ソーシャル・ネットワークのレビュー・感想・評価
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彼も人なり
だから何?って映画に思えた
色々あったけど“最年少の億万長者になりました”それだけの話かぁ、残念…って思ってたけど、数時間経って違ってたことに気づいた
この映画、表面的に観た感想は上記の通りですが、実は実は若き億万長者、天才、facebook創設物語、そんな表面の内にあるもの、マークが本当に求めていたもの…
そこを観れないと、この映画は寝れます
ラストシーンは象徴的です
現代版「市民ケーン」です
観てる映像とベースになってるストーリーの二層構造、音楽も低音とメロが意識的に二層構造になっています
そのあたりも気にして観ると面白いかもしれませんね
とにかく観る人の着目点や観た回数でも感想は違ってきそうですが
良い映画です
オススメします
つながる友は量ではなく質について悩むよね
毎度、社会の皮肉を上手い事切り取るフィンチャー監督。
“デジタル・エイジ・カルチャー”なんて言葉あるんですね。
得体の知れない時代の孤独を鋭くエグった今作、
実話をベースにしてるのもあるから信憑性バツクンw
この「現実ではない仮想世界」がここ数年で
「現実を補完する拡張社会」にまで発展してることが
実はネットしてる人でも気づいてるようで気づかない、
知らず知らずに社会がハックされちゃってる怖さw
冒頭とラストが秀逸。
非コミュの主人公が作った理想のユートピアで
気軽に繋がれる5億人の友達を得ても、
たった一人のガールフレンドの心は得られない。
おまけに少ないリアル友達を失った孤独。
結局、彼にとっての幸せは念願は叶ったのでしょうか?
と観客に委ねた問いかけw。
どんなに世界最年少のビリオネアでも、この一面で
自分は彼よりももしかして幸せかもしれないと、、、
そう思う観客は少なくないかもしれないですね。
マーク・ザッカーバーグって強欲で人でなしな奴!
なんて感じる人も多いみたいだけど、この作品見ると
フィンチャー監督の愛ある演出で一概にそうも言えない。
マーク自身は、ファイナル・クラブへ入れない劣等感を
きっかけに、自分の能力を正当に評価されたい願望と
価値ある物として生み出した“Facebook"を
世間に知らしめたかった部分が彼の本心。
泥沼裁判になったけど嫉妬にまみれた金欲や悪意は
むしろ周囲の感情の方が目立ち、
やり方に非はあるにせよ単なる人でなしとも思えない。
実際、成功した後も誰よりも夜更けまで働く姿や
その責任感は“Facebook”を誰よりも真剣に大切に
思っているそんな彼が伺える訳でw。
アメリカは、勝ち抜いて上に立つという厳しさを知ってる分
実力者の富みに対して素直に賞賛できる国。
(失敗すればいいのにとは思ってるかもしれないけど)
あんなにとんがった彼も今はまだそんなに憎まれてないハズ。
エドゥアルドにした仕打ちも一見、裏切り行為に見えるけど
ショーンが持っている経験とエンターテイメント性の助言も
理論的に間違ってるようにも見えないこともあったりで、、、
「仕事と友達は別」というのも社会の常識とは言いつつ
あの流れでしかもあの若さでは、エドゥアルドには
仕方ないとはいえ、やっぱちょっと可哀想だった。
でも、無価値の30%より数十億のコンマ%をあげたかった
マークに愛がなかったわけじゃないんだよねー(切ない)
ま、そんな理論で我が道をひた走るマークも女弁護士に
「事実がどうであれ、判断するのは感情ある人間ですから…」
的な一言にはぐぅの音もでない様子だったけどw
日本は“Facebook”より“mixi"ユーザーの方が多いけど
あのアイビーリーグの香りが漂うブランド感、
資格や地位がなくともセレブと繋がれるワクワク感。
きっと、当初では大興奮だったに違いないと思います。
期待通り
巷では「21世紀を代表する一作」とか評価されてるけど,やっぱり評価され過ぎの感は否めない。結局この宣伝文句って要はこういう題材を取り上げた映画が初めてだったからってことに尽きると思う。その分では内容は至ってシンプル。「成功と引き換えに友情を失う」ってことだけど,そこを丁寧に作り上げてるなぁと思う。
全編会話劇の映画で冒頭からマークが喋りまくる。この役を演じたジェシー・アイゼンバーグの「目の動き」に個人的にハマった。殆ど目線を動かさずに相手だけを見る。その目の動きでイノセンスなんだけど高圧的で自分より劣ると思った相手には上手に立とうとしがちな性格が垣間見えるなぁと思った。だから後の展開でウィンクルボス兄弟を「裏切る」展開にも何となく納得出来た。
彼女に振られた腹いせがフェイスブックのきっかけになっているけど,その割にはその後フェイスブックのディテールやその繁栄具合を示すのが「アクセス数」の一点にしか存在しなくて,それで良いのか?と思ったりもするが,フェイスブックを使ってない自分なりに解釈すると,友達を増やすということのみに価値があるからそれ以上繁栄を表す表現は必要ないと意図的に演出しているということなのだと思う。結局,マークは女とやりたかっただけだし。
と理解すると「インターネット社会に対するステレオタイプ」が残ってるようにも思う。フェイスブックが如何に凄いかということに対して説明していないから。でもこれも大学の「ファイナルクラブ」との対比で解決するのかな。ファイナルクラブという一見華やかにして排他的な組織社会をバカにする存在がフェイスブックだということが表現できてると思う。
映画の中で印象的だったのはマークとエドゥアルドの電話のシーン。人物をスクリーンの同じ位置に置いて背景で起こっていることの対比をさせている。ここに「2人の後ろで世界が変わろうとしている」というニュアンスを感じた。実際,マークは自分の意図しないところでエドゥアルドを排他しようとしてたことを後に知ることになっているし,エドゥアルドもいつの間にかフェイスブックの中で厄介者扱いになっている。マークとエドはフェイスブックという「交友関係」を広げすぎた余り互いを見失っていたんだなぁと思ってすごくエモーショナルに感じた。
マークは「クールなSNS」を作ることだけを考えてきた。そしてショーンパーカーと出会うことで自分の目指すものを掴むのだけど,大きくなったオフィスの壁のデザインとかなんかやりすぎてしまった印象を受けた。マークはオシャレノイローゼにかかってしまっていると思った。それがエドゥアルドとの軋轢を決定的にしたことは言うまでもないと思う。
細かいところにいちゃもん付けると,やっぱり音楽が絡むと上手くいってないように思える。インターネットが絡むからって電子音楽的なBGMは逆にギクシャクしてしまう気がするし,クラブ描写は素人の自分から見ても「ないな」と思う。ダサかった。敢えて客観的に見てダサくなるようにしてるのかもしれないけど。
でもこういう映画ってやっぱり「今」見ることで得るものが大きくなると思う。ツイッターにハマってそこでしか言いたいことを伝えられなくなっている自分を客観的に見て「これでいいのか...」と思うこともあるし。現実にこうやってパソコンに向かって誰とも知らない人にこの映画の感想を伝えることが既にデヴィット・フィンチャーが伝えようとしていることの一部になっているのではないかとも思ってしまう。
結局絶賛トーンになっちゃった。冒頭のとおり褒められすぎてるように思うけどそれでも見てよかったなと思う作品でした。
成功と孤独
つい先日のGG賞の、作品賞を獲得した作品。
また、米誌タイムの2010年「今年の人」に選ばれた、マーク・ザッカーバーグが作った「フェースブック」誕生の物語。
マークが、ハーバード大学在学中に起業したフェースブックは、あっという間に大学中に広まり、また、あっという間に社会現象化していく。
若くして億万長者になった男は、友達から提訴される。
サクセスストーリーではない。
サイト創設に絡んで、野心、嫉妬、コンプレックス、憧れ、悩みなどが、複雑に絡み合った若者達の姿を描く。
アイデアを盗用されたと言う、マークから見れば、マークが欲しい物すべてを持っている大学生。
お金持ちの友人で、創業時共同経営者だったエドゥアルド。
この二人から提訴される。
マークとこの二人からの視点でみせるし、時間も行ったり来たりするので、最初は戸惑った。
しかし、ネットビジネスの暗部をみた。
それに、お金のにおいを嗅ぎ取って、マークに近寄ってくる者。
早口で喋るザッカーバーグのセリフのキレが良い。
交流サイトを瞬く間に世に広めているにも関わらず、マークは孤立していく。
何よりも、コミュニケーションが下手なのだ。
頭が良すぎるからか。
いえ、そうではない。
会話がヘタなのだ。
映画を見ている間中、ずーっと気になっていた。
≪なんで、相談しないんだろう??≫
≪なんで、一人で勝手に決めてしまううのだろう??≫
ネットの世界では、一分一秒が命取りになることもあるのかもしれない。
だけど・・・ なんで??
ネットにケータイを駆使しているにも関わらず、孤独感が襲う。
今時の若者の姿をみているようで、辛いものが込み上げてくる。
相手を思いやり、優しい気持ちで付き合おうよ。
知的財産
自分が考えている事は、世界中のどこかでは全く同時に同じことを考えている人は大勢いるはずで、
でもそれを知的財産として所有したかったら
人より早く行動に移して実現化し、発表し公認させる必要があり、
やはりなんと言ってもスピード勝負になってくるわけで…、
でもそうすると、能率を上げるために人材というエネルギーが必要になり協力者が必要になってくる。
けれど、人のエネルギーってのは、化石エネルギーなんかとは違っておのおの心を持っているわけで
だから、その相手の心を無視して人に協力してもらおうとすると
スピードは加速するどころか、減速、場合によっては離散してしまうこともある…
(続きはブログに綴ってます…ブログはちょいネタバレありデス)
フェイスブックつて?
マークは本当に冴えない男の子。でも抜群にコンピュターに長けている。学生のうちからサイトを立ち上げて友達の協力や色々な人との関わりで急成長していく。裏切りや、ドラックなど訴訟を起こされたり。でも彼は一途にわが道を行く。本当にあった話で、チュニジアの政変もフェイスブックに関わりあると言う。二時間飽きさせない映画でした。良くも悪くもインターネッツトの時代だと痛感しました。
マークが書いたプログラムは彼の長大な失恋白書
19歳のマーク・ザッカーバーグは、思いついたことをすぐさま早口で喋りまくる。物事を論理的に解釈し組み立てる才に長け、負けず嫌いで相手の気持ちや考えに配慮なく論破していく。
コミュニティ・ツールFacebookは、そんなマークの幼稚さと常識のなさが作り上げた産物と言え、そもそも大儲けを狙ったわけではなく、別れを告げた彼女への腹いせが発端だ。
そんな何となく構築したプログラムが大金を動かし始める。特別な投資や設備なしで世界的な企業が誕生する現代の社会構造が浮き彫りになる。新しいビジネスモデルの誕生には常識に囚われない遊び心とアイデアが必要であり、彼の特化した才能がそこにマッチしたのだろう。
コンピュータもOSといったプラットフォームの覇権を争う時代から、完全にネット社会に移り、いままたネットは細い枝の先の小さな葉っぱが太い幹を支配する逆転構造の時代になった。Facebookやtwitterがその代表格だ。
この映画を観ていると、以前は考えられなかったビジネスモデルが、ひょんなことから細胞分裂でもするようにいとも簡単に誕生する。そして、儲けると分かれば大人たちが群がりはじめる。
そんなことはよそに、彼はただ彼女とよりを戻したかった、彼女と仲良くなりたかっただけというラストが切ない。彼の書いたプログラムは、人付き合いに不器用な青年の長大な失恋白書なのかもしれない。
ジェシー・アイゼンバーグが長い台詞を早口で喋る演技には、文字通り舌を巻く。
音楽がとなりのスクリーンに漏れるのではないかという音量のパブの中でも、台詞が際立つサウンド設計も見事。
何を求めて見るのかによる
個人的な感想として
ITが普及した時代でも人間の基本的欲望は変わらないということです。
映画の中でデビット・フィンチャー監督は人の欲するものを美化することなく描いていきます。
その対象が、名声であり、金であり、愛であり…。赤裸々に
ITで人々に支持される上での共通点として
クールさ、無料であること、早さ、があります。
主人公マーク・ザッカーバーグが所属する世界一の名門、ハーバード大学。
(当時の名称)「ザ・フェイスブック」はその名門所属の学生からしかメンバーを集めませんでした。
クールさを演出するためです。
また、無料で公開しておりながらバナーを貼り付けることなく、広告収入に頼らなかったのもクールなSNSというイメージ戦略に一役買いました。
(ミクシィの場合、会員が「東大生」だけということにはなりませんでしたが、あえて紹介制の「完全会員制」を導入していました。
紹介されないと入会できないというハードルがかえってクールなイメージを作り上げていたと思います)
ITに求められる早さに関しては「フェイスブック」では一悶着あり、SNSをリリースしてからマークはアイデアの盗用として訴訟されます。
この業界ではどんなに優秀なアイデアであってもそれは一秒で早くリリースした者にしか恩恵は得られないからです。
今や、超有名IT企業となった「グーグル」ですが、経営者トップ3人が三位一体となって成長していきました。
しかし、「フェイスブック」では創設メンバーのマークとエドゥアルドの2人に、IT界の大物、ショーンが加わることで運営体制の歯車が狂っていきます。
ショーンが介入してからの「フェイスブック」は圧倒的な資金と驚異的スピードでその登録者を増やしていきます。
一方で、マークとエドゥアルドの信頼関係に入ったヒビは大きくなっていき、どうなっていくのか…。
ここから先を知りたい人は劇場へ足をお運び下さい。
ちなみにこの映画のポスターですが、非常にシンプルです。
主人公マーク扮するジェシー・アイゼンバーグが登場しているだけでキャッチコピーに
天才
裏切り者
危ない奴
億万長者 とだけ書かれています。
個人的感想としては「天才である部分」と、「危ないやつとしての表現」がもう少しあってもいいと思いました。
あえてキャッチコピー風に書くなら、マークの印象は
正直者(自分自身に)
裏切り者(ハーバードでの同志にとって)
不器用(生き方)
(それでも)億万長者(になってしまった) といった感じでしょうか。
個人的には上にあげたことも理由の一つとして
5点中3.5点の評価にしました。
ちなみにあるサイトのレビューを見ると「ソーシャル・ネットワーク」を観た人の評価の平均点は80点より上くらいでした。
それでもありがちなアメリカ的なハッピーエンドで終わらせない部分にむしろ好感を持ちました。
映画「セブン」でも漂わせていたデビッド・フィンチャー監督特有の「後味の悪さ」(笑)がかえって観客に考えさせることになっていて良かったです。
私はIT界の抱えるスピード感や熱を感じたかったから、それに関しては満足を得ました。
タイトルにも挙げましたがドラマティックさや、知的興奮を求めて観にいくのなら正直あまり点数はあげられないような気がします。
いい映画でした。
主人公のマークは、アスペルガーっぽい感じで、会話もたいてい噛み合わない。しかし、天才。酔った勢いで簡単なsnsを作ってしまったり…。
青春映画としてはベタな演出が皆無なので、ボーっとしてるといつのまにか終わっている。そんな映画。
ナップスターの胡散臭い社長にマークがどんどん引っ張られる場面では、まるでアムウェイの勧誘に乗せられてる若者を見ているようで古傷が傷みました(>_<)
劇中にハーバードの大学生や、派閥、いじめ、パーティー、講義の様子などが描かれていて、興味深い。世間的にはエリートに違いないんだが、人間的にはその辺の若者と大差ない んだと納得。 ただ、日本の大学生よりタフでしっかりしてるけど。
最後にネタバレ。ラストにマークが、フェイスブックで振られた彼女の名前を検索にかけます。すると、元彼女のプロフィールが…。 マークは友達申請して、何回も何回も更新する。 返事が待ちきれずに。
snsという新時代のツールが、新しい孤独を生んでいるという仮説が浮かんだりもしました。
まあ、マーク・ザッカーバーグは孤独だけど資産はある。ワシは孤独で資産がない🎵
興味深くはあるが、うーん。
話の内容は嫌いじゃないし、自分も利用しているFacebookがどのように出来たのかを知るのは、とても興味深かった。
しかし、全てが良くも悪くもアメリカ人っぽい。
1. どうして今更、Facebookの不利になるような内容を映画で暴露するのか。
→多少汚いことしても、最終的に成功していれば、「しょうがない犠牲」くらいにしか取られないと予測しての映画。
2. 創始者のマークは頭はいいはずなのに、ナップスターのショーンの言いなりになっちゃう頭の弱さ、これも映画で言わない方がいいのでは?
→完璧な人間を演じると必ず反発をくらう。だから、天才だけど多少頭の弱い感じを引き出して、一般人ウケする、一般人が共感して感情移入しやすくなるキャラ設定。
3. 最近、時間を行ったり来たりさせる手法が流行ってるの???
→この映画に関してはこの手法じゃなくて、もっと天才の思いつく画期的な見せ方が無かったのかい???とか。
最終的にエドゥアルドを立ててるようにも見えたけど、これは誰の立場に立って作った映画なんだろう?
マークの立場なら、エドゥアルドをもっと悪役に描けばいいのに。
なんか、位置関係も不十分。
でも、あの若さでFacebookを作ったことは素晴らしい。
その経緯が見れたのは、面白かった。どんな内容であれ。
これからFacebookを開く度、この映画のモヤモヤ感は思い出すだろうけど。
きっとFacebookの良い宣伝になっただろうな。
結局、天才マークの戦略なんだろう、これも。と斜に構えて見てしまう、私ww
非常に「未熟」
非常に「未熟」。
青春モノの映画にしては、興奮しないし、長い台詞にしては、感心しないし、
もちろん社会へのSNSの危険性の警告なんてないし、
Perl使いの天才ってどーかなーって思うし、主人公の環境・背景・思考が描き方が不十分だし。。。
映画も、カメラワークも、題材も「未熟」。
あるいみ、悲しい映画。
「YOU DON'T GET TO 500 MILLION FRIENDS WITHOUT MAKING A FEW ENEMIES」を真に受けてフェイスブックを止めようかなって思うように作られているのなら或る意味成功だといえよう。
さてと、Facebook 止めておこう。
洪水のような台詞、能面のような主人公の描写で全然感情移入できませんでした。
本作のレビューが遅れたのも、評価に対して小地蔵の心の中に迷いがあったからです。演出は優れたモノとは思いますが、何しろけたたましく、洪水のようにしゃべりまくる登場人物の台詞の量に圧倒されました。人物の心情を風景が代弁するような情緒的なカットがほとんどありません。映画のいい悪いとは別に、個性的な演出に好みが分かれてしまう作品なのです。
もう一つ気になった点は、マーク・ザッカーバーグの心情がほとんど描かれていません。ドラマは、マークを取り巻く群像劇として展開します。そのため、誰に感情移入したらいいか分からなくなってしまいました。
それというのも、脚本を担当したソーキンは実際にマーク・ザッカーバーグに取材を申し込んだが断られたため、マークの心情については裏取りができていないからなのです。 また原作からして、著者であるベン・メズリックも、ザッカーバーグだけでなく当時を最もよく知る人物としてエドゥアルド・サヴェリンに取材を申し込んだが、双方ともに拒絶されたそうなのです。
こののような経緯により、完成した映画・書籍は、フェイスブック側の協力は得ずに作られており、マークを訴えたエドゥアルドの視点に偏っている部分が多く見受けられました。
だから、マークは「ぼくの人生はドラマチックじゃないよ」と自身を否定的に描いた映画を、事実に反するとして無視。試写にも姿を見せなかったそうです。(さすがに、全米公開後に映画館を借しきり、facebook社員全員と共に見たそうだが)
但し実在の人物だけに、観客の感情移入をあえて避けたとの評価もできます。周囲へ証言を積み上げていき、そこからまるでミステリーの犯人像に迫るかのようなシャーナリスティックな手法。それは、フェイスブック誕生という歴史的出来事を、ドキュメンタリー的に浮かび上がらせている側面も否定できません。
フィンチャー監督は客観性にこだわり、マークを演じた主演のアイゼンバーグに対し、一切感情を出すなと指示を出したそうです。いつも冷静沈着で、能面のような演技に徹していたのは、このためでした。(だからマークに感情移入するのは難しいですね。)
元々は、自らの失恋の腹いせとして、ハッキングし得た女子学生の身分証明写真をインターネット上に公開し、公開した女子学生の顔を比べて勝ち抜き投票させるゲームとして作ったことが、冒頭に描かれます。自らを世界最年少の億万長者に導くアイディアは、ナンパの発想から出てきたなんて、ユニークですね。
ただその後のフェイスブックを立ち上げ、爆発的に広がるさまは、台詞で語られるだけで、なんで広がったのかよく分かりませんでした。
また本作を分かりにくくしているのは、二つの時間軸で語られているからです。一つはフェイスブックのヒントを提供したウィンクルボス兄弟が、知的財産の盗用で訴えた裁判シーンと、もう一つは、裁判で係争される当該事項の当時のシーンが、交互に交叉していく構成なので、しばらく立って全体像を掴まないと分かりづらい展開となっています。
ドラマは、マークの成功を決して美談にしないところがポイントでしょう。人と付き合うのが苦手なマークは、ネットで手軽に友人が得られるシステムを開発し、5億人もの「友」手に入れることができました。しかし、巨万の富を手に入れたことが徒となって、フェイスブックの立ち上げに協力してくれた親友たちを、敵に回さざるを得なくなったとは何とも皮肉です。あの内容では、確かにマーク本人が異議ありと思うのは、仕方ないでしょう。マークを訴えたウィンクルボス兄弟にも、エドゥアルドにも問題はあったからです。但し、ラストのテロップで、彼らのその後も紹介され、少々救われた思いで見終わることができました。本作を批判する評論家は、マークのことを守銭奴のようにこき下ろします。しかしそれはヒジネス上の避けては通れない毀誉褒貶であって、戦い終わればマークにだって、闘った相手を尊ぶ騎士道精神はちゃんとあったのですね。
ところで双子のウィンクルボス兄弟は、ひとり二役で演じていたことをあとで知りびっくりしました。あまりに自然で、いわれてみないと絶対に気づけないでしょう。
追伸
実名登録が前提のフェイスブック。小地蔵は、バーチャルな存在だけど、わがリアルな分身のほうは、そろそろフェイスブックに実名を登録して、懐かしい旧友を捜してみようかと思います。
やっぱり、デビッド・フィンチャー!!!
あっという間の2時間でした。私は彼の作品は好きなんだと、再確認。
音楽の洪水に、近くにいたおじいさん辛そうでしたが...最近みょうに長い、これでもかに辟易してたので、観せてやるな方々!!!これくらいの尺にまとめて欲しいです。
興奮するか疲労するか><
フェイスブック 裏側のお話です。
成功するまでの道のりは、
それほど派手ではないのだけれど、
天才中の天才が何人か出てきてワイワイと(笑)やるので、
ドラマになってます☆☆
ただ、彼らのスピードで話が展開してしまうので、
ノッて楽しむか、くたびれてしまうかは、
評価のわかれるところかもしれません。。
ゴールデングローブ賞 おめでとうございますvv ^0^
Youre so fuckin special
予告編ではRadiohead「Creep」のカバーが印象的でした。
台詞の細かさに圧倒され、登場人物の演技に違和感がなかった。
夜の街、景色、どの映像も美しい。
コメディでもあり、サスペンスでもあり、
ドラマとして非常に良く出来た作品でした。
「あなたは性格の良い人を振る舞っているだけ」
この言葉を言われたら傷つくよ。
ジョンレノンが歌うビートルズの原曲「Baby Youre A Rich Man」が、
エンドロールで聴けたのは嬉しい。
フェイスブック創業者のプライバシーも公開、クールな映画
映画「ソーシャル・ネットワーク」(The Social Network)を有楽町マリオン9F(東京・有楽町)の丸の内ピカデリーで観た。世界最大のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「フェイスブック」の誕生をめぐる人間ドラマ。
満席だった。映画の面白さもさることながら、今をときめくフェイスブックへの関心の高さも人気の秘密なのだろう。
映画のカタログに「YOU DON'T GET TO 500 MILLION FRIENDS WITHOUT MAKING A FEW ENEMIES」とあるが、この映画はまるで、ライバル企業がフェイスブックのネガティブキャンペーンをするために作った映画のようだった。映画冒頭の彼女との会話のシーンで、観客は、フェイスブック創業者の「頭はいいがくどい性格」に辟易する。
その後も、「こんな人があの、フェイスブックの創業者なのか?」「あのナップスター創業者がフェイスブックにこんなに関わっていたのか」と驚きの連続。
フェイスブックの急成長神話の裏側をエンターテインメントとして楽しめた。
プライバシーを公開するフェイスブックの創業者だからこそ、ここまで自分をオープンした映画を容認できたのかもしれない。
すべてがあってFacebookが生まれたんだね!
僕の場合は、マークのことを名前ぐらいしか知らなかったので
最後まで楽しくみれました。
ほんまエンジニアとして天才やったんすね~
マークは!(ハッキングとかかんなり興奮)
キャストもよかった~
マークはオタクっぽいし、ショーンはちょい悪でチャラっぽいし
エドゥアルドは一番普通っぽく視聴者に一番ちかいかも!
あんまりお金に執着してなさげな純粋なエンジニア
天才マークと、ビジネス家としてそれを利用したいのか単純に
サポートしたいのかわからないショーン
エドゥアルドはその2人の展開についていけなく嫉妬してしまう!?
いや~おもしろかった☆
ただ、IT関連じゃない人、今回一緒にみにいったひとも
そうなんすけど、あんまおもしろくないかもですわ。
Facebookやマークという人物に詳しい人もそうですが!
みんなに共感。余韻に残る人物像。
<1回目の鑑賞後のレビュー>
率直な感想は物足りない。話はfacebook立ち上げから100万人を突破し成功を納めた話や訴えられた話を中心に振り返りながら展開していく。
すごく主人公マークには共感もてたし、みんなの言い分も気持ちもよく描かれてたと思う。いい作品です。また観たいしDVDも買うでしょう。
ただ物足りないのは訴訟が復活の国だから最後はすべてお金で強制終了みたいなのが残念。その時やその後のシーンも観たかったな。盛り上がるだけ盛り上がり、最後で急に終わるなんて。
スッキリしないからまた観ようかな。と思わせるのは人物をしっかり描いていたからだろうな。
最後に友達承認を待つ姿が少し悲しかった。
<2回目観賞後のレビュー>
この物語には2つの時間軸が流れる。マークがfacebookを作り出し100万人越えするまでの半年間。訴訟されてる数日間。過去から現在に向かいながら時間軸が交差していく。
考えてみると半年間余りで西海岸のあのすごいオフィスでCEOになり、会員数100万人突破させることだけでも驚くべき事実だ。
その一方で友達や恋人を失い、ビジネスパートナーまでも失っていく孤独さ。その瞬間に手にした「CEO bitch」と書かれた名刺。失ったものと手にしたもの。すごく印象深く描かれている。
個人的にはニューヨークでピーターと出会ったシーンでマークが繰り返し、おっしゃる通り!とつぶやくシーンは唯一自分と同じ価値観の人物に出会えた瞬間だった。あまり感情を出さないマークにとって印象に残っている。
2回目見終わって、1回目よりもこの作品が好きになった。facebookをやってるやってないに限らず、facebookを知らなくても十分に楽しめる作品。12歳以上の制限はあるが、是非観てほしい1本です。
全236件中、201~220件目を表示