銀座カンカン娘

劇場公開日:

解説

製作は「流星」「グッドバイ(1949)」の青柳信雄、脚本は「春の戯れ」につぐ山本嘉次郎と元日活協同プロダクション、プロデューサー、朝鮮映画製作部長をしていた中田晴康が戦後初の協同執筆、監督は「今日われ恋愛す」「グッドバイ(1949)」の島耕二、キャメラは「グッドバイ(1949)」の三村明がそれぞれ担当する。出演は「花くらべ狸御殿」「我輩は探偵でアル」につぐ灰田勝彦「グッドバイ(1949)」の高峰秀子のほか岸井明「結婚三銃士」の笠置シヅ子らが共演している。

1949年製作/68分/日本
配給:新東宝
劇場公開日:1949年8月16日

ストーリー

落語家の新笑は、いまは引退して妻のおだいと、子供とささやかな生活を営んでいたそこへ居候として入ってきたのが、新笑が昔世話になったという恩人の娘お秋と、お秋の友人のお春だった。二人の明朗な娘達は朝から歌をうたって、おだいをイライラさせる。新笑の甥の武助は、会社の合唱隊を組織して歌に精進しているし、お春は声楽家、お秋は画家と、いずれも芸術家としての意欲にもえていた。しかし一文なしの娘達には、絵の具もピアノも買うことは出来ず、そうかといってブラブラといつまでも遊んでいる訳にも行かなかった。お秋が職さがしに出かけようとすると、おだいにポチを捨ててきてくれと頼まれてしまった。ポチをつれたお秋が捨場に迷っているとある映画会社のロケ隊に出会った。しかもその撮影に是非ポチと一しょに出てくれという話になり、一日だけエキストラとしてキャメラの前に立つことになった。撮影は進行して、女優の山田美恵が池の中に放り込まれることになって、ハタと困ってしまった。というのは山田嬢が、ガンとして承知しないのである。そこで代役を使うことになったので、お秋は早速お春をよんできて、代行させた。おかげで二人は千円という大金を手にすることが出来たのだった。そのエキストラで知り合った白井哲夫の世話で二人はバーで歌をうたうことになった。バーからバーへ毎夜銀座の裏から裏へ、白井の伴奏で三人は働いた。おかげでお秋もお春も、小ざっぱりした洋服と、いくらかの貯金も出来た。新笑の家では、生活も苦しく、しかも月一杯に十万円払い込まないと家を追いたてられると聞いて、恩返しはこの時とばかり、三人で十万円を送って新笑の苦境を救ったのだった。そのころから武助も会社をクビになったので三人の中に加って、武助とお秋、白井とお春の青春コンビは、カンカンブギウギのリズムと共に、親密さを増していった。新笑も引退しているような時代ではないと、再び落語家として第一線で活躍することになったその高座復帰のおひろめの夜は、急テンポで結ばれた、武助とお秋の婚礼ひ露の晩でもあったのだ。

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映画レビュー

3.5歌あり、お笑いあり、落語ありの、爽やかなrevue(演芸レヴュー)

2024年5月14日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

楽しい

単純

幸せ

あれで「終」が現れるとは(笑)。
この終わり方は、私にとっては初めてだった。それだけでこの映画のインパクトが強くなる。
尤も、「終」が消えて、画面が暗くなっても、寄席の終わりの楽曲は流れる。寄席から帰るイメージ。
師匠の「ご退屈様」という挨拶も粋だね。

映画は68分。
浦辺さん演じるおだいの台詞で簡単に登場人物と立ち位置が説明され、
要所要所に歌が挟まれ、ストーリーが進む。
この映画の解説者・志田一穂氏は「ジェットコースターのように進む」と説明されたが、
物語に大きな起伏はない。展開は早い。
武助とお秋の芸術論がどう展開していくのか、
上手くいっていた銀座の流しにケチが入り、さあこの後どうなるとか、
武助の決心からの、恋の展開がどうなるとか、
等、期待すると、あれあれあれ…?
するすると話が大円団に進んでいく。

映画界で人気を誇っていた高峰さん、歌手で人気を誇っていた笠置さんの二人をW主演で作った娯楽映画。
そこに、ヨーデル等で人気の灰田氏、コメディアンとして人気の岸井氏、落語家の古今亭志ん生師匠に、浦辺さんという芸達者達が加わる。
 高峰さんや笠置さんの歌がミュージカル風に掛け合う。
 『トトロ』の舞台にもなりそうな田園風景と空に、灰田氏の伸びやかな歌声が響く。
 岸田氏の(笑)の演出はベタでありながら、ドリフのコントや昭和のホームドラマを思い出させてくれる。年代的にはこちらが先か。そしてコメディアンの岸井氏の歌声も良い。お秋・お春・武助だけだとどこかに飛んで行ってしまいそうであるが、白井がよい重しになっている。
 銀座の流しで歌う歌は数曲あれど、やはり『銀座カンカン娘』が多い。だが、それぞれ、歌詞を変えたり、アレンジを変えたりしており、なぜか飽きない(飽きそうになったところで終わったともいえるが)。
 そして、幕間的に(失礼!)、師匠の落語練習シーン。蕎麦の食べ方に唸ってしまう。
 トリに、師匠の落語。
 演技はやはり、高峰さんと浦部さんの間の取り方が絶妙。他のメンバーの微妙な演技を、うまくつないで”芝居”にしている。

コメディと言う割には、笑いは出るけれど、ベタベタのコメディではない。お秋の衣装や犬のエピソードで、どこか、『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』を連想させ、牧歌的なイメージ。

ミュージカル。だが、心象を謳いあげるという楽曲はない。歌の好きな仲良し(少女と言いたくなるような)娘が、日常生活の何もかもを歌にしてしまうようなシーンや、会社をクビになったことよりコーラス部がつぶれたことの方がショックな歌好きサラリーマンが気候の良さにつられて歌うシーン、そして後は流しのシーンなので、歌がうまく生活に溶け込んでいる。

と、鑑賞し終わった後は「ああ、楽しい時間だった」と会場を後にする。特に、感動とかもなく、少々物足りなさもあって、☆3つくらいかしらと思ったのだが。
なぜか、リピートしたくなる。不思議な映画。

☆  ☆  ☆

解説者の志田氏によると、師匠の落語シーン映像はあまり残っていないので、それだけでも貴重なのだそうだ。

それだけではなく、赤坂離宮でのロケ!

笠置さんが歌が上手いのは当然だが、高峰さんも上手い。『銀座カンカン娘』を笠置さんの歌かと思っていたが、あながち間違いではないようだ。レコードになったのは高峰さんの歌の方だが。
 上にも記したが、演技は高峰さんの方が上手い。だが、舞台に立って歌を披露するシーンになると笠置さんの見せ方の方が目を引く。その対比で、お秋が恥ずかしがり屋の少女に見える。これだけ歌が上手いのに、絵描きの設定?と思ったが、さもありなん。

笠置さんには失礼ながら、『買い物ブギ』の印象が強くて”下町のおばちゃん”のイメージが強かった。だが、この映画でのふるまいの美しいこと。手をお秋とお春と交互に出して上に登らせていくシーンがあるのだが、スッとしていて美しい。映画を撮っているシーンもあるのだが、そこに銀幕の女優として出ている方より、笠置さんの方がターンの仕方とかが美しい。そして繰り返すが歌を披露するシーンの見せ方。ああ、大阪松竹少女歌劇団で鍛えた方なのだなあと思った。

と、芸達者な方々の芸を楽しむ映画でもある。

☆ ☆ ☆

”カンカン娘”。
 志田氏の解説や、Wikiによると、この映画の脚本家・山本氏の造語だそうだ。
 当時、街にあふれていた「パンパン」に対して、「カンカンに怒っている」という意味が込められているとのこと。志田氏の解説によると、パンパンをしている女性に対して怒っているのではなく、女性がそんなことをしないと生きていけないようになっている当時の状況に対して怒っているのだそうだ。

 そんな説に、『世界の民謡・童謡』の『銀座カンカン娘 歌詞と意味 映画主題歌』(作者名見当たらず。ネットで拝読)が、疑義を唱え、”フレンチ・カンカン”他の説も出して、解説しており、おもしろかった。

 とはいえ、Wikiや志田氏解説の説もあながち遠からずと私は思う。
 映画の中でも、パンパン?と思わせるような女性が出てくる。
 師匠が「パンパン娘」と間違えて歌い、孫に「カンカン娘だよ」と訂正されるシーンがある。単に間違えたならば、編集でカットして撮り直せばよいのに、わざわざ残しているのは、やはり、ベースにこの説の思いがあるのではないか。
 『銀座カンカン娘』の歌詞も、1番と4番は恋した少女の想いでかわいらしい。だが、2番・3番には「私のジャングル 虎や狼怖くはないのよ」「指をさされて ~ ちょいと啖呵も 切りたくなるわ 家はなくても お金がなくても 男なんかにゃ だまされまいぞえ」と、危険や誹謗にさらされながらも生き抜こうとしている女性の想いになっている。この一人で生きていこうとする女性はパンパンをしていた人だけではないだろうが、やはりどこかにはこの説の思いがあったのではないだろうか。そんな歌が明るく爽やかに歌われていて、私には頑張っている女性を認める応援歌にも聞こえる。最初の円形の舞台のある店では男性客の方が多いが、店によっては女性客しか映し出さないシーンもある。

 また、Wikiには『カンカン帽』からきているという説も記されている。この映画にしかない歌の歌詞にはカンカン帽をかぶっているようなところもある。

 作詞者をはじめ、脚本の山本氏等の解説はないので、想像するしかないが。

☆ ☆ ☆

お気楽に楽しいだけの映画に見えるが、”カンカン娘”への意味づけの他、はっとさせられるような台詞もある。

流しでありありの、酔客からの絡みからごろつきに絡まれるシーン。相手をのしてしまう強さではなく、我慢できる強さという概念。それにひかれるお秋。
 終戦から4年。意味づけしたくなってしまう。

また、やられた武助とお秋のこのシーンのバックには、USA映画の壁面ポスター。志田氏が解説してくれたが、忘れてしまった(笑)。

簡単に作られた映画のようだが、それぞれの思いがこもった映画なのだなあと改めて思った。

とはいえ、頭空っぽにして楽しめる映画です。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

始まる前後に志田氏の解説付き図書館イベントにて鑑賞。
映画が始まるまでの時間、この映画に出てくる以外の、いろいろなミュージシャンによる、いろいろなアレンジの『銀座カンカン娘』が流れていた。粋な演出だった。

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とみいじょん

3.5【戦後の東京で生きる若者達が、明るくブギを歌い前向きに生きる姿を描いたミュージカル風コメディ。高峰秀子さん、歌巧いなあ。下宿先の主人古今亭志ん生師匠の軽妙洒脱な喋りが観れるのも貴重な作品です。】

2024年4月8日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

楽しい

知的

幸せ

■お秋(高峰秀子)とお春(笠置シヅ子)はそれぞれ画家と声楽家を目指し、貧乏ながらも楽しく暮らしていた。
 ある日、イヌを連れたお秋は偶然映画のロケ隊に出会い、銀座で艶歌師をしている白井と知りあう。お秋とお春、白井の3人は、銀座のキャバレーを次々と歌い回ることにしたが、これが受けてお金を稼ぐ事に成功する。

◆感想

・貧しさを歌で吹き飛ばす若者達の姿が、観ていて気持ち良い。

・お秋とお春は稼いだお金を昔型儀の主に渡そうとするが、それを固辞する主。けれども、軽妙洒脱な話をして、そのお金を有難く貰うシーンも、江戸っ子だねえ。

■下宿先の主を演じた古今亭志ん生師匠が、名人芸を披露しているのも貴重である。

・キャバレーで酔客から絡まれたお秋を助ける武助(灰田勝彦)が彼らをぶん投げるが、その帰りに待ち伏せしていた彼らに、武助は手を出さないシーンも良い。
 ”何で、やっつけちゃわないのよ。”と憤慨するお秋に対し、武助が言った言葉が良い。
 ”僕は、あんな奴らと命の遣り取りをしたくないんだ・・。”
 で、お秋は武助に惚れるのである。

<今作は、戦後の東京で貧しく暮らしつつも、歌で明るく生きる若者達の姿が、気持ちの良い作品である。
 序でに言うと、今作は私が生まれる遥か前に公開されているが、何故か”銀座カンカン娘”が歌えてしまうNOBUでした。何故?>

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NOBU

3.0戦後4年しか経っていないのに

2024年3月9日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

笑える

楽しい

幸せ

引退した落語家(五代目古今亭志ん生)の家に居候する二人の女(高峰秀子、笠置シズ子)は脳天気な明るさで、金がなくてもなんとかなるさで、映画のエキストラで稼いだ。
そのあとは落語家の息子(灰田勝彦)も加えて、銀座で流しを始め・・・。
あの焼け野原が4年で、もうきれいになっていた。
当時、高峰秀子と笠置シズ子に元気をもらったのでは。

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いやよセブン

3.5戦後4年なのにこの明るさ、のどかさ!

2024年2月27日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

主人公達の住処は何処なのだろう。銀座にしょっちゅう通える場所にあんな田園風景が広がっているとは。ほとんどの道が舗装もされておらず。白黒なのに緑や空の色が見えてきそうな明るさ、のどかさ。プチミュージカルのような高峰秀子や笠置シヅ子達のあっけらかんさ。つい4年前まで本土決戦を叫んでいた同じ世界とは思えない。いやそんな空気を作り出すべく制作陣が必死の思いで団結したのだろうな。トランペットの岸井明、戦後4年しか経ってないのにあんな丸々とした人いたんだなぁ。エンディングの唐突な志ん生の独演会は特典映像みたいなもんか。何言ってるか分かりづらいけど…
戦争のトラウマなんかさっさと吹き飛ばしてしまえ!という意気込みみたいなものを感じて、喜劇なのに観ているうちに涙が出てきてしまった。

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あっきゃん