勇気をくれますね
高校生活疑似体験
高校生活
結局、桐島は出て来ないんだ。
神木隆之介さん演ずる映画部の前田君の周りの
学校生活。
東出昌大さんが高校生役、ビックリ‼️
神木隆之介さんと比べるとちょっと大人びているかな。
桐島というバレー部のキャプテンが部活辞めて
周りが動揺しているんだけど、
そんなに影響力のある人いたかなぁ、と振り返ると、頭良し運動部所属でスーパースターみたいな人いたけど、周りに影響することは無かったし。
強い運動部なら、学校で我が物顔に振る舞うのだろうか。そんなに強い運動部無かったし、文化部を下に見るようなことも知らない。
映画部なんていうのも無かったし。
ツレが入っていたので吹奏楽部にちょっと入ったけど、本作みたいな部員数いないし、部室といっても、古〜いボロ〜い何に使ってたか知らないけれど半分土間の広めの建物。
学園モノ、何かというと屋上が出て来るけれど、映像的にいいのかもしれないが、普通立ち入れない筈。
敷地内でキスする人もいなかったし。
自分の大事な物は守らないとね。
前から気になっていたので観てみたが驚きました。タイトルの桐島は出てこないのね。
この映画で大人は皆,中高生時代に存在する独特なヒエラルキーを思い出すだろう。自分がどの辺りにいたかも今なら冷静に見えてしまう。そして登場人物それぞれに,こういうヤツいたなと思ってしまった。
それほど見事にあの世界を描いたことに驚きました。
そして主役はヒエラルキーの中でも下層にいるかと思われる映画オタクの少年。神木君が演じると下層には見えないものの、彼にも自分の大事な世界があって、それを守るために戦うのだ。がんばれ👍と思わずエールを送りたくなった。
その時はその世界が全てだったなぁと今は思う。何十年後かにそういう気持ちになるよって教えてあげたら生きやすくなるのか,つまらなくなるのかどっちだろうと思った。
桐島、そんなに魅力あるか?
桐島がほぼ登場せず、物語が進んでいく。
登場人物はみんな、こんなクラスメイトいたいた!と共感できる人たちばかりで、そこは面白く見ていた。
桐島らしき人が屋上から落ちるシーンがあるが、だれかが屋上に向かう前田くんたちとすれ違うシーンがあり、あれは落ちたんじゃなくて降りた、のかな?
でも、たくさんの人が翻弄されるほど桐島には魅力があるのか?いきなり部活やめて全シカトしているやつだぞ‥
見どころは東出くんのカッコよさと、高橋優の主題歌かなあ‥
【群像劇の皮を被ったナイフ】
この映画を見て、鑑賞者が「わかる」と言ったり「わからない」と言ったり。そんな短絡的な尺度で語っていい物ではない。
そんな尺度でこの映画を評価するのは、映画の題材の一つである『持っている奴、持っていない奴』のような、スクールカースト的な分け方になってしまう。
僕は胸を張ってこの映画は「よく分からない」と言おう。
僕の事を「凡庸な感性だ」と言われようが、煮え切らぬようなラストを虚栄心を持ち寄って「わかる」等と言いたくはない。
↑ここまでは本編とは関係の無い感想↑
いや〜、とても痺れました。と言うか、刺さって痛かったです。登場人物の青青しさにグサグサと刺されまくった感覚です。
よくこのような題材の映画には、「リアリティのある」みたいな感想を付けられがちですが、ここまでリアリティのある学園映画見たことありませんよ!
分かりやすい虐めは起こらないし、かと言って目立たない子達に目立つ子達が優しくする訳でもない。一人凄い嫌な奴がいる訳でもなく、主人公が惨い嫌がらせを受ける事も無い。
一人一人自分の畑を耕しながら、他人の畑の進捗をチラチラと睨み合っているような、とてもリアリティのある学校ヒューマンドラマだったと思います。
そして、映画全体について言えば、完成度の高い映画だったと思います。作中でも名前が出て来ましたが、この映画は『タランティーノ監督』の作品に少し影響を受けているのかな?と想像しました。
序盤から中盤にかけて、登場人物の個性や心情、一人一人の関係性を丁寧に描き上げ、それを無かったかのようにラストでハチャメチャに犯しまくる。
そんな傍若無人的な燃え上がる本作のラストシーンは、思わず口に手を当ててしまうくらい、熱狂、感動致しました。
そして、最後は菊池が桐島に繋がらない電話をかけ、耳に携帯を当てながら野球部が躍動するグラウンドを眺める。という、何とも意味ありげな終わり方をしましたが、僕の凡庸な感性ではどうにも納得する正解を導けなかったです。
が、そのまま突っ伏すのでは無く、有識者の方々の考察や意見に目を通させて頂いたところ、一つの個人的な正解を妄想できたような気がします。
桐島は映画に登場しないのでは無く、そもそもキリシマなんて人間は居ないのだと。
非常にメタ的な思考になってしまいますが、もしかしたらキリシマはこの映画にとって、一つの「イメージ像」に過ぎないのでは無いでしょうか。
部活、恋愛、これからの人生に魂を震わせる彼ら、多くの学生達が必死に追い求め続けるキリシマ。
彼らの中でのフワッとした、何らかの雲のような光であるキリシマ。全員が全員、見た事の無いキリシマを目指し続ける。
本作を鑑賞中、「桐島ってめっちゃ人気なんだな〜」等と呑気に考えていましたが、もしかしたら、我々鑑賞者も学生の頃に抱えていた鬱屈とした感情を、何かで綺麗さっぱり流し落としたい。と考えていたはずです。
それを叶えてくれるのがキリシマ。皆の神の様な存在。
まぁ自分でもパッとしないと感じる答えではありますが、僕が想像しえる範疇ではこれが限界です。
映画のメタ的な存在であるキリシマは、学生時代の皆さんの心の中にも居たのではないでしょうか。
何度観ても青春群像劇としては突出した大傑作ですね。
できる者は出来るし出来ない者は出来ない
こういう作品は映画好きにはたまりませんね
賞をとったのも納得です
原作もいいし、映画化も上手い
その後の作品はみんな不満がありますが、この作品に限れば秀作です
青春の諸々がシリアスに描かれている
主役は神木隆之介となってるけれど、原作同様、東出昌大が主役ですよね
彼が神木隆之介の生き様にショックを受けて泣くんですが、人生に正解なんてない
将来への期待もあれば不安もある
それぞれが悩んだり、開き直ったりしながら時は過ぎていく
まあ、生きやすいコツとかはあるだろうけれど、人それぞれですよね
ただ、結局は「できる者は出来るし出来ない者は出来ない。」
これは真理です
東出がこの真理に疑いを持ってしまったのは、若いから
今は不安が勝っているけれど、彼はできる人間で、いずれ、それなりになっていく
というか、すでに恋愛の面では充実しているし、神木は想う人とは一緒になれない出来ない者
目指す物のレベルが違うんだ
出来る者にとって、恋愛なんて息をするように当たり前の物
出来ない者には、人生の一大事なのにね
だから、できる奴らの目標は恋愛じゃないけど、出来ない者にとって、恋愛こそが青春の大部分で、望むのに届かないものだったりするんですよ
そして今回痛感したのは、高校生活でリア充のやつらって、身体が大きいんですよ
神木ら映画研の連中が小さいのに比べらと、あきらかに体格差がある
この典型的な描写は胸に刺さった
ギリシャ時代、貴族は筋肉隆々で、奴隷達は貧相だった
十分な栄養と、時間が余裕があるので鍛錬できた貴族と奴隷の格差のような劣等感
生物的な劣等感を持つんですよ
リア充達への羨望の感情に悲しくなった
まあ映画研の連中は、それなりにアオハルを楽しんでいただけ偉いよ
不登校だった僕に比べれば、十分リア充
ある意味、黒歴史をなぞるようで、イラつきながらも、ただただ羨ましかった
変わったタイトルに惹かれて鑑賞
才能がなくても努力したり、
成就しなくても懸命に恋をしたり、
周りに流されずに自分のやりたい事に熱中したり、
一方では、何でもよくできるのに、何に対しても熱中できず、虚無感に襲われたり...
学園のスーパースター桐島くんが姿を消す事をめぐって起こるそれぞれの生活の変化や心情や人間関係を追った話で、まぁまぁおもしろかった。
映画部の男子2人がかわいい。
部活やめるの??
10年くらい前に1度TSUTAYAでDVDを借りて鑑賞。20代前半くらいだったからひろき役誰?東出昌大?かっこいいなー。そんな感想。
先日久しぶりに配信サービスで見てみたら20代とは違った感想。
学生の時ってこんなだったよなー。
大人になると周りのことなんてさほど気にならないのに学生だとやたら気になる。
桐島1人に登場人物みんな(映画部以外)が翻弄されてく。
1人1人、そんなに悪い子っていないし(紗奈は若干?)いじめもない。表面的な付き合い。
この中で大人になっても仲良しで付き合いあるのって映画部の2人くらいなんじゃないかな?
ひろきが最後、涙した事によって桐島とひろきの関係性は変わりそう。ずっと仲良しでいてほしい。
前田朋也が体育で点決めたってみたいな言ってるとこほんとそうだよ。ってクスッとしてしまった。
全然関係ないけど桐島が校内のスーパースターなのにバレー部のリベロ?ってのはなんとなく納得いかないなー。
リベロはもちろんなくてはならないポジションだけどスーパースター的立ち位置なんだからそこはエースアタッカーじゃないの?
個人的にはやっぱりカースト上位って野球とサッカー部のイメージだしひろきが野球部だから桐島はサッカー部じゃダメだったのか?とか
でも体育館の部活じゃなきゃあの感じ描けないかーとか。
今見るとキャストがめちゃくちゃ豪華で驚いた
高校生時間が実にリアル
アイドル地雷映画。
なにが言いたいのか?
相関関係を理解する前に終わった。
主役がこの演出家のガキの頃って事?
「エイリアン」や「ゾンビ」なんて化石だよ。未だにそれって進歩ないし。
最近の高校って部活を、やる、やらないで内申書決まるんだ。だから、先生も生徒も忙しくなる。昔と違った形の学歴社会なんだよ。部活なんか廃止して勉強するか、遊べばいいんだよ。そもそも、団体競技で個人の資質を内申してもらいたくないよ。
そんなら、一発勝負のテストの方がどれだけ良いか?
それに大学なんか何処行ったって同じだし、大学行ってもいかなくとも人生あまり変わらん。
そんなに行きたくば、働きながら夜にでも行けばいいじゃん。高校だって定時制もあるし。
高校時代からの彼女と結婚してガキが生まれて、今でも幸せな奴って僕の周辺ではおよそ聞いた事無し。
要は「出て来ない桐島の動向でガタガタするな」って言いたいね。
「ウマシカウマシカ」しいお話だよね。
なんでこんな話が映像化されるかなぁ?
最近の傾向では、ライトノベル読むなら、既成のストーリーを読んで貰いたいものだ。勿論、漫画でも良い。
泥縄式に、商業主義的をたっぷり盛り込んで、無理矢理、作家や編集者が作った話なんて!だから、それを原作にしている映画も同じ。
最近の映画って漫画とかライトノベルが多いでしょう。本が書ける作家がいない証拠だね。それは世界共通だけどね。それと「続編」は止めてもらいたい。もっとも、50作も続編作った身の程知らずもいるけどね。
「桐島、部活辞めるってよ」って誰に話しているのか?
「桐島が部活を辞めるってよ」が正解でしょ。
主人公が出てこない映画NO1
主人公でタイトルにもなっている桐島は結局最後の最後まで出てこない
そんなことある??
ドラえもんが出てこないドラえもん
スパイダーマンが出てこないスパイダーマン
桐島役の人体調悪かったのかな
それとも見つかんなかったのかな
全然僕に声かけてくれれば桐島役やったのに
山本美月とイチャイチャしたのに
それがかえって桐島の存在感の強さを引き立たせているし、実際に姿を見せない桐島に桐島の取り巻きは動揺してた
一方で桐島に眼中もなく映画制作に没頭していた映画部の二人が放課後を謳歌する姿は気持ちがいい
桐島がいるだけでアイデンティティを確立していたイケてるグループの男女
上辺だけの友だち付き合い、空気の読み合いはスカッとするけど今見ると「でもこれが学生だからなあ」とも思う
僕も今はお笑いを一目散に考えているから、映画部と重なりこれでいいんだと思ったし
もしかしたら陰で羨ましがられたりするのかななんて思った
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