浮雲

ALLTIME BEST

劇場公開日:

解説

名匠・成瀬巳喜男が林芙美子の同名小説を映画化し、日本映画を代表する1作として語り継がれる名作メロドラマ。戦後の荒廃した日本を舞台に、腐れ縁の男女の愛の顛末を描く。戦時下の昭和18年。タイピストとしてインドシナへ渡った幸田ゆき子は、技師の富岡兼吾と出会う。富岡には日本に残してきた妻がいたが、2人は恋に落ちる。終戦後、富岡はゆき子に妻との離婚を約束して日本へ戻る。しかし遅れて帰国したゆき子が東京の富岡の家を訪ねると、富岡はいまだに妻と暮らしていた。そんな富岡に失望したゆき子は別れを決意するが、結局離れることはできず、2人は不倫の関係をずるずると続けていく。ヒロイン・ゆき子を高峰秀子、相手役の富岡を森雅之がそれぞれ好演。

1955年製作/124分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1955年1月15日

スタッフ・キャスト

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映画評論

映画レビュー

5.0ヤルセナキオ‼️

2023年9月29日
PCから投稿

泣ける

悲しい

興奮

この「浮雲」は成瀬巳喜男監督の最高傑作と言われてますが、成瀬巳喜男監督のフィルモグラフィーの中では極めて異色の作品だと思います‼️成瀬巳喜男監督といえば1951年の「めし」以降、平凡な市井の人々、わびしい夫婦の日常をゆったりとしたタッチで微笑ましく描いた作風をお家芸としていたと思うのですが、この「浮雲」はかなり残酷です‼️容赦ないです‼️どうしようもなく煮え切らないダメ男と、それと知りながら彼を愛し続けていくことで、次第に堕ちていく哀れな女の生態を哀切に冷徹に描いております‼️戦争中の南方で知り合った二人は帰国後もズルズルと関係を続ける。女はアメリカ兵のオンリーとなるし、男は仕事がうまくいかないし、その上温泉宿の女将と同棲したりするし、女も義兄の囲い者になったり、挙句の果ては二人で屋久島に流れていき、病で女は死んでしまう・・・これも人間、これも男と女、これも愛、胸にナイフが突き刺さるような映画ですね‼️スゴいです‼️男の小ずるさを完璧に表現した森雅之さんの至芸、女の哀れさを演じる高峰秀子のつまらなさそうな所在なさそうな表情と演技‼️ウマいです‼️南方に始まり、焼け跡のボロッちーホテルや汚い小屋、長岡温泉、ラストの屋久島と次々と舞台を変え、浮雲のように漂いながら繰り返される二人の会話の悲しさ、切なさ、愚かさ、そのピッタリ合った呼吸が見事ですね‼️しかもコタツに入りながらとか、ローソクの灯の下でだったりとか、そのシチュエーションもミョーに印象に残ってます‼️登場人物全てが不幸のどん底にたたき落とされる悲しい映画なのですが、女たらしのぐうたら男が、女の亡骸を抱き、嗚咽するシーンで締めくくる、成瀬監督の心憎い演出‼️救いがないようなラストですが、逆に観ている者もこのラストで救われたのではないでしょうか⁉️女は命を落とすことで、ようやく男の心を本当に摑むことができたのですから

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活動写真愛好家

4.0望んでも手の届かない理想的な家庭への思いが…

2023年8月19日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

小津安二郎監督の
「俺に出来ないシャシンは溝口の祇園の姉妹と
成瀬の浮雲だ」との有名な言葉を
ある方からこの“映画.com”で教えて頂き、
「めし」「山の音」に続いて
この「浮雲」を再鑑賞した。

内容についてはかなり記憶も薄れていたが、
改めての鑑賞では、
廃退的な主人公の生き様にも関わらず、
何故か作品の世界に引き込まれてしまった。

小津のコメントは、もちろん作品の完成度の
ことはあるのだろうが、
それだけに留まらない「俺に出来ない…」の
意味が少しは分かったような気がした。

この作品にしろ、
溝口の「祇園の姉妹」にしても、
小津が描く主人公達とは、
その置かれている状況自体が
違っているように感じる。

表面的にも、
家庭という形が初めから無いか、
あっても有名無実化している2作品の
主人公達に比べ、
小津の取り上げる主人公達の家庭は、
人間関係の上でも経済的にも安定しており、
その上での、苦悩・葛藤・喪失感への
家族の心のひだを細やかに小津は描く。
一方、溝口と成瀬の
上記の2つの作品の登場人物は、
ギリギリの生活からの
やむを得ない選択の毎日から
安定した家庭を望もうにも手が届かず、
でも、その中で理想の家庭を希求してもがく
人間像という点で
前提そのものが大きく異なることが、
「俺に出来ない…」発言に繋がっている
ようにも想像した。

今回、連続鑑賞した成瀬3作品の主人公達に
共通して感じたことは、
望んでも手の届かない理想的な家庭への
思いだったが、
それを登場人物を通じて繊細に描く演出に
長けた成瀬巳喜男は、
やはり日本映画の代表的な監督の一人
のように感じる。

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共感した! 5件)
KENZO一級建築士事務所

3.5二人の情念のさまよいを、見事に描ききった作品。

2023年8月17日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

小津監督が「俺には撮れん」とおっしゃったことが有名な映画。
 小津監督の映画は『東京物語』『早春』『秋日和』しか鑑賞していないけれど、確かに、この映画は小津監督には撮れないと思う。小津監督の様式美に合わないと思う。『早春』にも不倫は出てきたけれど、グダグダさが違う。
 コメディチックな要素のある小津監督作品。
 この映画では…。描かれていることが廻り回ってブラックコメディだとしても、それは、自分の心を、普段の生活を覗き見て出てくる、シニカルな笑い。

成瀬監督作品初鑑賞。
評価の高い作品と聞く。だが、初見では、高峰さんを見る映画かと思った。
 高峰さんの映画も『二十四の瞳』しか観ていない。だから、その役柄のギャップに驚き、こんな情念を表現なさるんだと食いついてしまった。
 そして、その高峰さん・ゆき子を際立たせる男が二人。
 一人は富岡。世の中を斜めに見ていっぱしのことを言うが、結局、流されるだけで、何も生み出さない。演じる森氏の映画は『羅生門』『雨月物語』しか観ていない。『雨月物語』でも不実な男を演じていらしたが、キャラクターが全く違う。『雨月物語』の源十郎は不実の中にも、源十郎なりの”実”を見せるが、この映画の富岡は陰キャラで厭世観をばらまき、”実”の中に”不実”を匂わせる。
 もう一人はゆき子の姉婿・伊庭。行儀見習いに来た、妻の妹・ゆき子に手を付け、その後も悪びれずに、ちょっかいを出す。戦後の時流に乗って、インチキ宗教の教祖になるという陽キャラで即物的な男。演じる山形氏の映画は『地獄門』しか観ていないが、こちらもキャラクターが全く違う。『地獄門』では清廉潔白で、袈裟がこの人の妻であることを誉と思うような御所侍を演じていらした。『地獄門』の主人公・武者盛遠がどうやっても、武もふるまいも、性格もかなわない人物。なのに、この映画での伊庭は…。このギャップ。
 役者って、すごいなあと身震いさせられる。

情念。
 「おせいに勝った」みたいな、ゆき子の台詞。
 人が必死になると釣られて、バーゲン会場でとにかく何か手に入れなければと争う人々を思い出してしまった。粗悪品か、本当に自分にふさわしいものかを吟味することなく、とにかく手に入れることに価値がある的な。
 ゆき子にとっては、それでも、周りの男の中では富岡と、選んでいるつもりなのだろう。伊庭は論外。逃れて、インドシナに赴任すれば、同僚の加納が部屋に忍んで来る。ならばと、富岡を選ぶ。インテリゲンチャに憧れる気持ちはわかる。ところが、帰国すれば、日本の惨状は。富岡が、苦労しそうな妻を見捨てなかったところは評価したいけれど。ゆき子にしてみれば、裏切り。
 見捨てられた口惜しさと、自分の方が女としては上と思いたい気持ち。自分の存在価値を確認したい気持ち。「一人になると日が長うなりますわ」とは、小津監督の『東京物語』の中の台詞だが、恋に破れても同じであろう。自尊心が低い人ほど、一回でも自分を認めてくれた人・ものに縋りつく。
 惰性とその中にちらつく相手への愛おしさと。怒り。富岡にだけでなく、こんな人生になってしまった運命への怒り。ごく平凡な関係をうらやましがる様。愛・恋なんて言葉では説明しきれない様々な気持ち。
 女一人で生きていくことの難しさ。家を借りるのも、”会社”に勤めるのも、まだ”保証人”が必要な時代。姉婿と関係を持ってしまったら、故郷も頼れなかったのかもと思う。とはいえ、戦後のドタバタの時期。『砂の器』のように、経歴詐称だって、その気になればできた時代?でも、ゆき子はもしかしたらの希望を捨てきれずに、富岡との縁を完全には断ち切れない。
 そんな女の、その時々の心情を表現する高峰さん。馬鹿な女と思いつつも、愛おしくなる。

そんな女に見込まれた富岡。
 初めは拒絶するようなことをいうところが、責任を取りたくないと防御しているようで、今の二股・三股男の手口と同じで腹が立つ。
 思っていたよりもひどい、帰国後の日本の現状で、妻を捨てられなかったように、目の前にいる困っている人を袖にできない。その場しのぎの短絡的な手助けや言葉が結局、その人を苦しめることは考えればわかることなのに。言い訳を連ねて、相手のせいにするかと思えば、自虐。最低男なのに放っておけない。
 そんな色悪を見事に演じて下さる森氏。富岡がメフィストフェレスのように影を体現してくれるから、ゆき子が際立つ。

そして、この二人だけだと底なし沼に沈んでいく様子だけで、見ているのがつらくなるが、程よく、伊庭がかき回してくれる。

メロドラマはそんなに観ていないので、この映画が日本で一番かどうかは何とも言えない。
反対に、メロドラマをそんなに観ない私だが、気が付けばリピートしている。
 おせいの存在とか、二人に関わっていく登場人物もいるが、ドラマチックに盛り上げるようなエピソードがないにも関わらず、最後まで見せてしまう。

リマスターの映像の質なのか、この映画の高峰さんの、岡田さんの肌のきれいなこと。高峰さんの肌は、きめ細かく柔らかそうだ。岡田さんのは若くてプリプリしている。高峰さんが大事そうに来ている毛糸のカーディガンの手触りのよさそうなこと。光と影の使い方に唸ってしまう。

そして、いろいろな解説でも読んだ”視線”の使い方。
 インドシナでの食事の場面。メイドが後ろを通った時の視線だけで、二人の関係をほのめかす。
 一目ぼれとはこういうことかと、富岡とおせいの出会いで思う。それを横で見ているゆき子の表情・視線にもゾクゾクする。
 富岡が来るまで、旅館の別の客を見ているゆき子。ここも胸を締め付けられるシーンだ。
 ラスト、病床から富岡とお手伝いさんを見ているゆき子。何を思うのか。胸を締め付けられる。
 他にも、他にも。キリがない。
 視線が交わらない小津映画では絶対に表現できない。

不倫というより、グダグダな二人の腐れ縁を描いた話。好き嫌いが分かれそうだ。
 安易なリメイクでは、このような完成度にはならないと思う。
 映画としての見せ方は、たぶん映画通や映画に関わる人々には教科書なのだろう。
 そう考えると、評価が高いのも頷ける。

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とみいじょん

4.5男女の機微

2023年7月5日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

まず二人の出会いのシーンで喰らってしまった。
富岡(森雅之)が退場する時に入れ替わりで侍女が入ってくる。去っていく富岡に視線を送る侍女をカメラが正面で捉え、次に去って行く富岡の方を向くゆき子(高峰秀子)を写し、ゆき子の視線は富岡から彼に熱い視線を送る侍女へと移る。
わずか数秒の流れるような視線の動きを捉えたカメラワークでこうも語ってしまうのか、と感嘆してしまった。

また小道具の使い方が巧妙で、ゆき子の年齢を会話のやり取りで明かした上で、後にゆき子にちょっかいを出す同僚が「香木の研究をしててね」と懐から香木を取り出して嗅いでみたり、宿泊先で富岡の着替えだけが風呂敷で包まれていたり、その他ちょっとした視線の動きなど、演出が絶妙だった。

男は関係を断ち切れずにたまに寂しくなっては女に会いに行くが、女の方がその気になると男の方では引いてしまう。色気と気品のある森雅之だからこそか、どこまでも煮え切らない二人のやり取りに見入ってしまった。

全体を通して暗く重苦しい雰囲気だが、山をバックに二人で歩くシーンや船の出航のシーンなど明るく抜けの良い画面が挟まれたり、家を出入りする時にすれ違う狭い路地で遊ぶ子ども達の姿など二人の関係や生活との対比で一層眩しく映った。また、ゆき子の兄の新興宗教のシーンや、加東大介演じる飲み屋の主人との掛け合いがコミカルでスパイスとして効いていた。
しかし、ラストシーンのあまりの暗さにはズシっと来るものがあった。

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抹茶
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