コラム:編集長コラム 映画って何だ? - 第32回
2020年6月30日更新
20世紀フォックス映画がなくなってしまう件
20世紀フォックス映画(以下、フォックス)が、ディズニースタジオに吸収されるにあたり、少し個人的な思い出を記しておきたいと思います。
私たちの今のビジネス、インターネットを使ったプロモーションやメディア展開を映画業界に提供するというビジネスの端緒を開いてくれたのは、間違いなく、フォックスでした。
1996年の夏、同年12月公開の「インデペンデンス・デイ」の公式サイトを制作するという案件のコンペに参加して、運良くその仕事を受注できた私は、当時デジタル系のゲームやソフトウェアのPR会社に所属していましたが、翌年には自身での起業を実現しました。「インターネットでメシが食える」と踏んだのです。この会社が、今の株式会社エイガ・ドット・コムおよび株式会社ガイエの前身です。
もともと映画の宣伝マンを7~8年ほど経験していたこともあって、フォックスには知り合いも何人かいました。しかし、宣伝部門にはインターネットのことを分かってくれる人は誰もおらず、当時の日本代表や副代表の人たち、つまりフォックス日本法人のNo.1、No.2が私の窓口でした。さらに私たちは「スター・ウォーズ 特別編」(98年の、エピソード4、5、6のリバイバル)の仕事で、ルーカス・フィルムのWeb担当ともメールでやり取りしていました。しかしまだ、この頃は牧歌的な時代だった。インターネットは夜11時過ぎ、テレホーダイの時間に接続するのが一般的な時代。
やがて、Yahoo! BBが街頭で無料のADSLモデムを配りだしたあたりから、日本におけるインターネット関連ビジネスも大盛況になりました。私たちの稼業も大忙しです。「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の仕事や、「マトリックス」3部作の仕事を経て、フォックスの「デイ・アフター・トゥモロー」では、色んなポータルサイトを「凍らせる」クリエイティブを作って掲出しました。同作において、フォックスが使ったネット広告費は、恐らく1億円を超えたのではないかと記憶しています。ちょっとしたバブルですね(しかし、後のリーマンショックを経て、ネット広告バブルは崩壊します)。
フォックスの仕事をレギュラーで行っていたので、社員旅行でLAに行った際には、一般に公開されていない、フォックスのスタジオも見学させてもらいました。「ダイ・ハード」の舞台として有名な、ナカトミ・ビルディングがフォックスの本社でした。センチュリーシティにある、フォックス・プラザです。その一角にスタジオがあって、本社のスタッフがツアーガイドしてくれて、ランチもおごってくれました。
LAと言えば、映画.comでも「スター・ウォーズ」の最新作を現地(ハリウッド)で初日に見よう!という旅行企画を行っていましたよ。懐かしい。エピソード1から3まで3回実施しました。
つい最近、六本木に用事があったので、フォックス試写室を訪ねてみましたが、閉鎖されていて誰もおらず、「ジョジョ・ラビット」のポスターが寂しく置かれているのみ。
これまで、さまざまな形でお世話になったフォックスですが、その名前はおろか、会社まで消滅してしまうというのは衝撃的です。あの、夜空を照らし出すサーチライトに合わせて鳴り響くファンファーレを聞くことは二度とないのでしょうか。映画ファンとしてもそうですが、仕事で世話になった身にとっては、とても複雑な感慨を覚える出来事です。映画部門にもお世話になりましたが、ホームエンターテインメント部門の皆さんには、もっとお世話になっています。皆さんのフォックス後の人生が、素晴らしいものになることをお祈りいたします。
そして現在、日本に存在するハリウッドのメジャースタジオは、以下の5社になりました。カッコ内は日本における配給元。
ソニー・ピクチャーズ(自社)、ディズニー(自社)、パラマウント(東和ピクチャーズ)、ユニバーサル(電通、東宝東和)、ワーナー・ブラザース(自社)。
消えてしまったフォックスの穴を埋める存在としては、ネットフリックスとか、アマゾンスタジオといった、プラットフォーム系の名前しか思いつきません。ハリウッドの老舗映画スタジオも、いよいよサバイバルモードに突入ということなのかも知れません。
筆者紹介
駒井尚文(こまいなおふみ)。1962年青森県生まれ。東京外国語大学ロシヤ語学科中退。映画宣伝マンを経て、97年にガイエ(旧デジタルプラス)を設立。以後映画関連のWebサイトを製作したり、映画情報を発信したりが生業となる。98年に映画.comを立ち上げ、後に法人化。現在まで編集長を務める。
Twitter:@komainaofumi