時計じかけのオレンジ

ALLTIME BEST

劇場公開日:

解説

原作者のアンソニー・バージェス自身が”危険な本”と語った同名の小説を映像化。非行少年による暴力が横行する近未来のロンドン。アレックスも仲間を引き連れ、喧嘩とレイプに明け暮れる日々を過ごしている。ある夜、中年女性を死に至らしめた彼は刑務所行きに。しかし2年後、とある治療法の被験者になることを条件に、社会に戻ることを許されるが……。アレックスが心酔するベートーベンの第9交響曲や、レイプシーンに流れる「雨に唄えば」など、音楽による効果的な演出が随所に見られる。

1971年製作/137分/R18+/アメリカ
原題または英題:A Clockwork Orange
配給:ワーナー・ブラザース映画
劇場公開日:1972年4月29日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第29回 ゴールデングローブ賞(1972年)

ノミネート

最優秀作品賞(ドラマ)  
最優秀主演男優賞(ドラマ) マルコム・マクダウェル
最優秀監督賞 スタンリー・キューブリック
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映画評論

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写真:Album/アフロ

映画レビュー

4.5キューブリック節・「狂気」と「正しさ」の集大成。

2024年8月18日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

◯作品全体
キューブリック監督作品に多く共通する部分として、「狂気」と「正しさ」が関連して語られる点がある。本作の公開前におけるキューブリック監督作品で見てみると、初映画作品である『恐怖と欲望』は孤立した戦場で自分を見失う若者が、『突撃』では不当な銃殺刑を言い渡される兵士とそれを強行する上層部が、『ロリータ』では少女に固執する主人公が、『博士の異常な愛情』では極端な選民思想を訴える博士が登場する。いずれも狂気をまとったような仕草や表情の映し方が非常に印象的で、カメラ目線の異常な目線や、FIXのカメラによる登場人物との独特な距離感が心の中の暗い部分をまざまざと見せつける。
それだけでもインパクトある作品たちなのだが、その「狂気」と併せて語られるのが「正しさ」の在り処だ。
先に挙げた作品の登場人物たちは支離滅裂な狂気ではなく、それぞれがもつ正しさを示すために常識から逸脱した行動を見せる。例えば『突撃』では、命令無視をした部隊への懲罰として銃殺刑を言い渡す上層部の「正しさ」と、何も悪いことはしていない、部隊員の一人である兵士の不服という「正しさ」がある。上層部は上層部で無謀な突撃を指示する「狂気」を内包し、兵士はそれに抗えずに死と直面して精神崩壊する「狂気」がある。作品の世界ごとに存在する「正しさ」と「狂気」。その並立と不協和音の応酬が、キューブリック作品にはある。

前置きが長くなったが、本作はその「正しさ」と「狂気」の表現がより鋭く尖っていた。今までの作品でじっくりと研ぎ澄ませていたその鋭利な表現に、ただただ打ちのめされた。
アレックスが抱える暴力は、暴力を超えて狂気の沙汰だ。一方でそれを抑止しようとする政府の「正しさ」の治療もまた、狂気でしかない。終盤ではその狂った「正しさ」の恐怖から抜け出すアレックス。ただ、その経験を経てもアレックスの頭にある暴力とセックスの景色は、やはり「狂気」だ。そんな行き場のない「正しさ」と「狂気」は一見すると滑稽でSFチックな光景なのだが、狂気を孕んだアレックスの目線や表情、そして「正しさ」に治療されたアレックスを見る周りの人物たちの目線や表情は、心の底からゾッとする。練りに練られた「正しさ」と「恐怖」の応酬とその映し方に釘付けになった。

一朝一夕の「狂気」と「正しさ」の表現ではない。長年培ってきたキューブリック印の「狂気」と「正しさ」の集大成と言える、濃厚な作品だ。

◯カメラワークとか
・冒頭のOPで真っ赤な画面が長く映される始まりは『2001年宇宙の旅』の真っ黒な画面が長く映される冒頭と重なった。何も映されない、始まらない恐怖。いろいろ映されるよりも画面から目を逸らせなくなる。

・一点透視の画面の整然とした空気感。本作以前から一点透視の画面はあったんだけど、『2001年宇宙の旅』から長めの尺で使われてる気がする。そっちの方ではガランとした空間の「静寂」みたいな印象だったんだけど、本作だと「嵐の前の静けさ」みたいな、ちょっと不気味な印象がある。

・「嵐の前の静けさ」で関連して浮かんでくるのが、音楽の使われていないカットの静けさも不穏だった。作家の家と猫屋敷に乗り込むまえの空気感とか。後者は警察に電話した家主が受話器を置くカットで一拍おいてアレックスが奥のドアを開ける。作家にワインで眠らされるシーンも、会話の中で一拍静けさがあって、スパゲッティに突伏する。こういうテンポ感が本当に凄い。

・ナンパした女とセックスするシーンを早回しで「ウィリアム・テル序曲」流すの、何回見てもすげえってなるなあ。ギャグっぽいシーンでクラシック流すのは結構ある気がするんだけど、本作ではクラシック音楽が物語に絡んでくるから突拍子のないものではないし、色気を一切なくした滑稽さの演出として、なんというか、会心だなあと思う。

◯その他
・グロテスクなものに対する耐性はかなりある方なんだけど、治療で目を強制的に開くところは何回見ても直視できない。見てるこっちが涙出てくる。

・看守長がいいキャラしてるんだよなあ。『フルメタル・ジャケット』にも繋がりそうなあの感じ。

・この作品を今見ても古臭く感じないのは、どの世代にも属さないアレックスたちの衣装とナッドサットを使って話してるところが大きいんじゃないかなと感じた。それぞれの時代の作品でヤンキーとか不良を描こうとするとそれぞれの世代でのそれを意識したデザインになっちゃう。シャツの着こなし方とか髪型とか、その時代の口調とか。その点、衣装では世代を見定められないし、ナッドサットもどの世代でもない。でも今でいう「ネットスラング」っぽい感じの、内輪向けな流行語を使ってますよっていうのがどの世代にもある「若者の舐め腐った感じ」の演出にすごくマッチしてる。

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すっかん

4.5映画で魂を統治せよ、そんな世界はいらない

2024年4月19日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

スタンリー・キューブリック監督作品。
不朽の名作だ。

本作の主人公・アレックスが暴力と無秩序が蔓延る社会で、不良少年から善良な「社会」人になるために、懲罰から治療へと向かう。それは魂の統治といっても過言ではない。その統治において採用される治療法が、映画鑑賞である。目を瞬きができないように固定器具で見開き、バイオレンス映画やポルノ映画をひたするみる。そして映画におけるイメージと現実世界を「連係」させ、現実の暴力とポルノに吐き気を催させる。治療手段に映画を取り入れるメタな視点と危険性の指摘に驚きつつ、この「連係」は重要な概念である。

例えばアバンクレジットで赤と青のショットを連係させて別の色のイメージを産み出していたり、「雨に唄えば」のような陽気な音楽と暴力に満ちた映像を連係させて不穏なイメージを想起させる仕掛けをしている。このように物語における鍵となる概念とともに映画とは何か、イメージとは何かを問いかける重要な概念なのである。

治療による連係によってイメージは創出できたが、倫理観は育まれない。
かつての懲罰では内省による改心、それによる倫理的な行為が目指されていた。しかし心を治療し終えたのなら、正常であることが暗黙の了解になってしまう。だからアレックスの社会復帰後の行動原理も分かる。

物語の終盤では、アレックスが暴力とポルノに回帰する。これは退行とも解釈できるが、善く生きるために、生権力を握らされず私たちが社会を統治するためには、肯定的に受け止めなくてはいけないのではないだろうか。暴力とポルノを社会から、一個人から抹消するためには、本作のような魂の治療が必要になってくる。しかしそれは倫理観を醸成することはない。ましてや連係によって別様の暴力やポルノをイメージさせることだってあり得る。だから暴力やポルノを懐柔させながら、社会に組み込む遊びの仕掛けが必要だと思うのである。

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まぬままおま

5.0今なお我々はこの映画に追いつけずにいる

2017年7月29日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

笑える

怖い

ミルクバーのソファからじっと画面のこちらを凝視する青年アレックス。その表情はまるで観る者をことごとく目で切り刻んでいるかのようで戦慄が走る。奇想天外で、挑発的で、人を思い切り不快な気持ちに陥らせる場面も多い本作には、今見ても常人には真似できない色彩、美術、衣装、カメラワーク、すべてにおいて時代の20歩くらい先を突っ走ってる凄みが満ち満ちている。公開45年を超えた今もなお、我々はこの映画に追いつけずにいる。

クライマックスでに突きつけられる「社会」へのアンチテーゼも鋭く突き刺さる。ただ、当のキューブリックは、自身が脅迫状を受け取ったのを機に「家族の安全が保証出来ない」として強気な態度を変え、73年に英国内の上映を禁止した。その後本国では長らく上映が叶わなかったと言われる。「博士の異常な愛情」ではないが、凄まじい爆弾を作り出したことに最も思い悩んだのはキューブリック本人だったのかもしれない。

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牛津厚信

評価しない

2024年11月18日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

若い頃に観たときは、耐え難い暴力描写に
引きながらも人の本質の捉え方に驚き、
その他のスタイリッシュさに惹かれた

だが2024年のいま観直してみて
クソだと思った

それはきっと、現実が近づいたからだ

闇バイトとして恨みもない人の家に侵入し
傷つけ殺し奪う奴らが現実にいる現在に
こんな作品はクソだ

もう、語り継がれなくていい

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ke_yo