コラム:芝山幹郎  悪役映画祭 - 第1回

2020年4月7日更新

芝山幹郎  悪役映画祭

悪役の輝いている映画は、なぜ面白いのか。

悪役がしっかりと描かれている映画は、なぜ観客の心を奪うのか。

善玉やヒーローとは異なり、悪役にはモラルの制約がない。悪役は快楽的だ。悪役は負の感情を全開することができる。怒り、憎しみ、妬み、貪欲、凶暴、復讐……現実では抑圧されがちな感情を、悪役は心おきなくさらけ出すことができる。

しかも悪役には、実行力と技術がある。ときには知性や病的な体質も備えている。強力なヒーローと接戦を展開することも可能だ。

そんな彼らが、人心を操り、ハイテクを駆使し、ゆがんだ想像力を羽ばたかせて、観客の無意識の底に潜む欲望を解放し、ときには観客の代わりに滅びてくれる。

だからこそ、観客は悪役に惹かれる。映画という虚構に遊ぶ観客にとって、悪役ほど魅力的な存在はほかにない。悪役の歴史は映画の歴史だ。悪役の楽しみは映画の楽しみだ。そんな悪役の姿や言動や気配を、じっくりと探ってみようではないか。


第1回:シド・ヴィシャスのような破壊力 「ダークナイト」のヒース・レジャー

人々を恐怖の底に叩き込むことに無上の喜びを覚える冷酷非情なテロリスト
人々を恐怖の底に叩き込むことに無上の喜びを覚える冷酷非情なテロリスト

弱者の哀しみと過激な攻撃性をブレンドさせたホアキン・フェニックスの怪演で、映画史に残る〈ジョーカー〉が3枚そろった。いうまでもなく、作品は「ジョーカー」(2019)だ。007シリーズのブロフェルドや、「スター・ウォーズ」でお馴染みのダース・ヴェイダーなど、いくつか例外はあるものの、ひとりの悪党を複数の俳優が演じるケースは、そう多くない。

逆にいうと、ジョーカーは、それだけ演じ甲斐のある悪役なのだろう。私の記憶のなかでは、初代がジャック・ニコルソン、2代目がヒース・レジャー、そして3代目がホアキン・フェニックス(レジャーとフェニックスの間には、ジャレッド・レトが「スーサイド・スクワッド」で演じたジョーカーも挟まるが)。もはやこの名前は、「バットマンの敵役」という註釈さえ必要としない。いいかえれば、「スーパーヴィラン」の代名詞だ。

もちろん三者三様で、それぞれに役作りの工夫がある。

バットマン」(1989)でジャック・ニコルソンの扮したジョーカーは、ポップアートのオブジェだった。余裕綽々のショーマンといいかえてもよいのだが、要するにニコルソンの署名が鮮明に記されている。笑おうが、凄もうが、怒ろうが、不気味な白塗りの顔の裏側には、ニコルソンの癖や体質がはっきりと認められる。

ここから最新作「ジョーカー」(2019)までのへだたりは、相当に大きい。話が長くなりそうなので、この問題は稿を改めて考察したい。

「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」を基にした新<ジョーカー>
「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」を基にした新<ジョーカー>

私が一番に取り上げたいのは、「ダークナイト」(2008)に出てきたジョーカーだ。これには、最も衝撃を受けた。映画史に残る記念碑的な悪役になるのではないか、とも思った。主に初代ジョーカーと比べながら、話を進めていきたい。

こちらは、ヒース・レジャーが演じている。キャスティングを聞いたときは、ちょっと意外な感があった。レジャーは若い。1979年生まれだから、撮影当時は20代だ。生真面目な印象も強い。オーストラリアのパースで生まれた彼には、どこか朴訥な匂いを残した好青年の雰囲気がある。

一方で、レジャーは「物狂い」の気配を感じさせる。「ブロークバック・マウンテン」(2005)でゲイのカウボーイを演じたときは、その特性がよく出た。ジェイク・ギレンホールとのキスシーンも大胆だったが、彼の生家を訪れ、クローゼットにかかったシャツに鼻を寄せて息を深く吸い込む場面では、どきりとするような妖気を漂わせていた。「ダークナイト」の監督クリストファー・ノーランも、その資質に眼をつけたのではないか。

レジャーの素顔を窺い知ることができない<ジョーカー>
レジャーの素顔を窺い知ることができない<ジョーカー>

レジャーは期待に応えた。というより、彼はジョーカーの内部に潜り込んだ。自身の癖をかなぐり捨て、役柄を考え抜いた。登場した瞬間、毒気と瘴癘(しょうれい)の気が画面を満たすのはその証拠だ。ゴッサム・シティを牛耳ろうとするギャングたちの二歩も三歩も先を行き、病院を爆破し、本来は善良だったはずの市民たちが大量殺人者にならざるを得ないような「倫理的危機」を、ほくそ笑みながら作り出す。しかもジョーカーは、街の治安を改善すべく赴任した地方検事デント(アーロン・エッカート)や、「俺は結局、街に犯罪者をはびこらせただけなのか」と苦悩しはじめたバットマンクリスチャン・ベール)をも、心ゆくまで翻弄する。

レジャーのジョーカーは、マッチョではない。気取ったサディストでもなければ、紳士を装った悪魔でもない。

衣裳やメイクアップの基本は、ニコルソンのジョーカーとそう変わらない。紫の上着、もじゃもじゃの髪、白塗りの道化メイク、大きく裂けた口もと。

表面だけを見れば相似形だが、ニコルソンの上着がステージ衣裳を思わせたのに対して、こちらは型が崩れ、肘の擦り切れた量販品だ。分厚い白塗りのメイクも、レジャーのほうは、ところどころでひび割れたり剥げ落ちたりしているし、口もとのルージュはレジャーのほうが断然濃い。

が、もっと大きな違いがある。先ほども触れたが、こちらのジョーカーからは、レジャーの素顔を窺い知ることができないのだ。どの場面でも素顔を感じさせたニコルソンとは対照的といえる。

ニコルソンの癖や体質が鮮明に記されている初代<ジョーカー>
ニコルソンの癖や体質が鮮明に記されている初代<ジョーカー>

レジャーは、完全にジョーカーの内側に入り込んでいる。彼は「カオスの代理人」だ。金や物には眼もくれず、世界を破壊し、人々を恐怖の底に叩き込むことに無上の喜びを覚える冷酷非情なテロリスト。いたるところに爆弾を仕掛け、「殺しの時間をより長く楽しむ」ために銃よりもナイフを選ぶサディスト。殴る蹴るの仕打ちを受けて血みどろになることにゆがんだ喜びを覚えるマゾヒスト。

映画史上、ここまで根性のねじ曲がった悪党、相矛盾する複雑な要素を同居させた悪党はいなかったのではないか。

そんな悪党を、レジャーは舌なめずりするように造型する。よろよろと足を引きずり、膝をぐにゃりと折り曲げ、妙な角度に首を傾け、そうかと思うと、水中から忽然と出現する深海魚さながら、人をぎょっとさせるような登場の仕方をしてみせる。レジャー自身は、ニューヨーク・タイムズの記事で《ジョーカーの原型は「時計じかけのオレンジ」(1971)でマルコム・マクダウェルが演じたアレックス》と語っている。

なるほど。見た目でいえばアリス・クーパーとも似ているが、もっと深いところで結びつくのは、世界の破壊と自己破壊とを重ね合わせようとしたシド・ヴィシャスではないか。

原則も、計画も、方針もなく、まるで即興演奏のように凶悪な行動を重ねるジョーカー。苦悩するバットマンに向かって「俺はおまえを殺したくない。おまえは俺を完成させてくれるからだ」とうそぶくジョーカーの姿は、観客の背筋を凍りつかせる。

G・ミラー監督は新マッドマックスにレジャーを考えたこともあったという
G・ミラー監督は新マッドマックスにレジャーを考えたこともあったという

いまも触れたニューヨーク・タイムズの記事によると、「ダークナイト」の撮影期間中、ヒース・レジャーはひどい不眠に悩まされていたそうだ。睡眠時間は一日に2〜3時間がいいところで、共演したマイケル・ケインの証言によると、《彼はげっそりしていた。文字どおり疲れ果てていた》そうだ。

不眠の背後には、異様なまでに真剣な役作りがあったにちがいない。ケインはこうもいっている。《私は彼に“そこまで役に打ち込めるほど、私は若くないよ”といったのだが、肚の底ではこう思っていた。“きみと同い年でも、そこまでやるエネルギーはないよ”と》

レジャーの熱演は、あきらかに命を削っていた。「鬼気迫る熱演」という陳腐な表現も、ここでは強い現実味を帯びる。撮影が終了してほどなく、レジャーはマンハッタンにあるアパートの自室で遺体となって発見された。

死因は、医師に処方された薬物の過剰摂取だった。遺体からは、オキシコドン、ディアゼパム、ドキシラミンといった成分が発見されたそうだから、睡眠薬、鎮痛剤、精神安定剤の濫用があったことはまちがいない。28歳での夭折はあまりにも痛ましいが、彼の造型したジョーカーは、われわれの脳髄に絡みついて離れない。

筆者紹介

芝山幹郎のコラム

芝山幹郎(しばやま・みきお)48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。評論家・翻訳家。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ映画風雲録」「今日も元気だ映画を見よう」「映画西口東口」「スポーツ映画トップ100」「スターは楽し」など。訳書はスティーブン・キング「ニードフル・シングス」、ヘイウッド・グールド「カクテル」など多数。週刊文春シネマチャートの評者を1988年から務めている。

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