時計じかけのオレンジのレビュー・感想・評価
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今なお我々はこの映画に追いつけずにいる
ミルクバーのソファからじっと画面のこちらを凝視する青年アレックス。その表情はまるで観る者をことごとく目で切り刻んでいるかのようで戦慄が走る。奇想天外で、挑発的で、人を思い切り不快な気持ちに陥らせる場面も多い本作には、今見ても常人には真似できない色彩、美術、衣装、カメラワーク、すべてにおいて時代の20歩くらい先を突っ走ってる凄みが満ち満ちている。公開45年を超えた今もなお、我々はこの映画に追いつけずにいる。
クライマックスでに突きつけられる「社会」へのアンチテーゼも鋭く突き刺さる。ただ、当のキューブリックは、自身が脅迫状を受け取ったのを機に「家族の安全が保証出来ない」として強気な態度を変え、73年に英国内の上映を禁止した。その後本国では長らく上映が叶わなかったと言われる。「博士の異常な愛情」ではないが、凄まじい爆弾を作り出したことに最も思い悩んだのはキューブリック本人だったのかもしれない。
完全なる暴力肯定の世界観
感想
この作品でます注目するところは、
劇中の社会設定と美術装飾全般である。
写真家でもある監督のきびしい設定要求に
制作側が見事に応えている感がひしひしと
感じられ、当時最先端のポップカルチャーと
前衛芸術をエスプリの効いたセンスでまとめ
上げた、決して明るい未来とは言えない殺伐
とした世界を創造していて、現実的な社会科学
の水準は映画制作当時よりも低く、同時に経済
状況も悪化している貧富の差が激しい、
近未来の閉塞観に満ち溢れた世界を見事に
現出させている。
21世紀の今現在、鑑賞しても、
シチュエーション的、モード的、また、映像的
なものを含め、古さを全く感じさせない。
映画自体の完成度合いが高く、特筆に値する。
次は原作と脚本である。原作者が危険な本と
喧伝した理由が、主人公達不良グループの
人間性が極端に暴力に偏っている事。また、
そのような人間に対して反社会性を矯正する
治療と称して、人間性を根本から否定し、
破壊する心理的拷問と、極致的な名を変えた
暴力の応酬を行う、人間の精神破壊がテーマ
となっている。
キューブリックは原作の要点を押さえ、
映画脚本をよりデフォルメしているため、
さらに強烈な印象を作り出す事に成功している。
不良グループ内だけで共感されるスラングを
会話に多用して不気味な存在感と雰囲気を
増大させている。英語の意味的と発音に韻を
ふんだスラングなので英語に精通していない
と深く本意を理解できない。外国人にして
みると、その訳の解らなさがまた恐ろしく感じる。
主演のマルコムマクダウェルは当時無名に
近い、舞台出身の新進気鋭の俳優であった。
そのエキセントリック且つ、二重人格者的演技は
全世界に衝撃を与えた。
アレックスはこの俳優でなければいけない。
というより、この俳優しかいない。
真面目に何でも真にうけてしまう人は、
この映画を観ない方がいい。真に受けると
あまりにも危険で恐ろしい。
映画を観終わった後、
なんとも言えない後味の悪い気分になるが、
時間が経つと再び怖いもの観たさで観たくなる
中毒性の高い映画である。
⭐️4.5
犯罪者の更生を皮肉った傑作
初めてこの映画を見た時の衝撃は忘れられない。
もっとも繰り返し鑑賞した作品で、私の部屋には今でも映画のポスターが貼られている。
常識を逸脱した暴力欲求を持ち、それを抑えることが出来ない主人公アレックス。
仲間と共に不条理な暴力行為に明け暮れていた。
金など持っていないだろうホームレスを襲う。
適当な家に押し入り、『雨に唄えば』を口遊みながら、ステップでも踏むように、住人を殴り、レイプする。
女を使って対立するグループを誘い出し、ボコボコにする。
など、もう、やりたい放題。
そこには『痛い目にあいたくなければ金を出せ』みたいなチープなやりとりは存在せず、ただ、ただ、無慈悲な暴力が加えられる。
そんな日常を繰り返す中でとうとう殺人を犯すアレックス。
仲間の裏切りもあり、彼ひとりだけが逮捕、収監される。
刑務所の一般的な更生プログラムを課した程度で社会復帰させれば、同じことを繰り返し、新たな被害者が出ることは明らか。
では、アレックスをどうやって更生させるのか?
政府は『減刑』をエサにアレックスにルドヴィコ療法を提案する。
しかし、それは療法という名の『トラウマの植え付け』だった。
アレックスの好きなルードヴィッヒ(ベートーヴェン)の曲を流しながら、目を逸らせないように瞼を固定し、暴力行為の映像を見せ続ける。
最初は音楽と映像を楽しんでいたアレックスだが、何度も繰り返されうちに苦痛を感じるようになる。
ベートーヴェンの音楽と暴力映像が完全にリンクしたアレックスは『ルードヴィヒは悪くない』と叫ぶ。
治療は終了し、暴力とルードヴィッヒの曲に対して『強烈なトラウマ(嫌悪感)』を抱え込まされたアレックスは釈放される。
しかし、家に帰っても親に冷たくあしらわれ、彷徨い出た街で、昔、自分が暴力を振るったホームレスから暴行を受ける。
トラウマからなんら抵抗出来ないアレックス。
助けを求めた警官(アレックスの元仲間)からもリンチを受ける。
まさに因果応報。
アレックスは自分が行っていた不条理な暴力をその身で受けることになる。
警官たちから開放されて、雨の中、森を彷徨ったアレックスは、そうとは知らず、自分が襲ったことのある作家の家に助けを求める。
作家は政府の行うルドヴィコ療法に反感を持っており、報道でアレックスのことを知っていたため、家に招き入れる。
しかし、アレックスが風呂の中で口遊んだ『雨に唄えば』を聞いてアレックスが自分を襲った犯人だということに気が付く。
作家は食事を提供し、アレックスから『ルードヴィヒを聴くと死にたくなる』ことを聞き出す。
アレックスたちの暴力が原因で作家は車椅子生活になり、妻は病気にかかり亡くなっていた。
作家はアレックスを殺して恨みを晴らし、かつ、政府にダメージを与える方法として『治療が原因の自殺』を思い付く。
薬で眠らせた アレックスを2階の部屋に閉じ込め、大音量でルードヴィッヒを流す。
案の定、アレックス窓を突き破って自殺をしようとするが彼は死ななかった。
シーンは変わり、病院のベッドに寢かされているアレックス。
医者たちが暴力や性的な絵を見せても、平気なアレックス。
トラウマから開放され元に戻ったアレックスは押し寄せるマスコミに笑顔で応える。
暴力やレイプなど過激なシーンが多いが、映画の主題は『更生』だと思う。
人に暴力を振るっただけでは死刑にはならない。人をひとり殺しても(例外はあるが)死刑にはならないことが多い。
では、ふたり以上殺したら?
死刑判決(もしくは仮釈放無しの無期懲役)が下される可能性は格段に上がる。
人をひとり殺して刑務所に入り、釈放されたのちに再び人を殺し、死刑になる犯罪者は実際にいる。
そんなことが起これば、ふたり目の被害者の家族が『なぜ釈放したんだ』と思うのは当たり前。
では、再犯の可能性のある犯罪者をどうするのか?
『再犯出来ないように洗脳(トラウマの植え付け)をしちゃえばいいじゃん』
というお話。
もちろん、そんな簡単な話ではない。
無力になったアレックスに意趣返しのごとく、暴力を振るうホームレスや元仲間、ルドヴィコ治療に反感を持っていて、最初は情けをかける作家ですら自分たちを襲った犯人であることがわかると、アレックスを殺そうとする。
その気持ちはもちろん理解出来るが、無力になった(更生を果した)犯罪者への仕返しをどう防ぐのか?
そもそも、加害者が更生したら被害者は泣き寝入りするしかないのか?
『元に戻ったアレックス』が再び暴力衝動を抑えられなくり、新たな被害者が出る可能性はないのか?
と考えると本当に救いがない。
きっと結論はどこにも無いんだろうな。
暴力というアプローチだけに観る人を選ぶ作品かもしれないが、政府(巨大な権力)による人格操作の怖ろしさを描いた傑作だと思う。
我々現代人も、政府に管理されたテレビなどのマスコミによって、未然に犯罪を犯さないための洗脳(社会悪の刷り込み)をされているのかもしれない。
映画で魂を統治せよ、そんな世界はいらない
スタンリー・キューブリック監督作品。
不朽の名作だ。
本作の主人公・アレックスが暴力と無秩序が蔓延る社会で、不良少年から善良な「社会」人になるために、懲罰から治療へと向かう。それは魂の統治といっても過言ではない。その統治において採用される治療法が、映画鑑賞である。目を瞬きができないように固定器具で見開き、バイオレンス映画やポルノ映画をひたするみる。そして映画におけるイメージと現実世界を「連係」させ、現実の暴力とポルノに吐き気を催させる。治療手段に映画を取り入れるメタな視点と危険性の指摘に驚きつつ、この「連係」は重要な概念である。
例えばアバンクレジットで赤と青のショットを連係させて別の色のイメージを産み出していたり、「雨に唄えば」のような陽気な音楽と暴力に満ちた映像を連係させて不穏なイメージを想起させる仕掛けをしている。このように物語における鍵となる概念とともに映画とは何か、イメージとは何かを問いかける重要な概念なのである。
治療による連係によってイメージは創出できたが、倫理観は育まれない。
かつての懲罰では内省による改心、それによる倫理的な行為が目指されていた。しかし心を治療し終えたのなら、正常であることが暗黙の了解になってしまう。だからアレックスの社会復帰後の行動原理も分かる。
物語の終盤では、アレックスが暴力とポルノに回帰する。これは退行とも解釈できるが、善く生きるために、生権力を握らされず私たちが社会を統治するためには、肯定的に受け止めなくてはいけないのではないだろうか。暴力とポルノを社会から、一個人から抹消するためには、本作のような魂の治療が必要になってくる。しかしそれは倫理観を醸成することはない。ましてや連係によって別様の暴力やポルノをイメージさせることだってあり得る。だから暴力やポルノを懐柔させながら、社会に組み込む遊びの仕掛けが必要だと思うのである。
めっちゃキューブリック感
家とか、洋服とか今見てもすごいオシャレで、そういう意味でのビジュアルと人間の怖さの表現がいかにもキューブリックって感じ。
話し的には好きじゃないけど、確かに衝撃は凄かった。
アレックスの演技がヤバい。ほんとに頭イカれてる人にしか見えなかった。
不謹慎な笑いの頂点
色々アレな作品だけども、これはコメディだな。とにかくいろんなシーンで笑っちゃうし、スタイリッシュなんでめちゃおもろい。
個人的にスローモーションで川に仲間を叩き落とすシーンがとにかく大好き。顔芸がおもしろいからな。
あと、運動会でよく流れる曲をBGMにして高速セックスシーンも、女性はこれ絶対嫌いだろうなあとか思いながらもゲラゲラ笑ってたな。
それと、前半にばかり注意が行きがちだけど、後半は社会への風刺が利いてていいね!
など、とにかくおもしろい作品。おすすめです。
(個人的に、あの作家の顔芸と男性器の戦いが好き。あと、レコードショップにマジカルミステリーツアーと原子心母が飾ってあったのは良かったぜ!)
この映画を観てから「ジョーカー」を観たかった
こう言う映画は苦手だけど、
午前十時の映画祭のラインナップに入っていて、
それなりの評価と映画史的に重要な作品なので、
勇気を出して観て来ました。
ビジュアル的には流石にキューブリックで、
レコードショップとか主人公の住まいのインテリアとかが
なんかカッコイイのよね。
で、暴力シーンやレイプシーンに最初は引いてしまうけど、
中盤からちょっと様子が変わって
直接的な暴力よりも、有る意味もっと怖い世界へと
話が展開して行くのよね〜
若い人に解りやすい例だと数年ぶりに新作が放送される
アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」の世界観、
あんな感じの洗脳とか管理社会とかに興味のある人には
楽しめるかも〜〜
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
不謹慎ながら観ているうちに
暴力シーンなのに
ちょっと笑ってしまう様な作りになってる。
大きな大きな、ある芸術作品で
金持ち女性のお口を攻撃する暴力シーン!
酷いシーンなのにバカバカし過ぎて笑ってしまう〜
一周回って、なんという恐ろしさよ〜
この世の中にはどうしようも無いけど
一定程度は「反社会的」な人間はいる
だからと言って、
すべての人間を洗脳、管理する社会はとても、とても危うい〜〜
この映画を観てから「ジョーカー」を観れば良かった。
暴力というもののもっと違う何かが観えたかも〜〜
@お勧めの鑑賞方法は?
「映画館で集中して観て欲しい〜」
向き不向きがある
とにかく性描写が気持ち悪すぎる。
それだけで無理なのだが、これまた多すぎる。
あんなに描く必要は無かった。無いのをわざと大量に描いて徹底的に嫌悪感を煽ってる。それが手法なんだろう。
サイケな部屋をかっこいいと思える人には響くがも。私はおもちゃ箱みたいで好まない。
これを未来のしつらえと捉えるか60年代のチープな家具、内装と捉えるか。
日本ではヨーロッパ企画がチープにSFものをやるけれど、それの手作り感を無くした感じに見えてしまう。
登場人物みんな、アンドロイドみたい。
昔はこういう映画が無くて斬新だったのだろう。
残忍性マシマシ
マーダー、アレックスがシャバに出る為に、西遊記の輪っかをつけられるような話です。
シナリオは当時にしては新しいように感じる。
序盤のサブリミナル的な恐怖の演出はすごい。
猫飼いの女をチンポの置物でどつく時の演出は、驚きそのもの。
なんであんな置物あったんだろう?
劇中の作家の顔芸で笑ってしまった。
21世紀の人々へ贈る西欧版ウェストサイド物語
古典的なウェストサイド物語よりもより一歩踏み込んで、もっと壮大に全人類とは※そもそも人間とはなんなのかというテーマに挑み、世界を舞台に挑戦状をたたきつけたような作品です。
タブーを恐れず、人間の残忍さを描こうとした実験的な作品のようにも思えます。
そして、終始、西欧の香りさえしました。
今観ても古臭さはありません。
そもそも善人とは何なのでしょうか、真面な人間というものは誰が決めるのでしょうか?
知識人や政府役人や、コロナ感染で実態が顕わになってしまった例えば日本で言うのならば、医師会であるとか、彼らの方が真の意味で病んでいると思うのですが。
人は皆、誰もが時計じかけのオレンジ
20年以上も前に見て以来の視聴。キューブリック作品は、その頃、まとめて見ていたが、若造だったので面白さが理解できていなかった。今回、久々に見て、記憶に鮮烈に残る作品だと感じた。
まずは、優雅で楽し気な音楽と暴力、色彩の融合の感覚が異色だ。ロッシーニの「どろぼうかささぎ」「ウイリアムテル序曲」の軽快、「雨に唄えば」など喜劇的なメロディに暴力や性的シーン。シェラザードやベートーベンの第九、威風堂々等。暴力を振るう若者グループの自己陶酔感を優雅・楽し気に表現していた。その暴力の様も、旋律やリズムに合わせて行われ、醜さと美しさが同居している様が見て取れた。人は美と醜、善と悪を併せ持つ。アレックスの左目のまつ毛は醜、右目は美を表しているのかもしれない。
性も暴力も、人間の根源的な力が間違った形で表出されたもの。普段は、法や習慣、人間関係によって抑え込まれている。でも、その歯止めがなくなったらどうなるか?
主人公の若者グループは、親も宗教も学校の教師にも敬意を覚えていない。彼らは、仲間うちで盛り上がれればいいのだ。リンチ、強盗、レイプ、3P、目を覆うばかりの暴力。矯正施設に入れられるも、表面だけの回心。未来の若者が、どうなっていくのかを予言したかのような部分だ。これは、資本主義世界の未来なのだろう。
矯正施設から早く解放されるための、新しい強制的な治療。暴力や性、第九を聞くことに対して吐き気が生じる。ここで、治療する側の医師や研究者も、主人公と同様、十分に暴力的であり、治療が成功したかをチェックする側も暴力的に描かれていた。こちらは、社会主義的な世界の未来を示している。
アレックスは、解放されると、自分が暴力を振るった仲間、被害者たちから復讐される。昔、酷い目に合わせたから当たり前にも見えるが、描き方は、やはりスイッチが入ったかのように、暴力的であった。
人間には、どうやら暴力のスイッチが隠されているようだ。(→時計じかけのオレンジ)こいつには暴力を振るってもいいと思うと、暴力的になれる。戦争も然り、優生思想、優越感政治的な思惑、権力維持も然り。それが、現代~未来の社会においては、増えていくと言っているかのようだ。
しかし、人間を強制的に罰則等で暴力ができないようにしても、それは確かに本当の道徳、人間の善には結びつかない。自由な選択の中から選びとるようでないと。それは、十分にデザインされた社会でないと、恐らく難しい。無軌道な自由の中では、この作品中の主人公たちのようになってしまうのではないか。自由でも、強制でも上手く行かない世界の難しさ。
善や美以上に、人間は暴力や性に魅了されやすいのかもしれない。現代の映画作品群を鑑みると、そう感じてしまう。そんなブラックなメッセージを読み取った。
観るのが遅すぎた
学生時代「博士の異常な愛情」と併映してるのを横目で通り過ぎて何十年、このほどやっと鑑賞にこぎつけた。超過激といわれるバイオレンスも国家主導による人格矯正も、今となっては既視感があって、正直巷で言われるほどの衝撃は味わえず。いや多分これを始祖に後々の映画が真似たんだろうが。とりあえず心配していた「ベートーベンが聴けなくなる」という副作用か起こらなくて何より。「雨に唄えば」の伏線回収もある意味古典的だが「おー」と膝を打つ快感は味わえた。いちおう近未来SFなんだろうが衣装やセットは70年代独特のヘンテコなセンス。なぜか「謎の円盤UFO」を見たくなった。そうそうこんなとこでダースベイダー(の中身)にお会いできたのにはビックリ。
内容は狂った若者達による強盗殺人。酷い。嫌悪感を抱く。教訓もメッセ...
内容は狂った若者達による強盗殺人。酷い。嫌悪感を抱く。教訓もメッセージもなさそうに見える。
それなのに素敵な作品と思わせてくれる凄い映画だ。
タイトルも独創的だ。
奇抜で斬新で古いのに新しい。
アーヴィンゴフマン読んでる人は、はまりそうな作品
この主人公の自由奔放さはいきすぎだが、
いいところまで潰されたようだった。
以下ネタバレ。
Singing in the rain 嫌いになりそう
最後のシーンで女のヌードが出てくるまでの政府関係者との対談は、政府関係者の人も自分の利害にアレックス使ってるよねって思った。
映画強制措置に加え、第9という弱みを握られてコントロールされたあとは可哀想だった。割とゴフマンやらフーコーの哲学書に詳しい人は割とここ問題視しそうな予感。この人は元犯罪者ではあるが、不健康にまでなってしまい人権棄却された。
たしかに誰か忘れたけど精神科医かな、?の台詞でそれは貴方が変わって両親の呵責が産まれたんじゃなくて恐怖体験と吐き気で結びつけられたからだよっていってて府に落ちた
最後に女のヌードが出てきて不愉快だったが、女の人にたいしてエッチだと思ってよくて(けどレイプはダメ)、色欲出てきたから元気になったことの象徴だと思った
やらかさなければ好きにしてくれ
十年ぶりに鑑賞、世界観が本当に素敵過ぎる
映画好きなら1度は視聴したことがあるのではないでしょうか。
私は中学生の頃にバチバチ映画マニアなりたて時代に母親から映画を観るなら、「時計じかけのオレンジ」は観とかないとね!との助言で十三歳ちょっとで観て、もはやアングラ的な芸術美を一心に浴びせられて何が何だか分からずに困惑して、ぽけ〜っと観ていた思い出の映画です。年若き中一女子にこれを勧める親も何なんだって話なんですが。
そんな多少のトラウマを抱えた時計じかけのオレンジを十年ぶりに鑑賞致しました。個人的にフルメタル・ジャケットも小ちゃい頃に親が観ていて、微笑みデブで有名な俳優さんがベルトで叩かれてるシーンがトラウマすぎたのですが、克服して観てみたら本当に面白くて沼の沼。
時計じかけのオレンジを見た感想は、序盤から字幕でのセリフの面白さが尋常じゃない!これはフルメタル・ジャケットにも言えることですが!
こんなに字幕読んでて小説のような重厚感溢れるようなセリフがあるのかと!!神かよ!!!!
映像の引きも最高、絵画やら色々な小物にアートを満足に頼ませてくれる。クラシックがとてつもなくマッチしてる。そして、中盤は突飛過ぎるような世界観ではなくなり普通の刑務所生活を見れるわけで、これが全体的に突飛過ぎる世界観だったら私は多分アートだよねコレッてね!で終わっていたかもしれません。
病室のシーン諸共何をとっても最高すぎます。皆さん、予告も最高にカッコいいのでYouTubeで検索してみてください。
スタンリー・キューブリックの映画は字幕で見るに限ります。セリフの一つ一つが映画への没入させてくれます。
そして、話の流れは単純ですが、音楽や映像ももちろん、セリフがどれをとっても素敵です。
自分がここまで時計じかけのオレンジをめちゃくちゃ褒めるとは驚いてます。みなさんもいい思い出がないようでしたら、克服するために観るのをおすすめ致します。
個人的最高!!個人的な感想になってしまいましたが。それでは!楽しい映画ライフを!!!
ぶっ飛びヤバヤバ映画、さすがはキューブリック監督。 ぶっ飛び映像で...
ぶっ飛びヤバヤバ映画、さすがはキューブリック監督。
ぶっ飛び映像でアレックスの悪行をさんざん見せつけられる前半。強制矯正を終えて出所後の受難が楽し過ぎた。悪行の報いだ、当然だ、もっとやれ!そんな気分になった(笑)
ラストで元の木阿弥。何だったんすかね、この作品(笑笑)
とんでもなく"ハラショー!" な映画‼️
モラルを持たない残忍な男が洗脳によって模範市民に作りかえられ、再び元の姿に戻っていく。「ヤーブルをデボーチカにインナウト、インナウト!」地下道の浮浪者を愛用のステッキで袋だたき、女性を「雨に唄えば」のメロディーに乗せてレイプするウルトラバイオレンスな世界‼️ジーン・ケリーごめんなさい‼️「雨に唄えば」を聴くとMGMミュージカルの同名作よりもこの「時計じかけのオレンジ」を思い出してしまう‼️ベートーヴェンごめんなさい‼️「第九」を聴くとあなたよりもマルコム・マクダウェル演じるアレックスを思い出してしまう‼️ウルトラミルクを飲ませるバーや広々としたレコードショップなどの近未来デザインと、"管理社会への反逆" というブラックなテーマを、スタンリー・キューブリック監督がスーパー・ポップに演出して、観る者にとってはホントに悪夢‼️山高帽かぶって片側の目だけのメークが凄み充分のマルコム・マクダウェルの佇まいもまさに悪夢‼️ちなみに「ダークナイト」のヒース・レジャーのジョーカーはこのアレックスを参考に役作りしたらしいです‼️そしてこの映画の真に凄いところはその先見性‼️犯罪の低年齢化、同世代限定の独特のファッションセンス、仲間同士でしか意味が分からない言葉、そして洗脳‼️この作品の公開当時はSFの世界でしかなかったことが、今は全て現実化しています‼️恐るべきノストラダムス映画‼️スタンリー・キューブリック監督はホントに天才‼️公開から50年が経ってますけれども、さらに50年後が恐ろしい‼️
セックスとバイオレンスの連続です。 この映画の知名度、また他の方の...
セックスとバイオレンスの連続です。
この映画の知名度、また他の方の評価とても高いのてすが、、、
確かにこの映画のメッセージ性とか、力強さとか分かるのですが、私には合わなかったな。
時間をおいて見直すとまた違うのかもしれないけど、、、
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