処女の泉
劇場公開日 2018年7月23日
解説
スウェーデンが生んだ世界的巨匠イングマール・ベルイマンが、敬虔なキリスト教徒の娘に降りかかった悲劇と父親の復讐を通して“神の不在”を描いたドラマ。16世紀スウェーデンの田舎町。豪農のひとり娘カリンは、教会へ向かう途中で3人の羊飼いに出会う。貧しそうな3人に食事を施すカリンだったが、彼らはカリンを強姦した上に殺害してしまう。娘の悲劇を知ったカリンの父テーレは、復讐心から3人を惨殺するが……。2013年、デジタルリマスター版でリバイバル公開。2018年の「ベルイマン生誕100年映画祭」(18年7月~、YEBISU GARDEN CINEMAほか)でもリバイバル上映。
1960年製作/89分/スウェーデン
原題:Jungfrukallan
配給:ザジフィルムズ、マジックアワー
日本初公開:1961年3月
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2022年5月1日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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構図や表現力はよくわかりませんが面白かったですよ、緊張感あって。映像美というか描写は終始不穏な殺気たっぷりで。撮り方はようわかりませんが現代ならなんぼでもこれくらいの絵あるんでしょう、でもシンプルでセンスむきだしでよかったです。子供投げ殺すのはむごいなと思いましたが、豪農パパは憎まれ妬まれる立場でありながら信心深く潔白に生きようとしている、それでもなおていう設定にため息出そうでしたね、そんなにキリストが憎いですかと。十字軍の北欧ぽいテーマやなとも思いました。
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娘が殺されてから、重々しい雰囲気だった。こんなことが起こるなんて、神は存在しないのか、それとも沈黙しているだけなのかと、誰でも悩んでしまうと思う。ただ、最後、神の存在を暗示させるかのように、泉が湧いてくるという感動のエンディングとなる(タイトルから、なんとなくは想像できたが)。
それにしても、この物語の設定は悲惨すぎる。純粋無垢な天使のような娘をレイプされ、殺された父親の心境を思うと胸が痛い(天使のような娘でなくても同じかもしれないが)。犯人が分かった時点で、自分だったらどうするかと考えてしまう。「ドッグヴィル」(トリアー監督)の主人公に相談したら、みんな殺してしまえと言ったかもしれないな(笑)。
2020年12月19日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
まず映像の美しさが半端じゃない。光と影の使い方、構図、カメラワーク、厳格で洗練された映像。主題は信仰について。オーディンへの祈り、メシアへの祈り、それぞれの神に祈りを捧げる人々。しかし、想像を超えるオーディン(憎しみ)の邪悪さと、メシア(救い)の無慈悲さ...。毎日祈っていたにも関わらず、いざという時には最愛の人を守ってくれず、復讐心に取り憑かれた自分をも止めてくれなかったメシア。しかし、教会を立てると誓った場所には奇跡を魅せるという不条理さ。その不条理な奇跡を見て神の存在を感じ、感動する人々...。結局何も解決していないのに、この先も性懲りも無く神に救いを求め、翻弄され続ける人生を繰り返し続けることを予感させるラスト。何という皮肉めいたラスト...。詰まるところは人間の弱さと脆さ。上質で巧妙な寓話に現実を突きつけられた。
2020年5月16日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
16世紀のスウェーデンの風景描写の美しさ。中世の質素な食事風景や木造家屋の室内外、そして森や川や木立などの自然描写が、名手スヴェン・ニクヴィストのカメラで絵画の如く再現されている。主題はベルイマン永遠の追求である信仰と現実の相克だが、今作は性暴力と殺人の残酷極まりない題材を扱っているため、その主張は分かり易く直接的だ。偶然にも日本公開の1961年にはヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ふたりの女」もあり、当時のフェミニズム表現の影響が少なからず感じられる。ただ日本公開当時は検閲で性暴力シーンはカットされてしまった。
ベルイマンの演出は演劇の凄さである。役者の台詞の発声、呼吸の取り方、表情の固定は舞台の表現そのままに、カメラワークの視点の変化で人物表現の多様で複雑な広がりを成立させている。舞台空間をベルイマンの視点と同時に窺いみることで、その演劇の完成された純度に圧倒されてしまう。ベルイマン映画の中でも理解しやすい内容と主題の鮮烈な傑作であった。
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