劇場公開日 1955年1月15日

浮雲 : 映画評論・批評

2020年6月2日更新

1955年1月15日よりロードショー

※ここは「新作映画評論」のページですが、新型コロナウイルスの影響で新作映画の公開が激減してしまったため、「映画.com ALLTIME BEST」に選ばれた作品の映画評論を掲載しております。

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日本映画史に燦然と輝く恋愛メロドラマの最高傑作

あの小津安二郎をして「おれには撮れないシャシン(映画)」と言わせた、日本映画史に燦然と輝く恋愛メロドラマの最高傑作。終戦後の日本を舞台に「腐れ縁」で結ばれた一組の男女を静かに凄絶に描いている。

監督は成瀬巳喜男。「ヤルセナキオ」の異名で知られ、時代劇や喜劇、芸道ものや国策映画、さらにサスペンスと、37年のキャリアで67本もの作品を手掛けたが、やはりこの「浮雲」を頂点とする、日常の中に女性を描いた叙情的な作風が真骨頂である。

独自の演出法で知られた成瀬監督。脚本のセリフを極限まで削る、翌日分のカット割やメモの書かれた自分の台本は一切誰にも見せない、複雑な動きのある切り替えしや中抜きを得意とし、事前に頭の中で完璧な映像を組み立てて現場入りした、遠景や後ろ姿だけの撮影でも俳優に衣装やメイクをフルに施した、残業はなくスケジュールをきっちり守るなど、プロを感じさせるエピソードには事欠かない。

大掛かりな撮影を嫌い、本作でも冒頭の亜熱帯の植民地、闇市や温泉街などのほとんどを現地ではなくスタジオのセットや近場のロケ撮影でこなしている。また、話の本筋とは関係なく、ちんどん屋、路地裏で遊ぶ子供たちを登場させる事が多かったことも知られている。


国際映画祭に積極的に出品されなかったからか、小津、溝口、黒澤と比較して海外での知名度は劣るが、ヨーロッパを中心に本作や「女が階段を上る時」「流れる」などが流通しており、レオス・カラックスダニエル・シュミットアキ・カウリスマキエドワード・ヤンといった面々から敬意を寄せられている。

日本でも成瀬作品の助監督だった石井輝男監督が熱狂的な支持を表明、生誕百年の2005年を一つのピークに、今も回顧上映が満員になる巨匠の1人である。緒方明監督の「いつか読書する日」、最近では行定勲監督の「ナラタージュ」など、成瀬作品へのオマージュを宣言している作品も多い。

さて、この「浮雲」だが、第2次大戦下の仏印(現インドシナ半島)、戦後の東京、伊香保、鹿児島そして屋久島と、運命にもてあそばれる男女の道行きが凄みをもって描かれる。赴任先の同僚で妻ある男と離れられず、米軍兵士の一夜妻、義兄の囲われ者と、見事なまでに身を堕としていくヒロイン幸田ゆき子を演じた高峰秀子の鬼気迫る哀感も素晴らしいが、そのゆき子をはじめ、出会う女すべてを魅了し悲劇へと引きずり込むオム・ファタル、森雅之演じる富岡の造形は男の色気そのものを体現しているようだ。

主演の森と高峰は、終戦直後の時代性を表現するため、過酷な体重制限を課され、銀幕にリアルな悲壮感を漂わせる。2人は常に死の影を感じさせ、映画は余りにも暗く重苦しく、ひたすら貧しく報われない。ラストの森雅之の背中には「絶望」と言う字が書いてあるかのようだ。しかし、これも人生、人の営みなのだ、ということを教えてくれる名作中の名作として、年齢や性別に関係なく一度は見て欲しいシャシンです。

本田敬

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