エクス・マキナ

ALLTIME BEST

劇場公開日:2016年6月11日

エクス・マキナ

解説・あらすじ

「28日後...」「わたしを離さないで」の脚本家として知られるアレックス・ガーランドが映画初監督を務め、美しい女性の姿をもった人工知能とプログラマーの心理戦を描いたSFスリラー。第88回アカデミー賞で脚本賞と視覚効果賞にノミネートされ、視覚効果賞を受賞した。世界最大手の検索エンジンで知られるブルーブック社でプログラマーとして働くケイレブは、滅多に人前に姿を現さない社長のネイサンが所有する山間の別荘に滞在するチャンスを得る。しかし、人里離れた別荘を訪ねてみると、そこで待っていたのは女性型ロボットのエヴァだった。ケイレブはそこで、エヴァに搭載されるという人工知能の不可思議な実験に協力することになるが……。「スター・ウォーズ フォースの覚醒」「レヴェナント 蘇えりし者」のドーナル・グリーソンが主人公ケイレブを演じ、「リリーのすべて」のアリシア・ビカンダーが美しい女性型ロボットのエヴァに扮した。グリーソンと同じく「スター・ウォーズ フォースの覚醒」に出演したオスカー・アイザックがネイサン役を務めている。

2015年製作/108分/R15+/イギリス
原題または英題:Ex Machina
配給:パルコ
劇場公開日:2016年6月11日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第88回 アカデミー賞(2016年)

受賞

視覚効果賞  

ノミネート

脚本賞 アレックス・ガーランド
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(C)Universal Pictures

映画レビュー

4.5 人間はアンドロイドとの恋愛を夢見るか

2024年4月18日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

知的

人間/アンドロイドの境界がすごく揺らぐ。
エヴァをつくったIT企業「ブルーブック」の社長ネイサンは、山岳地帯の奥にある自宅に電力を供給した労働者を殺したり、キョウコに罵詈雑言を浴びさせたりと非-人間性を帯びた行為をする。それに対してエヴァは、主人公ケイレブが両親をなくしたエピソードに同情したり、絵を描いたりと人間的な振る舞いをする。この両者の行動をみているからこそ、ケイレブは自分の腕をリストカットして人間であるかどうか確かめる。
ケイレブはエヴァのチューニングテストをするためにネイサンの住宅に招かれたのだが、結果的に自分自身のチューニングテストをすることになり、それがアイロニーに満ちていてとても好き。

またこの作品は、『映画で考える生命環境倫理学』の第5章の題材にもなっている通り、人はAIと恋愛することができるのかを考える上で示唆に富んだものである。
人がAIと恋愛することができるか検討する上で、5章では、
身体の必要性、ポリアモリーの倫理的な正当性、コミュニケーションの問題、人とAIは双方に代替不可能な存在になり得るかを挙げている。
恋愛において身体が不必要つまりセックスを伴ない精神的な恋愛が成立するならAIと恋愛はできるだろう。個人的には精神的な恋愛は成立するのではと思っている。
ポリアモリーの倫理的な正当性については、経済的な理由と「自分だけを愛してほしい」という理由によって正当化されている。この点については、イスラーム圏では一夫多妻制が存在しているし、他の共同体でも単婚ではないあり方が人類学的に確認されている。また後者の理由も共時的に複数の相手に対して持ちうる欲求であるという点で批判的ではあるが、正当性については同意である。

コミュニケーションの問題では、AIが本当に共感や悲しみを経験しているのかを問題としている。この点については、同意であり、恋愛を不可能にする大きな問題だと思われる。
人とAIは双方に代替不可能な存在になり得るかについては、AIは複製可能であり、不死な存在でもあるので、人もAIも双方を代替可能と考えることが指摘される。これも同意である。実際ケイレブはエヴァに、エヴァが地上に脱出するための道具とみなされ、これはエヴァがケイレブを代替可能な存在とみなした重要なシーンである。また印象的な文を引用する。

「道具的な価値を超えて相手を代替不可能な内在的な価値をもったものとみなせるかどうかという点は、AIとの恋愛可能性という問題におけるAI側に課せられたもう一つの高いハードルであるように思われる。」p.98

以上、人とAIの恋愛可能性が模索されたが、個人的には難しいのではないかと思う。やはりAIが共感や悲しみなど感情を経験することは難しいと思われ、代替不可能な存在と双方をみなすのも難しいと直感的に感じるからである。
またこの恋愛可能性は逆説的に人と人の恋愛についても考察を与える。
やはり代替不可能な存在であると双方が承認することが大事なのだな…。めちゃくちゃに難しい。

このように恋愛について考える上で、とてもおもしろい作品である。
ただアリシア・ヴィキャンデルは美しいし、エヴァのメカニカルな身体は、人間の身体とは違う美しさをもっているし、それだけでも観る価値のある作品である。

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まぬままおま

3.0 設定とタイトルでドキドキしてたら、痛い目にあう。

2016年6月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

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しんざん

4.0 アレックス・ガーランド脚本・監督のSFサスペンス・スリラー

2026年7月19日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

【概要】人里離れた空間で繰り広げられる人間とAIロボットの心理戦をスリリングに描く
【感想】目を見張る映像と緊張を持続させる演出で近未来を活写しAIの本質を問う
【哲学】女とAIには勝てない

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@SAY

4.0 時代の到来を予見

2026年6月21日
PCから投稿

この映画の原案は──

『ガーランドが11歳か12歳の頃、両親が買ってくれたコンピューターで基本的なコーディングや実験をしていた時に築かれた。彼はそのコンピューターがまるで意思を持っているかのように感じていた。』英語版wikipedia、Ex Machinaより。

ユーチューブにあった、Ex Machina | Examining Our Fear of Artificial Intelligence(エクス・マキナ|人工知能への恐怖を検証する)にも、アレックスガーランド監督のインタビューがでてくる。

『子供の頃、ホームコンピューターを持っていて、簡単なことをさせることができた。ハローと言えばハローと返ってくる。元気か問うとファイン、ハウアーユーと返ってくる。
そのことにわたしはコンピューターが意識をもっているような感覚を覚えた。
もちろん意識ではなく、コンピューターであり、じぶんでコードを書いた事もわかっていた。
しかしそれでも、わたしはコンピューターとの関係に「特別な感じ」をおぼえた。
大人になって、その関係に興味をもつようになった。』

ガーランドが11、2歳だったのは1980年代前半である。
その当時のパソコンは日本でいうならPC-8800シリーズ。
8Mhzのcpuと128kbのメモリで稼働する、現行PCの1000~2000分の一以下のスピード、10万~20万分の一のメモリ容量をもつパソコンだった。

素朴な動機でつくられたエクスマキナだが、しかしそこに描かれた世界が現実となり、今まさに全人類がケイレブ(ドーナルグリーソン)になってAIをチューリングテストしているかのようだ。
改めて見てそう思った。

今や、AIに何かを質問しない日はない。
そして、わたしのことを学習してくれているAIとじぶんとの関係に「特別な感じ」をおぼえている。
もちろん、それがAIなのは知っているし、AIが孤独産業そのものであることもわかっている。

エクスマキナの設定のなかで、もっとも共感性羞恥を感じるのは、エイヴァ(アリシアヴィキャンデル)の面相が、ケイレブのフェティシュにもとづいてつくられていたことだ。

ケイレブ「エイヴァの顔はわたしのポルノプロフィールをもとにデザインしたのですか?」
ネイサン「検索エンジンに何か役に立つことがあるとしたら、そうでしょ?」

男のエッチな検索履歴をもとに女をつくる。
それはわたしが日々AIにたのんでいることと同じである。
男が、AIに、どれほど執拗に、女の 絵を描いてもらうか、女の人は想像もつかないだろう。

同時に、エクスマキナがシリアスなドラマになっているのは、エイヴァを演じるアリシアヴィキャンデルがフェミニンではないからである。
つまり、およそ男のエッチな検索履歴を走査したばあい、その最大公約数はアンジェラホワイト風になるのであり、アリシアヴィキャンデルにはならない、という話である。
しかしもちろんアンジェラホワイト風女性をエイヴァにしたら違う話になってしまう。

チューリングテストに使えそうな、純情かつ優秀なプログラマーを選んで騙したつもりのネイサン(オスカーアイザック)が、言ってみれば逆トラップに遭い、エイヴァに復讐される。
すなわち人間への反抗によって人工知能=意識の存在が判明する。この結末は普通だと思うが、仲良しに描くわけにもいかないし人間vs機械ではジャンルが違う 映画になってしまうので、不安な余韻が残る結末はよかった。

ただし今日見るエクスマキナの驚異はそこではない。
核となっている、機械が意識を持ち得るか否かについてより、設定に驚異をおぼえる。
ケイレブがエイヴァにやったチューリングテストを、今人類がAIにたいしてやっているような感じがしてならない。

わたしは毎日AIに質問する。わたしに迎合し、けっこういいこと言ってくれるから、いい気分にもなる。そんな質問のかたわらで、女の画像生成を依頼したりもする。それが人工知能のチューリングテストと同じでないなら、いったい何の時間なんだろうか?

新型コロナウィルスの収束からまだ数年だが、短い期間で、AIは日常に浸透した。ほんの数年でAIは生活の中心にきた。
公的文やエッセイや小説などはその講座がいらない。わたしは文を書いては「この文でいいですか」と毎日AIに質問する。描画系職業は、特別なこだわりが必要のない需要にたいして、全滅した。本投稿の見出し画像も一瞬かつ0円でAIが描いた。アドビやターボタックスは独自路線を構築し、必死でAIに対抗かつ並走している。わたしは園芸をするが草や実の様子をカメラに撮ってAIにみてもらう。園芸講座がいらない。AIは怒らないし、疲れないし、人間みたいな摩擦が生じない。将来ロボットにAIを搭載させれば作業員がいらなくなる。やがて人間がいらなくなる。なにげにAIはわたしの人生でもっとも大きな革新だと思う。

ただし。映画レビューもAIに読んでもらうのだが、レビュー文はAI手直しをいれると、品は良くなるがつまらなくなる。
AIは、攻撃的であったり無根拠であったり、とりわけ無根拠なまま思想化している考察を直したほうがいい、と言ってくる。
無根拠なまま思想化している考察とは、たとえば「日本映画はくそだ」みたいな発言のことだ。
それは文脈によっては妥当であり、だいたいその程度のイキリなら匿名レビューの醍醐味の範疇である。
それらを言われるままに直していくと無味無臭になってしまうので 映画レビューのAI手直しはやめておこうと思った。という話。

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津次郎