マイ・フェア・レディのレビュー・感想・評価
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オードリー・ヘプバーンのチャーミングさが際立つシンデレラストーリー
オードリー・ヘプバーンのチャーミングさが際立つシンデレラストーリー。
下町育ちで粗野な花売り娘から、華やかなドレスに身を包んだ上流階級の淑女に至るまで、表情豊かでコミカルな演技が実に愛らしい。
また、ファッションの視点から注目しても面白い。
作品のポスターにもなっているつばの広い大ぶりの帽子とマーメイドラインのドレスは、白と黒の2色にもかかわらず、華やかで目を見張るものがある。
20世紀初頭の階級社会が根強いイギリスで、階級ごとの服装を比較できるのも興味深い。
ちなみに本作には元祖シャーロック・ホームズ俳優のジェレミー・ブレットも出演している。若かりし頃の彼の姿を拝めるのも貴重。
ファッション好き、シンデレラストーリー好きな方におすすめの作品。
内なる性差別に目を向けながら
貧しい花売りのイライザ(オードリー・ヘプバーン)が、言語学者のヒギンズ(レックス・ハリソン)に正しい英語の言葉使いを教育され、レディになるシンデレラストーリー。
言語が階級を秩序づける様がよくわかる。そしてその階級秩序をフラットにさせるためにー人間を平等にするためにー言語教育がある。しかしただ正しい言語が話せればいいわけでもなく、適した振る舞いや服装、メイクも身につける必要がある。その文化的な側面は生まれながらの階級に拘束される。なぜならその文化的なものをみつける経済的な条件や嗜好が階級に既定されるからだ。だからイライザのように上流階級のヒギンズに言語教育されながら、振る舞いも教えられ、社交界で好まれる服装を買ってもらわなければシンデレラストーリーは実現しない。
階級と文化は相互的に再生産し、関連はなかなかに根深く、教育されれば容易に階級移動ができるわけでもない。
また教育で果たされる平等に性別による平等もあげられるだろう。
しかしヒギンズは性差別主義者であり、物語を通して改善されるわけではない。しかもヒギンズは教育する立場である。だから性差別もかなり根深く、また無意識に身体化された差別である。
本作がいま制作され、公開されれば性差別発言のオンパレードであり、非難されるだろう。しかも男女二元論で異性愛主義に満ちた作品でもある。しかしこの作品は、第37回アカデミー賞で8部門も受賞された「傑作」である。
今の視点から断罪することは適切ではないと思うが、かつては「傑作」と評価した映画文化を、そこにあった問題点から目を背けてはいけない気がする。
【“生け花店で働きてえんだ!”今作はコックニー訛の労働者階級の花売り娘が、傲慢な言語学教授の下で上流階級の喋りを身に着ける中で、女性としての自立と恋に目覚める様を描いたミュージカル映画の逸品である。】
ー 最初に恥を忍んで記すが、私はこの映画を”観た”と思い込んでいた。思い返せば、ドキュメンタリー映画「オードリー・ヘプバーン」を映画館で鑑賞したせいだと思われる。
何しろ、あの映画ではオードリー・ヘプバーン演じるイライザが、ヒギンズ教授(レックス・ハリソン)の書棚に本が埋め尽くされた印象的な作りの部屋で、”スペインの雨は、主に平野に降る。”と言う台詞を何度も言わされて、母音をキチンと話すシーンを主に、淑女の言葉遣いを叩き込まれるシーンが盛り込まれていたからである。
だが、観たと思っていた今作のレビューが無い。
マア、そういう作品は可なりあるので、この作品もそうだろうと思いつつ、序盤を観て観たら・・、観ていなかったあああああ!(オバカ)
で、仕事が予想より早く終わった本日、鑑賞した訳である。
すると、この作品は私が考えていた
”コックニー訛の労働者階級の花売り娘のイライザが、傲慢な言語学教授の下で上流階級の喋りを身に着ける”
物語だけではなく、”一人の夢持つ女性がその夢を叶える為に、ヒギンズ教順の下でコックニー訛を矯正するだけではなく、その過程で女性としての自立心を持って行く姿や、恋をする初めての経験に戸惑いつつも、それを不器用ながらに受け入れ、恋の相手である傲慢なヒギンズ教授にその思いをぶつける物語だったのである。
更に言えば、ヒギンズ教授も最初はイライザを友人のピカリング大佐(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)との、賭けの対象としてしか観ていなかったのが、イライザと長い間、同じ家で暮らし言葉を教える中で、教授自身も気付かないうちに彼女に恋をしていた姿をコミカルに描いているのである。
イライザが、ヒギンズ教授が自分を賭けの対象にしていた事を知り、涙を溢し彼の家から飛び出し、花売り娘だった頃の仲間の所に行っても誰も気づかずに、ヒギンズのせいで中流階級になっていた父アルフレッド(スタンリー・ホロウェイ)が”自由が無くなった・・。”と嘆く姿などを描くシーンも、実にアイロニーが溢れているのである。
そして、イライザは行き場が矢張りなく、ヒギンズ教授の家に戻ると、彼は彼女が居なくなった事で、しょぼくれているのであるが、彼女が戻った途端に元の姿に戻りつつも、彼女に恋している事を彼らしい態度で告げるシーンなども良いのである。ー
<今作はコックニー訛の労働者階級の花売り娘が、傲慢な言語学教授の下で上流階級の喋りを身に着ける中で、女性としての自立と恋に目覚める様を描いたミュージカル映画の逸品なのである。>
■可なりビックリしつつ、嬉しかった事
・イライザに恋した青年フレディを、ムッチャ若いジェレミー・ブレットが演じていた事である。チビッ子の時に、大好きだった「シャーロック・ホームズの冒険」でホームズを演じていたジェレミー・ブレットである。(もちろん、声は露口茂さんである。)
ビックリしたなあ!
良くも悪くもミュージカル
凛としたオードリーヘップバーンの表情や振る舞いが素敵です
これぞ真のシンデレラストーリー!?
フェアレディとはいかなるものなのか、イライザが体当たりで学んで教えてくれます。
舞踏会が終わって家出をした後、ビギンズと話すシーンで、いつまでも花売りの娘として扱ったビギンズでなく、1人のレディとして扱ってくれた大佐からレディとしての振る舞いを学んだということを伝えるシーン、「(女性をレディに仕立てるためには、)どう振る舞うかではなくどう扱われるかです」と凛々しく伝えるシーン、とても印象的でした。
あと、小金持ちになった父親が、貧乏時代はラクだったと嘆いているシーンがとても皮肉的で面白かったのと、イライザに散々いつもの調子で伝えた末に「自分の足で立て。お前ならできる。」と最もらしいセリフを伝えていたのがなんかよかった。なんとなく背中を押された気がしました。笑
発音を習得するところのシーンは、ヘレンケラーが「ウォーター」と言うときばりの雷が走ったような表現で、「えー!!そんな閃くみたいな感じで習得するのー!?」と少し拍子抜けでしたがそれもおもろかったです笑
そしてなんといっても、オードリーヘップバーンのなんと美しきことよ…
美しく着飾った時の溢れる気品には脱帽…
そして、粗野な花売りのときの姿も魅力的…
てか、登場人物みんなたっていて、とても魅力的だった!
たくさん貴婦人が出ていてオードリー以外の人の衣装代も高くついたやろなあ
ローマの休日とは逆でこちらは下級層の娘から上流階級のレディへ。
3時間近い上映時間も少し長いかなと思う程度の飽きさせないストーリーだった。
ミュージカルは得意じゃないけれどもそれほど歌が多かったとは思わなかったので最後まで楽しめた。
この映画もオードリーの美しさが抜きんでていて下町娘の汚い言葉の場面は違和感があった。
最後が尻切れトンボのような終わり方も残念。
アカデミー賞18部門中12部門にノミネートされ、8部門受賞したのにオードリーはノミネートすらされなかったのは歌が吹き替えだったからのようだと伝えている記事を読んだことがある。
歌もオードリーで聴きたかったなあ。
撮影期間中、カゼで喉の調子が悪かったんだと思っておこう。
この映画も名作かも知れないがやっぱり「ローマの休日」の方が好きだ。
オードリー、めっちゃ綺麗。
オードリーヘプバーンの作品、観るの初めて。
ミュージカルだと知らずに鑑賞。
ミュージカルで踊りと歌に時間取られてるから、なかなか話が進まず、長く感じてちょっと疲れた。
どの人にも共感出来ず、ストーリーはイマイチだったな。
ラストはどうやら教授とイライザが両想いで落ち着くみたいな感じっぽいけど、それが急な展開でそれまでそんな素振りも感じていなかったので、ん?と思った。
イライザはフレディと結ばれるのかと思ってた。
フレディもめっちゃストーカーでドン引き。怖い。
イライザの父も、毒親過ぎて微妙。この親子からは謙虚さが全く感じられず、終始イラっとした。
解説とか読むと、当時の階級社会や男尊女卑社会を風刺した物?みたいな事も記載されてたけど、当時を想像は出来るけど、現代に観たので自分は面白く感じなかった。60年も前だから仕方ないわ。
ただ、オードリーヘプバーンはさすがに美しい!
映画好き学生の必修科目
この映画の美しさは至る所にあり、至る所で発見できる。
大ヒットしたミュージカル舞台の映画化です。
映画の見どころはたくさんありますが
主に衣装・美術、音楽に集中しています。
皆明るく人生を楽しむ系が多いのも特徴で
登場人物の関係性も面白く描かれています。
貧しい娘が上流階級へと上り詰める物語で
イライザ役のオードリー・ヘップバーンは上品で美しく
ロンドンの下町に住む汚い言葉の花売り娘から
何処かの国の王女なのではと噂されるまでになります。
「彼女の歌声を使わなかった」のは成功の鍵とも…。
会社は普通に吹き替えにした様ですが
やはり人間性に欠けてしまいます。
彼女は自分の歌声を採用してくれると思っていた様で
完成後は、ずっと心を痛めていたようです。
オードリーにとっては悲しい事実。
とはいえ「ミュージカルは楽しく」
それが正しい鑑賞姿勢だと思います。
※
久しぶりに、そして初めて映画館で観て
初めて観た時からTVでしか観ていなかったが、午前十時の映画祭のおかげで、初めて映画館で鑑賞できた。
正直違う作品かと思う程身を乗り出して観た。
大きなスクリーンで観るとはこういうことか、と目から鱗の境地。
午前十時の映画祭企画、ありがとうございます♪
この時代、貧富の差が大きくヒギンズ教授は富裕層なので差別を意識することなく自然に貧しい人々を下に見て接していたように思われた。女性差別については、オードリー扮するイライザの父も婦人参政権反対と叫んでいたシーンもあり貧富に拘らず女性を下に見ていたのだろう。
婦人参政権云々、については、西洋?はやはり進んでいる、と感じられた。
こんな中、イライザは逞しく生きている。しかし、貧しく少しでもお金が欲しい。いつのまにかヒギンズ教授の口車に乗ってしまった。
本作、何が目玉かと言えば、イライザのドレスファッションに尽きると思う。
発声練習時のハイネックブラウスにグリーンのジャンパースカート風ドレス、可愛い。
競馬場でのモノトーンリボンをアクセントにあしらった帽子とお揃いのドレス。このドレスは、ティファニーのブラックドレスと同じく映画とは関係なく女性ファッション誌に何度となく掲載されている。子供の時の雑誌の付録にもこのドレスのイラストが付いていた。
舞踏会の白いドレスとヘアスタイルは息を呑むほど美しい。どこかのお姫様そのもの。
また調度品も豪華で部屋の洗面台の洗面器とポットですら、薔薇柄の焼き物で、今なら超高級でないとお目にかかれない。
競馬場でのドレスはモノトーンに統一。色を抑えているせいか、デザインは奇抜な物が見受けられた。やはり、イライザのドレスが群を抜いている。
オードリーが歌うシーンが数回あったが、吹き替えかと思っていたらwikiには本人が歌う曲•箇所もあると記載されていた。
オードリー作品にありがち、ヒギンズ教授に恋するのが、初めて観た時から謎、今観ても謎。
(wikiを見たら実際意地悪されていたそうな。ヒギンズ教授裏表無く意地悪だった。)
もう一人のピカリング大佐は紳士だったが。
映画館では2023/4鑑賞
なかなかロックなヘップバーン
ロンドンの下町の花売り娘が玉の輿にのってハピエンの話だと思っていたが、ちゃんと観てみると、下流階級に生まれると安定した職業に就くことができないことや、上流階級に生まれても女性であれば結局は自分の体を売って生きていくしかないことへの不満を歌う、わりとロックでフェミなメッセージ性のあるミュージカルだった。原作のラストは教授はがっかりさせられる結末だったらしいのも興味深い。
お披露目の場でのヘップバーンの衣装は素敵だったが、競馬場の上流の婦人たちの装いは凝りすぎというかドレスの受注販売会のようで興醒めだったので少しマイナス。
ピグマリオン
もう一度スクリーンで観たかった
半年でレディになれる
他の方も言っているように、オードリー氏が美しすぎます。
花売りの時点で充分な程に。
競馬を観ながらのパーティー❓のシーンでは少し笑いました。
何かやってくれるとは思ってましたが。
最後はヒギンズ教授の元へ戻ってましたね。
あの若者と駆け落ちするのかと、ちょっと思っていました。
スクリーンで観れてよかったです。
お坊ちゃま君の気づき。 …目覚めにはまだほど遠いが。
「花売り娘が特訓を受け、レディになるシンデレラストーリー」として紹介されるが、そうか?これは、シンデレラストーリーなのか?
鑑賞前は、ヒギンズは、言語学者として、貧しい花売りに手を差し伸べる品も思いやりもある紳士というイメージだった。だって、イライザのシンデレラストーリーと聞いていたから。その身分違いの恋に悩むさまが描かれているのかと。
違った。ヒギンズがとんでもなく、違った。なんだ、このおぼっちゃま君は!
どんなに有名な映画でも、ちゃんと鑑賞しなければ解らないと思った。
無様な発音・言葉使いを批判され、「言い方を学べば、その日暮らし同様の露天商ではなく、賃金の安定した店員になれる」と希望を持ち、ヒギンズに習いに行ったイライザ。
英語を学べば、もう少し良い仕事にと、英会話教室に通う私たちみたいだ。
それが、ヒギンズと大佐の思い付きから、とんでもないことになる。
多少契約的なことは言っているが、ヒギンズの「やってやるんだ」という上から目線感がだだ洩れ。まるで、その辺の野良猫を拾ってきて面倒見てやるんだ的な扱い。
今だったら”契約”と”説明と同意”の点で、大問題になるだろうな。人に協力を求める実験なら、第三者委員会での人権面等の承認も必要になる。
果たして、イライザはレディになれるのか?
第1幕はそのドキドキハラハラで引っ張る。
舞台劇からミュージカルになった原作の映画化なので、地道な特訓風景を見せるのではなく、誇張された特訓と、鬼教官への恨みつらみを面白おかしく見せてくれる。(ここの歌はニクソンさんではなく、ヘプバーンさんの歌だそうだ。ニクソンさんの歌は、『I could have danced all night』からとDVDのコメンタリーにて)
そして、階段の踊り場から見下ろすヒギンズの視線が最高。中高時代のあの高慢ちきな嫌な教師を思い出す。
競馬場でのやり取りもおかしい。話題は「天気と健康だけ」とふっておきながら…。
そのうえで、大使館での舞踏会へ向かうシーンで休憩。これからどうなるんだ?
舞台でもここで幕間になるのかな?
そして第2幕。
大使館シーンでのイライザ。
”実験”の成功を喜ぶヒギンズと大佐。そこに、実験協力者へのねぎらいはない。イライザを”プリンセス”と呼ぶことで賛辞しているつもりのヒギンズと大佐。でも目線は合わせない。輪の中にも招き入れない。『The rain in Spain』の時との違い…。
ここでの、ヘプバーンさんの表情・仕草が見事。それまでも各シーンごとにイライザのその時の心情を見事に表現…競馬場での気後れしないように妙なテンションを維持している様子とか、大使館でも不安でヒギンズを視線で追っている様子とか…していたけれど。もう、ここだけでアカデミー賞ものだよと思うのだけれど、アンドリュースさんの十八番を奪うというのは反発があったのだろうな。ましてや、映画界においては新人(アンドリューさん)の当たり役を、ドル箱スター(ヘプバーンさん)が奪ってしまったのだもの。『メリーポピンズ』も後世に残る名作中の名作だし。
特訓で、レディになったイライザ。シンデレラストーリーならここで大円団で幕。でもまだ話が続く。というより、ここからが本筋。
上流階級に留まれば、いつ素性がばれやしないかと怯える日々の始まり。サスペンスものなら、ゆすりのネタにされ、物語が始まってしまうシチュエーション。けれど、ヒギンズは実験が成功したことだけしか頭にない。イライザの立場の不安定さになんて思いも巡らせない。
失意の中で、元の街に帰るイライザ。けれど、そこにも居場所はない。
ステイタスを変えて、イライザが得たもの・失ったもの。切ない。
そして、ヒギンズの母の家での掛け合い。ヒギンズが放つある一言に、顔色をさっと変えるイライザ。ヘプバーンさんのここにも鳥肌。ニクソンさんの歌も表現力があって痺れるが、やはりヘプバーンさんの土台があってのことだろう。DVDのコメンタリーによると、ヘプバーンさんが歌ったものを参考にしてニクソンさんが歌ったり、一緒にいろいろ話したりして役作りをしていったのだそうだ。
そしてラストへ。ヒギンズの、小学校5年生か?!というようなたわごとが続く。でも、ヒギンズが忘れられないのは、レディとなったイライザではないところがミソ。『A hymn to him』と歌っていた内容と比べると、まだ、完全なる目覚めまでは言っていないけれど、ほのかな気づきが可愛い。
イライザは、冒頭『Wouldn't it be loverly?』で「やさしくじっと抱きしめてくれたらいいな」と歌っていたが、抱きしめてあげる方に回る決意をしたのかな?
ヒギンズの母の家でのやり取りの後では、ちょっと意表を突かれるラスト。大元の戯曲とも違い、原作者は不満だったそうだ。レビューでも賛否両論と聞く。私自身は「これはこれであり」と思う日もあり、「え?なんで?」と思う日もあり。
と、ヘプバーンさんを誉めそやしているが、
やはり、唯一無二なのはハリソン氏。
第一幕の、偏屈で傍若無人な研究者。でも、イライザパパとのやり取りとかは、目がまるでいたずらっ子のように輝いている。音楽にのせての台詞(『A hymn to him)も小気味いい(言ってることは、はあ~ぁ?という自己中炸裂だが)。理科室にありそうな半分になった頭部の模型を手に持ち、「どうした、どうしよう」と歩き回る様もおかしい。
第二幕では、お坊ちゃま度炸裂。「ママ!」と叫ぶ場面なんて、ハリソン氏以外にはできないだろうと思う。
そんな傲慢さとおばか様とも言いたいお坊ちゃまを一人の人物として演じられるのは、この方以外にはいないであろう。
そんな二人をとりまく人物たち。
大佐。品の良い間の抜け方。この方も自己中なのだが、ヒギンズよりはバランスが取れている。最後に昔の知古に走るところがいい。
ヒギンズ家の家令・メイドたち。常識人だが、ヒギンズのやりたい放題を許している点では、どこか間が抜けている。でも、ヒギンズを心配し、イライザを丁寧に面倒見ているところは、観ていて気持ちが良い。
自分の息子をふって、自分の足で歩きだす決意をしたイライザを「偉いわ、イライザ」というヒギンズの母もツボ。ヒギンズに対して愛情を持っているのに塩対応。その加減がおかしい。気持ちが良い。でも、結局大使館等で助けてしまう。イライザに注ぐ目線が優しい貴婦人。品の良さに憧れを抱いてしまう。
イライザに恋するフレディ。冒頭で、イライザの花を台無しにした人だよね。この映画の筋ではいらないんじゃないか、美貌にふらつく新しもの好き(今まで接したことのない言葉)の軽薄男の代表として出ているのではないかと思ってしまう。だが、大元の戯曲だと、イライザはヒギンズをふって、フレディと結婚するらしい。フレディのどこにひかれたんだ。「やさしくじっと抱きしめてくれたらいいな」を実現してくれた人がフレディなのだろうか?
イライザの父。「運が良ければ、子どもに養ってもらえる」という毒親だが、それなりの節度を保っている。イライザを売ってまで遊んで生活しようとは思わない。意図せず、大金持ちになって、「たくさんの人に奢らなければいけなくなってしまった」と嘆く。責任から逃げ回っているのだろうか。特に『Get me to the Charch on time』では結婚式に向かう行進が、葬列のように描かれている。イライザの悲酸な生育史や環境を描くだけなら、孤児にしてもいいものを。どうして父の設定をこのようにしたのだろう。男の結婚観・家族観をヒギンズとは別の形で表現したかったのだろうか?演じるホロウェイ氏は、DVDの解説によると、この時、聞こえずに周りの反応を見て演じていらしたとか。ステップも踏めているところと省略しているのでは?というところと。それでも、同じシーンを演じている人々が、ホロウェイ氏を尊敬して、このシーンを作り上げている様が感じられるし、”聞こえていない”ことを微塵も感じさせないところに、震えてしまう。何度も見返したいシーンの一つ。
一つの主張でまとまっているようで、アンサンブルが効いてくる脚本・設定。
見返す度にいろいろな発見がありそうだ。
だが、物語よりも、この映画の見どころは映像であり、ダンス。
何より、ファッション。イライザの衣装は好きなものと不満なものと。
だが、競馬場でのモブシーンに現れる人々の衣装。白黒が基本だが、イライザの帽子には色のついた小さな花が散りばめられる。ヒギンズの母のボックスに集う人々は目に優しい落ち着いた色。
冒頭のオペラハウスや大使館シーンでも、息をのむような衣装の数々。豪華絢爛さでは『山猫』も圧巻だったが、あちらは時代物で今の日常では着ることができない。この映画のドレスは、アレンジしたら、ファッションの流行が一回りしたら今でも着ることができるのではないかと思ってしまう。あんなスタイルを持っていないけれど、マネしたくなる。
そして、モブシーンのダンス。冒頭、夜が明けた時や競馬でのストップした静止画を取り入れながらのアンサンブル。ため息が出てしまう。ただのエキストラではなくで、皆ダンサーだそうだ。
イライザの舞台を意識した大仰な振りは今一つ好きにはなれない。もっと細やかな演技ができる方なのにもったいない。
そして、ヒギンズの家、母の家のインテリアにも憧れてしまう。
オープニングの花々も、これから展開される華やかな物語りをイメージさせてくれる。
鑑賞したDVDは、補修をした版で、コメンタリーで作業に当たった方々の話も聞けた。
白い花の上に白の文字。色具合を調整するのに、苦労されたそうだ。
そのうえで、オリジナルは、細部にわたるまでこだわった作品と何度も感嘆されていた。
夢の一時に連れて行ってくれながら、人と人との関係をちくりと見せてくれる。
至極の芸も堪能させてくれる。
行間を読み直したくなってリピートしたくなる不朽の名作。
マイ・フェア・レディ
とにかく古い映画だということを忘れて見入ってしまった…。4Kで見たということもあるだろうが、映像がとても綺麗。画質とかではなく、色の使い方、構図、カメラの動き。どれをとっても一級品。最近の映画のあるあるだけど、手持ちのカメラで下手に誤魔化したりせず、ワンカットワンカット丁寧に取っているのがよくわかる。人物に合わせたカメラのパンからトラッキングまで完璧。たまに見せる引きの画も秀逸。
エンディングに関しては、もう映画の終わりとしてこれほどのものはないなというくらいにすごくいい終わり方。全映画はこの終わり方を見習った方が良い。今後の展開を匂わせつつ、観客に納得のいく終わり方にし、少しの疑問を仄めかす。
さらに、舞踏会や競馬場でのキラキラした世界の中でイライザの素性がバレるか否かというハラハラで持っていくのも上手い。それだけで観客は映画に釘付けになるのだ。たったそれだけの条件だけで。先が気になって仕方がない。
「人の弱いところが見えたか?」
見えた。音声学者の男は、女性を支配したい衝動が抑えられない。プライドが邪魔をして素直に君が必要なんだと言えない。
この未熟さにグッとくる。これによって生まれる2人の対立、さらにテーマ性まで仄めかす。
「謎があったか」
謎という謎はなかった。しかし、目を惹きつけるものとして、ハラハラ感があった。これによって物語が前に進まずとも緊張感を持ってみることができた。
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