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映画「機動警察パトレイバー2 the Movie」 機動警察パトレイバー2 the Movie 劇場公開日 2021年2月11日
解説 押井守監督が手がけた人気オリジナルビデオアニメーション「機動警察パトレイバー」の劇場版第2作。2002年、突如として横浜ベイブリッジが爆破される事件が発生。自衛隊機によるものと報道されるが、該当する機体は存在しなかった。同様の不審な事件が都内で相次ぎ、警察と自衛隊の対立が深刻化。事態を重くみた政府は実働部隊を治安出動させ、東京は事実上の戦争状態に置かれてしまう。警視庁特車二課第2小隊隊長の後藤らは、東京に戦争を再現させてみせたテロリストの正体とその真相を追う。竹中直人、根津甚八が声優として出演している。2020年にシリーズ誕生30周年突破を記念して前作が4DX上映されたことに続き、2021年には「機動警察パトレイバー2 the Movie 4DX」と題して本作も体感型上映システム「4DX」で公開される。
1993年製作/113分/日本 配給:バンダイナムコアーツ 日本初公開:1993年8月7日
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2021年2月28日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
この映画の公開が90年代前半で、PKOで自衛隊が死ぬところから物語が始まるわけだが、当時のアニメ映画は、現実の社会問題をそんなにダイレクトに反映していたのだと、改めて見直して驚いた。ちょうどPKO派遣問題と憲法解釈問題が大きく議論されていた時期にその議論のど真ん中を行くような内容だ。 日本の戦後の反映は結局アメリカの核の傘のおかげで、世界にある戦争の現実に向き合わずにすんだから達成されたにすぎない。そして、そんな他国の犠牲の上に成り立っているという見立ては強烈に鋭い。この映画の公開から随分月日はたったが、いまだにこの国は世界の現実に向き合うことができていないのではないかと思う。この映画の問題提起は2021年現在も十分に通用するものだ。 映像の完成度も極めて高い。一枚絵で部屋に飾りたくなる美しいショットがたくさんあって見惚れる。
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最後の方から面白くなった 10年ぶりぐらいに見て内容を理解できた 何回か観る必要ありそうだな
2021年11月26日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
1 本作のテーマ 第二次大戦の敗北により、戦後日本は憲法第9条を中核とする平和主義を絶対的な枠組みとして統治機構が構築、運営されてきた。 それは日米安保を裏付けにしたものであり、換言すれば外交・安保はすべて米国に依存しつつ、経済的繁栄のみ追求する「普通でない国」の歴史だったと言える。東西冷戦体制があったから、それでも差支えなかったのだ。 しかし、本作が公開される4年前にソ連は崩壊、東西冷戦体制は終焉を迎えた。世界情勢が流動化し始めた中、日本は戦争を絶対悪とする戦後平和主義のぬるま湯にいつまでも安穏としていていいのか、という問題提起が本作のすべてである。 2 ポリティカル・シチュエーション・ムービー 冒頭の国連PKOに参加した自衛隊のシーンでは、PKO参加五原則により武器使用が正当防衛等に限定される中、それを硬直的に運用した指令官の武器使用不許可により部隊を全滅させる柘植が描かれている。憲法9条は国際紛争に無力であり、柘植はその犠牲者である。 その怨念を秘めつつ、柘植は日本の安全保障体制の改革=世直しを目指すグループを自衛隊内部に結成し、偽装テロによる安保意識覚醒を目指す。 それはきわめてラジカルなもので、ベイブリッジ爆破から航空網寸断、さらには主要権力施設の破壊にまで及び、さらに生物兵器で首都全体を脅威に晒すものであった。この過程で治安維持や安全保障といった国家システムは大混乱に陥り、挙句の果てに米国の介入通告さえ招くにいたる。 その混乱から日本の安全保障体制が再構築されることを期待する――おそらくはそれがグループの狙いであり、柘植の怨念の解放と願望だと思われる。 偽装テロを仕掛ける柘植の戦略は周到であり、これに対峙する後藤たち特車2課もキャラクターが鮮やかで、テログループの存在感が薄いほかは、文句のつけようがない。 3 戦後平和主義体制批判の論理 押井守は見事なレトリックを駆使して平和主義日本を批判する。以下、登場人物のセリフから戦争・平和論議をみてみよう。 〈荒川:俺たちが守るべき平和…だが、この国のこの街の平和とはいったい何だ? かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争、そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争…そういった無数の戦争によって構成され、支えられてきた血塗れの経済的繁栄。それが俺たちの平和の中身だ。 戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。正当な対価をよその国の戦争で支払い、そのことから目を逸らし続ける不正義の平和。 後藤:そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺たちの仕事さ。不正義の平和だろうと、正義の戦争よりよほどマシだ。 荒川:かつて正義の戦争を口にした連中に碌な奴はいなかったし、その口車にのって酷い目に遭った人間のリストで歴史の図書館は一杯だ。だが、正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘つきたちの正義になってから、俺たちは俺たちの平和を信じることが出来ずにいるんだ。 戦争が平和を生むように平和もまた戦争を生む。単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか?〉 荒川が指摘するのは、世界が緊密につながる中、日本の経済的繁栄は同盟国等の兵士が生命を懸けて贖ったもので、平和主義は偽善だということである。 これに対して、偽善の平和でも生きていた方がましだ、と後藤は反論する。 荒川の再反論は、日本人もPKO活動のように戦争に関わらざるを得なくなっていくし、本当は誰も信じない偽善の平和はやがて自ら戦争をまねくというのである。 また、ラストの戦闘シーン前には、次のような会話が交わされる。 〈後藤:この街はリアルな戦争には狭すぎる。 荒川:戦争はいつだって非現実的なものさ。戦争が現実的であったことなど、ただの一度もありゃしないよ。〉 後藤のセリフは、日本人にはまだ差し迫った対外的な危機意識が存在しないという主張だろう。対して荒川は、戦争は個々人の意識と無関係に勃発するのだ言っているようだ。 これらの受止め方は見る側の政治意識により大きく変わるだろうが、評者はもちろん荒川の意見に全面的に賛同する。後藤が荒川より説得的とは言えまい。 4 評価 本作は押井守の最高傑作である。これ以前にもこれ以後にも、本作以上の映画は撮れなかったし撮れないと思う。 ちなみに本作から28年を経た現在も、政府の自衛隊敵基地攻撃能力に関する公式見解は、「自衛隊は、現在、敵基地を攻撃することを目的とした装備体系を持っていないことから、敵基地に対し軍事的に有効な攻撃を行うことは、現実の可能性として極めて難しい」と、お花畑状態である。押井の戦後平和主義体制に対する問題提起は、いまだ有効と言えよう。
2021年11月24日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
10代で観たときよりも500倍は面白かった。 登場人物たちが東京で戦争をする目的と、押井守がこの映画を作ること(東京で戦争する映画を作りたい!)が完璧に一致していて、その強度がこの映画の骨格となっていて実に見事だった。 この屁理屈の虚構こそ、映画、の作家性に思う存分浸った。
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