マイ・フェア・レディのレビュー・感想・評価
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映画好き学生の必修科目
映画好きなら必ず見ておきたい古典。
映画好き学生の必修科目といった感じ。
ヘップバーンはこのとき30代半ばだったから、21歳の設定にしては幾分とうが立ってるけど、彼女の魅力は半端ない。世界が魅了されるのも頷ける。
何気にヒギンズ教授の闇の深さが深刻。
おそらく頭は良いけど女性にもてなくて、愛や喜びを経験したことなく、トラウマを抱えて、すっかり性格が歪んでしまったオッサンが、かなり痛い。
ヒギンズ教授が癒されますようにと願う。
この映画の美しさは至る所にあり、至る所で発見できる。
大ヒットしたミュージカル舞台の映画化です。
映画の見どころはたくさんありますが
主に衣装・美術、音楽に集中しています。
皆明るく人生を楽しむ系が多いのも特徴で
登場人物の関係性も面白く描かれています。
貧しい娘が上流階級へと上り詰める物語で
イライザ役のオードリー・ヘップバーンは上品で美しく
ロンドンの下町に住む汚い言葉の花売り娘から
何処かの国の王女なのではと噂されるまでになります。
「彼女の歌声を使わなかった」のは成功の鍵とも…。
会社は普通に吹き替えにした様ですが
やはり人間性に欠けてしまいます。
彼女は自分の歌声を採用してくれると思っていた様で
完成後は、ずっと心を痛めていたようです。
オードリーにとっては悲しい事実。
とはいえ「ミュージカルは楽しく」
それが正しい鑑賞姿勢だと思います。
※
久しぶりに、そして初めて映画館で観て
初めて観た時からTVでしか観ていなかったが、午前十時の映画祭のおかげで、初めて映画館で鑑賞できた。
正直違う作品かと思う程身を乗り出して観た。
大きなスクリーンで観るとはこういうことか、と目から鱗の境地。
午前十時の映画祭企画、ありがとうございます♪
この時代、貧富の差が大きくヒギンズ教授は富裕層なので差別を意識することなく自然に貧しい人々を下に見て接していたように思われた。女性差別については、オードリー扮するイライザの父も婦人参政権反対と叫んでいたシーンもあり貧富に拘らず女性を下に見ていたのだろう。
婦人参政権云々、については、西洋?はやはり進んでいる、と感じられた。
こんな中、イライザは逞しく生きている。しかし、貧しく少しでもお金が欲しい。いつのまにかヒギンズ教授の口車に乗ってしまった。
本作、何が目玉かと言えば、イライザのドレスファッションに尽きると思う。
発声練習時のハイネックブラウスにグリーンのジャンパースカート風ドレス、可愛い。
競馬場でのモノトーンリボンをアクセントにあしらった帽子とお揃いのドレス。このドレスは、ティファニーのブラックドレスと同じく映画とは関係なく女性ファッション誌に何度となく掲載されている。子供の時の雑誌の付録にもこのドレスのイラストが付いていた。
舞踏会の白いドレスとヘアスタイルは息を呑むほど美しい。どこかのお姫様そのもの。
また調度品も豪華で部屋の洗面台の洗面器とポットですら、薔薇柄の焼き物で、今なら超高級でないとお目にかかれない。
競馬場でのドレスはモノトーンに統一。色を抑えているせいか、デザインは奇抜な物が見受けられた。やはり、イライザのドレスが群を抜いている。
オードリーが歌うシーンが数回あったが、吹き替えかと思っていたらwikiには本人が歌う曲•箇所もあると記載されていた。
オードリー作品にありがち、ヒギンズ教授に恋するのが、初めて観た時から謎、今観ても謎。
(wikiを見たら実際意地悪されていたそうな。ヒギンズ教授裏表無く意地悪だった。)
もう一人のピカリング大佐は紳士だったが。
映画館では2023/4鑑賞
なかなかロックなヘップバーン
ロンドンの下町の花売り娘が玉の輿にのってハピエンの話だと思っていたが、ちゃんと観てみると、下流階級に生まれると安定した職業に就くことができないことや、上流階級に生まれても女性であれば結局は自分の体を売って生きていくしかないことへの不満を歌う、わりとロックでフェミなメッセージ性のあるミュージカルだった。原作のラストは教授はがっかりさせられる結末だったらしいのも興味深い。
お披露目の場でのヘップバーンの衣装は素敵だったが、競馬場の上流の婦人たちの装いは凝りすぎというかドレスの受注販売会のようで興醒めだったので少しマイナス。
ピグマリオン
豪華ですがストーリーが好きじゃありません。
なぜヒギンズ教授とロマンスになるのか? 教授っていいとこありました?
女性を蔑視してるし、身分や訛りで差別はするし最低な奴じゃないの?
原作のピグマリオンでは理性のついた彼女は教授から去ってしまうのです。
そこが神話のピグマリオンのように苦くて面白いのに。だいなしだなあ。
もう一度スクリーンで観たかった
チャーミングでエレガントなヘップバーン。
ラーナー&ロウの名曲の数々。
まさに「もう一度スクリーンで観たかった」に相応しい名作。
登場人物が突然歌い出したり踊り出したりするワクワクするミュージカルにはじめて出会った作品。(京都祇園会館で「マイ・フェア・レディ」「メリー・ポピンズ」「シェルブールの雨傘」の三本だて)
就職して初めてのボーナスで買ったのが、LDプレイヤーと「マイ・フェア・レディ」のディスク。
午前十時の映画祭、ありがとう。
「七人の侍」と「大脱走」と今作か「サウンド・オブ・ミュージック」は毎回ラインアップに入れてほしい。
半年でレディになれる
他の方も言っているように、オードリー氏が美しすぎます。
花売りの時点で充分な程に。
競馬を観ながらのパーティー❓のシーンでは少し笑いました。
何かやってくれるとは思ってましたが。
最後はヒギンズ教授の元へ戻ってましたね。
あの若者と駆け落ちするのかと、ちょっと思っていました。
スクリーンで観れてよかったです。
お坊ちゃま君の気づき。 …目覚めにはまだほど遠いが。
「花売り娘が特訓を受け、レディになるシンデレラストーリー」として紹介されるが、そうか?これは、シンデレラストーリーなのか?
鑑賞前は、ヒギンズは、言語学者として、貧しい花売りに手を差し伸べる品も思いやりもある紳士というイメージだった。だって、イライザのシンデレラストーリーと聞いていたから。その身分違いの恋に悩むさまが描かれているのかと。
違った。ヒギンズがとんでもなく、違った。なんだ、このおぼっちゃま君は!
どんなに有名な映画でも、ちゃんと鑑賞しなければ解らないと思った。
無様な発音・言葉使いを批判され、「言い方を学べば、その日暮らし同様の露天商ではなく、賃金の安定した店員になれる」と希望を持ち、ヒギンズに習いに行ったイライザ。
英語を学べば、もう少し良い仕事にと、英会話教室に通う私たちみたいだ。
それが、ヒギンズと大佐の思い付きから、とんでもないことになる。
多少契約的なことは言っているが、ヒギンズの「やってやるんだ」という上から目線感がだだ洩れ。まるで、その辺の野良猫を拾ってきて面倒見てやるんだ的な扱い。
今だったら”契約”と”説明と同意”の点で、大問題になるだろうな。人に協力を求める実験なら、第三者委員会での人権面等の承認も必要になる。
果たして、イライザはレディになれるのか?
第1幕はそのドキドキハラハラで引っ張る。
舞台劇からミュージカルになった原作の映画化なので、地道な特訓風景を見せるのではなく、誇張された特訓と、鬼教官への恨みつらみを面白おかしく見せてくれる。(ここの歌はニクソンさんではなく、ヘプバーンさんの歌だそうだ。ニクソンさんの歌は、『I could have danced all night』からとDVDのコメンタリーにて)
そして、階段の踊り場から見下ろすヒギンズの視線が最高。中高時代のあの高慢ちきな嫌な教師を思い出す。
競馬場でのやり取りもおかしい。話題は「天気と健康だけ」とふっておきながら…。
そのうえで、大使館での舞踏会へ向かうシーンで休憩。これからどうなるんだ?
舞台でもここで幕間になるのかな?
そして第2幕。
大使館シーンでのイライザ。
”実験”の成功を喜ぶヒギンズと大佐。そこに、実験協力者へのねぎらいはない。イライザを”プリンセス”と呼ぶことで賛辞しているつもりのヒギンズと大佐。でも目線は合わせない。輪の中にも招き入れない。『The rain in Spain』の時との違い…。
ここでの、ヘプバーンさんの表情・仕草が見事。それまでも各シーンごとにイライザのその時の心情を見事に表現…競馬場での気後れしないように妙なテンションを維持している様子とか、大使館でも不安でヒギンズを視線で追っている様子とか…していたけれど。もう、ここだけでアカデミー賞ものだよと思うのだけれど、アンドリュースさんの十八番を奪うというのは反発があったのだろうな。ましてや、映画界においては新人(アンドリューさん)の当たり役を、ドル箱スター(ヘプバーンさん)が奪ってしまったのだもの。『メリーポピンズ』も後世に残る名作中の名作だし。
特訓で、レディになったイライザ。シンデレラストーリーならここで大円団で幕。でもまだ話が続く。というより、ここからが本筋。
上流階級に留まれば、いつ素性がばれやしないかと怯える日々の始まり。サスペンスものなら、ゆすりのネタにされ、物語が始まってしまうシチュエーション。けれど、ヒギンズは実験が成功したことだけしか頭にない。イライザの立場の不安定さになんて思いも巡らせない。
失意の中で、元の街に帰るイライザ。けれど、そこにも居場所はない。
ステイタスを変えて、イライザが得たもの・失ったもの。切ない。
そして、ヒギンズの母の家での掛け合い。ヒギンズが放つある一言に、顔色をさっと変えるイライザ。ヘプバーンさんのここにも鳥肌。ニクソンさんの歌も表現力があって痺れるが、やはりヘプバーンさんの土台があってのことだろう。DVDのコメンタリーによると、ヘプバーンさんが歌ったものを参考にしてニクソンさんが歌ったり、一緒にいろいろ話したりして役作りをしていったのだそうだ。
そしてラストへ。ヒギンズの、小学校5年生か?!というようなたわごとが続く。でも、ヒギンズが忘れられないのは、レディとなったイライザではないところがミソ。『A hymn to him』と歌っていた内容と比べると、まだ、完全なる目覚めまでは言っていないけれど、ほのかな気づきが可愛い。
イライザは、冒頭『Wouldn't it be loverly?』で「やさしくじっと抱きしめてくれたらいいな」と歌っていたが、抱きしめてあげる方に回る決意をしたのかな?
ヒギンズの母の家でのやり取りの後では、ちょっと意表を突かれるラスト。大元の戯曲とも違い、原作者は不満だったそうだ。レビューでも賛否両論と聞く。私自身は「これはこれであり」と思う日もあり、「え?なんで?」と思う日もあり。
と、ヘプバーンさんを誉めそやしているが、
やはり、唯一無二なのはハリソン氏。
第一幕の、偏屈で傍若無人な研究者。でも、イライザパパとのやり取りとかは、目がまるでいたずらっ子のように輝いている。音楽にのせての台詞(『A hymn to him)も小気味いい(言ってることは、はあ~ぁ?という自己中炸裂だが)。理科室にありそうな半分になった頭部の模型を手に持ち、「どうした、どうしよう」と歩き回る様もおかしい。
第二幕では、お坊ちゃま度炸裂。「ママ!」と叫ぶ場面なんて、ハリソン氏以外にはできないだろうと思う。
そんな傲慢さとおばか様とも言いたいお坊ちゃまを一人の人物として演じられるのは、この方以外にはいないであろう。
そんな二人をとりまく人物たち。
大佐。品の良い間の抜け方。この方も自己中なのだが、ヒギンズよりはバランスが取れている。最後に昔の知古に走るところがいい。
ヒギンズ家の家令・メイドたち。常識人だが、ヒギンズのやりたい放題を許している点では、どこか間が抜けている。でも、ヒギンズを心配し、イライザを丁寧に面倒見ているところは、観ていて気持ちが良い。
自分の息子をふって、自分の足で歩きだす決意をしたイライザを「偉いわ、イライザ」というヒギンズの母もツボ。ヒギンズに対して愛情を持っているのに塩対応。その加減がおかしい。気持ちが良い。でも、結局大使館等で助けてしまう。イライザに注ぐ目線が優しい貴婦人。品の良さに憧れを抱いてしまう。
イライザに恋するフレディ。冒頭で、イライザの花を台無しにした人だよね。この映画の筋ではいらないんじゃないか、美貌にふらつく新しもの好き(今まで接したことのない言葉)の軽薄男の代表として出ているのではないかと思ってしまう。だが、大元の戯曲だと、イライザはヒギンズをふって、フレディと結婚するらしい。フレディのどこにひかれたんだ。「やさしくじっと抱きしめてくれたらいいな」を実現してくれた人がフレディなのだろうか?
イライザの父。「運が良ければ、子どもに養ってもらえる」という毒親だが、それなりの節度を保っている。イライザを売ってまで遊んで生活しようとは思わない。意図せず、大金持ちになって、「たくさんの人に奢らなければいけなくなってしまった」と嘆く。責任から逃げ回っているのだろうか。特に『Get me to the Charch on time』では結婚式に向かう行進が、葬列のように描かれている。イライザの悲酸な生育史や環境を描くだけなら、孤児にしてもいいものを。どうして父の設定をこのようにしたのだろう。男の結婚観・家族観をヒギンズとは別の形で表現したかったのだろうか?演じるホロウェイ氏は、DVDの解説によると、この時、聞こえずに周りの反応を見て演じていらしたとか。ステップも踏めているところと省略しているのでは?というところと。それでも、同じシーンを演じている人々が、ホロウェイ氏を尊敬して、このシーンを作り上げている様が感じられるし、”聞こえていない”ことを微塵も感じさせないところに、震えてしまう。何度も見返したいシーンの一つ。
一つの主張でまとまっているようで、アンサンブルが効いてくる脚本・設定。
見返す度にいろいろな発見がありそうだ。
だが、物語よりも、この映画の見どころは映像であり、ダンス。
何より、ファッション。イライザの衣装は好きなものと不満なものと。
だが、競馬場でのモブシーンに現れる人々の衣装。白黒が基本だが、イライザの帽子には色のついた小さな花が散りばめられる。ヒギンズの母のボックスに集う人々は目に優しい落ち着いた色。
冒頭のオペラハウスや大使館シーンでも、息をのむような衣装の数々。豪華絢爛さでは『山猫』も圧巻だったが、あちらは時代物で今の日常では着ることができない。この映画のドレスは、アレンジしたら、ファッションの流行が一回りしたら今でも着ることができるのではないかと思ってしまう。あんなスタイルを持っていないけれど、マネしたくなる。
そして、モブシーンのダンス。冒頭、夜が明けた時や競馬でのストップした静止画を取り入れながらのアンサンブル。ため息が出てしまう。ただのエキストラではなくで、皆ダンサーだそうだ。
イライザの舞台を意識した大仰な振りは今一つ好きにはなれない。もっと細やかな演技ができる方なのにもったいない。
そして、ヒギンズの家、母の家のインテリアにも憧れてしまう。
オープニングの花々も、これから展開される華やかな物語りをイメージさせてくれる。
鑑賞したDVDは、補修をした版で、コメンタリーで作業に当たった方々の話も聞けた。
白い花の上に白の文字。色具合を調整するのに、苦労されたそうだ。
そのうえで、オリジナルは、細部にわたるまでこだわった作品と何度も感嘆されていた。
夢の一時に連れて行ってくれながら、人と人との関係をちくりと見せてくれる。
至極の芸も堪能させてくれる。
行間を読み直したくなってリピートしたくなる不朽の名作。
マイ・フェア・レディ
とにかく古い映画だということを忘れて見入ってしまった…。4Kで見たということもあるだろうが、映像がとても綺麗。画質とかではなく、色の使い方、構図、カメラの動き。どれをとっても一級品。最近の映画のあるあるだけど、手持ちのカメラで下手に誤魔化したりせず、ワンカットワンカット丁寧に取っているのがよくわかる。人物に合わせたカメラのパンからトラッキングまで完璧。たまに見せる引きの画も秀逸。
エンディングに関しては、もう映画の終わりとしてこれほどのものはないなというくらいにすごくいい終わり方。全映画はこの終わり方を見習った方が良い。今後の展開を匂わせつつ、観客に納得のいく終わり方にし、少しの疑問を仄めかす。
さらに、舞踏会や競馬場でのキラキラした世界の中でイライザの素性がバレるか否かというハラハラで持っていくのも上手い。それだけで観客は映画に釘付けになるのだ。たったそれだけの条件だけで。先が気になって仕方がない。
「人の弱いところが見えたか?」
見えた。音声学者の男は、女性を支配したい衝動が抑えられない。プライドが邪魔をして素直に君が必要なんだと言えない。
この未熟さにグッとくる。これによって生まれる2人の対立、さらにテーマ性まで仄めかす。
「謎があったか」
謎という謎はなかった。しかし、目を惹きつけるものとして、ハラハラ感があった。これによって物語が前に進まずとも緊張感を持ってみることができた。
名作を映画館で!
色褪せぬ名作とはこういう作品を言うのでしょう
既にDVDでは鑑賞したことありましたが、映画館の大スクリーンで観てきました
60年近く前とは思えない映像と、かつてのロンドン(撮影時よりさらに50年前のロンドン)を再現した舞台背景、そして名曲だらけ
実はミュージカルは苦手な方なのですが、歌がストーリーの展開の一部になっているように感じられる作品は好きです
若干、歌に入った時の音の違和感と、まったく飽きない前半に比べて後半が少しだれるのが残念ですが、些細なことですね
個人的に、イライザのお父さんが歌う歌が、歌詞が酷すぎて好きです(運が良ければ子が親を養うと歌いながら、子供に金をせびりにいくなど)
ヒギンズ教授も言うことがとんでもないですが、そこが良いですね
観る人によっては2人ともとても嫌なキャラかもしれませんが、それでは終わらないのがこの作品の良いところ
最後のシーン、泣いているのかわかりませんが、これ以上ない終わり方です
3時間弱ありますが、あっという間でした
原作、舞台版など色々話題が尽きない作品ではありますが、出演者がほぼ全員亡くなっているのが感慨深い
私が調べた範囲では舞台版のイライザ役である、ジュリー・アンドリュースだけがまだご存命でした
バックトゥザ・フューチャー並みに、人生で一度は観たほうが良い作品ですね
お里が知れる?!
人は言葉遣いや振る舞い一つ取ってもいろんなことが見破られてしまう、滲み出てしまうものらしい。だから、普段から気を付けないと。オードリー・ヘップバーンが見事に演じ分けていた。流石銀幕の妖精と言われる所以だ。
下品なオードリーが観れる
午前十時の映画祭13にて。
ロンドンで花を売り歩いていた女性イライザは、言語学の教授ヒギンズから下品な言葉遣いを直せば一流のレディになれると言われ、教授から言葉や礼儀作法のレッスンを受けることになった。猛特訓の結果、上品で美しいレディへと成長したイライザは華々しい社交界デビューし、大成功をおさめた。その裏で、教授は彼女について友人のピカリング大佐と賭けをし、勝ったのは全て自分のせいだとイライザの努力を全く誉めず、ショックを受けた彼女は教授の家を飛び出してしまった。さてどうなる、という話。
上品なお姫様のイメージがあるオードリー・ヘブバーンが下品な英語と振る舞いを見せてくれる珍しい作品。
いくら親身になって教えてくれても、それだけじゃ満足できず、やはり愛が欲しかったんだな、って思う。女心をもっと勉強しろよ、ビギンズ教授、という所が見所。
品の無い英語を字幕でどう訳すのか観てるのも面白かったし、パーティでのドレスを観てるのも楽しかった。
5ポンドで娘を売る父親が一番面白かった。
やはりオードリーは美しい。
最高に華麗なオードリー
サナギがアゲハ蝶に変わるようにオードリーが大変身を果たす。その姿は最高に美しい。
久々に観賞したがオードリーはもちろん、レックス・ハリソンも魅力的だなあと改めて思った。あのマスク、包容力。彼があの教授役であったことに満足。
それにしてもイライザの設定は21歳。この時、オードリーは35歳。オードリーとレックス・ハリソンの年齢差もかなり大きい。初見の時からこの違和感は拭えなかった。
作品の時間が少々長く感じた。昨今のテンポの良い映画作品に慣れてしまったせいか。
しかし日本でも「化身」、ジュリア・ロバーツの「プリティ・ウーマン」など、この手の女性が美しく開花するストーリーはひとを夢見心地にさせる。その最初の作品であることにはまちがいないと思う。
さすが午前10時の映画祭❗️ちゃんと休憩があるのがありがたい
オードリー・ヘップバーンの美しさは、何度見てもため息が出ます。字幕を見て彼女の表情を見逃すのがもったい無いので、ストーリーは追わずにヘップバーンの顔と仕草を中心に堪能させていただきました。
あらためて見直すと、ヒギンズ教授の歌やセリフの中の女性観はとても差別的で、現在の感覚では間違いなくNGですね。でも、人の気持ち(女性に限らず)を理解できない自分の至らなさを、相手のせいにしようとする性向は、自分の頭で考えることが苦手な男に多いので、今でも他人事ではない。
もうひとつ、久しぶりの鑑賞で気づいたこと。
ヒギンズ教授の母親とピカリング大佐の二人が、人間の善性をこんなにもハッキリと代表して描かれていたこと。もちろん、上位の階級にいる者からの上から目線的なものではあるけれど、この時代の作品としては、かなりの配慮だと思います。また、イライザの父親が見せた、金持ちになることへの微妙な恥じらい(中産階級のプライドなんて現金の前では…)もさりげなく人間性の複雑な一面を示しており、なかなか深い映画であることも分かったのでした。
タイトルなし
イライザもそのお父さんも人間としては完成していて、だからこれは、ミソジニー全開マザコンマッドサイエンティストことヒギンズの成長譚でなくてはならないはず…と思いながら見ていたが……そうなりそうでならなかった、ラストがとても残念だった。イライザ、戻っちゃうのね。
そういう意味で、これはミュージカルでなくてはならない、嘘くさい作り物でなくてはならない、と思った。(ミュージカルって脇から都合よく人が出てきて椅子を置いたりお野菜渡したりするでしょ。)
それまでイライザを物とも変わらぬ扱いをしていたヒギンズが、氷嚢を共有した途端にイライザがヒギンズの世界の言葉を使い出すという演出はハッとした。痛みを共有できる対等な人間扱いだね。だからこそ結末にモヤモヤ。エブエブの結末と似てるのかなぁ。
まあ、録音室というか特訓室に写真がベタベタ貼ってあるのを見た瞬間から「惚れてますやん…」という演出ではある。
言語とは、表面を取り繕うものにすぎないし人間の間をツルツル行き交うメディアにすぎないという側面と、人のアイデンティティに深く根ざしたものであるという側面と、両方あるということ。それ故にいわゆる上流社会の上っ面をイライザは暴いたし、それ故にイライザは深く傷つき変わった(変わってしまった)。
オードリー・ヘプバーン七変化
午前十時の映画祭にて鑑賞。
ヘプバーンの台詞、衣装、表情のバラエティが豊かで、時々で可憐であったり綺麗であったり多面な魅力がある。
父親が典型的なダメオヤジとして描かれていたが、求めすぎない分相応な生き方は嫌いじゃなくて憎めない。
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