殺陣師段平(1962)
劇場公開日:1962年9月30日
解説
長谷川幸延原作を「椿三十郎」の黒澤明が脚色、「大学の纏持ち」の瑞穂春海が監督した芸道もの。撮影は「江戸へ百七十里」の今井ひろし。
1962年製作/86分/日本
配給:大映
劇場公開日:1962年9月30日
ストーリー
大正の初年、演劇が芸術に偏し大衆から離れていくのを覚った沢田正二郎は、松井須磨子の「芸術座」を脱退、「時代よりも半歩前進」を唱えて「新国劇」を創立した。ときに、沢正二十六歳。ところが旗上げ興行は無残にも失敗、一座は東京を後にした。--それから二年、沢田は剣劇ものに活路を見出そうとした。喜んだのは殺陣師上りの一座の頭取、市川段平である。だが、無智無学な彼には沢田の言うリアルな立ち廻りというのが分らない。冷たい沢田の言葉に絶望した段平は泥酔して暴れた。急を聞いて沢田が駈けつけた。「……わいはな、撲られながら立ち廻りの研究してたんや」思わず段平をみつめる沢田。段平のヒントをもとにした立ち廻りは、俄然、巷の評判を呼んだ。意を強くした沢田は一座と共に数年ぶりで東上し、明治座で第一回公演のあと、浅草に根を下ろして「右に芸術、左に大衆」の理想に突き進んだ。そして、いつまでも立ち廻り芝居に溺れては、と狂言なども手がけていったが、立ち廻りだけが恋女房と考えている段平には、それが不満でならなかった。そんな時、大阪から女房お春の危篤を知らせる電報が舞い込んだ。家へ帰るようにいい聞かせる沢田に、段平は「もう用がないさかいわてを追い出すのんか」と喰ってかかり、果ては立看板に斬りつける仕末たった。 --五年後、磐石の礎を築いた沢田の一行が京都を訪れた。今は裏長屋で中気の余生を送っていた段平はそれを聞くや、絶対安静の禁を犯して家を出た。驚いて駆けつけて来た娘おきくの知らせで、沢田は南座の三階に段平を発見した。襲いかかる死の影と必死に闘いながら新しい殺陣を沢田につける段平の姿に座は激しく打たれて声もなかった。まもなく段平に静かな死が訪れた。殺陣に憑かれた男の手は刀代りの衣紋竹をしっかり握ったままであった。